ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山形県長井市、草岡「草岡の大明神ザクラ」(国指定)です!!

2022-05-15 06:25:15 | 巨樹・大木
 ゴールデンウイークには桜の花は散っていましたが、国内第二番の幹の太さを誇る桜を見に行きました

 以前訪れた時には、観光客が多くて取材を諦めてしまったところです

 草岡地区は、長井市役所の北西約4kmのところ

 県道253号線を西へ山形鉄道長井線あやめこうえん駅の南側を通って

 最上川の支流野川を渡ります、道なりに西へ進んで、信号を右(北)へ県道11号線です

 県道11号長井白鷹線を北へ進むと、西根コミュニティーセンターの先、

 道路左側に「草岡の大明神ザクラ」の案内板が有ります

 西に入ると広い駐車場が有りますので利用させていただきました

 さすがに、利用者は私だけでした

駐車場の大明神ザクラ周辺案内図です、右下に大明神ザクラが在ります

駐車場脇には三大桜(クローン)が植えられています、根尾谷淡墨桜です

山高神代桜です

三春滝桜です



大明神ザクラへ行きましょう


国指定天然記念物の大きな石碑です

石碑の北側からズームレンズで杉の間から大明神ザクラを見ました


少し左から


南西側から近付来ます

近付いて西側から

根元には県指定天然記念物の石碑です


太い幹をズームアップしてみました


説明版です
  国指定天然記念物
   草岡の大明神ザクラ
 朝日山系の裾野に生育するエドヒガンの巨木で、幹周りは10.91m、を測り、人里に植栽された単幹の桜としては幹の太さが国内最大であり、学術的に価値が高い巨樹である。主幹は空洞化しているが、樹体は発達した不定根で維持され、樹幹が更新している典型としても価値がある。
 坂上田村麻呂が蝦夷を平定したとき戦勝記念に植えられた5本のうちの一本という伝説があり、樹齢千二百余年と言われている。また、所有者横山家に伝わる古文書によると、戦国時代の武将伊達正宗が十四・五歳の頃、鮎貝氏との合戦に初陣として加わった際、戦いに敗れこの桜の洞に隠れ難を逃れ、「桜子の 散り来る方を 頼み草 岡にて又も 花を咲かせん」と詠み、家臣横山勘解由を残し、桜の栄え久しきことと子孫長久を祈ったと記されている。
 かつてこの桜は枝を広がりが一反歩にもおよび、横山家の母屋を覆っていたといわれ、枝や幹に当時の面影を見ることができる。地元では種まき桜とよばれ、農作業の目安木として親しまれ大切にされている。
  指定日 平成17年7月14日
  樹種 エドヒガン
  樹高 18.8m
  幹周 10,91m
  枝張り東11.2m
     西13.8m
     南10.8m
     北11.2m
 平成19年3月
  文部省
  長井市教育委員会

同内容の説明版がもう一枚

巨樹日本の桜ベスト10の案内板です、一番の鹿児島県伊佐市の桜は、「奥十曽のエドヒガン」で伊佐市指定天然記念物にされているもののようです、目通り幹囲は11,0mで全国一位は変わりません、また、福島県三春の滝桜は幹周り9.5mという資料が有りますので第4位になるようです。

八重桜は満開でした

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山形県長井市、五十川「五十川の桑樹(鷹山公赤木)」(市指定)です!!

2022-05-14 18:32:25 | 巨樹・大木
 五十川地区は、長井市役所の北約4kmのところ

 県道9号長井大江線を北へ、最上川の支流草岡川を渡ると間もなく

 左手に長井市立致芳小学校が見えて来ます

 すぐ手前を右(東)へ、間もなく左側に目的の桑樹が見えて来ます

 前の道路脇に車を止めさせていただきました

根元を四角く囲われて目的の桑樹です


南側から、まだ葉が出ていないので桑の木かわかりませんね~

「鷹山公赤木」の石碑です

致芳ふるさとめぐりの二次元コードには「大桑の木」となっています

説明版です
   五十川の桑樹(鷹山公赤木)
 長井市五十川字蛇塚1169番地に所在するところの老木は、安永5年(1776)、米沢藩第9代藩主上杉治憲(鷹山)公が藩政改革の一環として養蚕を奨励するため,領内に植栽された桑の苗木一万本のうちの一本といわれている。
 目通り95cm、高さ約12m、のこの木は、「赤木」と呼ばれる改良種で、春蚕専用種である。
 この木が特に注目されるようになったのは、昭和25年6月12日、貞明皇后が大日本蚕糸会総裁として、山形県知事の先導で視察されて以来である。
 昭和35年5月19日、山形県貴重文化財に認定、同40年12月6日、長井市文化財(天然記念物)に指定された。
   平成8年3月
   長井市教育委員会
   長井文化財保護協会
*説明版の目通り95cmは直径のようです、幹周囲は約3mの大木になりますね


西側から

北西側から

北側から

南東側から

脇の八重桜は満開を迎えています

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山形県川西町、洲島「小沼家のサイカチ」(町指定)です!!

2022-05-14 06:21:08 | 巨樹・大木
 洲島地区は、川西町役場の東約7kmのところ

 役場前の道路を北へ、国道287号線の交差点を、右の県道7号線へ

 道なりに約7km進みます、道路左手に案内板が出ています

 
案内板です(東側から)ここを北へ入ります、400mです

左手に龍高院が見える右手の建築会社の裏に

目的のサイカチです、道路脇に車を止めさせていただきました

近くによってみましょう


北西側から

説明版です
  小沼家のサイカチ
 川西町指定天然記念物 植物1本
所在地 川西町大字洲島八ッ口638
所有者 小沼三右衛門
大きさ 目通り6m、枝張り17m、高さ15m
 このサイカチの木はマメ科の落葉高木で、茎幹に多数の棘がある。
 夏に薄黄色の花が咲き、秋にはさや果をつける。そのさやはかつて洗剤として使用されていた。
 この木は、戦国時代の頃、戦に勝利するように「勝」にちなんで植えられたと伝えられている。
 サイカチの木としては、県内でも最大級のものである。
 小沼家は旧姓を小関と名乗り、伊達家11代目当主、伊達持家公より代々伊達家に仕える仕官であったが、天正19年、伊達家19代目当主、伊達正家公が仙台岩出山城へ移封となった際に、小関和泉守子孫は移封せず、民間に転落し、小関三右衛門を名のり、土着亡命した。
 後世に至り、北東の地に池があることにちなみ、小沼と苗字を変えたという。以後、小沼家は代々半農獣医(往時伯楽)を生業とする。
 文政7年の調書には「三右衛門屋敷方位60間以後代々洲ノ島村庄屋勤メル」とある。
 ちなみに、121箇村総鎮守洲ノ島八幡神社の神輿は明治年間まで小沼家より出ていたものである。


西側から、サイカチの東側が小沼家のようです


南西側から

北側から

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山形県川西町、吉田「北方のイチョウ」です!!

2022-05-13 18:56:19 | 巨樹・大木
 吉田地区は、川西町役場の東約5kmのところ

 役場前に道路を北へ、国道287号との交差点で県道7号線を東へ進みます

 道なりに約5km、道路左に塚之上地蔵尊が在ります、ここを左(北)へ

 間もなく右手に目的のイチョウが見えて来ます

 西側の舗装道路脇に車を止めさせていただきました

県道7号線曲がり角を少し行き過ぎて、田圃の北側集落前に大きな樹幹が見えます

望遠で撮影しました、目的のイチョウです


西側の道路から農道へ入ります南西側から


南側から

根元には祠と墓石が並びます


西側から、二本の幹が良く分かります


北側から、二本の合体木で合計目通り幹囲7mほどの巨木です


北東側から


東側から

南東側から

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山形県米沢市、広幡町「上小菅観音のケヤキ」(市指定)です!!

2022-05-13 06:58:27 | 巨樹・大木
 広幡町は、米沢市役所の西北西約5kmのところ

 県道151号線を西へ、やがて国道121号線となって

 信号を右(北)へ国道287号線です

 鬼面川を渡ってJR米坂線の踏切を越えます

 JR米坂線なるしま駅前を斜め左の国道と並行する道路に入ります

 まもなく道路左手に米沢市立広幡小学校が見えて来ます

 すぐ北側に小菅観音の参道が東向きに開いています

 参道入り口前に車を止めさせていただきました



米沢市立広幡小学校です

参道入り口です

置賜三十三観世音上小菅霊場です

説明版です
  置賜三十三観音霊場 第一番札所
   上小菅観音
 身体堅固を願えば霊験あらたかである。
 御本尊は千手観世音菩薩 鎌倉・初期の作と伝えられる。
 観音堂の創建は南北朝時代。当時はここより後方の小高い所にあったが、参拝に不便なため現在地にいてんした。
 明治22年10月に火災で焼失したため、今の観音堂は明治25年に再建されたものである。
   石彫り三十三観音像巡り
 平成11年8月に地域の有志相集い、米沢市街地を一望できる霊山、観音山(観音堂左後側斜面)の地に、三十三体の石彫り観音様を建立した。
 これは、置賜三十三観音各霊場より、分身分霊を頂載したもので、遊歩道を巡って参拝できる。


観音堂へ向かいましょう

目的のケヤキが観音堂の前に在ります

南東側から

説明版です
  米沢市指定天然記念物
   上小菅観音堂のケヤキ
  平成6年3月31日 指定
  所在地 米沢市広幡町上小菅
 本ケヤキは、置賜三十三観音の一番札所上小菅観音堂の境内に所在する。根周り6.7m、幹周り4.1m、高さ約26mを測るもので、枝張りは東西約25m、南北約30mに広がり、推定樹齢300年以上の壮年期を迎えている。
 樹形は、地上から約3.5mまで主幹が直立し、その上部からは6本の大枝が出ており、雪国では珍しい逆三角形を呈している。また、かつて周辺環境の変化があり、一時的に枝枯れや樹勢の低下がみられたが、地元保存会による懸命な保全活動により回復した。
 広幡地区のシンボルと言える地域の名木であり、置賜地方のケヤキの中でも最古級に位置し、特異な樹形、類例の少ない盤根ケヤキとして学術的に貴重である。
   米沢市教育委員会
.
南側から

西側から幹を見上げました

北側から

観音堂への石段です

手水舎です

北側には庚申塔などの石塔が並びます

観音堂です


石段上からケヤキを見ました

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山形県米沢市、春日「長町裏のエゾノキ」(県指定)です!!

2022-05-12 18:42:08 | 巨樹・大木
 春日地区は、米沢市役所の北西約700mのところ

 モーゼスレイク通りを西へ

 最上川の支流堀立川の手前右手に春日団地集会所があります

 集会所前の広場は熊野大権現の境内になっています 

 
春日団地集会所です、ここの前に車を止めさせていただきました

集会所の前は「宗教法人 熊野大権現」の境内です、左奥に目的のエゾノキが見えます

説明版です
  宗教法人 熊野大権現
1、御本尊 阿弥陀如来 室町時代の作
1、御神木 エゾ榎(樹齢約450年)
  昭和31年天然記念物として指定された。
  当御神木エゾ榎はこの地が南限と云われる、又、他に見られない板状根を有するものである。
1、五穀豊穣・商売繁盛・家内安全その他諸々の祈願、ひろく信仰崇拝されております。
   昭和61年7月吉日
   米沢市長町下通り信徒一同

南東側から、目的のエゾエノキは境内端に在ります

東側から


北側から太い幹を見上げました

熊野権現社の祠です

天然記念物指定20周年の顕彰碑です


南側から

山形県指定天然記念木の標柱です

説明版です
  山形県指定天然記念物
   長町裏のエゾエノキ
  昭和31年5月11日 指定
  所在地 米沢市春日三丁目
 この樹木は熊野権現の御神木となっており、信仰の対象であるとともに地域のシンボルとして地域住民から長年親しまれてきた。
 樹齢は400年以上と推定され、根周り9.5m、胸高幹周5.3m、高さ14.5m、枝張りは東西16.1m、南北21.8mを測る。
 従来、「エゾエノキ」されてきたが、のちの調査で「エノキ」であることが判明している。同種の樹木としては県内随一の巨木であることから、昭和31年5月11日に県の天然記念物に指定された。
 昭和59年に行われた堀立川の河川改修工事により、川の流れが変わったことで、現在のように板根状の根幹が地上に露出し、奇状を呈するようになった。
 平成以降、枝折れなどの樹勢の衰えが目立ち始め、枝折れ箇所から雨水等の侵水による影響で、急速に幹への腐朽と空洞化が進行し、枯死や倒木が懸念される状況に至った。
 平成21年に地域住民が中心となって「エゾエノキを守る会」を結成し、平成23年には守る会と熊野権現らの地域住民が主体となって山形県及び市の教育委員会の補助を受け、保存修理工事を実施するなど、樹木の精力的な保存活動が行われている。


河原側に降りて見上げました


南西側から

橋の袂から見ました

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山形県米沢市、遠山町「西明寺のトラノオモミ(ハリモミ)」(県指定)です!!

2022-05-12 06:26:26 | 巨樹・大木
 遠山町は、米沢市役所の西南西約4kmのところ

 県道152号線を西へ県道から国道121号線へと変わってさらに西へ、

 ヨークベニマル(スーパーマーケット)先の国道287号線と県道101号線の五差路の信号を

 左の県道152号米沢環状線を南へ

 更に進んで、コンビニの手前の信号を右(西)へ県道233号線です

 間もなくJR米坂線を渡ってすぐを左(南)へ県道245号線です

 道なりに進むと、右手(西側)の山裾の道路に西明寺の参道が東向きに開いています
(手前の新しい道路にも西明寺への案内板が建ちますが、カーナビの案内に従いました)


参道入り口です

置賜第26番札所西明寺です


遠山観音入り口です、車をここに置いて墓地の間の石段を上ります、本堂へは南側から登りますが・・・


観音堂が見えました、大きな松の切り株です


観音堂です

文化財説明版です


直江兼続公の詩碑です、米沢の市街を見下ろします


観音堂の南側には西明寺本堂前の弘法大師様です


観音堂北側から薬師堂へ向かいましょう

薬師堂です


薬師堂は上杉家四代綱勝公が再建したものです

説明版です


薬師堂前には弘法大師様に誕生1200年記念碑です、子供の頃のお大師様の像は珍しいですね

右手に、目的のトラノオモミです

南側から

説明版です
  山形県指定天然記念物
   西明寺のトラノオモミ
  昭和31年5月11日 指定
  所在地 米沢市遠山町
 トラノオモミは、西明寺の北端にある薬師堂脇に存在するもので、根周り4.0m、幹周り2.85m、高さ26mを測る。推定樹齢は約350年の壮年期と推測される。
 平成9(1997)年に隣接する林地伐採の影響によって樹勢が衰えたので、県と市による応急手当てが施され、活性を取り戻している。
 円錐形状の樹形は、東西10m、南北9m、に広がっており、全盛期と比較して下枝が少なくなった分だけ、ややほっそりした感じである。
 平成13(2001)年、以前から樹種の異なりを指摘されていた本樹木の調査を実施し、果実や種子の形状、葉の断面より、ハリモミ(バラモミ)であることが判明した。
 ハリモミは、日本特産種の常緑針葉樹で、マツ科トウヒの仲間では最も低いところに自生し、東北南部の福島県から九州地方の鹿児島県の至る太平洋側の低温帯域に分布している。
 本樹木に関しては、明暦4(1658)年、三代米沢藩主上杉綱勝が婦人(媛姫)の病気平易祈願のため会津から苗を取り寄せ手植えしたと伝えられている。
 日本海側の多雪地にはほとんど自生しないとされ、移植された可能性が高く、学術的に貴重な存在である。
  米沢市教育委員会


東側から


北側から


北東側から



西側から



南西側から見上げました

春の草花はカタクリです

ショウジョウバカマです

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山形県米沢市、李山「南原の大栗」です!!

2022-05-11 20:01:37 | 巨樹・大木
 李山地区は、米沢市役所の南約8kmのところ

 (李山も南原も共に地区の名前ですが、大栗の立つているのは李山です)

 県道2号米沢猪苗代線を南へ、JR米坂線の踏切を越えてさらに南へ進みます

 米沢市立南原中学校を右に見て約500mほど

 住宅の切れ間から右手奥に大きな幹が見えてきます

 県道脇に車を止めさせていただきました

県道2号線から見ました手前には石仏や墓石がありますが~


東側から、たくさんの枝を広げた見事な樹形です

近付くと南側そばに祠があります、賽銭箱もありますので屋敷神様ではないようですね


北東側から、雪で折れることもなかったように枝を伸ばしてします


南側から、緑色の葉を付けているのは着生植物のようです

道路脇に説明版が有ったはず(Googleマップのストリートビュー)でしたが見当たりませんね

  南原の大栗
 胸鷹幹周5.5m、高さ20m
 推定樹齢およそ250~300年位、早生の丹波栗。
 四方に枝を張り、均整のとれた見事な樹形。
 県内でも珍しい栗の大木である。
  文責 米沢生物愛好会長 石栗正人
*ストリートビューでは、この文が表示されていました

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山形県米沢市、三沢北畑「山上の大クワ」(県指定)です!!

2022-05-11 06:22:29 | 巨樹・大木
 三沢北畑地区は、米沢市役所の南南東約6kmのところ

 JR奥羽本線よねざわ駅前から南へ道なりに進んで

 やがて県道232号線を南へ進みます(県道はカギの手に数度曲がって南へ向かっています)

 まずJR米坂線の踏切を渡って市街地を南南東へ

 JR奥羽本線(山形新幹線)の線路を越えると

 関根郵便局手前の交差点で県道151号線を分けて東へ

 県道232号線が右にカーブしてまた南東向きになると左の羽黒川を橋で渡ります

 集落の中ほどに案内板が出ています、300mです


ここを北へ入るようですが途中で道が無くなっています

西側の舗装道路へ移動します


畑の畦の先に目的の大クワが見えました(白い四角は説明版でした)

畦道を約100m西側から進みます


南側から、ようやく冬芽が膨らんできています

南西側から、電気柵ですね~ネットが四方を囲んでいます(黄色い注意板がありますので触らないようにしました)


西側から、幹の傷は埋められています

説明版です
  山形県指定天然記念物
   山上の大クワ
  昭和30年8月1日 指定
  所在地 米沢市大字三沢字北畑
 この樹木は、旧南置賜郡山上村に位置していたことから「山上の大クワ」と称され、地元の名木として長く地域の住民から大切に守られてきた。
 樹齢は、500年以上と推定され、全国で最も古いクワの一つとされており、品種は白桑「カラヤマグワ」系統である。
 米沢では、米沢藩中興の祖である、上杉鷹山が養蚕業を奨励し、桑の木が多く植えられたが、この「山上の大クワ」は、それ以前から自生する唯一の桑の木である。
 昭和30年に県が天然記念物に指定された当時は、根周り5m、幹周り4.1m、高さは10mほどもあったと記録されているが、現在は老齢と猿害のために著しく樹勢が衰え、特に、平成以降は幹の空洞化と枝枯れが急速に進行している。
 そのため、教育委員会では平成9年以降、倒壊防止の支柱を設置したほか、壊死箇所の除去や栄養剤の散布などの治療を施した。また、猿害防止対策として周囲を電牧ネットで囲んで保護するなど保全対策を行っている。
  米沢市教育委員会
 

北西側から、指定当時の写真と比較すると南側の大枝がなくなっていますね


北側から、四面を高いフェンスに囲われています、猿などの食害を防ぐものです


東側から、電気柵でも上が開いているので猿害対策になるのか不安が残ります

南東側から、枝が少なくなって支柱が一本以外は役に立っていませんね

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山形県米沢市、万世町桑山「米沢八幡原ICの万才の松」(景観樹)です!!

2022-05-10 18:29:56 | 巨樹・大木
*ここからは、2022年5月2日取材分です、ゴールデンウィーク後半は山形県へ行きました

 福島県福島市の福島大笹生インターチェンジから米沢北インターチェンジまでの区間が無料区間となっています

 万世町桑山地区は、米沢市役所の南東約5kmのところ

 国道13号線(万世大路)を福島方面へ向かうと

 羽黒川を渡って東北中央自動車道の高架を潜ります

 間もなく米沢八幡原インターチェンジです

 手前のコンビニの有る信号を右(南)に入ってすぐコンビニの南側の道路を左(東)へ入ります

 道なりに進んで、ICの誘導道路の下を北側のトンネル(二か所有る先の方)で抜けると

 一段下に大きな赤松が見えてきます、駐車スペースがありますので利用させていただきました


南側から

西側から



北側から幹を見上げました




景観重要樹木に山形県と米沢市に指定されて、共に第1号に指定されています

説明版です 
  駐輩之碑 万才の松
場所 万世町桑山旧小学校建地
由来
 明治14年10月3日 明治天皇東北御巡幸の際に、開通の式典が行われ、後に「万世大路」の名を賜わりました。
 内陸国米沢にとっても、夜明けとも云える首都圏との産業・文化の交流が出来るようになった感激の歴史でした。
 明治天皇御少憩の地、桑山観音原(現在地)に有志者により、この地を永久に、後世に伝えるために明治22年、記念樹として青松一株が植えられました。
 明治28年石碑が建てられて、その裏面には伯爵東久世通禧の句「いでましを あふぎて 今も 松が枝に 萬世唱う かぜの音かな」と刻まれております。
 旧万世小学校は、明治34年この地に建てられましたが、その校歌は、金谷の藤倉祐蔵先生の作詞、大正2年に制定され「御跡に植えし記念松 いよいよ高く天を摩し いわれを伝う石碑は 千代万代にくちはせず」と歌われております。
   平成4年5月 建之
    万世公民館
 

東側から


南東側から、松くい虫の被害は出ていないようです


西側には小学校創立60周年記念碑と歌詩の彫られた石碑です


萬世小学校創建之地の大きな石碑です


東北中央自動車道路開通記念の草木供養石碑です

西側の誘導道路と樹木です 

南側の山には城址があるようです、尾根を通して2時間以上かかりそうです

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山梨県上野原市、綱原「軍刀利神社のカツラ」(県指定)再訪です!!

2022-05-10 07:22:05 | 巨樹・大木
 前回は2016年9月16日にこのブログで紹介させていただきましたので5年半ぶりです

 綱原地区は、上野原市役所の北北西約7kmのところ

 県道33号上野原あきるの線を北北西へ向かいます

 神戸地区で県道18号上野原丹波山線(左)へ

 道なりに進むと、左カーブのところに目立つクスノキが立っています

 その手前を右へ、軍刀利神社の参道です

 急な坂道を登ると・・・

一の鳥居です、そのまま車で社務所前、トイレ前を過ぎて

手水舎です、沢沿いに駐車スペースがあります(升に止めると斜めになりますので、ハンドルを一杯に切っておきましょう)

石段を上り二の鳥居を潜ります

説明版です
   軍刀利神社
 祭神 日本武尊
 祭日 1月 1日 歳旦祭
    4月19日 例大祭
   10月19日 秋祭
   11月23日 新嘗祭
   12月31日 除夜祭
  由緒沿革
 人皇70代後冷泉亭御宇、永承3年(1049)5月創立
 当初三国山頭に座し、武州桧原郷、相州佐野川郷、並 桐原郷の総鎮守と称されたが、野火の災に罹り、延徳年間現今の地に遷座す。
 軍神として広く信仰を集め特に武門の崇敬は篤く、武田信玄は自画讃水仙図を奉納。
 岩殿城主小山田家は累代当社を崇敬し、7代の主信有は、享禄3年(1531)郡内に侵入した北條軍迎撃の出陣に当り、戦捷祈願をし、矢坪坂にて是を撃破敗走せしむ。御神徳に感じ金百両を寄進す。
 上野原郷豪族加藤氏、小菅遠江守信景累代の主年々神社維持費を幕末に至る迄奉献す。
 甲斐国志には、軍茶利夜又明王社桐原村井戸鎮守永正8年(1511)鰐口有銘、略之寛永9壬申(1633)年棟札あり、略之伝々とある。
 現在は厄除け招福、縁結びの神として全国的に有名な神社である。
 尚、寛永9年(1633)社再建の折の棟札に神主石井甚五郎大工日原村佐五右エ門の名が見られる。
*奥の院の前にある大カツラまで山道を約10分です

境内に上がって来ました、左手に手水舎です

正面に拝殿です

本殿の上には笠状の屋根が掛かります

右手には大きな刀を奉納する額殿です


社殿裏側から奥の院へ行きましょう

奥の院への鳥居です

砂防堰堤前の桜です


一度折り返して、ヤマブキが見ごろです

ガードレールが切れると上側の砂防堰堤です

砂防堰堤の先から目的のカツラの樹冠が見えました

奥の院手前の鳥居です

鳥居下から見ました、根元の建物が奥の院です

西側から、前回訪問した時には根元一杯に水が流れていました

昭和36年指定 大桂 天然記念物石碑です

北西側から見上げました

奥の院です

奥の院の脇(北側)から

北東側から

北東側に離れてみました

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山梨県笛吹市、下黒駒「下黒駒の大ヒイラギ」(県指定)です!!

2022-05-09 18:36:40 | 巨樹・大木
下黒駒地区は、笛吹市役所の南東約5kmのところ

国道20号線勝沼バイパスを東へ

上平井信号の先のインターチェンジを路面標示の川口湖方面(案内板では山梨県森林公園金川の森)へ

国道137号線御坂道を南東へ金川左岸を進みます

中央高速道路一宮御坂インターチェンジを過ぎて

県道34号線との交差点下黒駒下信号を右(南)へ入ってすぐを左(南東)へ

間もなく右手道路脇に目的のヒイラギが見えてきます

(Googlマップでは秋葉神社と表示が出て来ますが、大きな石碑だけで社殿等は有りません)

すぐ先の、ゴミ集積所脇に車を止めさせていただきました


坂道を上っていくと右手に目的のヒイラギが見えてきます


北側から、ヒイラギとしてはかなり大きな幹です、ねじれた幹の幹の根元に洞が出来ているようです



北東側から、秋葉神社の石碑が建ちます

説明版です
 山梨県指定天然記念物
  下黒駒の大ヒイラギ
   昭和60年3月19日指定
 この大ヒイラギは、下黒駒の秋葉神社境内にある。
 規模は幹囲2.95m、樹高は7.5m。雄株で幹は左巻きによじれている。枝張りは東西9.5m、南北10.5m。
 ヒイラギは若木のうちは葉にトゲのような鋸歯があるが、老樹になると丸い葉に変化する。11月上旬に白い小さな花が開花する。
 ヒイラギの巨樹としては、県下まれに見るものであり、たくましさが感じられる。
  山梨県教育委員会
  笛吹市教育委員会
*ヒイラギ(柊・柊木)は、モクセイ科モクセイ属に分類される常緑の小高木です。
 トゲ状の鋸歯を持つ葉が特徴で、邪気を払う縁起の良い木として、生垣や庭木として良く植えられています。
 名前の由来は、葉の縁のトゲに触れると「ヒリヒリと痛む」ことから、日本語の古語動詞の「疼(ひいら)く」の連用形「疼(ひいら)ぎ」を名詞としたことによるそうです。
 別名で「ヒラギ」ともよばれ、学名の種小名は「異なる葉」を意味し、若い木にあるトゲ状の葉の鋸歯が、老木になるとなくなる性質に由来する。
 
*山梨県内では、甲州市の「小林のヒイラギ」が2016年に枯れてしまったので、県内一番の規模のヒイラギと成ってるようです。
 全国的には、11番目の規模と思われます、またヒイラギの古木・大木は県指定や市町村指定などの天然記念物になっているものが多数あります。


東側から、鉄の支柱が幹を支えています、トゲ状の葉は見当たりません

南側から

では、次へ行きましょう
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山梨県富士川町、平林「氷室神社の大杉」(県指定)です!!

2022-05-09 06:25:06 | 巨樹・大木
 平林地区は、富士川町役場の西北西約7kmのところ

 町の西に聳える櫛形山脈の中腹に当たる棚田の綺麗な大きな集落です

 県道413号線を西へ道なりに進みます

 平林郵便局を過ぎて、沢を渡る手前を右へ急な道路を登って行きます

 集落の上側を通る広域農道に出ると丸山林道入り口です


広域農道脇に参道入り口です

 丸山林道の先に氷室神社一の鳥居が建ちます(案内図では二の鳥居となっています)

 林道を進むと、右に氷室神社への道路が出てきます(丸山林道は工事のため通行止めでした)

 神社社務所前まで車で登ることが出来ますが、参拝者用駐車場に車を止めて歩くことにしました

二の鳥居です(案内図では一の鳥居です)

鷹尾山 氷室神社です

杉並木の石段を上りましょう、先が見えませんが~

「自然記念物」説明版です

50段ごとにプレートがあります

赤い三の鳥居が見えてきました(100段目から)

三の鳥居は四脚鳥居です(200段目から)

車道を横断します(300段目から)

随身門が見えてきました(400段目から)


随身門です

狛犬です

手水舎です

拝殿が見えてきました

500段目です

もうすぐ境内です

519段で境内です

拝殿です


本殿です

神楽殿です

説明版です
  平林鷹尾氷室神社の由緒と天然記念物
 文安6年(1449年)再建の棟札によると、第49代光仁天皇の宝亀元年(770年)の創立で開基は、儀丹行圓といわれている。
 旧は、真言宗鷹尾寺と称し、武田家、徳川家の信仰も厚く、代々、徳川家より御朱印を賜り、天下泰平、国家安寧、万民幸福を祈願したと伝えられている。
 明治維新をむかえ、神仏分離令により、鷹尾寺から仏教関係を取り除き氷室神社となった。
  氷室神社の大杉(県指定天然記念物)昭和48年7月12日指定
 神社の裏にあるこの大杉は、神社の御神木として1200年前からあるものだとされている。
 目通り幹囲8.4m、地上4mのところから幹囲2.4mの枝を出し、翼長は東へ12m、西へ9m、北へ7m、南へ10mであり、樹高は約40mにおよぶ。
 この樹皮をとって煎じて服すると、母親の乳の出がよくなるといわれている。

境内南端の杉の大木です

西側から見上げました

境内西端にも杉の大木です

北側から見上げました


社殿東側の池に水車です

境内から目的の大杉です

根元まで上がって来ました

案内板です

社殿の屋根が見えました

南西側から

西側から、瑞垣の柱が倒れています、手前の倒木が倒したようです

北側から

北東側から、一周回りましたが幹に傷は見当たりませんでした、まだまだ大きくなりますね

戻りましょう

社殿南側の境内社です

櫛形山登山口です

社務所脇にも境内社です


随身門南側に天然記念物のクロベ(黒桧)です








境内には春の鼻が満開でした

では、次へ行きましょう
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山梨県身延町、嶺「峰の大ケヤキと大杉」(町指定)です!!

2022-05-08 18:27:24 | 巨樹・大木
 嶺地区は、身延町役場の北東約6kmのところ

 国道52号線を北へ、峡南橋で富士川を左岸に渡ります

 県道9号線を東へ、車田集落で県道9号線が右に曲がるところを真っ直ぐに県道414号線へ

 細い県道を道なりに進んで、県道が北を向いたころに

 案内板があります

 つづれ折れの道を登って行きます、集落に入って北の端に向かいます

 ゴミ集積所前の道路脇に車を止めさせていただきました

 この先です

 庚申堂の有る民家があります、目的の大ケヤキが見えてきました

 太い幹が途中で切られてしまっています

 奥側から見ました、細い幹が大ケヤキの物かは不明です

 奥側のケヤキです

 谷側には多数の大枝が捨てられています

 大杉へ向かいます

 ここまで舗装されています

 左手の斜面に黒い幹が見えます

 フェンス沿いを左に進みます

 ここで折り返します

 太い幹が見えました

インクラインの機械の先に目的の大杉です

根元に石仏です

 太い幹を見上げました、目通り幹囲7.3mの巨木です

反対側へ周ってみました、太い幹の半分くらいまで朽ちてしまっていました

*木々の中に立っているので、昨今の台風等に耐えられているのではないでしょうか、大ケヤキのように簡単に切らないで長生きしていただきたいと思います

では、次へ行きましょう




 
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山梨県身延町、飯富「飯富八幡神社のクスノキ」(町指定)です!!

2022-05-08 06:26:07 | 巨樹・大木
 飯富地区は、身延町役場の南約4kmのところ

 国道52号線を南へ、飯富信号を斜め右へ県道410号線です

 道なりに南へ進むと、ガソリンスタンドの向かい側(西)に

 飯富八幡神社が東向きに鎮座します

 少し先の県道わきに車を止めさせていただきました(交通量が多いの境内近くには止められません)
 
参道入り口鳥居です

村社 飯富八幡神社です

石碑があります
  山梨県知事 天野久題額
   開田記念碑建設委員会撰文
 由来飯富は、土地峡隘にして早川富士川の合流点に位置し、為に年々歳々水禍を蒙り、安住の地とするには余りにも恵まれざるの土地柄なり、農村にして農を専業とすることを辛うじて商工を兼業に、或は他に出稼働にあらぬる苦難の連続なり
し事は今思いたるに過ぐるものあるらむ。
 斯る貧困なる追う均境弛却万策として愛郷の士相倚り相諒り増田藤四郎氏等の第一は開田事業は大正初年に奮耕地複奮を遂げ引続いて土橋元三郎氏土橋王作氏思いを最後として二十有余町歩の大開田は遂に其の完成を見るに至っれり。
 顧みて大東亜戦争中の食糧窮乏の時代を追想し又昨年の未曽有の大豊作を想赴する時だれかこれ等先覚者の偉大なる遺産に感激せざるものあらんや、余日この意澤に浴する飯富区民の厚生面に及ぼす利益は計り知れざるものあり、之れ偏に関係諸氏の先見の明知と不屈の努力の賜に非ざるはなく其の功績や寔に大なりというべし。
 茲に全区民の名に均して記念碑を建て永く其の功績を後昆に傳えんとす。
   昭和31年春彼岸建之 飯富区
   川崎香洞書




参道石段を上がります

正面に赤い二の鳥居です

右手に目的のクスノキです

手水舎です

拝殿です


本殿を覗くことが出来ました

説明版です
  飯富八幡神社の指定文化財 所有者 飯富区
   飯富八幡神社本殿 昭和39年5月12日 町指定
 本殿は二間社流造、総檜の堂々たる神殿である。向拝欄間にある竜や、頭貫両端にある唐獅子の彫刻、擬宝珠高欄など江戸時代の技法がよく現されている。
 祭神は天照皇大神(像高24cm)八幡大菩薩(像高33.5cm)の二体、両像とも背面に「長享2(1488)戌申11月13日五郎敬白」の銘がある。
 社殿の創建は長享2年とされ、その後宝暦3年(1753)、天明2年(1782)、文政10年(1827)と三度の火災で、現存の四脚門鳥居を残して全焼した。
 今の本殿は、天保14年(1843)の再建で、棟梁は飯富村古屋為右衛門義則と菊花の紋章の裏に記され、厨子内に保存されている。彫刻は、佐野金四郎の手による。
 拝殿は元治元年(1864)に上棟したが、明治13年nお大火で類焼し、今の拝殿は、昭和11年に再建された。
 二の鳥居は、町内でも古く宝永2年(1705)の四脚門鳥居で、平成27年に改修された。
   飯富八幡神社のクスノキ 昭和41年3月1日 町指定
 飯富八幡神社境内(七面堂前)にあるこのクスノキは、文久2年(1862)に永久寺26世住職慈明院日普上人が、三島神社境内の大クスより根分けして移植したものと伝えられている。
 このクスノキは、移植された年代から推定すると5本が合着したものである。
 クスノキは、関東以西に分布し、経2mほどにも成長する常緑高木である。晩春に白く淡い黄緑色の小さな花が咲く。また木材に芳香のあること、材質が密であることから、仏像彫刻の材料に使用されている。そのほか樟脳(枝葉を蒸留して得られる無色透明の固体)をとり、薬用にも利用される。指定当時の目通り幹囲は5.2m。樹高は25m、枝張りは21mあったが、平成26年の記録的な豪雪に伴って多くの枝が折れたため、保存の為剪定が行われ、現在の樹形になった。
  平成28年3月25日 
  身延町教育委員会


本殿南側の石塔や祠です

拝殿前からクスノキを見ました

西側から

北側から

東側から



境内の七面堂です

稲荷社のようです

北隣の永久寺です

境内のイチョウの大木です

参道を出てきました

では、次へ行きましょう
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