ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

山形県新庄市、角沢「角沢八幡神社のスギ」(市指定)です!!

2022-05-23 06:26:51 | 巨樹・大木
角沢地区は、新庄市役所の南西約5kmのところ

県道34号新庄戸沢線を西へ、千門町信号を左(南)へ県道36号新庄次年子村山線です

道なりに下って行きます、升形川を越え国道47号線の号線を潜ると

間もなく新田川の手前、右手に角沢八幡神社が南向きに鎮座します

新田川の橋の袂の道路脇に車を止めさせていただきました


参道入り口です

鳥居です

角沢八幡神社です、観世音菩薩・七所大明神(右の手)と書かれています

*七所明神とは、祭神応神天皇の第二皇子である大山守命の体を七つに分けて一つずつ新庄市に5か所、周辺の鮭川村と戸沢村に一つずつ八幡神社等に分けて祀っているというものです。

鳥居を潜ると正面に社殿です


社殿手前左に目的のスギです

説明版です
  市指定 天然記念物
   角沢八幡神社のスギ
    昭和54年10月24日指定
 角沢八幡神社は明治戊辰戦争の激戦地としてしられています。庄内軍はこの角沢口から新庄城下に突入して新庄城を落としました。
 また神社の南方には角沢楯があり清水氏の家臣である角沢伊勢という人がこの地を支配していたといわれています。
 この神社にある杉は、目通り6.4mもあり、この地方では県指定天然記念物石動神社の親杉に次ぐ巨木です。
    平成12年12月
    新庄市教育委員会
*石動神社の親杉は後日報告させていただきます

南側から、根元には湯殿山の石碑が建ちます

南西側から、幹には大きな傷が出来ています

西側から

北西川から

北側から

社殿前東側から目通り幹囲6.4mの巨木です


参道右手には石塔が並びます

社殿西側の石塔は左が「住吉神社」右が「馬頭妙見神社」です

境内西端には稲荷神社のようです

では、次へ行きましょう
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山形県大蔵村、南山「豊牧のクリ」です!!

2022-05-22 18:33:20 | 巨樹・大木
 南山豊牧地区は、大蔵村役場の南約9kmのところ

 国道458号線を南へ、肘折温泉方面へ向かいます

 三つのトンネルを貫けてしばらく登って行きます

 湯の台左の案内板の先に

 

豊牧のクリの案内板が出ています、ここを左です

狭いトンネルを抜けるとゆるく下って行きます、「手打ちそば ふるさと未来館」の看板の手前を右へ上がって行きます

上りきると豊牧集落です、集落の中に「豊牧の棚田」「豊牧のカスミザクラとクリ」の案内板が有りますので右へ

集落の中を更に上って行きます、カスミザクラ左への案内板のすぐ先に豊牧のクリ右の案内板です



 道なりに上って来ました、雪の多く残る道路の右手奥に大きな幹が見えて来ます

ズームアップしてみました

畑の端から溜池の南側に回って来ました、駐車スペースが有りますがこの先は残雪の為通行止めになっています

ここも少しだけズームアップして見ました

池の周りは残雪の為近づけません


畑の土手を登って見ました、桜が満開を迎えています

近付けそうです

東側から、幹には蔦の類がたくさん巻き付いています



北東側から、枝には寄生木も見えます



北側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

畑の端から

フキノトウの花が開いて綺麗でした

では、次へ行きましょう
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山形県大蔵村、赤松「岩神大権現の杉とクロベ(森の巨人たち100選)」(村指定)です!!

2022-05-22 06:21:32 | 巨樹・大木
 赤松地区は、大蔵村役場の南東約3kmのところ

 国道458号線を南へ大蔵橋で最上川を渡って、清水城城下町の中を道なりに南へ、

 国道が右(西)へ向かうところを真っ直ぐに県道30号大石田畑線へ

 道なりに進み銀山川(烏川)を渡ります、更に道なりに進み段丘の上へ上へと登って行きます

 県道が平坦になると赤松の集落です、間もなく県道330号線との交差点です

 交差点のところ(南西側)に「日本一の巨来 赤松のクロベ」の案内板が有ります

 交差点をそのまま右手の細い道へ真っ直ぐに進みます、急な坂道を下ると赤松川沿いの耕地になります

 東側の広い砂利道を南へ進むと左手の斜面に杉とクロベの巨木が並んで見えて来ます

 前の道路に車を止めさせていただきました

手前に杉、奥(南側)にクロベ(ネズコ・黒桧)の巨木です


安内板です、「岩神権現杉」及び「岩神権現のクロベ」です

西側から「岩神権現杉」です

天然記念物標柱「岩神大権現杉」です

説明版です
  岩神大権現杉の由来
 何時の時代か一人の修験者が葉山へ参詣の往路、この地にさしかかったところ大きな杉の木に、権現様のお姿が現れたのを見て、これは葉山権現のお姿ではないかと、その神々しさに深く心をうたれ、この地で長く修行をしたと伝えられている。
 以後、村人達はこの杉を権現杉と呼び神木として祀るようになった。
 古くからこの辺りを三本杉前として伝えられている、一本は手前左側に大きな切り株が昭和中期頃まで輪郭が現存していたが、残る一本の所在は確認できていない。
 時代も過ぎて江戸時代の頃にこの一本の杉を伐ったところ、伐り終わっても倒れないどころか、切り口から血のような真っ赤な樹液が流れ出た。この光景を見た樵の棟梁は戦慄を覚え自らも神仏に念願し、やっと倒すことが出来た。この大杉を筏に組み川を下って酒田の港に運ぶことにした。途中何事もなく港につけることが出来たが、船頭がほっとする暇もなく、突風にわかに巻起こり筏を上流へ上流へと押し戻したちまち見えなくなり、その後懸命に捜したがとうとう発見出来なかったと言う。この不思議な話を聞いた村人は驚き、残された杉へなお一層の信仰を深めるようになったと言う。
 残された現在の杉も昭和46年頃道路改修のため、伐られる運命にあったが、住民の根強い願いもあって残されたと言う。
 幹回り約7m、高さ約27mあり、また隣の絵葉の大木も、幹回り約10mを越す堂々たるものである。いまでも旧4月8日(現在は5月8日)を祭日として村人の信仰を集めている。
   平成4年3月
   大蔵村教育委員会


正面から北側に上りました

東側から

南側から

南東側高いところから見ました


北西側からクロベです


西側から

天然記念物標柱「岩神大権現のクロベ」です

森の巨人たち100選No24「岩神権現のクロベ」の表示板です


また北側からクロベの後ろ側に上ってみます

大杉側から



東側から、根元から二本に分かれた幹が立上がっているのが良く分かります


南東側から


南東側から離れて二本を見ました

では、次へ行きましょう


戻って県道30号線の道路標識に岩神権現のクロベ550mの安内板が有りました
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山形県舟形町、舟形「木友のミズキ」です!!

2022-05-21 18:13:52 | 巨樹・大木
舟形町の中心部ですが、町役場の西約2kmのところが木友です

県道31号線を西へ、小学校前を過ぎて間もなく

道路左の空き地の先に大きな木が見えて来ます


消化栓が目印です

道路端に車を止めさせていただきました

県道31号線の北側から

北東側から

北西側から

西側から

近付いて見上げ化した

南西側から

南側から、目通り幹囲4.0mの大木です

*ミズキはあまり大きくなることのない木のようです、この大きさは最大級のものだそうです

では、次へ行きましょう
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山形県舟形町、富田「猿羽根楯跡の親杉」(県指定)です!!

2022-05-21 06:12:37 | 巨樹・大木
富田地区は、舟形町役場の南西約4kmのところ

県道31号舟形大蔵線を西へ、長者原で県道36号新庄次年子村山線を南へ

小国川を渡って富田集落に入ります、集落の南端に案内板が有ります

猿羽楯入り口案内板です

東に入ると住宅の先に説明版が有ります

説明版の手前が猿羽根楯跡への入り口です

少し戻って県道そばに車を止めさせていただきました



説明版です
  猿羽根楯跡
 延文5年(1360年)に、八幡太郎義家将軍の末孫、源次郎義元の二男、源次郎義高という人が奥州よりこの地に来て、小国川と最上川の合流する轟という所に楯を築いた。
 その後、貞治元年(1362年)に沢口山のこの地に、轟より楯を移した。
 この土地の名前をとって、猿羽根播磨守源次郎義高と称し、以後、猿羽根家の居城となり、天正17年(1589年)までの227年間、七代にわたり、670貫(6700石)を領していた。
 九代目義舜公の時、山形城主最上義光nい従わず攻められ、城主は天正17年6月17日東根市長瀞において切腹した、これによって猿羽根家は断絶sい、以後は山形の配下となった。
 猿羽根村(文政7年(1824年)富田村と改称)は、街路が碁盤の目のように区画されており、城下集落として開けた村である。楯跡は、平成7年町史跡指定された。又本丸に楯御手植えと伝えられている町指定の親杉がある。
  平成10年11月
  町立富長小学校
*舟形町立富永小学校は平成12年度で閉校となり、平成3年築の校舎は富永交流センターとして利用されています


ここが入り口です


進むと

三角点登山道説明図が有ります、簡単な案内図ですので詳しい案内図がほしいところです


沢沿いを進みます


沢は右へ登って行きます、エンレイソウがあちこちで群落を作って満開です

ぬかるんだ登城路をさらに進みます

楯の土塁の下を左へ左へ上へ上へ進みます

切り岸です

ジグザグに上ります

大きな樹冠が見えて来ました親杉です



親杉の脇に上ってきました本丸の位置にあたります



親杉です

石製の天然記念物標柱です

こちらは木製です


見事な太い幹を見上げました


楯跡の説明版です
  町指定文化財 史跡 猿羽根楯
 この楯は、源義家九代の孫義元の次男源次郎義高は、延文5年(1360)小国川の合流点近くの轟に築城した。
 貞治元年(1362)現在の猿羽根楯に居城を移した。以来天正17年八代義舜が山形最上氏より滅亡される迄二百余年この地を治めた。猿羽根家断絶後は山形の下城となる。  
 楯の総面積十町余、西にのびる尾根を空堀によって三つに区切り、中央を本丸とし櫓台を築いている。これより西に二ノ丸、東に三ノ丸を設けている。本丸の北に親杉とよばれる老杉、南にサイカチの古木がある。
 南側の搦手は急峻になっており、北側大手は緩斜面で曲輪(平坦地)が大小合せて80近くもあり、今日まで破壊されることなくもとの姿を留めている。
 又楯北方の富田村は、段丘上に立派な城下町を形成している。
 昭和50年親杉は町天然記念物に、平成7年猿羽根楯が町史跡として夫々指定された。 撰文 溝口仁
    舟形町教育委員会




南東側から




東側から、目通り幹囲6.8mの巨木です

祠です

二ノ丸との間の空堀には二重土塁が観察できます

三ノ丸との空堀には三重土塁です

南側は深い谷になっています、サイカチの古木は見つかりませんでした

東側の三ノ丸跡へ行きましょう、ここで足を滑らせて泥だらけに成ってしまいました

送電線の鉄塔が建っています

猿羽根山城跡の石柱が建っています

南東側の切り岸です

では、次へ行きましょう

*登城路はぬかるみが多いので、長靴がおすすめです

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山形県天童市、山元「曹洞宗 鈴立山 若松寺」(重要文化財)です!!

2022-05-20 18:09:52 | 文化財・寺社
山元地区は、天童市役所の東約2kmのところ

国道13号線のから県道280号天童若松線を東へ進みます

道なりに左に曲がっていくと


案内板が有ります、ここを右です

古参道入り口を過ぎて、道なりに上って行くと駐車場に入ります


境内入り口です

境内案内図です

縁起碑です
  若松寺略縁起
所在地 天童市大字山元字若松
所有者 天台宗 鈴立山 若松寺
境内地 県史跡指定 昭和元年12月30日
観音堂 国指定 重文 昭和38年7月1日
    構造形式 桁行5間梁間5間入母屋造
沿革
 奈良朝の昔、元明天皇の御代和銅元年、僧行基菩薩が草創せられた霊場で、自ら観音尊像を刻み、これを以って本尊とさだめ、山号を鈴立山、寺を若松寺と称す。
 その後、弘法大師空海一千座の護摩を奉修し、その灰にて腹篭りの弁財天を作られ安置す。そこを奥の院とゆう。
 又、清和天皇の御代貞観2年慈覚大師が登山せられ、山頂に在りし堂宇を現況に移し、降って山形城主最上頼宗の息女老姫・夢中に三十三観音の霊場あることを威得し巡礼されて以来、最上第壱番の札所となる。その後、最上義光寺領230石を寄進したが、徳川三代将軍家光改めて朱印230石せられた。尚、慶長16年観音堂の解体修理を行う。更に降って昭和35年時代の変遷に鑑み、福性院と如法堂を解散し「新若松寺」命名せり。
 更に、昭和41年10月より昭和43年9月の丸二ヶ年を以って観音堂の解体修理を行ない、その機に自動車道路を開通し、電気電話等を導入、更に昭和44年防災工事を施工し、昭和45年近年の世相に対応して修養道場「若松会館」を設立し、尚一層環境の整備と復興に進みつつある。
 宝物
 1、国定重要文化財 聖観音懸佛 昭和25年8月29日 付
 1、国定重要文化財 板絵着色神馬図 昭和43年4月25日 付
   昭和60年5月吉日
   若松寺 


境内に入ってすぐ左に地蔵堂です、山形百八地蔵尊第七十番札所です

観音堂前の石段です



左に本坊です、御朱印をいただくことが出来ます

最後の上りです

観音堂前です

手水舎です



大きな重要文化財の観音堂を見ました

文化財説明版です
  若松寺の文化財
国指定重要文化財 若松寺観音堂 昭和37年7月1日指定
  桁行5間・梁間5間・一重・入母屋造・銅版葺
 寺の草創については明らかでないが、寺伝によれば、行基によって開基され、のちに慈覚大師によって山頂から現在地に移された。
 現在の堂の建立時期は、様式手法からみて、室町時代末と考えられる。のち慶長16年(1611)に山形城主最上義光によって大修理が行われた。その後も小規模な修理が行われたが、昭和41年から43年にかけて全面解体修理が行われた。
 室町時代末の建築様式や技法を知る貴重な文化財である。
国指定重要文化財 板絵着色神馬図 昭和43年4月25日指定
 横板五板をはぎ合せて奉納額に仕立て、黒烏帽子に白の衣装の舎人が神馬を牽いている図を着色して描いた絵馬である。
 左上に筆者郷目右京進貞繁奉納の銘が墨書されてある。
 永禄6年(1563)に、寒河江の大江氏nお家臣である貞繁の非凡な画才を知ることができる。(縦163.0cm、横182.5cm)
国指定重要文化財 金銅聖観音像懸仏、昭和25年8月29日指定
 懸仏は、円板の中央に仏像を取り付けて寺院又は神社の壁に懸け置くもので、御正体ともいわれる。
 この懸仏は、直径76cmの銅製円板形の中央に聖観音の坐像を取り付けたもので、光背は頭光、身光を備えている。
 弘長3年(1263)に成生庄の藤原貞綱らが奉納した。
山形県指定有形文化財 納札及び巡礼札(10枚)昭和30年8月1日指定
 室町後期に延徳4年(1492)から永禄6年(1563)にわたって若松寺に納められた、いずれも木製で、長さ64cm、幅10.6cmを最大とし、長さ40cm、幅9cmを最小とする。文字は、陰刻し札の上部に種子(観音)もしくは日輪、月輪を、その下に納札の事由を記す.。
 10枚中7枚は西国三十三観音巡礼を果たして納めたものである。中世の庶民の宗教生活を物語る資料である。
天童市指定有形文化財 木造行基菩薩坐像 昭和59年3月19日指定
同          木造文殊菩薩坐像 同
同          木造不動明王立像 同
同          木造狛犬(一対) 同
   昭和61年1月1日
   天童市教育委員会


慈恵大師堂です

鐘楼です


大風鈴です


天童市内を見下ろしました

では、次へ行きましょう
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山形県天童市、山元「若松寺古参道の杉とケヤキ樹叢」(市指定)です!!

2022-05-20 06:26:24 | 巨樹・大木
山元地区は、天童市役所の東約3kmのところ

国道13号線の信号から県道を東へ、道なりに左にカーブすると

案内板が有ります、ここを右です

道なりに上って行くと


古参道入り口の石碑です、この前に車を止めさせていただきました

史跡 若松観音堂の石柱が建ちます


境内案内図です

観光説明版です「クアの道・祈りの若松コース」です、S/Gから旧参道を赤い線で観音堂まで行きます

説明版です
  若松寺古参道沿いの樹叢
    天童市天然記念物
    平成13年9月1日指定
 古参道沿いの樹叢とは、麓の洗心橋から山頂の若松寺観音堂に至るまでの、古参道沿いの並木として植栽された15本の杉と、11本のケヤキの巨木群のことである。
 古参道一帯は、杉の生育には極めて適した環境にある。15本のスギの巨木はいずれも、素性よく真っすぐに伸びて、老樹でありながら、天を衝く勢いののあるものだけである。山頂の「開山杉」は、目通り幹まわり615cmもあって、市内最大級である。
 この参道は、ケヤキが自生できる環境ではない。11本のケヤキはいずれも捩れて瘤があり、節だらけで、ケヤキ本来の姿で素性よく育っているものは一本もない。それだけにケヤキ並木をつくりあげた先人の苦労と、不適な環境に適合しながら逞しく生きてきたケヤキの強靭な生命力には圧倒される。
 参道の中程に、ケヤキ並木と40間の石段がある。そこに、文政7年寄進と刻まれた石塔がある。石段は意図的にケヤキの根を避けたり、根の上につくっているが、その後持ち上げられたり、ずらされるというケヤキの影響は一切受けていない。文政7年の頃、すでに巨木に成長しきっていたことを証明するものである。これらは、古参道の歴史的景観を醸し出すとともに、ケヤキの樹齢を推定する根拠ともなり、極めて貴重である。
  平成14年10月1日
  天童市教育委員会

橋を渡って進みましょう

古参道の鳥居が見えて来ます

手水舎です、冷たい水が流れています

鳥居です

鳥居を潜るとスギの大木です

二本目

三本目と続きます

古参道は曲がりくねりながら上へ続きます

ケヤキの大木です

中間地点の「休石」です

すぐ上のケヤキは苔が一杯についています


砂防ダムが見えて来ました

先にはスギの大木が見えます


スギの根元には石仏が並びます

この先にも砂防ダムが見えます

先へ進みましょう

こんにゃくの親戚のテンナンショウの仲間です

さらに先へ進みます

次のスギの根元にも石仏です

つずれ折りを上って来ました

根元に焦げ跡が見られます

幹が瘤だらけのケヤキの大木です

脱衣婆です

石塔の建つスギです

古参道では素性の良いケヤキです

観音堂前の石段です、この右側に説明版に有った「開山杉」がありましたが、数年前の台風で倒壊してしまいました


観音堂を見ました

観音堂前のスギの大木です

大師堂側から



駐車場側の粘りの凄いケヤキです、境内で一番のケヤキの巨木かもしれません

では、若松寺を見ていきましょう










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山形県天童市、奈良沢「長龍寺のイチョウ」です!!

2022-05-19 18:31:26 | 巨樹・大木
 奈良沢地区は、天童市役所の南南東約3kmのところ

 国道13号線バイパスの原町信号から県道111号天童山寺線を南東へ

 県道がゆるく右に曲がるところを真っ直ぐに生活道路に入ります

 間もなく左手に長龍寺参道入り口です

 曹洞宗 天澤山 長龍寺です

 参道を進むと参道両側に桧が立ちます

境内に入ると左手に大きな水戸部家の廟があります


右手には鐘楼です

参道先左に目的のイチョウが見えて来ます


南東側から、太い幹は短く切られています



東側から、南側に傾いていますが、幹が途中で切られてしまっていますので倒れませんね



北西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

本堂です

本堂前から


西側には観音堂は、東通三十三所観音霊場 第二十六番札所です

説明版です
  ●地蔵菩薩
 地蔵菩薩は、お釈迦さまが亡くなられたあと、56奥7000万年後に弥勒菩薩が現れる迄の間、仏さまがおられない此の世にあって、人々に法を説いて救済して下さいます。
 同時に、亡くなった人々の後の世まで、慈悲の手を垂れて下さるのである。丁度、大地の中にあらゆる生命を育む力が蔵されいるように、人々の苦しみや悩みを身代りし、願い事など全て叶えて下さる大慈大悲の心が無限にあることから、「地蔵菩薩」と言います。
 当寺の地蔵菩薩は、明治31年8月に建立され、、現在、山形百八地蔵尊霊場、第72番札所で延命・子安地蔵です。(札所創設、昭和62年3月9日)
 峰わたる 沢の松風 奈良沢の 地蔵の慈悲に 花と香らん (長龍寺地蔵尊御詠歌)
  ●観施音菩薩
 観世音菩薩は、地蔵菩薩が「娑婆世界の菩薩」であるのに対し、「極楽世界の菩薩」と言われます。我々凡夫を救うため、いつも身近な所にいて教えを弘め伝えることを誓われ、別世界(極楽界)よりおいでの菩薩だからです。
 観世音とは、世の音を観ると読み、世の人々の声をはっきりと見極めることを言います。人々を苦しみや災難から救い、願いを叶えてやり、救済する人にふさわしい三十三の姿に身を変えて、広大無辺の慈悲心で仏さまへの道へち導いて下さいます。この由来により、三十三所観世音霊場の巡礼が行われます。
 当寺の観世音菩薩は、明治35年の大暴風で堂宇が倒壊し、同40年2月に尊像の入仏式、同42年8月に堂宇を再建したものであり、東通三十三所観世音霊場、第二十六番札所です。(巡礼創設、明治27年2月15日)
 雲晴れて 心の月の 照れぬれば 実に奈良沢の 花の主や (長龍寺観世音御詠歌)
   天澤山 長龍寺

では、次へ行きましょう

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山形県寒河江市、南町「越井坂のアカマツ」(市指定)です!!

2022-05-19 06:24:21 | 巨樹・大木
 南町は、寒河江市役所の南東約1kmのところ

 県道23号天童大江線の南に面して大運寺があります

 県道沿いの入り口に車を止めさせていただきました

*越井坂の名前は南町3丁目の南側が越井坂町の名前が残っています、西側のJR左沢線さがえ駅に向かってゆるい坂道になっています。

 南側の境内入り口に移動しました


 境内に入ると正面に目的のアカマツです

 東側から、多くの支柱に支えられて、赤くなった葉が目立ちますね~

 浄土宗 知恩山 大運寺本堂です
*本尊は阿弥陀如来です。

 南東側から、こちら側の枝は新芽を出して元気そうです

 本堂前(西側)から

 北側から

 虚空蔵堂です

 虚空蔵堂の説明版です
  越井坂 虚空蔵堂
 享保19年(1734)寒河江南町の旧家安孫子久右衛門が建立した三間三面の宝形造。
 本尊は福徳を授ける虚空蔵菩薩。この信仰によって安孫子家は大酒造家となった。堂内には弘法大師像を始め絵馬・俳額が多い。 
 境内は、桜の名所。西行法師が石に腰かけて休んだことから、この辺を腰居坂という。
 安孫子東岡を始め寒河江の文化人たちが句会や茶会を催した風光明媚の場所。
 芭蕉の「しばらくは花の上なる月夜かな」の句碑がある。
   寒河江ロータリークラブ

桜の時期は過ぎてしまいましたが、白藤が咲き始めていました

では、次へ行きましょう
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山形県大江町、柳川「矢引沢山ノ神社の大杉」(町指定)です!!

2022-05-18 18:31:11 | 巨樹・大木
 柳川地区矢引沢は、大江町役場の西約15kmのところ

 月布川に沿って県道27号大江西川線を道なりに西へ進みます

 貫見地区で県道54線の交差点を過ぎ、川口地区を過ぎると柳川地区です

 虹が出ましたもうすぐ晴れるでしょう柳川温泉入り口に地区の案内板が有ります

 矢引沢は地区の一番奥です

 手前の田ノ沢にも山神社がありますので間違えないように

 訪問時には旧道は残雪の為通行止めです

 新道を大きく左回りに回って戻るように右に上ると山ノ神社前へ出ました

 山ノ神社は南東向きに鎮座します

 道路脇に車を止めさせていただきました

 
 道路から山の神社を見ました

矢引沢の大杉の石柱が建ちます、参道を上りましょう

鳥居です

山の神社の社です

目的の大杉を見上げました

右側にもう一つ御堂?が建っています


根元には祠もあります


右の社の裏側(北東)から


北西側から、多くの枝が残っています


西側から、目通り幹囲6.8mの巨木です


南西側から、西側に長く延びる大枝が特徴的です


南側から


境内南側のモミノキの大木です


北西側から

では、次へ行きましょう


神社参道から見た集落は、限界集落のように2軒が雪に押しつぶされていました
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山形県大江町、柳川「柳川のケヤキ」です!!

2022-05-18 06:23:14 | 巨樹・大木
 柳川地区は、大江町役場の西13kmのところ

 最上川の支流月布川に沿って県道27号大江西川線を西へ

 貫見地区で県道54号線交差点を過ぎ

 川口地区を過ぎると次が柳川です

 道路左側の熊野神社鳥居が目印です、道路右側の建物の上に大きな樹冠が見えました

 少し先の道路脇に車を止めさせていただきました
 
 目的のケヤキです


南側から


 川縁に立っています、幹には大きな縦に傷が走ります


 西側から目通り幹囲7.6mの巨木です、大江町一の規模だそうです



北西側の橋の上から

橋を渡って北側から見ました
 
では、次へ行きましょう




柳川温泉のすぐ先に神通峡への入り口です

朝日連峰の登山ルートでもあります
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山形県大江町、貫見「山神神社の道祖神ケヤキ切り株」です!!

2022-05-17 18:47:32 | 巨樹・大木
*ここからは2022年5月3日取材分です

 貫見地区は、大江町役場の西約10kmのところ

 県道27号大江西川線を西へ道なりに進みます

 県道52号線の交差点を過ぎると間もなく


 道路右手に大きな切り株が見えて来ました

 前の道路脇に車を止めさせていただきました


山神神社です

山神神社の社です

説明版です
  山神神社の由来
 当社の創建は、昔、朝日岳信仰の盛んな時代、この地点より峰伝いに往来した参道として、行人が安全を祈願したと伝えられる古いものです。
 山神神社は、自然信仰として、山の神・田の神の祖霊信仰として、鎮守の神の社であります。
 当社には、祭神に木花開耶姫(山の神大山祇命の娘)の御神像、山の神として猿田彦命(山の神の化身・天狗の姿、天孫降臨の折に道案内をした命で、道祖神となる)と、姫の御神回が祀られています。
 また、道祖神は道の神として、魔を塞ぐ神として陰陽物が祀られています。
 この度、当地山奥の樹齢500年の欅の大木に御神姿を拝し、この御神木を、道祖神として神社境内に併祀いたしました。
 この故に、当山神神社は、木材業・建設業・農業・商業・工業等の繁盛・縁結び安産・交通安全・各種試験の合格など、庶民の生活の向上発展・家内安全・地域繁栄の神として、ご利益あらたかな神社であります。
  山神神社

欅の切り株を南側から見ました、道祖神として祀られています

東側から、大神の口の牙のような彫刻がされています

北側から、目通り幹囲6mほどあったケヤキと思われます

西側から

では、次へ行きましょう
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山形県大江町、小釿「東北一の神代カヤ」(県指定)です!!

2022-05-17 06:29:11 | 巨樹・大木
 小釿地区は、大江町役場の西約5kmのところ

 県道27号大江西川線を西へ道なりに進みます

 道路右手に案内板があります、ここから900mです

 一度下るようにして橋を渡って登って行きます


神代カヤへの入り口です、車をすぐ先の道路脇に止めさせていただきました


住宅の前を登って行きます

ここは家の間を進みます

弥勒堂下の案内板です

弥勒堂です

左に廻ると目的のカヤが見えました

大きく見えて来ます


南東側から

説明版です
  神代カヤ
 樹高は約19m、根幹周囲は9.0m、枝張東西24m、南北26mにおよび根元は、5本の株立ちとなっている。
 近くにある「みろく堂」の前にあった大杉(根まわり8.0m)と、このカヤの精霊は相連れて伊勢参宮をしたという伝説があり、「枯木といえども刃物を入れるな」といわれている。
 樹齢は、はっきりしないが、約1500年になりカヤの木としては東北一といわれている。
 昭和27年4月1日山形県指定天然記念物となる。
  大江町教育委員会



南側から

南西側から

西側から,枝垂れた枝が前面を覆っています

二本の幹を見ました

西側から北側へ登って見ました、二本の太い幹が判ります

東側から

では、次へ行きましょう

 *陽が山の端に隠れて来ましたので、今日の取材は終了にしました

 山形市内のビジネスホテルはどこも予約でいっぱいでした

 やはりゴールデンウイーク中ですね~

 道の駅大江で車中泊と決めましたが駐車場がほぼ埋まっています

 テルメ柏陵大江町健康温泉館で一日の汗を流してから

 地元スーパーのヤマザワ寒河江西店で買い出しをして

 道の駅寒河江まで約6km移動しましたよ
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山形県朝日町、宮宿「豊龍神社の大スギ」(県指定)です!!

2022-05-16 06:20:12 | 巨樹・大木
 宮宿区は、朝日町役場のある地区です

 役場の北西側国道287号線信号を北へ、次の信号が参道入り口です

 豊龍神社は東向き参道で鎮座しています

 信号の先を斜め左に進むと左に案内板が在ります(図は上が南になっています)

 神社の裏側の豊龍公園の駐車場を利用するようになっています

参道を進みましょう

村社 豊龍神社です

石段を上がります


手水舎です、宮司の奥様が花を飾っておられました


東側から、目的の豊龍神社の大スギです


南側から

天然記念物標柱です

説明版です
  教育・文化 朝日町エコミュージアム 
   豊龍神社の大スギ
県指定天然記念物(昭和40年4月12日)
 根周11m、目通り幹囲7.5m。(指定時)直幹でおよそ20mの上部は落雷や風雪によって失われている。
 この大スギは、平安時代、承和11年(844年)延暦寺の僧安慧によって豊龍神社創建時、御神木として植えられたと言い伝えられている。
 樹齢およそ千年以上と推定され、県内でもまれに見る大杉である。
  平成12年8月 朝日町教育委員会

境内南端から



北側から


北西側から

拝殿です



本殿です
*豊龍神社は、承和11年(844年)に延暦寺の僧安慧が奥州を巡り歩いて、講場をその地に開いた時、龍の神霊を祀って東五百川の鎮守として、別当東守寺を建立したと記されている。
 さらに慶長年間(1596~1615年)に寒河江肥前守が社殿を再建し、明治維新の廃仏毀釈によって豊龍神社となり、東守寺住職は復職して豊嶋氏を称したとする。
 明和年間(1764~1772年)に左沢在住の松山藩医であった羽柴玄倫が誌した「宗古録」には、安慧がこの地に天台の教えを広める決意をしたとき「瑞巌美麗の姫大神」があらわれ「我こそ海童神(わだつみのかみ)の娘なり」と名のり「汝の護法善神とならん」と誓ってくれたのが豊玉姫大神であるという。
 さらに、安慧みずから大般若経600巻を書写して筐に納め、この山上に埋めたと述べ、山号を「宝経といい或が宝筐と作る」と書いている。(あさひまちエコミュージアムのネットより)


境内社は、豊龍山稲荷神社です、金峯山の石塔もあります

鳥居脇のモミノキの大木です

では、次へ行きましょう


豊龍の丘公園の案内図です、岸美作守の館跡です、春の桜の時期には大いに賑うそうです
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山形県朝日町、宮宿栄町「伊豆の権現桜」(町指定)です!!

2022-05-15 20:23:54 | 巨樹・大木
 宮宿地区は、朝日町役場の在る地区です

 役場の北西側国道287号線交差点を北へ100mほど右手に案内板があります

 前の道路脇に車を止めさせていただきました


案内板です


道路から一段下がって赤い鳥居と祠があり、桜の木が在ります

説明版です
  伊豆の権現桜
樹種 エドヒガン
樹齢 約700年
管理 栄町長寿クラブ
 俗に、「種蒔櫻(たねまきざくら)」といって、昔はこの花が咲いたのを見て稲の苗をつくるための種まきをしたということです。
 枝は四方に繁り、満開の時に遠方からのぞむと、真っ白な大雪山を見ているようだと言われております。
 現在も満開の時は、地元の人々で賑っております。
*目通り幹囲約3mの大木です。訪問時すっかり葉桜状態でした、ゴールデンウイークでは遅かったですね~
*伊豆大権現神社を静岡県熱海市の伊豆山神社から分霊を勧請する際に、エドヒガンの苗も持ち来られたとの説があります。
*伊豆大権現神社の御神体には「伊豆大権現一宇為・・、万年豊穣、安全火盗消除、宮宿村、鈴木長吉」、御神札には「奉勧進伊豆大権現、諸大眷属開眼、降魔・・、慶応三年丁卯年」と墨書されています。例祭は4月23日、火伏、盗難除け、安産の神として厚く信仰されています。(以上ネットの情報です)

西側から

北西側から

では、次へ行きましょう
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