ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

新潟県五泉市、大須郷「菅名岳大トチ」(森の巨人たち百選)です!!

2023-06-15 18:30:12 | ドライブ
 前回「菅名岳どっぱら清水のカツラ」の続きです

 どっぱら清水から下って来ました

 午前8時半頃、ツバキ平方面へ橋を渡って進みます

 木橋には鉄筋棒が並べられてすべりにくくなっています

 左岸斜面にはカツラの大木が見えます

 奥にカツラの巨木が見えて来ました

 また沢を木橋で渡りますが、周りが流されていて岩を伝っていきます

 コケに覆われた木橋を渡ります

 次の木橋には、流木が引っ掛か手います

 岩を抱くように根を拡げたトチノキです

 形の良いトチノキです

 またまた、木橋を渡ります

 もう一度木橋を渡ると

 ツバキ平と大トチの分岐です、表示は椿平・菅名岳⇐と、どっぱら清水・いずみの里⇒となっていますが

 すぐ脇の岩の上に「トチノキ大木⇒」の案内板が有ります

 目通り幹囲7.0m(新潟の大杉と天然杉から)のカツラの巨木です、右側を廻り込む様に進みました

 ここからシダの急な登りになります、足元には木の階段があるのですが、大量の落ち葉に隠れてしまっています

 シダの斜面の上に幹が二股に分れたトチノキが見えます

 藪を抜けると太い幹が見えました、午前9時到着です駐車場から寄り道などして2時間半かかりました

 第三目的の「菅名岳大トチ」です

 近付いて見上げました、目通り幹囲7.4mの巨木です

 右へ移動して撮影しました

 裏側に回り込みましたが、藪が濃くて写真に成りませんでした

 大トチの根の上にヤマビルが頭を伸ばしています、吐く息の二酸化炭素に反応しているようです

 ズボンの裾をまくると、ヤマビルが両足に7匹も吸い付いています、潰すだけ潰して早々に退却を決めました

 ツバキ平へのルートです、今回はここで戻ることにしました

 途中で、これから菅名岳へ登ると言う女性に会いました、ヤマビルに気を付けるように言って見送りました
 
 ヤマビルの対処方法は、無理やり剥がそうとすると、噛みついている牙(鋸歯)が残ってしまうので、火を近付けたり塩やアルコールなどを掛けるのが手だそうです、今回は用意して行かなかったので、午前11時半に車に帰ってから傷口を確認すると血が止まらず、ヤマビルは血液が固まることを阻害するヒルジンという成分を注入しながら血を吸うからなのです。
 血をタップリ吸ってコロコロしたヤマビルをつぶすと血だらけです、4月から9月の間はヤマビルの活動時期に成りますので注意して下さ、ひどい目に遭いましたよ~

 では、次へ行きましょう
 
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新潟県五泉市、大須郷「菅名岳どっぱら清水のカツラ」です!!

2023-06-15 06:28:07 | 巨樹・大木
 前回の中川新~大須郷「菅名岳新江川北沢登山道のカツラ」の続きです

 駐車場からどっぱら清水まで、所要時間1時間10分と有りましたが、途中で写真を撮ったり、転んで膝と肘を打ったりしていたので、1時間30分ほど掛かってようやくたどり着きました

 菅名岳(標高909m)の西側に伸びる丸山尾根の南側が西沢の谷です、駐車場(標高70m付近)から登って、どっぱら清水の標高は350m付近です、分岐から急斜面を上ります。

 どっぱら清水は、新潟の酒飲みや登山愛好家の間では有名な場所となっています。
 どっぱらは、「胴腹」が訛ったものだとか、寒九の水と言って「寒の入りから9日目に、雪の積もる「菅名岳」中腹にある“どっぱら清水”から湧き出す清水を汲み、ここで汲まれた清水は鉄分の少ない軟水で『清酒 菅名岳』新潟県五泉市の酒蔵、1865年創業の近藤酒造の寒仕込みの仕込水として使用されます。

 古来の教えにあやかり、平成4年に当時の蔵人と従業員7名と五泉市の酒店の若手2人の計9人で初めて寒九の水汲み行いました。
今では毎年200〜300名の方々が参加して頂ける、全国でも稀に見る取り組みとして認知して頂けるようになりました。(近藤酒造HPより)
 なぜ、寒の入りから九日目(寒九)に汲むのかというと、昔からの言い伝えで、「この日に水を汲むと腐らない」「一年で一番水が澄む日」とされているからです。「自分で汲んだ水が、酒に生まれ変わる」参加された皆さんに感動を与えてくれるものと思います。参加者には、自分が汲んでできた新酒『寒九の水仕込生原酒』4合瓶一本を発売前にプレゼントされるとか。毎年ニュースになりますが、約20kgのポリタンクを担ぎ降ろすのは大変な重労働のようです。


 北沢の沢伝いに進むと、午前7時55分、どっぱら清水とツバキ平への分岐です、ここは右のどっぱら清水へ

 すぐ上側に沢を渡る単管の手すりの付いた板橋の脇に目通り幹囲約6.6m(新潟の大杉と天然杉のホームページから)カツラの巨木です


 ツバキ平へは、伐り払いがされていないようで、倒木の為入れませんでした

 二番目の目的に予定していたトチノキの幹が見えますが、ルートが塞がれてしまっていますので諦めました

 すぐ上にカツラの巨木です


 横側から、目通り幹囲約9.0m(同上)の巨木です

 上側(どっぱら清水の吹き出し口の直ぐ下側)から見ました

 沢というよりまるで滝です

 午前8時5分到着です、直径30cmほどの吹き出し口から大量に、すぐ右手からも水が出ています

 毎分600リットルの水が出ているとか、この日どっぱら清水の周りは倒木が伐り払われていましたが、足場が安定しませんので、早々に下ることになりました。

 更上には、若いトチノキが枝葉を拡げていました

 下の分岐迄戻ります

 ツバキ平へのルートに入ります


 対岸に渡って、どっぱら清水の北沢への流れ込みです




 ここからも、どっぱら清水と同じ位の標高の所に先ほどのトチノキが見えました

 *目通り幹囲7.2mの巨木です、側まで行けなかったのが残念です

 では、この辺で続きとさせて頂きます、次回は「森の巨人たち百選」菅名岳大トチです
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新潟県五泉市、中川新~大須郷「菅名岳新江川北沢登山道のカツラ」です!!

2023-06-14 18:31:44 | 巨樹・大木
 中川新地区は、五泉市役所の南東約6kmのところ

 五泉市役所の西側の通りを南へ、約600mの信号を斜め左(南東)へ

 約300mで県道436号線に合流して東へ、道成りに4,4kmで国道290号線の信号を右(南)へ

 約1.1kmで国道が右へカーブするところを真っ直ぐに進みます

 約1.5kmで泉水の里の菅名岳登山口の駐車場に入りました

 駐車場の案内図です、どっぱら清水の奥に最終目的の大トチが表示されています

 登山届を書いて入れて行きましょう、午前6時25分出発です

 杉林の林道を進みます

 大蔵尾根登山道の分岐です、大蔵尾根へは途中が土砂崩れの為通行禁止になっています

 三五郎橋の分岐です、大蔵尾根へはこちらから回れるようです

 橋を渡って砂防ダムの脇を上り切ると

 水場です、駐車場からは35分ほど、休むにはまだ早いですね


 土砂崩れの跡です、綺麗に片付けられています

 林道はここまでです

 注意書きです、沢床に入ってはいけません

 三五郎山国有林です

 山路になりました

 沢を板橋で渡ります

 最終の砂防ダムです

 午前7時25分、ロープが張られた丸山尾根への菅名岳登山道分岐です

 更に沢沿いを先へ進みます

 登山道はトチノキの根方を巻いて行きます

 対岸にはカツラの木です

 また沢を渡ります

 沢沿いにはカツラの木が目立ってきました

 登山道にカツラの大木です

 上流側から見ました、目通り幹囲5m程です

 すぐ先の、右手には最初の目的のカツラの巨木です


 目通り幹囲8.6mだそうです


 間も無く、どっぱら清水への分岐の案内板が見えて来ました、午前7時55分駐車場から1時間半です

 少し長く成りましたので、次回に続きます 
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新潟県五泉市、蛭野「慈光寺参道のスギ並木(後半)慈光寺まで」(県指定)です!!

2023-06-14 06:32:28 | 巨樹・大木
 続きです、龍神杉から先へ進みます


 龍神杉前から参道を進みました、また橋が見えて来ます

 橋を渡った所に参道では珍しい、目通り幹4.55mとされる捻じれたスギの大木です

 日光地蔵さまです

 西国三十三観音の石仏が並びます


 石段の上に鳴滝不動尊です 

 不動堂です

 説明版です
   鳴滝不動尊
 当山の鳴滝不動尊は、江戸時代より明治、大正、昭和にかけて多くの庶民の信仰を集めてきました。特に明治24年7月、時の蓮池孝太郎、藤田丈五郎、田沢要蔵氏等が新たに青銅の不動明王を安置するに際しては、多くの信者の方により善の綱を手に行列を組んで慈光寺まで運ばれたことが伝えられています。当時の御堂は、現在地より100mほど登った高台にありましたが、現堂宇は、昭和42年の土砂災害により移したものです。
 不動とは動かざるもにに意で、菩提心が堅固で揺るぎない智慧を有していることを示しております。シバ神の化身とも言われ、大日如来の使者として現世に遣わされ、往古より日本各地に霊場が拡まり、日常の生活の中に溶け込み栄えてきました。力強く逞しいお不動様のお姿に象徴されるように、威厳のある厳しさ、その中に秘められている優しさと慈悲の心に親しみ深いものがあり、仏道に目ざめない者を導き、救済する役目を担っています。
  例祭  7月1日(金抜き朔日)
  縁日  毎月 28日
  守り本尊  酉年生まれ
  真言  ノウマク サ マ ンダ バ ザラ ダン セ ンダ マ カ ロ シャ ダ ソワ タ ヤ ウン タラ タ カン マン
  ご利益 笑福除災 諸魔退散 事業繁栄 諸願成就

 石段の脇の目通り幹囲4.7mとされるスギの大木です


 やすらぎ地蔵尊です

 慈光寺の建物が見えて来ました

 菊水橋を渡ると・・・

 石仏と六地蔵様の様です、後ろ側には目通り幹囲4.75mとされるスギの大木です

 国登録有形文化財の標柱です

 説明版です
   国登録有形文化財
    慈光寺
       所在地 五泉市蛭野870
       登録年月日 平成24年2月23日
 慈光寺は霊峰白山の麓に座する曹洞宗の古刹です。創立年代は明らかではありませんが、古くから白山信仰の中心地であったと考えられています。応永10年(1403)頃、南北朝時代の武将・楠木正成の直系である桀堂能勝禅師によって中興開山され、その後江戸時代には曹洞宗の越後四ヶ道場の一つとして繁栄しました。
 慈光寺には伽藍の中心となる本堂をはじめ、北側には禅堂及び衆寮、南側には庫裏、東司・浴司、経蔵があり、山門から南北に延びる回廊は、本堂、庫裏、禅堂及び衆寮の土間として取り込まれるという造りになっています。
 これらの建物は、宝暦5年(1755)の火災で焼失してから再建されたもので、本堂は宝暦13年(1763)、庫裏は宝暦9年(1759)、禅堂及び衆寮、山門、回廊、経蔵は江戸時代後期の建築です。現在も建築当時の姿を保っており、新潟県下でも回廊を残す曹洞宗寺院は稀であると同時に、最も整った七堂伽藍を持つ大変貴重な寺院です。
 本堂、庫裏、禅堂及び衆寮、経蔵、山門、回廊の6件が国登録有形文化財となっています。

 山門前石段を上ります

 六地蔵様の後ろに在った杉の大木を石段中段から見ました

 山門前のスギの大木です

 一本は上部が欠けてしまっています

 山門です


 立春大吉と鎮防火蠋の札が付けられています

 登録文化財のプレートです

 説明版が山門下にもありました

 正面に本堂です

 左手には禅堂及び衆寮です

 右手には庫裏と手前側に東司と浴司です

 伝説の国むらまつ
   白山と大蛇
 応永年間(1394~1428)のこと、白山の奥地の池に住んでいた大蛇が、暴れて村人を困らせていたのを、桀堂和尚の読経によって、大蛇は俗世の苦しみから救われ、池を埋めて立ち去りました。池の跡に現在の慈光寺を建立したと言われております。
 大蛇は能代川を下って新潟の白山神社まで来て息絶えました。今でも、大蛇が楓にしっぽを巻き一休みのとき使った石枕が「蛇枕石」として境内に残っています。
   越後村松 桜藩塾

 では、参道を戻って次へ行きましょう
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新潟県五泉市、蛭野「慈光寺参道のスギ並木(前半)龍神杉まで」(県指定)です!!

2023-06-13 18:30:18 | 巨樹・大木
 蛭野地区は、五泉市役所の南約13km、五泉市役所村松支所の南約6kmのところ

 五泉市役所村松支所から県道571号線を南へ道成りに進みます

 約2.3kmで滝谷川を渡って、十字路を左(南東)へ、まだまだ県道571号線です

 道成りに滝谷川の谷を詰めて行くと・・・

 黄金の里会館前の駐車場です

 すぐ先には、慈光寺の参道入口です


 ここからは、慈光寺参道の杉を護るため徒歩で、約500mの参道を進みます

 参道は、越後白山への登山口の一つになっています

 *20数年前に登った時には、山頂直下の鯖池への沢で、ヤマビルにかまれてヒルジンの為出血が止まらずに血まみれになった思い出があります

 滝谷川を渡ると、参道杉並木入口です

 説明版です
  県指定天然記念物
 慈光寺のスギ並木
   所在地   五泉市蛭野870番地
   指定年月日 昭和50年3月29日
 慈光寺は、応永10年(1403)、時の領主神戸太郎最重が開基し、耕雲寺(村上市)より招聘した桀堂能勝が開山したと伝えられています。かつて越後四カ道場の一つとして聞こえたもので、いま白山の山麓、滝谷川のせせらぎと鶯の音も聞こえる静かなたたずまいのなかで、数百年の歴史を秘めて往時の隆盛をしのばせる伽藍を擁しています。地元では「お滝谷さん」と親しまれ、毎年多くの参拝者が訪れています。
 参道136本の杉の老木は、樹齢300年から500年を経たもので、自然条件にも恵まれ、周囲の山々と美しく調和し、おだやかな流れの滝谷川と相まって寺院の荘厳さにすばらしい景観を添えています。巨木が並木として群生しているのは大変めずらしく、近郷市町村でも見られない光景です。
 慈光寺付近には「慈光寺の天狗」や「白山の大蛇」など、数々の伝説が残っており、石碑や石仏なども参拝者を静かに見守っています。
  2022(令和4)年2月  五泉市教育委員会

 慈光寺まで500m、10分ですね

 参道入って直ぐに、石仏が迎えてくれます

 石碑はコケに覆われています


 参道に入って間も無く右手のスギの大木です

 赤い衣装がお洒落ですね

 すぐ右手にも、目通り5。0mとされるスギの巨木です

 参道を進みます

 庚申塔です

 向かい側(参道左手)にも目通り5.2mとされるスギの巨木です

 参道奥側から見ました


 更に参道を進みましょう

 滝谷川の橋の所に石仏が並びます

 石仏の後ろ側にスギの大木が並びます


 すぐ先に、目通り幹囲4.1mとされる龍神杉です

 確かに龍神様です

 白山の大蛇伝説の石碑です、文面は・・・
 昔、村松の白山には大蛇が住んでいて、洪水を起こしたり作物を荒したりして人々を苦しめていました。
 その大蛇が通った跡が今の能代川(通称「九十九曲川」ともいう)になり、新潟まで下った大蛇は白山の地で息絶えて、そこにまつられたと言います。
 現在の白山神社にある「蛇松明神」がそれで、農業や商売繁盛の神として今も人々の厚い信仰を集めています。
 慈光寺には、昔大蛇が休んだときに枕にしたと言われる、「蛇枕石」や「大蛇のこけら」が今でも残っています。
 ― この石碑は、伝説にちなみ平成元年に実施した桜藩むらまつ「伝説の船下り&産品祭」の記念に設置されたものです。
     平成元年9月 吉日  桜藩むらまつ


 幸福地蔵尊です

 更に参道を進みます

 お地蔵様が並びます

 先へ進みましょう

 少し長く成りましたので、次回に続きにしますね

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新潟県阿賀野市、水原「瓢湖の鳥たち」です!!

2023-06-13 12:30:03 | ドライブ
 昨年は、この時期にカイツブリのヒナが見られましたが・・・


 瓢湖は、ラムサール条約指定湿地ということで、冬場には多くの鴨や白鳥で賑わっていますが、この時期には少しの鳥たちが残っているだけです



 管理棟前の餌場には、ハトにスズメ、ヒドリガモにマガモが一緒に餌をついばんでいます

 橋の下を進むヒドリガモです

 管理棟のすぐ東側の島にマガモがいます



  オナガガモかな

 右側には羽繕するカワウですね

 マガモかな

 奥にいるのはヒドリガモかな、手前はオナガガモですね



 本池の東側に廻って来ました、マガモの夫婦です


 カイツブリの夫婦が遠くに見えました


 遠くてはっきりと移りませんでした

 北東側から瓢湖を見ました


 ハスの葉が出始めていました


 岸に打ち上げられたヒシの実が危険な感じです

 西側のヤマボウシには満開の花が咲いていました

 では、次へ行きましょう
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新潟県阿賀野市、水原「瓢湖あやめ園」です!!

2023-06-13 06:36:37 | ドライブ
 阿賀野市の瓢湖にアヤメを見に行きましたが、まだまだ先始めで、全体の5パーセント程でしたが紹介させて頂きます

 冬場は、渡り鳥の鴨や白鳥で賑わっていますが、この時期には残っている水鳥も少なくなっています

 あやめ園です


 畦状にアヤメが植えられていますので

 園内の木道を西側から東へ進んで咲いている種類を見て行きました

 あやめまつりのボンボリは年中出ています



 峰紫(みねむらさき)です




 玉手箱(たまてばこ)


 伊那嵐(いなあらし)、紫色がアヤメの基本ですね



 八ヶ岳(やつがたけ)


 霧ヶ峰(きりがみね)、日本百名山の名前が続きましたね



 峰紫(みねむらさき)



 業平(なりひら)、三十六歌仙の在原業平からの名前なのでしょうか





 長井小紫(ながいこむらさき)



 新緑の風(しんりょくのかぜ)



 金冠(きんかん)まだ黄色の花はこれだけでした



 小雪路(こゆきじ)白い花もこの一種類だけでした

 取材から10日以上経ちましたので、他の種類も見られてている頃だと思われます

 次は、瓢湖の様子を見て行きましょう
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新潟県湯沢町、三俣「三国街道 脇本陣跡池田家」(史跡)です!!

2023-06-12 18:35:50 | ドライブ
 三俣地区は、湯沢町役場の南西約6kmのところ

 湯沢町役場前から国道17号線を苗場方面へ、約7,6kmで


 国道の東側に「道の駅みつまた」です


 駐車場に湯沢広域マップです

 湯沢駅周辺マップです


 三俣宿の説明版です

 案内図です、三国街道 脇本陣跡池田家を見て行きましょう(雪崩記念碑や寄りそう松と杉もあったのですが行けませんでした)

 車で脇本陣跡へ行ってみました

 国道17号線を南へ約500mで左(東)へ国道の旧道?に出て右(南)へ

 間も無く右手に脇本陣です

 北側に大きな案内板です

 説明版です
  新潟県文化財
   史跡 三国街道脇本陣跡 池田家
 三国街道は、江戸と越後をむすぶ江戸時代の幹線道路で、諸大名の参勤交代をはじめ人馬や物資の往来がさかんで、街道ぞいに多くの宿場があった。三国三宿とよばれた浅貝、二居、三俣にも本陣、問屋などがあったが、ほとんど失われて当時の遺構としては、この池田家の建物だけとなった。
 池田家は、当時三俣宿の脇本陣として、諸大名、奉行代官等の宿所であり、問屋業も兼ねた豪家であった、道路に面した主屋は、桁行10間(約18m)梁間(約11m)の切妻造り石置木羽葺屋根の2階建で、内部は、向かって左側の6室が客室部その他が居室部である。
 全体的に木割が太く、天井の高い堅牢な造りで、特に客室は、上段の間、客室に書院床棚などをそろえた書院造りで、水墨の襖絵透彫の欄間、釘隠しなどに本陣の風格がうかがわれる。
 居室部には荷物揚卸し場、茶の間、台所、水屋などがあり内庭には防火消雪用の「たなえ」とよぶ池がある。この建物は、江戸時代における宿場の本陣及び問屋の機構を伝える遺構として、きわめて貴重な」存在である。
  昭和29年2月10日 新潟県教育委員会 指定

*三俣の大雪崩 (みつまたのおおなだれ)は、 1918年 ( 大正 7年)に 新潟県 南魚沼郡 三俣村 (現在の 湯沢町 字三俣)で発生した 雪崩 災害 で、三俣雪崩 とも呼ばれる。 この雪崩に180名が巻き込まれ死者158名(圧死者155名、救助後に死亡した者が3名 )にのぼり、文献記録に残るうえでは 日本史上最悪の雪崩 です。(ウィキペディア一部抜粋)
 
 では、次へ行きましょう

 2023年6月2日午前9時訪問です


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新潟県糸魚川市、大所「大所木地屋川のカツラ」です!!

2023-06-12 12:31:02 | 巨樹・大木
 糸魚川市市役所から、まずはヒスイ峡入口を目指して国道148号線を南へ松本白馬方面へ姫川に沿う様に進みます

 根知谷入口信号を過ぎて約3.5kmの姫川を大正橋で渡った信号右に行くと高浪の池です

 大所へは、左へ国道148号線を先へ進みます、約7.5kmで平岩信号を左へ、県道375号線です

 約600mで大所川を渡ったJR大糸線平岩駅前を右(南西)へ県道505号線です

 約6.3kmを道成りに大所集落を貫けて進みます

 途中にこの先工事中の為、蓮華温泉迄は行けないように、バリケードが在りますが、渓流釣り客のために入れるように開いていました

 バリケードから5個目のカーブの所に目的のカツラです

 北側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北西側から

 北側から

 南側から、目通り幹囲5.1m(実測)の巨木です

 南西側から

 南西側道路から見ました

 では、次へ行きましょう

 2023年5月5日午前10時45分訪問です 
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新潟県糸魚川市、大所「大所木地屋のサクラ」です!!

2023-06-12 06:30:03 | 
 糸魚川市市役所から、まずはヒスイ峡入口を目指して国道148号線を南へ松本白馬方面へ姫川に沿う様に進みます

 根知谷入口信号を過ぎて約3.5kmの姫川を大正橋で渡った信号右に行くと高浪の池です

 大所へは、左へ国道148号線を先へ進みます、約7.5kmで平岩信号を左へ、県道375号線です

 約600mで大所川を渡ったJR大糸線平岩駅前を右(南西)へ県道505号線です

 約5.5kmkmを道成りに大所集落を貫けて進みます

 木地屋民俗資料館の手前カーブ外側に白い花のサクラがあります

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南東側から

 南南東側から、まだ多くの白い花が残っています

 南側から


 住宅の建っていた跡にはユキノシタです

 では、今回の取材は此処までにして関東へ帰ることにしましょう

 2023年5月5日午前10時55分訪問です 
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新潟県糸魚川市、小滝「ヒスイ峡のヒスイ原石」です!!

2023-06-11 18:31:00 | ドライブ
 糸魚川市市役所から、まずはヒスイ峡入口を目指して国道148号線を南へ松本白馬方面へ姫川に沿う様に進みます

 根知谷入口信号を過ぎて約3.5kmの姫川を大正橋で渡った信号を標識に従って右(北西)「ヒスイ峡・夏中」方面へ

 この先で小滝川沿いの道路が工事中の為、高浪の池を廻って行きます、6km以上遠回りになります

 約5.8kmで高浪の池展望台を過ぎると下りになります

 高浪の池から約4kmでヒスイ峡フィッシングパーク入口を左へ、約1kmで右へ入るとヒスイ峡駐車場です

 糸魚川ユネスコ世界ジオパークの幟です

 キャラクターは奴奈川姫をモチーフにした「ぬーな」と断層と勾玉をモチーフにした「ジオ丸」です

 まだ八重桜が咲いていました

 ヒスイ峡遊歩道案内板です
   ヒスイ峡遊歩道案内図 
 ご注意・・・
 ●小滝川硬玉山地は国の天然記念物に指定されています。
 ヒスイだけでなく、岩石、鉱物、化石、動物、植物の採取が、文化財保護法で禁止されています。
 貴重な自然を未来へ受け継ぎましょう。

 ヒスイ峡護岸の説明版です、ヒスイの原石は結晶片岩の中に5億年前頃に出来たようです
   小滝川の石を学習する護岸・・・小滝川の石が護岸に年代ごと並べられています。
 小滝川に面した斜面では地すべりが発生し、ヒスイ峡に向かって土砂が押し出していました。
 その対策として、平成4年度に「押え盛土」を行い、さらにその盛土が川の水によって浸食されないように護岸を整備しました。
 *ヒスイ峡斜面
 ヒスイ峡の斜面には、長さ約2km、幅約1km、すべり面の深さ約50~100mと推定される地すべりが存在しています。
 ヒスイ峡地すべりは、小滝川に面した末端斜面が崩れたものです。
 *この護岸は、小滝川にある豊富な種類の石を使用しています。
  石の配置を「石ができた場所と年代」により分類しています。
 上流側より・火山でできた石・・・・・・・恐竜時代・6500万年前(火山岩・石英斑岩)
       川や火山で出来た石・・・・・恐竜時代・1億年前(堆積岩・砂岩、礫岩。火山岩・凝灰角礫岩)
       海や湖でできた石・・・・・・恐竜時代・2億年前(堆積岩・泥岩、左岸、礫岩)
       海底や地下深くでできた石・・3億年前~5億年前(堆積岩・チャート、石灰岩、泥岩、礫岩、凝灰岩泥岩互層、凝灰岩とチャート。変成岩・蛇紋岩、結晶片岩、緑色岩、変はんれい岩)
*ヒスイや曹長石は、変成岩の結晶片岩の中に出来るようです

 ヒスイの原石の並ぶ小滝川の向こう側に明星山の岸壁です

 小滝川周辺の案内板です

 噴水の所にヒスイの原石です、色は灰色のものが多いそうです

 北側から

 ヒスイ原石に触れてみましょう、一番大きな原石の重さは4tだそうです、ツルツルしています

 文化財ですので河原の石は持って行かないようにしましょうね

 護岸は、地質年代別に造られています、この辺りの護岸は3億年前から5億年前の岩石だそうです

 どれがヒスイ?の説明版です、よく覚えて河原へ行ってみましょう

 川原越しに明星山です

 手前のグレート、奥の茶色の岩はヒスイではありません、奥側の大岩がヒスイ原石です




 これも違います

 川原から護岸工事の様子を見ました、手前は約2~5億年前の岩石で造られています

 上流側護岸の手前側は、恐竜時代約2億年前の海底堆積岩です

 護岸工事のされた一番奥(上流側)から下流側を見ました、手前側の護岸は恐竜時代約6500万年前の火山で出来た岩石です

 上流側にサワグルミの巨木が見えました

 では、次へ行ってみましょう

 2023年5月5日午前9時50分訪問です
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新潟県糸魚川市、小滝「小滝川ヒスイ峡のサワグルミ」です!!

2023-06-11 12:33:00 | 巨樹・大木
 小滝地区は、糸魚川市役所の西南西約15kmのところ

 今回は、小滝川沿いの道路が工事中の為、高浪の池を廻って行きました

 糸魚川市市役所から、まずはヒスイ峡入口を目指して国道148号線を南へ松本白馬方面へ、姫川に沿う様に進みます

 根知谷入口信号を過ぎて約3.5kmの姫川を大正橋で渡った信号を標識に従って右(北西)「ヒスイ峡・夏中」方面へ

 約5.8kmで「高浪の池展望台」です

 少し下から、明星山の岸壁が優美です

 高浪の池の周りもキャンパーで賑わっています

 約4kmでヒスイ峡フィッシングパーク入口を左へ、約1kmで右へ入るとヒスイ峡駐車場です

 ヒスイ峡を見ました

 色とりどりの大きな岩のところにヒスイの原石があるそうですが・・・後で行って見ます

 車道を明星山登山口吊り橋方面(西側)へ歩いて行きます

 約150mほど進むと、目的のサワグルミが見えて来ます

 まだ根元は見えませんね~

 南側から、根元を覗くようにして幹を見上げました、目通り幹囲5.7mの巨木です

 南西側から

 明星山登山口吊り橋入口です、残雪は無いので吊り橋を渡ります

 吊り橋から上流側です

 吊り橋から下流側(ヒスイ原石側)です

 サワグルミを見ました

 対岸を下流側に進むと、明星山登山口の標柱です、登り3時間・下り2時間と書いてあります

 もう少し下流へ進んでみます

 北側から

 北東側から見ました


 陽当たりの良い斜面には野イチゴ(クサイチゴ?)の可愛い花が咲いています

 黄色い花はヘビイチゴでしょうか

 では、ヒスイ峡へヒスイ原石を見に行きましょう

 2023年5月5日午前8時40分訪問です
 
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新潟県糸魚川市、小滝「明星山大岩壁展望台」です!!

2023-06-11 06:30:00 | ドライブ
 糸魚川市市役所から、まずはヒスイ峡入口を目指して国道148号線を南へ松本白馬方面へ姫川に沿う様に進みます

 根知谷入口信号を過ぎて約3.5kmの姫川を大正橋で渡った信号を標識に従って右(北西)「ヒスイ峡・夏中」方面へ

 この先で小滝川沿いの道路が工事中の為、高浪の池を廻って行きます、6km以上遠回りになります

 約5.8kmで高浪の池展望台です

 高浪の池と明星山の大岸壁に眺めが見事です

 説明版です
  明星山と高浪の池・絶好の撮影ポイント
    糸魚川世界ジオパーク⑨小滝川ヒスイ峡ジオサイト・高浪の池展望台
 見どころ・・・国天然記念物のヒスイ峡学習護岸と明星山
 ヒスイ峡フィッシングパークまで車で10分
 ヒスイ峡学習護岸まで車で15分

 *高浪の池では、トネリコ・イタヤカエデ・エゾエノ木などの大木が見られます
 (2018年6月24日投稿のこのブログで確認してみてください)


 高浪の池から約4kmでヒスイ峡フィッシングパーク入口を右へ入ります

 右にヒスイ峡フィッシングパーク、左にヒスイ峡キャンプ場です、キャンプ場も満員状態です

 間を通て約400mで、明星山大岩壁展望台駐車場です

 明星山の大岩壁です

 遊歩道説明版があります、小滝川ヒスイ峡からは遊歩道を約1.2km15分で来られそうです

 売店(休業中)前のヒスイの原石です、ヒスイ峡のものの2倍以上の大きさです

 明星山大岩壁を展望台から見ました

 明星山の説明版です
   3億年前はサンゴ礁だった明星山
     糸魚川世界ジオパーク⑨小滝川ヒスイ峡ジオサイト・ヒスイ峡展望台
 *石灰岩でできた山
 ●目の前に見えるのは標高1188mの明星山の絶壁で、小滝川から絶壁の一番高いところまでは、約440mあります。(絶壁の一番高いところが頂上ではありません)
 ●明星山は、ほとんどが石灰岩からできています。この展望台近くにある観察場所では、実際に石灰岩に触れながら3億年前のサンゴ礁と石灰岩の秘密がわかります。
 *石灰岩から見つかった海の化石
 この写真は、石灰岩の中から見つかった約3億年前のサンゴ化石の断面です。
 現在では山の中にある明星山が、海にあった証拠のひとつです。
 *ロッククライミングの名所
 明星山の絶壁は、日本有数のロッククライミングの名所として有名です。晴れた日には、多くのクライマーが絶壁にとりついていますが、登っている方は、楽しそうにしています。

 大岩壁を見上げました

 天然記念物 小滝川硬玉山地の標柱です

 小滝ヒスイ峡の石碑もヒスイの原石なのでしょうか
   小滝ヒスイ峡
 ヒスイは、高い圧力と約200~300℃の条件でできる鉱物の一種で、アルビタイトという灰白色の変成岩の含まれていることが普通です。
 小滝ヒスイ峡のヒスイは、約3億5千万年前以前に海洋プレートの沈み込みによってでき、その後、蛇紋岩の上昇と共に地下深所から地表付近まで持ち上げられてものです。
 当地は、日本で最初のヒスイ発見地であり、最も良質なヒスイを多産する場所として、天然記念物に指定され、考古学的にも重要な場所です。
  平成4年3月  糸魚川市
 

 明星山の石碑です、この石は石灰岩なのかな
   明星山(1188.5m)
 目の前の岸壁を含め明星山は、ほとんど石灰岩からなる山で、約3億3千万年前~約2億4千万年前(古生代石炭紀~ペルム紀)に、赤道付近にあった大きなサンゴ礁が、プレートのう動きによってこの地に運ばれてきたものと考えられています。
 石灰岩中には、サンゴ、ウミユリ、フズリナ、腕足類、アンモナイト、コケ虫などの化石が含まれています。
 (この石灰岩にもサンゴの化石があります)
  平成4年3月  糸魚川市

 では、次は小滝川のサワグルミを見に行きましょう

 2023年5月5日午前9時50分訪問です

 

 
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新潟県糸魚川市、大谷内「不動滝キャンプ場のヒロハカツラ」です!!

2023-06-10 18:32:00 | 巨樹・大木
 ここからは、2023年5月5日取材分です

 大谷内地区は、糸魚川市役所の南南西約11kmのところ

 大谷内の山の中に今井不動滝(今井ジオサイト)があり周辺が不動滝キャンプ場になっています

 糸魚川市市役所から、まずはヒスイ峡入口を目指して国道148号線を南へ松本白馬方面へ

 姫川に沿う様に進みます、4月20日に取材したときに通ってルートです

 根知谷入口信号を過ぎて約3.5kmの姫川を大正橋で渡った信号を標識に従って右(北西)「ヒスイ峡・夏中」方面へ

 県道483号線です、約800mで「不動滝⇒」の案内板が有りますので右へ坂道を上ります

 約400m急な坂道を登って行くと、また「不動滝6km⇒」の案内板が有りますので右(北東)への林道岡倉谷線に入りま

 *林道は、ところどこら荒れているところはありますが、全線舗装道路です

 ここから道成りに約5.8kmでまたまた案内板がありますので右(東)へ

 約500mで左手に不動滝キャンプ場の広い駐車場です、案内板が有ります

  不動滝いこいの里ーーー今井ジオサイト
 「いこいの里」にある不動滝は、上流約4kmにあるヒヨドリ池から流れてくる虫川にある高さ70mの滝です。
 まわりの岩石は、海底の泥がかたまってできたもので、おやおそ2億6千万年前の古生代ペルム紀という時代にできました。
 不動滝の左の細い滝は糸滝といいます。
 「いこいの里」には、新潟県ではめずらしいフサザクラ、ヒロハカツラなどの木があり、崖にはタヌキラン、オオバギボウシ、ハルユキノシタなどの植物があります。また、不動池のまわりにはたくさんの種類のトンボがいます。
 不動滝の滝つぼの近くの岩の上に、水の神様である高竉神(たかおかみのかみ)をおまつりした”ほこら”があります。
 滝つぼに龍がいて、滝に石を投げると大雨を降らせるという言い伝えがあります。
 また、田畑の耕作によって水かけがされることから、毎年6月に不浄を清める祭が行われています。
   不動滝管理組合

 管理棟の南側(駐車場の南西端)に高竉神社の鳥居と不動滝の石碑があります、徒歩の場合は鳥居を潜って遊歩道から

 奥(北西)側から、キャンプサイト前の砂利駐車場へ車で降りて行くことが出来ました

 ゴールデンウイーク中ということでキャンプサイトは賑やかでした

 キャンプ場の中の道を不動滝へ向かうと、左手の岸壁から細い「糸滝」が落ちています

 アップで見ました、実は目的のカツラは右側に移り込んでいました

 漢文の石碑です

 読み下し文のプレートです
    読み下し文   磯野繁雄
 峰巒 窈窕として 潤を夾んで 明らかなり。(ほうらん ようちょうとして たにをはさんで あきらかなり)
 厲掲して 流れに沿いて 水を渉り行く。(れいけいして ながれにそいて みずをわたりいく)
 囘顧るに 已に覚ゆ、気象の異なるを。(かえりみるに すでにおぼえゆ、きしょうのことなるを)
 四月綿繙として 百囀の鶯あり。(しがつめんぱん ひゃくてんのうぐいすあり)
 琪花瑶草 深林の裏。(きかようそう しんりんのうち)
 一蹊 彎環して入ること 数理なり。(いっけい わんかんしてはいること すうりなり)
 仙源は 咫尺なり、知りて迷わず。(せんげんは しせきなり、しりてまよわず)
 鞺鞳として 先ず聞く、山背の水を。(とうとうとして まずきく、さんないのみずを)
 天に参わりて 矗矗たり、万樹の杉。(てんにまじわりて ちくちくたり ばんじゅのすぎ)
 下は巉巉たる 百尺の巌。(したはさんさんたる ひゃくしゃくのいわお)
 呼びて鬼窟となせども 乃ち是れ無し。(よびてきくつとなせども すなわちこれなし)
 神鑿の同門は 工凡ならず。(しんさくのどうもんは たくみぼんならず)
 忽ち看る、四合いて雲霧の塞がるを。(たちまちみる、よもにあいてうんむのふさがるを)
 大瀑 前に横たわって 雷電洶く。(たいばく らいでんどよめく)
 林呼び谷応えて 天も崩れんと欲し。(はやしよびたにこたえて てんもくずれんとほっし)
 銀龍 出て走って山振動す。(ぎんりゅう でてはしってやましんどうす)
 須臾に斜照して 水煙を破れば、(しゅゆにしゃしょうして すいえんをやぶれば)
 彩虹は陸離たり、澗上の天。(さいこうはりくりたり かんじょうのてん)
 海明 変化して、測るべからず。(かいめい へんかして、はかるべからず)
 詩を題して去らんと欲し、謫仙に愧ず。(しをだいしてさらんとほっし、たくせんにはず)

 だとか

 目的のヒロハカツラです

 北側から

 北東側から

 東側から、目通り幹囲7.8mの巨木です


 幅広の大きなハートマークの様な葉です

 南側から

 糸滝からの流れを渡って鳥居側へ

 北西側から
 
 西側から見ました

 西側斜面のトチノキの大木です

 北西側から見上げました

 西へ進むと不動滝が見えて来ました

 石祠越にケヤキの大木です

 高竉神社の石祠です

 虫川の北岸大岩の上にケヤキの大木です

 祠の南側から不動滝を見ました

 三段の滝の一段目でしょうか

 南西側からケヤキを見ました、目通り幹囲約5mの大木です

 南東側から不動滝です

  
 タチツボスミレです

 では、次へ行きましょう

 2023年5月5日午前7時45分訪問です
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富山県砺波市、広上町「けやき公園・出町の大ケヤキ」(保存樹)です!!

2023-06-10 12:35:00 | 巨樹・大木
 広上町は、砺波市役所の南西約2kmのところ

 砺波市役所から国道156号線を南へ直ぐの栄町信号を右(西)へ入ります

 すぐ先の栄町西信号を左(南)へ、県道20号線です、約700mで斜め右へ、


 約900mで道路左側に「出町けやき公園」があり

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 北側から見ました、大きなケヤキが立ています

 西側から

 説明版です
   出町の大ケヤキ(砺波市保存樹)
     二レ科落葉高木
     幹周り約6.6m
     幹直径約2.1m
     樹高 約30m
     樹齢 約500年
 今から約500年前の室町時代には、このケヤキの西側に庄川の一支流である中村川が、時には河幅100m程にもなって流れており、ケヤキは行き来する人の大切な目印になっていたという。
 また、この樹の周辺水が淀んでいつしか船の渡し場なっていたとも伝えられる。
 慶安2年(1649年)、杉木村二郎兵衛らが杉木新町を開き、後にこの大ケヤキの周辺が町の共同墓地となった。
 寛政9年(1797年)に墓地の入口に杉木新町若連中の手で六体地蔵堂が建てられており、旧町名の「地蔵町」はこれに因んだ。
 西にあった中村川は、江戸時代に入って治水工事がすすむと、締切られて廃川地は開拓され、貞享2年(1685年)に長さ4kmに及ぶ細長い鷹栖出村が誕生した。
 安政3年(1856年)4月15日、加賀藩主13代前田斉泰公の大名行列が江戸からの帰国途中に城端善徳寺にお立寄りの際、西町鷹栖屋甚兵衛でご休憩の後、この樹の下を通って福野へ向かわれてのであった。
 明治21年(1888年)出町、津沢間の道路改修にあたり大ケヤキの北に道路が新設されて、共同墓地は現在地は現在地に移転したが、大正時代までこの大ケヤキを中心にして付近に大小多数のケヤキが繁って大きな森となり、四季を通じて鳥の楽園であった。
 砺波散居村の500年の歴史を語る生き証人は、いま出町では唯一この大ケヤキあるのみである。
 なお、この公園は平成15年度まちづくり総合支援事業「出町大けやき公園」建設工事により整備された。
    平成16年3月  334ⅠⅮ地区第2R第3z・となみセントラルライオンズクラブ

 
 西南西側から


 南側から

 大きな出町上水道記念碑があります
   出町上水道記念碑
 産業を振興し民福を増進せんと欲せば、須らく先ず保険防火の施設を為さざるべからず、項日出町長永井加悦氏来り語て曰く、我町古来井水に乏しく、町民皆灌漑用水の末流を飲用せり、是を以て積潦時に横溢し泥沙或は溷濁して、連日共用を絶つに至ることなり。
 殊に悪疫流行の際には、蔓衛尤も甚しく死者相継ぎ、為に生を傷り産を害せしこと蓋し幾何なるを知らず。
 我町有志風に此を患へ、上水道敷設の議を倡へ、大正2年始て設計に着手し、同7年、時の町長神澤新右衛門氏、最も其急を認め、工費7萬圓の豫算を以て町会に諮り、一致の協賛を得たり。
 越えて9年規模を拡張して11萬1千圓に増加し、翌10年4月工を起し、11年更に5千圓を追加し、12年8月通水し、13年4月18日を以て竣工式を挙行せり。
 其間の経営苦辛固より尠からざりしも、町民皆能く恩して其成を楽に遂に、地方未曽有の享業を完成するを得たり。縣郡其費を補助し、政府又国努を賜ふ仍て石を建て之記せんと欲し、題額は我町と縁故ある大阪商舩会社長従五位勲三等堀啓次郎翁に請へり、子幸に記するあれと余惟ふに、出町の東西両砺波郡の中央に位し、四達の要路に当るを以て、藩政時代には郡奉行所あり、明治維新後亦長く郡役所を置かれ、現に区裁判所・税務署・警察署竝に技芸女学校等あり、鉄道貫通して百貨輻湊し、市街殷賑自ら南砺文化の中心地なり、今や上水道の設備完成して衛生保健の安固と、水利防火の便益とを得挙町頼て以て生を・んし、業を励は将来の進展期して竣のべきなり。此の洵に地方の慶事にして宣く其範を胎し其功を傳ふべし。
 余議学非才を以て職を砺波中学校に捧ぐ、出町に朝夕なること20年町勢の隆昌を聞観し有志と相識る深し昌に離するを得ん乃ち銘して曰く
 闔郷戮力 巨費肇工 北陸嚆矢 道通誦功 浄水混混 戸給路通 綏生黴災 恵澤無窮 官弊助成 貞珉績祟 
   昭和3年戌辰秋10月      富山県立砺波中学校教諭正七位 吉波彦作 撰
                   尋常高等小学校長正七位勲八等 岡田直䡄 書

*戦前の文章は、読めない文字が多すぎますね~


 北東側から
  

 幹を西側から見上げました

 南側からの太い幹です

 では、次へ行きましょう

 2023年5月4日午後3時50分訪問です
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