ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

富山県砺波市、鹿島「鹿島神社のスギ」(保存樹)です!!

2023-06-10 06:43:00 | 巨樹・大木
 鹿島地区は、砺波市役所の南約4kmのところ

 砺波市役所から国道156号線を南へ道成りに進みます

 約4,1kmの五郎丸信号を右(西)へ、南砺スーパー農道です

 約900mで鹿島信号を左(南東)へ、間も無く右手の住宅の陰に、鹿島神社の社號標が有ります

 参道入口です

 入口傍の道路脇に車を止めさせて頂きました

 鹿島神社の社號標です

 一之鳥居です

 ニノ鳥居です

 神橋を渡ると鹿島神社境内です、正面に拝殿です

水盤です

 参道左手境内のスギです

 太めのスギが二本あります

 右のスギが指定第22号です

 左が指定23号です  


 社殿の右(北)側に目的のスギです



 本殿覆い屋です

 西側から見上げました

 保存樹表示版です
   砺波市保存樹
 1所在地  砺波市鹿島37
 2樹種   スギ
 3所有者(管理者) 鹿島神明社
 4指定番号 平成6年3月 保存樹指定第21号
 5指定基準 砺波市花と緑のまちづくり条例施行規則 第4条第1項第1号該当
    砺波市

 *所有者(管理者)には「鹿島神明社」となっていますが、富山県神社庁のホームページでは「鹿島神社」となっています


 拝殿前(南東側)から

 東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です


 スギの頂上に大きなアオサギがいます


 更に飛んでいる個体が二羽いました

 足元には薄青色の卵の殻が落ちています、周りはフンだらけでした

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午後3時30分訪問です
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富山県小矢部市、杉谷内「日吉社の杉4本」(市指定)です!!

2023-06-09 18:39:00 | 巨樹・大木
 杉谷内地区は、小矢部市役所の南約6kmのところ

 矢部市役所前の本町信号を西へ国葬471号線です、約1.3kmで標識に従って信号を右、県道42号線へのインターチェンジです

 道成りに約1.9kmの埴生信号を左(南)へ、まだまだ県道42号線を進みます、約1.3km平桜信号を左(東)へ国道359号線です

 約600mで「富山41km砺波10km」の標識の所を右(南)の細い道へ入ります、約300mで北陸自動車道のトンネルを潜ると約800mで道路左に

 西向きに参道入口です

 日吉社の社號標です

 長い参道で田植え作業の車が止まっているので、鳥居前道路脇に車を止めさせて頂いて、歩いて行きました

 田植え作業をされている方に挨拶をすませると、間も無く境内入口です


 手水舎です

 日吉神社の縁起石碑です
   日吉神社縁起之記
 悠遠の太古、約1万有余年前の先土器時代に、祖先の人々が山河幽邃の地に郷土を草創、杉の大樹の生い茂る山林を神体として敬仰、平安時代のころに集落が成り立ち、地名を杉谷内と称した。
 室町時代の文明年間に雲龍山勝興寺付の武士福江氏沼田氏、戦国時代の末期に加藤氏が一族を伴って来住して村造りにつとめ、大堤と中田用水を築造して新田を開発、今日の豊かな農林地帯の基盤を成就した。
 時に、神体山林に近江国日吉神社の祭神大山咋神を勧請、山王権現山と申して日吉社が発祥、御神体は鎌倉時代作の高僧像と室町時代作の菩薩像、ともに昭和43年10月富山県指定文化財、ついで古くより「あんどんがけ」の地に祀られていた霊石と加藤家の先祖が祀った「とや様塚」の霊石を合祀。
 昭和6年太玉命を祀る富士社を合社、御神域 を広大無辺となった、南境内の大杉は当市指定の天然記念物である。
 本年は富山県設置百年、佐々成正の城ヶ内築砦400年、倶利伽羅の源平大合戦後800年、真に記念すべき佳き歳、 に氏子一同総意協賛の下に社殿の屋根の葺替、境内に生垣を奉納、縁起を万世に伝える碑を建立する。
  昭和58年9月1日  敬白

 神像と大杉の説明石碑です
   日吉社のご神像と大杉
 当社は古くから産土神としてこの地に鎮座され、守護神は鎌倉時代の作といわれる桧材の一木造りで27cmの坐像と南北朝時代の作といわれる桂材の一木造りで47cmの菩薩像で、いづれも地方稀にみる優れた彫刻にして、昭和45年3月2日に富山県文化財に指定された、また境内に繁茂する4本の老杉は、昭和45年3月19日市の天然記念物に指定した。
    昭和46年12月    小矢部市教育委員会

 石段を上がります

 右手には日吉社神使の猿像です

 拝殿前に目的のスギが3本と左奥に1本です

 境内北西側から拝殿前の3本を見ました

 西南西側から参道右側の二本です

 参道右側手前のスギです

 参道右奥側のスギです

 南西側から参道左のスギです

 西北西側から参道左のスギです

 本殿覆い屋です

 もう一本は社殿の左(北側)斜面上に立っています

 南西側から

 西側から見上げました

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午後2時40分訪問です
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富山県小矢部市、臼谷「八幡宮の白谷の大杉(切株:県指定)とスギ」です!!

2023-06-09 13:06:00 | 巨樹・大木
 臼谷地区は、小矢部市役所の南西約8kmのところ

 矢部市役所前の本町信号を西へ国葬471号線です

 約1.3kmで標識に従って信号を右、県道42号線へのインターチェンジです

 道成りに約1.9kmの埴生信号からは県道247号線に変わって進みます

 更に5.5km臼谷消防組屯所前の交差点を右(北西)へ入ります


 間も無く八幡宮の石段が見えて来ました

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 八幡宮の社號標です

 歴史の道 小原越の説明版です
   歴史の道 小原越
 小矢部市浅地から、名畑・末友を経て県境の松根城跡のある峠を越え、金沢市吉原町に至る小原越は、北陸街道の裏街道(わきみち)として古くから利用されていた。
 この道は、倶利伽羅峠越えの北陸街道と違い、山の尾根が主の道すじで比較的緩やかである。そのうえ金沢への近道とあって砺波地方の開拓が進むにつれ馬を利用し米を主体に塩その他種々の物資が運搬された。
 此の小原越に対して今石動、倶利伽羅、竹橋を経由する北陸街道は、本通りとして種々保護されていた。加賀藩は脇道の小原越がよく利用されると、街道沿いの宿場が衰え、住民の生活がなりたたなくなることを恐れた。
 藩は、宿駅を保護するため金沢への届米は竹橋・津幡宿場の馬で運ぶよう達しを出した。しかしながら小原越は加越の住民にとって生活に密着した重要で愛着のある道であり続けた。

*説明版を読んでいたら、軽トラックの方が声をかけてくれました、「松根城跡など良い所があるよ」とのことでしたが、今回は行けませんでした_(._.)_
*現在の国道359号線は内山峠まで谷筋を通っています、県境はスノーシェードで峠の雰囲気はなくなっていますが、南側の標高307.9mの三角点付近が松根城跡です、八幡宮の南西側約2.5kmの人母(ひとぼ)から尾根道に入って、松根峠を目指して登って行ったようですが、ほとんど歩かれていないようです。
 

 北東側の道です

 南西側の道です

 岡村遺跡の説明版です
 臼谷の岡村遺跡は、縄文中・後期(4000年~5000年前)の集落跡といわれ、また、字岡ノ城の河岸段丘の上には、奈良時代より中世のかけての集落の跡が残されている。
 臼谷字岡ノ城に鎮座する八幡宮は、往昔より蟹谷郷の総社であるといわれ、旧号、荊波(うばら)神社と称し、延喜の神名帳にある越中国砺波郡鎮座の荊波神社であると伝えられている。
 奈良時代、越中守大伴家持は、国守として墾田地の検察に、この地に来り、思いがけぬ雨にであい、帰ることができなくなり、
   荊波の里に宿借り春雨に こもりつつむと妹につげつや (万葉集巻の18) の一首を詠んだという。
 臼谷の地は古来より、八幡宮をはじめ、小白山、臼谷砦、小原道、小原越等々史跡多く、また、ぶな、うらじろかし混生林、或いは、年中清冽な清水を涌出し、人びとに愛用されて大清水、あしつき等あり由緒の地である。
 ここに臼谷にまつわる歴史、文化の沿革を石に勒して後世に伝える。
    昭和61年11月18日

 石段を上がります

 鳥居です

 手水舎です

 白谷八幡宮の変遷の石碑です
   臼谷八幡宮の変遷
 旧社殿(本殿・幣殿・拝殿)は昭和30年8月に氏子らによって建立され、更に、平成15年9月には弊・拝殿の屋根の銅板葺き換え、見事な姿を呈していた。
 平成17年4月24日未明、不審火により出火、社殿のすべてを全焼。
 平成19年9月臼谷村氏子並びに出身等関係者の篤志により現在の社殿を再建、今に至っている。
 新社殿の建立のいきさつを広く後世に伝えるべくここに記す。
    平成20年11月  臼谷村

 大伴家持の歌碑です

 拝殿です

 本殿です

 本殿越に目的の大杉切株とスギです

 本殿右(北側)の斜面上です

 ズームアップしてみました

 東側下から見上げました

 南東側から

 奥側の杉も目通り幹囲4.5m(目測)の大木です

 かつての姿をパネルで見る事が出来ました

 切株には焦げ跡が残っています

*前出の白谷八幡宮の変遷の石碑に有った通り、平成17(2005)年4月に社殿が全焼した際に大杉も類焼し。その後、手を尽くしたものの徐々に樹勢が悪化、2011年12月に惜しまれつつ伐採され、今は切株のみ残ります。

 北側の境内には八幡宮の説明石碑です
   天地は悠遠なり・生命は不滅なり・歴史は無窮なり
 日本書記に叙していう・・・伊弉諾尊・伊弉冉尊。天の浮橋の上に立たして 云々
  豊秋津洲を生む、次に伊予二名洲を生む、次に筑紫洲を生む、次に億岐洲と佐渡洲とを雙生む、世人或いは雙生むこと有るは、此の象りてなり、次に越州を、次に大洲を生む、次に吉備子洲を生む、是に由りて始めて大八洲国の号起これり。
 古事記に録していう
  其の島に天降り坐して天の御柱を見立て八尊殿を見立てたまいき
   天は人なり・地は文なり
 古事記に叙していう・・・八千矛神高志国の沼河比売を婚はむとして行幸ましし時、其の沼河比売の家に到りて歌いたまいしく 云々
 日本書記・祟神天皇の段に・・・大彦命を以て北陸に遣す、武渟川別をして東海に遣す  云々
 古事記には、大毘古命をは高志道に遣し 云々と記す、又意富夜麻登玖迩阿礼比売命を娶して生みませる御子、夜麻登登母母曽毘売命、次に日子刺肩別命 云々、命は高志の刺波臣祖也 と
  誌して曰う
  八幡宮 蟹谷郷臼谷村にあり、往古は蟹谷郷総社なりといへり。古木生茂り、山端に有りて物古りし社地なり。
 天平時代、越中守大伴家持卿、国守として勤農に励み出挙を行う、ことに当社の崇敬あつしと口碑に伝う。
  記していう
  藪波の里、名所なり蟹谷郷臼谷村なりという 云々、然れども坂道もなく、端山つづきにて尤も幽閑の地なり。臼谷村八幡宮は、蟹谷の郷15村の惣社にして尤も大社也。
  同村に大清水・小清水という冷水二方所有、水の湛える事四間に六十斗、水溢れて用水江流入也。
 源平時代・旭将軍木曽冠者源義仲の尊崇せられし社なりと口伝にいう。
  誌していう
  蟹谷庄 八幡旧記抄
  越中国 蟹谷庄 地頭識事
  右当庄者所寄進石清水八幡宮也
 南北朝時代(1336ー1392)加賀国松根より越中の国蟹谷の里へ内山越えが開け、小原左衛門尉清原節光が毎年7月勅使として安居寺に参詣を行なったという。
  文献に誌していう
  臼谷村領内おしらひ山と申、山之嶺に林御座候 云々、此山は村の東方にて今邑人うしら山と呼べり、毎年3月5日を祭日と定め、白山権現と書たる旗を立て祭れり、予今甚だ霊異いちじるしく 云々、又此社地に大小の樹木あり、其木より常に水垂れり。
  文書に誌していう
  おしら山之麓に寺跡石湯之体御座候、只今畑并野にて御座候
  臼谷砦跡、臼谷村、此砦跡は村の西方にて、字トツワケと云、畑地の高なる山林を城山と呼べり。
 元禄7年(1694)加越能産物書上帳に、砺波郡下後亟村 藤坂村 臼谷村 北村也 布さらし申候。一粒300足程・・・・・・・60目より100目程之晒賃取申候
  臼谷の大杉・臼谷八幡宮本殿脇の大杉幹周り8.5m、高さ37m、地上4mより双幹に別れ天空に聳えたつ、ぶな、うらあじろがしの混生林、小白山頂にあり、海抜120mの低地の混生林として珍らしく、昭和40年(1965)3月16日天然記念物として指定を行う。
  大清水のあしつき・東丘陵地に150㎡の四辺形の池水が位置し、年中涸れることなく、夏季は冷たく冬は温しという池水及び水路に、あしつき自生し、昭和44年(1969)5月22日に天然記念物の指定を行う。
  山鹿の里・小原道の由緒にちなみ、昭和58年(1983)5月26日山鹿の里の設定を行う。
  名水・大清水に年中清冽な清水涌出し古来人びと愛用し、昭和61年(1986)2月24日富山の名水として指定をうく。
   自然は悠久なり・文化は不朽なり
   ふるさとは ふるさとのひとびとと ともに 永遠に生きつづけてゆく
  これを石に刻して・・・う
                   小矢部市長 松本正雄 撰文
   昭和丙寅歳霜月18日(昭和61年・1986年11月18日)
                   名古屋市  松田三郎 建之

 *読めない所が数か所有りました_(._.)_

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午後2時10分訪問です
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富山県小矢部市、名ケ滝「別所瀧之社の宮島の大杉(俊寛杉)」(市指定)です!!

2023-06-09 06:28:00 | 巨樹・大木
 名ケ滝地区は、小矢部市役所の北北西約5kmのところ

 小矢部市役所の東側の県道270号線を北へ、途中からは県道32号線となっています

 約1.5kmの桜町信号を左(北西)へ県道74号線です、約1,2kmで「比賣神社」への入口を過ぎ道成りに進みます

 約1.7kmで「岩抱きのけやき・200m」の案内板を左に見ると、約900mで右へ子撫川を高坂橋で渡り下流側へ

 約200mで、瀧之社の参道入口です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 瀧之社の社號標です

 目的の「宮島の大杉」の説明版です
   小矢部市指定文化財(天然記念物)
     宮島の大杉
       昭和40年3月16日指定
 別所滝之社の境内に生育する宮島の大杉は、幹周り6.68m、樹高45mで、樹齢750年と推定されています。
 枝葉もよく繁茂して樹勢もよく、宮島地区最大級の杉です。
 また、別名「俊寛杉」とも呼ばれ、平安の昔、平家討伐を企てたとして京から鬼界ヶ島(薩摩国)に流刑になったとされる僧俊寛が、実はこの宮島の地に流されており、その罪を許されて都に帰れるように祈って杉箸をさしたものが根を張り、大杉になったと伝えられています。
   平成18年8月   小矢部市教育委員会


 参道石段を上ります

 社殿です

 社殿の右手境内に目的の「宮島の大杉」です

 東側から、目通り幹囲6.4mの巨木です

 南側から

 西側から見上げました

 苔むした大岩には梵字の様な窪みが有ります

 境内社は観音堂かもしれません

 滝があります

 観音滝の説明版です
   観音滝(かんおんだき)
 熊野山から流れる小那智川の水流が、ここ別所滝集落の村社「瀧之社」社殿の奥で落差10mの「観音滝」となり子撫川に注いでいます。
 紀伊(和歌山県)の那智の滝に似ていることから「小那智滝」とも呼ばれています。
 境内の「宮島の大杉(俊寛杉)」側にある観音堂には、治承元年(1177)僧俊寛と共に宮島峡久利須へ流罪になった平康頼の守り本尊であった観音像が祀られています。
 熊野権現を信仰した康頼は、観音像を祀り、那智の滝になぞらえてこの滝で修行し、流罪赦免を祈願したと伝えられていいます。
 滝の内側にある聖観音像は、昭和56年(1981)に建立されました。
    環境庁・富山県
 

 鐘とっ歌碑です、歌碑の詩は「こととえば 観音様の たち給う 山は紅葉に ひぐらしのなく」と

 滝の脇に観音様(聖観音)です

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午後1時45分訪問です
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富山県小矢部市、了輪「宮島神社の岩抱きのけやき」(市指定)です!!

2023-06-08 18:34:00 | 巨樹・大木
 了輪地区は、小矢部市役所の北西約4kmのところ

 小矢部市役所の東側の県道270号線を北へ、途中からは県道32号線となっています

 約1.5kmの桜町信号を左(北西)へ県道74号線です

 約1,2kmで「比賣神社」入口を過ぎ道成りに進みます

 約1.7kmで「岩抱きのけやき・200m」の案内板を斜め左(北西)へ入ります


 ここに「村社 宮島神社」の社號標が立って居ます

 宮島神社入口です

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 鳥居です

 中部北陸自然歩道案内図です、左下に「岩抱きのけやき」・次に行こうとしている「宮島の大杉」の記事が載っています

 参道石段を上がります

 参道を進みます、鳥居の基礎みたいなものがあります

 参道左手に大木が並びます

 拝殿です

 本殿覆い屋です

 神社説明の石碑です
   天に性あり・地に勢あり・人に生あり
 文献に叙して伝う・・・往古は砺波とも、又利波とも書し也。和沢郷13村・宮島郷47村・蟹谷郷29村・五位庄55村・松永郷10村・糸岡郷30村
   ふるさとのいのちは永遠なりという・ふるさとのこころは無窮なりという
 巨岩を神聖な信仰の象徴として畏敬することは、古代より自然崇拝のすがたであろうという。
 石塔または自然石に、さらに巨樹、あるいは樹叢を神体として敬う、これを神実としてひもろぎとなし祀ったという。
 文献に記し曰う・・・宮島郷了輪村、二の滝村より18丁、向山権現社、同郷了輪村産神なり・此社地崖に老樹ありて物ふろびたる社なり。
 宮島郷・宮島谷の惣社とも云う
   ふるさとは、ふるさとの天地とともに生きてゆく・ふるさとは、ふるさとの人々とともに活きてゆく
 巨岩を神の依代とし自然の石なりを磐境という
 宮島神社  祭神 菊理媛命・天照皇大神
 嶺上の巨岩に神が鎮座ましますとの信仰によって祀り行われてきたと伝う。白山権現社へ合祀し、宮島神社と称う。
 巨岩老樹ありて古代より崇敬の念篤く、まさしく磐境と謂うべし。自然石に神霊を招ぎ安置し、聖地として祀りを行う。
 そもそも岩石を畏敬し、樹木を崇拝するこころは、古代の自然の信仰の発露なりという。
   自然あり・人間あり・歴史あり
 古代よりひとびとの山嶽を神格とする自然信仰は秀嶽巨巖等々を山の神として崇敬しつづけてきたと伝う。
 白山信仰は、加越能三州の丘陵地、山嶽地にひろがりゆくことに古書に記して伝う。
   白山権現・了輪村 産神、但此社地 岩窟老樹等府
 岩抱大欅  巨岩の石組に欅の大木が生え、この大欅の太い根が岩石を抱きかかえ、岩抱大欅という
   人口に膾炙す・・・名は形なり・形は真なり・真は心なり
    昭和乙丑之歳長月18日  小矢部市長 松本正雄 謹書
                 宮島神社  奉賛会  建之
 *昭和乙丑之歳長月18日は、昭和60年9月です、松本正雄市長は、翌年10月20日に市長のまま亡くなっております


社殿の右手(北側)に、大岩の上にケヤキの木が載っています


 目的の「岩抱きのけやき」です、岩を根が包んでいます

 西南西側から

 西側から、目通り幹囲3.6mの大木です

 北側から

 説明版です
  小矢部市指定天然記念物
    岩抱きのけやき
 この神社は、宮島郷宮島谷25ヶ村の惣社と伝えられている。
 神社の社殿に向かって右手の巨岩は、周囲17m、高さ3mを測り、その上に幹まわり3.6m、樹高35mの大木が太い根で岩を抱きかかえるようにして生えている。
 「岩抱きのけやき」と呼ばれ、小矢部市指定天然記念物に指定されている。
 境内には、自然石の露岩が多くあり、かつては神霊を招き祭祀を行なった聖地で古代、神社が発生する以前の磐境(神霊祭祀の聖域)と考えられている。
 後に社殿がつくられるようになり、この岩境をそのままにして、後方に拝殿を建て、その奥に本殿を築いた。
 このように古い時代の磐境の姿を今に残している埜は、県内でも数少ない。(昭和60年9月には由緒を伝える石碑が建立されている。)
    平成10年7月15日    小矢部市教育委員会
 *埜(の)の文字が漢字表記になっているのは、何か意味があったのでしょうか。石碑は前出の石碑の事ですね
 
 社務所は了輪自治会集会所となっています

 玉垣の中には若いサカキです

 社殿の左側には、「岩抱きのけやき」よりはるかに大きいケヤキです

 北側から

 西側から、目通り幹囲5.5m(目測)の巨木です

 南側から

 南東側から見上げました

 では、次へ行きましょう
 
 2023年5月4日午後1時35分訪問です
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富山県小矢部市、宮中「宮中比賣神社のスギ」です!!

2023-06-08 06:39:00 | 巨樹・大木
 宮中地区は、小矢部市役所の北北西約2.5kmのところ

 小矢部市役所の東側の県道270号線を北へ、途中からは県道32号線となっています

 約1.5kmの桜町信号を左(北西)へ県道74号線です

 約1,2kmで「小撫川ダム」の案内板んの有る交差点を左(南)へ入ります

 約70mで右手奥に鳥居が見えます

 道路脇に車を止めて歩いて行きます

 東向き参道で比賣神社が鎮座します、鳥居が大きくなって来ました

 境内入口です

 延喜式内 郷社 比賣神社の社號標です

 境内右手(北側)のイチョウです、多くの乳柱が垂れ下がっています

 境内左手(南側)のイチョウも多くの乳柱が出ています、地質に問題があって気根が多いのかもしれません

 手水鉢です

 説明版です
   延喜式内 宮中比賣神社
 小矢部市中宮に鎮座する比賣神社は、延喜式内社として知られる。
 所謂「式内社」は、律令国家がその社格と由緒を公認した神社で、神社の地位を示すものである。延喜式神名帳には、越中国34座礪波郡7座とあり、この中のひとつとして当社の名が見える。
 市内には、当社と長岡神社が式内社に比定されており、この地域が律令国家にとって無視できない重要な地域であったことを示している。
 また、神社本庁編「神社名鑑」などには、当社は古来より尊崇厚く、越中国司大伴家持参拝の際、斎木貞信を従六位に叙し、当社及び長岡神社の神官に任じ、砺波郡神祇の府とし宮島郷43ヶ村氏神惣社としたとある。
   平成4年10月11日
     中宮比賣神社奉賛会
     小矢部市教育委員会

 鳥居の下から参道直ぐ右手のスギの大木です

 南側から目通り幹囲5m(目測)の大木です

 西側から

 北側から

 拝殿手前から見ました

 拝殿です

 本殿です

 社殿の北側に目的のスギです

 南側から、目通り幹囲6.3mの巨木です

 北西側から、大枝の伐り跡はあるものの綺麗な幹が立ち上がっています

 北東側から見ました


 境内南側の石碑は、昭和8年の村社から郷社への昇格記念碑です

 社殿南側のスギの大木を東側から見ました

 北東側から、目通り幹囲4.5m(目測)の大木です

 社殿前(北側)から

 北西側

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午後1時5分訪問です
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富山県高岡市、福岡町木舟「木舟鍾泉寺のいちょう」(市指定)

2023-06-07 19:06:00 | 巨樹・大木
 福岡町木舟地区は、高岡市役所の南西約12km、高岡市福岡庁舎の南南西約2kmのところ

 高岡市福岡庁舎の北側の県道266号線を南西へ約500mの荒屋敷信号を左(南東)へ県道267号線です

 約700mで大滝(南)信号を右(西)へ、まだまだ県道267号線です

 約600mで横断歩道の有る十字路のすぐ先を左斜めの道へ

 約200mで「木舟鍾泉寺のいちょう⇐」案内板があります

 道路脇に車を止めさせて頂いて

 ここを東へ入ります、突き当りにはガレージが有ります

 突き当りの左(北)側の門の中に目的のイチョウが見えました

 浄土真宗本願寺派 鍾泉寺本堂です

 南西側から

 南側から

 説明版です
  高岡市指定 天然記念物
    木舟鍾泉寺のいちょう
      昭和47年11月17日指定
 このいちょうは、根回りで約6.5mあり、地上高2m付近のところから数本の幹に枝分かれしています。
 雌のいちょうとされており、幹にはたくさんの乳柱が垂れ下がっており、古木であることをうかがい知ることができます。
 このいちょうが所在する鍾泉寺は、応永2年(1886)までこの地にあったとされる宝性寺の跡地に建てられたと伝承されています。
 樹齢については、宝性寺が建っていた頃まで遡る可能性が指摘されています。宝性寺が木舟の地に移転したのが、天正3年(1575)のこととされていますので、最も古く換算すれば約400年もの樹齢を誇ることになります。
 また昭和13年(1938)に境内の墓地を造成した際には、大量の人骨が発見されました。この骨を巡っては、木舟城に関する戦い、あるいは天正大地震による被災者のものだとする話が伝承されています。
 現在、出土地点には慰霊のための石碑が建てられています。
       高岡市教育委員会
 *木舟城跡は、鍾泉寺より南約500mの所に「県指定史跡・木舟城址公園」で整備されています

 東側から

 北側から

 本堂前(西側)から見上げました

 乳柱を見る事が出来ました

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午後0時30分訪問です
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富山県高岡市、勝木原「勝木原の地蔵杉」です!!

2023-06-07 12:43:00 | 巨樹・大木
 勝木原(のでわら)地区は、高岡市役所の西約12kmのところ

 高岡市役所前から北西へ、志貴野中学校前信号を左(南西)へ国道156号線です

 約1.5kmの片原町信号を右(北西)へ、県道64号線です

 約2.7kmで小矢部川を渡った西詰を右(北西)へ小矢部川の土手道へ入ります、まだまだ県道64号線です

 間も無く土手道を離れ約1kmで能越自動車道の高架手前の岩坪(西)信号を左(南西)へ、県道32号線です

 約1.7kmで高辻(西)信号を斜め右(西)へ、まだまだ県道32号線です

 約700mで左からの県道29号線に合流して北西へ進みます、道成りに約4.7kmの坂道を上って行きます

 勝木原集落を過ぎた標高200mの県道右手に大きな杉の木が見えて来ます

 スギの木に先が広い駐車スペースになっています

 大きな石碑が在ります、「金契蘭結」の銘が在ります

 裏面に記載が有ります
   完工を記念して
 この地は縄文時代より人々が住み、その遺物が出土する歴史のある地区であります。
 古くから稲作が行われて来たところでありますが、現代の農業を営むには、段差しめい農道もなかった大変不便でありました。
 ここに関係当局のご指導により、昭和52年度団体営農村基盤総合整備に着手し、組合員の強い連帯協調のもとに、15年の歳月をもって完成しました。
 ここに完工を記念し後世に伝えるものであります。
   平成3年10月(1991年)   高岡市石堤西部土地改良区

 南西側から、目通り幹囲5.6mの巨木です

 南側から

 根元から見上げました「地蔵杉」の名前の通りに、お地蔵様がいらっしゃいました

 東側から

 北東側から

 南南東側から離れてみました

 では、次へ行きましょう
 
 2023年5月4日午前11時55分訪問です
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富山県高岡市、境「境天満宮のスギ」(保存樹)です!!

2023-06-07 06:29:00 | 巨樹・大木
 境地区は、高岡市役所の西約8kmのところ

 高岡市役所前から北西へ、志貴野中学校前信号を左(南西)へ国道156号線です

 約1.5kmの片原町信号を右(北西)へ、県道64号線です

 約2.7kmで小矢部川を渡った西詰を右(北西)へ小矢部川の土手道へ入ります、まだまだ県道64号線です

 間も無く土手道を離れ約1kmで能越自動車道の高架手前の岩坪(西)信号を左(南西)へ、県道32号線です

 約1.7kmで高辻(西)信号を斜め右(西)へ、まだまだ県道32号線です

 約700mで左からの県道29号線に合流して北西へ進みます、約1,2kmで県道南側の集落の中を西へ入り坂道を上ると

 正面に神社の石段が見えて来ました

 天満宮の社號標です

 細くて急な石段を上りましょう

 間も無く石段の中段から見上げる位置に、目的のスギです


 石段の曲がり角から

 南東側下の石段から

 境内へ上って来ました

 社殿です

 拝殿前(南側)から

 根元から見上げました


 西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です

 大きな傷が樹頂上部から根元まで続いています

 保存樹標識です

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午前11時35分訪問です
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富山県高岡市、頭川「頭川神社のスギは切株になってしまいました」です!!

2023-06-06 18:38:00 | ドライブ
 頭川地区は、高岡市役所の西約6kmのところ

 高岡市役所前から北西へ、志貴野中学校前信号を左(南西)へ国道156号線です

 約1.5kmの片原町信号を右(北西)へ、県道64号線です

 約2.7kmで小矢部川を渡った西詰を右(北西)へ小矢部川の土手道へ入ります、まだまだ県道64号線です

 間も無く土手道を離れ約1kmで能越自動車道の高架を潜り、約900mで小さな橋を渡って左(西)へ入ります

 頭川公民館の標柱が立っています、道成りに坂道を上って行くと、右手に頭川神社が南西向きに鎮座します

 左へ坂道を上って

 頭川公民館前に車を止めさせて頂きました

 公民館前の防災図です

 境内を見ました

 村社 頭川神社の社號標です

 鳥居です

 献馬像です

 手水鉢です

 社殿です

 頭川神社来歴石碑です
   頭川神社来歴
 当神社は、旧頭川村鎮座の諸神を合祀した社である。旧頭川村は、国吉郷13村の大村で、住民は古来信仰心篤く、諸神を崇敬しこれを祀った。祠は次の8社を数えた。
 合祀前の神社名  祭神      所在地
  諏訪社     建御名方命   字坂尻
  天満社     菅原道真    同
  稲荷社     宇加之御魂神  同
  八幡社     品陀和気命   字丸山
  熱田社     日本武尊    字上野
  同相殿神明宮  天照大神    同
  春日社     天児屋根命   同
  清滝社     瀬織津姫命   字明田
  日吉社     大山咋命    字天池
  同相殿出雲社  大国主神    同
 明治41年11月、この地にあった諏訪社に他の7社を合祀して、名を頭川神社と改称す。



 社殿前東側に大きな切り株です

 南西側から

 南東側から、かつて目通り幹囲5.7mを誇った杉です

 東側から

 北側へは長く根が伸びていました

 参道の西側や


 東側のスギも伐られてしまったようです



 伐られたイチョウの切株からは、ひこばえの葉が出ています
 
 境内周辺にはまだまだ木々が残っていました

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午前11時15分訪問です
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富山県氷見市、仏生寺「御田神社のイチョウ」です!!

2023-06-06 13:12:00 | 巨樹・大木
 仏生寺地区は、氷見市役所の南西約8kmのところ

 氷見市役所から県道312号線を南東へ、国道160号線の高架を潜って直ぐに右(南)へ国道160号線に合流します

 トンネルを貫けて朝日丘信号を右(西)へ県道76号線です、約2.4kmの十二町で左(南)へまだまだ県道76号線です

 道成りに約3.5kmで氷見南インターチェンジの高架を潜ります、更に約700m先からは県道64号線になって南へ

 約700mの寺中で標識に従って右(西)「吉池」へ、県道296号線です


 約500mで、右側に南向きの参道入り口です

 国史所載社 御田神社の社號標です

 鳥居です

 説明版です
  御田神社の由緒歴史
 御田神社は、今を去ること1500年以前の御建造・創立の神社にして、古代より歴代天皇の崇敬・武門武将の崇敬・氏子の信仰は勿論である。
 歴代天皇の崇敬としては、神階と弊帛を賜わり、武門武将の崇敬としては、社殿造営・社地の寄進、飯久保城主加納司郷、本社を崇敬して雨乞祈願をなされめぐみの雨が降ったので、一大感謝祭を執行後青年相撲を奉納今日まで続きたり。
 氏神様の御神徳は、世界平和と人類の幸福と家内安全で、無病息災と五穀豊穣もお守りくだされる、大神様である。
   平井正豊 謹書


 参道を進むと石段を上ります

 境内に上がると左手に手水舎です

 南向き拝殿です

 本殿階段の右に木の根のオブジェです、何故に置かれたのでしょうか・・・

 本殿覆い屋です

 境内南西端近くに目的のイチョウです

 北側から、大枝が二股になって伸びています

 西側から、更に東側の枝は三つ股になっていますが北側の一本は折れてしまったようです

 南西側から幹を見上げました、大枝から乳柱が垂れ下がっています

 南側から、目通り幹囲5.2mの巨木です

 南東側から


 乳柱を見ることが出来ました

 境内南西端の丘の上に境内社が見えました


 境内東側にはシャガの群落です

 黄色の花はウマノアシガタのようです

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午前10時50分訪問です
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富山県氷見市、惣領「イタセンパラ保護池」です!!

2023-06-06 06:25:00 | ドライブ
 惣領地区は、氷見市役所の南南西約7kmのところ

 氷見市役所から県道312号線を南東へ、国道160号線の高架を潜って直ぐに右(南)へ国道160号線に合流します

 トンネルを貫けて朝日丘信号を右(西)へ県道76号線です、約2.4kmの十二町で左(南)へまだまだ県道76号線です

 道成りに約3.5kmで氷見南インターチェンジの高架を潜った先で直ぐを右(北)へ

 約700mで案内板です、ここを南へ入ると駐車場があります

 駐車場脇の「自然と古代ロマン探求館」「ひとみ田園漁村空間博物館」という説明版です、「矢崎の大フジ」近くの十二町潟水郷公園にもイタセンパラが住んでいるようです
   惣領砦跡
 氷見地域は越中と能登の国境に位置するため、南北朝時代から戦国時代にかけて多くの戦乱の舞台となり、多くの城郭が築かれました。
 この惣領砦は、戦国時代に築かれた山城です。標高101.9mの丘陵上に位置し、規模は400m×140mを測ります。東西方向にのびる尾根上に連なって築かれた三か所の主要な郭と帯郭、13本の堀切、土橋によって構成される堅固な縄張りを以ています。
 惣領砦は氷見南部地域の在地領主、狩野氏の出城と伝えられています。越中狩野氏については、出自は不明ですですが、加賀を本拠とした室町幕府奉公衆の狩野氏の系譜と推定されています。
 狩野氏は永禄3年(1560年)頃には越中守護代の神保長識に属していましたが、神保氏の勢力が衰えた天正初め(1573年~)頃から上杉方に属し、天正6年(1578年)の上杉謙信没後はいち早く織田方に転じたものと考えられます。
 惣領砦跡の東には飯久保城跡、西には鞍骨山城跡(御林山城跡)が所在しています。伝承では、狩野氏が鞍骨山城を本城として、惣領、飯久保に砦(出城)を構えており、惣領砦には家老大前左近と奥野主馬が在城したとされています。ですが、それぞれの城跡の縄張や規模から見ると、飯久保城が狩野氏の本城で、惣領砦と鞍骨山城は詰城としての役割を持っていたと考えられます。
 狩野氏は天正13年(1585年)の佐々成正降伏後、飯久保城を離れたと推測されます。同様に、惣領砦もこの頃役割をおえたのでしょう。

 イタセンパラの保護池へ行ってみましょう



 柵を空けて入りましょう

 北側から見ました

 園内案内図です

 北側の小規模池です

 中央手前の小規模池です

 水中を横から見られるようになっていますが・・・何も見えませんね~


 上空を大きなアオサギが飛んでいます、イタセンパラも食べられてしまっているかも・・・

 管理棟の説明版です、「富山県氷見市万尾川に生息するイタセンパラの繁殖行動」「水位変動が水田周辺河川の種多様性に与える影響」のパネルです

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午前1040分訪問です
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富山県氷見市、粟原「駒つなぎ桜」(県指定)です!!

2023-06-05 18:42:00 | 
 粟原地区は、氷見市役所の西南西約7kmのところ

 氷見市役所から県道312号線を南東へ、国道160号線の高架を潜って直ぐに右(南)へ国道160号線に合流します

 トンネルを貫けて朝日丘信号を右(西)へ県道76号線です、約2.6kmで三叉路を左(南西)へ県道300号線です

 道成りに約1,6kmで能越自動車道の高架を潜ると、約700mで「駒つなぎ桜」の案内板を左(南)の道に入ります

 「⇒駒つなぎ桜」案内板が有ります


 田圃の向こう側に桜の木が見えました

 東側の駐車スペースから見ました、、幹が見えているのは若い桜です


 東側の石碑は、1994年の歌会始に詠まれた詩の歌碑です

 天然記念物標柱です

 説明版です
  富山県指定天然記念物
    駒つなぎ桜
      昭和40年10月1日指定
 駒つなぎ桜は、幹周り4.74mのエドヒガンザクラの巨樹で、毎年4月初旬に美しい桃色の花をつける。これまでも、幾度の治療を受けながら、大切に保護されている。
 この木には、次のような伝説が残されている。
 この地は「湊」とよばれ、かつて潟湖(万葉集の「布施水海」)がこの辺りまで広がっていたという。天平のころ、越中国守大伴家持が、布施水海を舟で渡り、この地に舟を泊めた。
 山越えのため、桜の木に馬をつないだということから「駒つなぎ桜」とよばれている。
      富山県教育委員会
      氷見市教育委員会

 南西側から

 近付いて見上げました

 西側から

 太い幹を見上げました

 南側から

 南南東側から

 離れて見ました

 南東側から

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午前10時20分訪問です
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富山県氷見市、老谷「老谷の大つばき」(県指定)です!!

2023-06-05 12:44:00 | 巨樹・大木
 老谷地区は、氷見市役所の西南西約11kmのところ

 氷見市役所から県道312号線を北西に出て、すぐの信号を左(西)へ、国道415号線です

 約5.1kmで斜め左(南西)へ県道64号線です、約4,3kmを道成りに進みます

 触坂の三叉路を過ぎると県道76号線に変わります

 「老谷の大つばき3km」の案内板が有ります

 約1.7kmで「老谷の大つばき⇒1.5km」案内板に従って斜め右(西)へ

 約1.5km坂道をつづら折れで上って行くと「老谷の大つばき⇐」の案内板です

 間も無くヘアピンカーブの外側への道を入ると老谷の大つばきの標柱です、右へ入って行きます

 駐車スペースに車を止めさせて頂きました、道路の草苅をされている方がいらっしゃいました

 参道を進みます

 手水です

 橋を渡ります、参道の掃除をされている方がいらっしぃます

 滝が流れています

 古い標柱が立っています

 側溝を掃除されている女性に挨拶をして参道を進みました


 東側の広場から見上げました

 北側に説明版です
   富山県指定文化財(天然記念物)
     老谷の大つばき
       昭和40年4月1日指定
 左右二本のツバキのうち、大きい方が指定となっている。
 ヤブツバキで、幹回り3.47m、樹高6.6m、枝張りは、東西約8m、南北約11mの広がりがあり、その面積は約50㎡(約15坪)を占める。
 樹齢は500年以上と推定される日本でも屈指の巨樹で、3月中旬から4月中旬にかけて真紅の花を枝いっぱいにつける。落ちた花で周囲が紅いじゅうたんを敷きつめたようになっている様は格別である。
 その昔、飢饉に苦しむ民のため城主に直訴した家老が怒りを買い、一族の男子が刺股処刑された。井原家から娘が嫁いでいたが、夫の非業の死で悲しみのうちに亡くなり、娘の墓標の代わりにこのツバキを植えられたという伝説がある。
     富山県教育委員会
     氷見市教育委員会
 *墓地にツバキをうえるのは、富山市指定 天然記念物 今山田のユキツバキも「林山家の墓地の墓標として植えられ、代々守られてきたものである」とありましたね


 北側から太い方の幹を見ました
 
 西側から幹囲3.47mだそうです

 西側から、二股に分れて大きな樹冠を支えています

 南側から


 西側の細い方の幹です、天然記念物指定になっていませんが、東側の広場から見た樹冠を共有しています

 幹囲は不明ですが、真っ直ぐに立ち上がった綺麗な幹です


 南東側から 



 まだ少し花を見る事が出来ました

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午前9時45分訪問です
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富山県氷見市、見内「戸宮五社のアカガシ」です!!

2023-06-05 06:28:00 | 巨樹・大木
 見内地区は、氷見市役所の西南西約9kmのところ

 氷見市役所から県道312号線を北西に出て、すぐの信号を左(西)へ、国道415号線です

 約5.1kmで斜め左(南西)へ県道64号線です、約4,3kmを道成りに進みます

 触坂の三叉路を過ぎると県道76号線に変わります、約900mで県道右手に幟の支柱が見えました

 県道左の空き地?に車を止めさせて頂きました

 南向き参道石段です

 丸石を使った石段を上ります

 戸宮五社の社號標です

 鳥居です

 拝殿です

 拝殿の左手に目的のアカガシが見えました

 かなりの古木のようです

*アカガシ(赤樫、学名:Quercus acuta)はブナ科コナラ属の常緑広葉樹。別名、オオガシ(大樫)、オオバガシ(大葉樫)、アツバアカガシ、オオアカガシ、キクアカガシ、ヒメアカガシなどと呼ばれていて。車両や船舶、三味線の棹、木刀にも使われるそうです。
 和名アカガシは、樫(カシ)のなかまで、材が赤味を帯びることから名付けられました。ウィキペディアの一部抜粋です

 東側から見ました、目通り幹囲位5.0mの巨木です

 本殿の様ですが、東側から上って行く道が付けられています

 境内への作業道入口の目通り幹囲3mほどのモミの木です

 高い枝に大きな巣の様なものが有りました

 県道側から見上げました

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午前9時25分訪問です
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