ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

埼玉県秩父市、寺尾「岩之上堂(秩父三十四観音霊場20番札所)」です!!

2023-09-15 18:33:27 | 秩父三十四観音霊場
 寺尾地区は荒川の西側です、岩之上堂は秩父市役所の北約3.5kmのところ

 秩父市役所前から国道140号線を北へ、約1.2kmの「秩父警察署前」信号を左(西)へ

 約400mの「上宮路町」信号を右(北)へ、国道299号線です

 約1.8kmで荒川を秩父橋で渡り、更に約500m道成りに進んで岩之上堂の案内板に従って左(南)へ入ります

 約300mで参道入口近くの駐車場へ入りました

 駐車場の巡礼道案内板です、前の19番や次の21番も直ぐ近くですね

 秩父札所巡礼道・文化財マップです

 参道入口です、岩之上堂は、一段下にあります

 秩父霊場 第20番 法王山 岩上堂の石柱です

 参道石段を下ります

 観音堂脇に出ました、観音堂は南南東向きに建っています

 正面から

 御堂の天井からはたくさんの吊るし飾りが下がっていました

 伝説の額です
 寺尾村の孝子・・・寺尾に住む孝行息子が川向こうの宮路の病の母を見舞う時、大雨で渡れない川を観音様が童子舟に姿をかえ、母に会う事が出来た

 説明版です
   市指定史跡 札所20番
     法王山 岩ノ上堂
 この札所は、三間四面方形造りで、他の堂における屈指の建築で、延宝初年、内田家先代、内田武左衛門尉政勝の再建によるものといわれております。
 現在の堂は、江戸中期の造営と思われますが、元禄年間に内陣の補修、宝永年間に彫刻の補修を経てきたもので、唐模様系統の建築で優秀な造りとされております。
 岩の上堂の名の如く、この地は荒川西岸の崖上にあって、本尊は聖観世音立像で、高さ71cm、寄木漆箔、藤原時代の作と言われ、市指定有形文化財になっています。
 昔、人皇72代白河院の勅によって建立された荘厳な堂であったといわれ、応仁の頃から次第にすたれ、本尊のみ岩の上に雨にさらされた時もあったといわれ、幾多の伝説もあります。
 内陣には見事な春日厨子の形式による厨子があって、三十三身と日天、月天像、風雷神像、などの像がはられ、札所の中でもすぐれたものと共に貴重なものです。
   昭和40年1月25日  秩父市教育委員会指定


 もう一枚
   市指定有形文化財 岩上堂の聖観音像
 この寺は、秩父34ヶ所観音霊場の内20番寺岩上堂といい、江戸初期に作られたものといわれ、三間四面の屋根方形造りで向拝付きの唐様の系統で、札所の内でも屈指の建物であります(延宝初年内田家先祖の内田武左衛門尉政勝再建)
 堂内に安置される本尊聖観音像は、吉田町菊水寺の聖観音に次ぐ代表的な仏像で、藤原末期の作、像の高さ約71cm、寄木漆箔、桧材一刀彫であります。
 かつて人皇72代白河院の詔によって建立された荘厳な堂でありましたが、応仁の頃から次第に廃れ、本尊のみ岩の上に雨にさらした時もあったようです。
 本尊を安置した厨子は、内面が金箔にてぬられた上に、三十三身の像と日天月天像、風神雷神等の半肉彫を貼布した、江戸上期の作として共に貴重な文化財です。
 昭和32年2月8日指定
     秩父市教育委員会
     秩父市文化財保護審議委員会

 境内端から荒川に流れが木々に間から見えました

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埼玉県秩父市、大畑町「龍石寺(秩父市三十四観音霊場19番札所)」です!!

2023-09-15 07:03:51 | 秩父三十四観音霊場
 大畑町は、秩父市役所の北約3kmのところ

 秩父市役所前から国道140号線を北へ、約1.2kmの「秩父警察署前」信号を左(西)へ

 約400mの「上宮路町」信号を右(北)へ、国道299号線です

 約1kmで緩い左カーブのところで「視目坂下」信号を右(北東)へ入ります
 
 約700mで左に龍石寺の案内板に従って左(西)へ入り突き当りを右(北)へ

 龍石寺の駐車場へ入りました

 秩父札所巡礼道・文化財マップです 

 江戸巡礼古道の説明図です

 六地蔵様です

 大きな岩の上に観音堂は建っています

 南向きに観音堂です

 軒下の鰐口と額です

 説明版です
   指定史跡
     秩父札所第十九番飛淵山龍石寺
 この札所は、大きい一面の岩盤上に建てられています。
 観音堂は七間半四面表流れの向拝をふした方形造りでありましたが、近年の堂の荒廃を憂い広く浄財を募り、昭和47年解体復元が目されております。
 その折宝永2年の墨書が発見され歴史の深さを物語っておりまう。
 堂内には、閻魔をはじめ十五像など冥途の恐怖を強調するものや、三途の川の脱衣婆をまつる三途婆堂もあって仏教の暗い一面をみせる札所でもあります。 
 本尊は千手観世音坐像で高さ49cm、寄木造りで室町時代の作と云われております。
 昔、この地方に大旱魃があって弘法大師は、天皇の勅により雨を祈られたところ、この大盤石二つに割れて、神泉苑より竜が昇天し雲を呼び雨を降らせ人畜草木みなよみがえり大豊作を得たと云う縁起があります。
   昭和40年1月25日  秩父市教育委員会指定


 もう一枚です
   市指定史跡 札所19番
     飛淵山 龍石寺
 この札所は、大きい一面の岩盤上に建てられています。
 七間半、四面表流れの向拝をふした方形造りの大きい観音堂です。
 近年寺の荒廃を憂い広く浄財を募り、昭和47年解体復元が成り、その折宝永2年の墨書が発見されました。
 薄暗い堂内には閻魔を始め、十王像など冥途の恐怖を強調するもの、三途の川の脱衣婆をまつる三途婆堂もあって仏教の暗い一面をみせる札所でもあります。
 本尊は、千手観世音坐像で、像高49cm、寄木造りで室町時代の作です。
 昔、この地方に大旱魃があり、弘法大師は天皇の勅により雨を祈られたところ、この大盤石二つに割れて、神泉苑より竜が昇天し、雲を呼びたちまちに雨降りおこり、人畜草木みなよみがえり大豊作を得たという縁起があります。
   昭和40年1月25日   秩父市教育委員会指定



 東向きのお堂は「三途婆堂」です

 伝説を題材にした額です

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埼玉県秩父市、山田「 常泉寺(秩父三十四観音霊場3番札所)」です!!

2023-09-14 18:50:00 | 秩父三十四観音霊場
 山田地区の3番札所常泉寺は、秩父市役所の北北東約3.5kmのところ

 秩父市役所前から国道140号線を北へ、約500mの上野町信号を右(南東)へ、国道299号線です

 約600mで坂氷信号を左(北東)へ、県道11号線です

 約1kmの三叉路を左(北東)へ、道成りに約1.8kmで左(西)へ入ると間も無く駐車場に入りました

 駐車場前から常泉寺境内です

 秩父札所巡礼道・文化財マップです

 秩父札所順路概念図です


 曹洞宗常泉禅寺境内入口の仁王像です

 東向きに本堂です

 観音堂は南側にあります

 池の奥の大岩の前に六地蔵様です

 説明版です
  市指定史跡札所三番
    岩本山 常泉寺
 この札所は、三間四面、表に一間の大唐破風の向拝をふし、建築彫刻として繊細を極めています。
 特に竜の彫刻をほどこした向拝の海老虹梁のかごぼりの細工は見事です。
 彫士は熊谷近くの玉井の住人飯田和泉と云われるもので、明治3年、秩父神社の薬師堂を移築したもので、江戸後期の建築物であります。
 本尊は、聖観世音立像一木造り、像高97.3cm、室町時代の作です。
 札所の周囲には長命水の井戸、眼病を祈る不睡の石、子持石などの伝説を持っております。
 その昔、この堂より北の矢行地に本尊が安置され、今の礼堂の地に行基菩薩彫刻の十王像が安置されていたと云う。
 巡礼客10人あまりこの十王堂に宿り誦経し、その声は里人の心を打ち、非常に喜ばれたと云う、折しも近くにある矢追の地より数千の征矢を射る如く光明が輝き、この地を照らし、里人は驚いて十王堂に集まり例の巡礼者をみると、いずこへか消えて矢行地にあるべき霊像が厳然と座している姿に驚き、里人は矢行地の堂を矢追に移し、永く当所に安置したと云う縁起があります。
 この縁起は、当地の名主堀内家が常光寺を建て、札所を移したことを物語っております。
    昭和40年1月25日   秩父市教育委員会指定



 観音堂です

 説明版です 
  岩本山 常泉寺 今昔
 常泉寺の開創は、文暦元年(1234年)3月18日覚了和尚の開山と寺伝に残る。
 当初の所在は、高篠山の中腹の岩窟の中に観音像が安置され、天台系修験者により開創されたものと推定される。
 2番真福寺の納経所である光明寺の援助を得て、現在の地に観音様を遷座した。その当時は真言系であった。
 「光明寺2世峰山壽鷟大和尚の開山。堀内三右衛門(源翁宗心居士)開基。」と記された堀内家の日記が確かな記録である。
 往時は、礼堂、観音堂、弥陀堂、庫裏、本堂と寺勢を誇っていたが、弘化4年(1847年)の大火で類焼の遭い烏有に帰したが、12世曹源碩水の浄財喜捨により、安政5年(1858年)本堂を再建された。
 その後、時代に翻弄され無住の期間もあったが、幾多の苦難を辿り、先代の兼務住職、大法伸爾大和尚(光明寺)が過去帳や不備書類等を整備したうえ、弟子の和皎(現住職)を31世として嗣子した。
 権現堂屋根再修理、鰐口再新添、佛像3体修復、厨子新添、敷石整備、香炉新添、境内整備、観音縁日、紫陽花植樹、境内清掃整備等に、現31世住職拙僧財を喜捨し、加えて地域住民の支援協力のもと現在の趣を保っている。
    当山31世住職 和皎 九拝



 軒下の彫刻が見事です

 伝説を題材にした額です
 本尊聖観世音像は、行基の彫刻と伝えられ、長命水、子持石、不睡石の伝説が残っている。

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埼玉県秩父市、山田「真福寺(秩父市三十四観音霊場2番札所)」です!!

2023-09-14 06:31:00 | 秩父三十四観音霊場
 山田地区の2番札所真福寺は、秩父市役所の北東約6kmのところ

 秩父市役所前から国道140号線を北へ、約500mの上野町信号を右(南東)へ、国道299号線です

 約600mで坂氷信号を左(北東)へ、県道11号線です、道成りに約4.5kmで信号の手前を右(南東)へ入ります

 案内板が有ります、真福寺まで1.8kmの表示です、緩く坂道を登って行きます

 道路が封鎖されているところを右へ下ると

 駐車場入り口でうす

 秩父札所巡礼道・文化財マップです

 駐車場の東側に庫裡の建物が見えます

 石段を上がります

 左側(北側)に観音様です

 観音堂はもう一段上です、大岩の上にも石仏が並びます

 大岩の下を西へ入ります

 折り返して大岩の上へ

 南向きに観音堂です

 説明版です
  市指定史跡 札所2番
    大棚山 真福寺
 この札所は昔、観音堂南向五間半四面、ほか本堂、礼堂、仁王門、羅漢堂、稲荷社、諏訪社等があったといわれ、これらの建物は火災にあって焼失し、須弥壇や彫刻の一部は取り出されて現在の堂に転用されておりますが、これらによっても昔時の盛が偲ばれます。
 又、本尊は聖観世音立像一木造り、高さ64cmで室町時代の作といわれております。
 その昔、知行兼備の大棚禅師がこの地の岩窟に安置する観音像に暫々お参りする老婆あり、禅師あやしみてこの老婆に問えば、吾はこの里の農家の妻である。
 嫉妬心つよく強欲鬼畜の身を観音におすがりしてのがれたいと詣でている。観音は吾をあわれみ本尊を祈り広く信仰を得ながら、吾と同じ苦中の者も救われるであろうと伝えれば、禅師はもっともなりと大棚の地に本尊を安置しようという。
 老婆は喜び、たづさえる竹杖を禅師に呈して「これは人間のものにあらず、これをもって今日の布施とす」と言い放つや松風吹き、雲のごとく老婆はなし。禅師は後、この霊験を本尊に祈り、一宇の堂をたて永く観音の霊跡をしたと言う縁起があります。
   昭和40年1月25日   秩父市教育委員会指定



 軒下の額と鰐口です

 獅子の彫刻です

 伝説の額です
 大棚禅師、禅師が岩屋にこもって読誦していると老婆が現われ過去にざんげして去った、あわれんだ禅師はその供養の為に一宇を建立した。

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埼玉県秩父市、栃谷「四萬部寺(秩父市三十四観音霊場1番札所)」です!!

2023-09-13 18:30:00 | 秩父三十四観音霊場
 栃谷地区の四萬部寺は、秩父市役所の北北東約6kmのところ

 秩父市役所前から国道140号線を北へ、約500mの「上野町」信号を右(南東)へ、国道299号線です

 約600mで「坂氷」信号を左(北東)へ、県道11号線です

 道成りに約4.5kmで「栃谷」信号を左(北)へ入ります、県道82号線です

 約300mで県道に沿って北側に駐車場があります

 秩父札所巡礼道・文化財マップです

 駐車場前には「旅籠一番」です、巡礼の方々が泊まったのでようか

 南東向きに県道道路の角に参道入口があります

 山門前右側に秩父一番四萬部寺の標柱です

 左側に県指定史跡札所一番観音堂の標柱です
 側面には・・・堂は、元禄10年秩父地方きっての名匠藤田徳左衛門により再建され、宝暦6年江戸浅草講中の寄進により江戸の工匠が補修し面目を一新した、建築様式は唐様のこの地の寺社建築の模範となった建物で、その特徴ははおもに内部に見られる。

 概念図です

 説明版です
   指定史跡 札所一番
     誦経山 四萬部寺
 この札所は妙音寺とも称し、秩父三十四ヶ所札所もここから始まりますが、札所32番法性寺所蔵の長享2年秩父札所番付では24番になっており、現在の番付とは大きく異なっております。
 市内に散在する札所も同様にその番付の違いがみられます。これは江戸を中心とする参拝者の便を講じたものといわれています。
 この堂は3間4面、表1間の向拝をふした入母屋造りで秩父札所中、特に整っており、昭和33年3月県指定文化財になっています。
 造営については、元禄10年、宝暦6年、文政13年寺造営から補修の経緯が明瞭であり、秩父地方きっての名匠藤田徳左衛門吉久によってなったものです。
 天井には狩野常信の弟子抱素斎休世常耀益之がかいた龍画があり、この他県内に、類例をみない施餓鬼堂もあります。
 本尊は、聖観世音菩薩立像一木造り江戸時代の作です。
 寛弘4年3月の昔播州書写山の性空上人は弟子の幻通に武蔵の秩父では観音菩薩に縁深い地であり、彼の地にゆきて教化せよと命じ、幻通は師の命を奉じて、この地に到り妙典を読誦し里人を教化し、性空上人がこの地のために四万部読誦した供養を行い塚をきづき秩父第1番の霊場にしたという縁起があります。
    昭和40年1月25日 秩父し教育委員会指定

 手水舎です

 お里帰りのお釈迦様です・・・この釈迦如来様は、四萬部寺の経塚の御本尊としてまつられていたが、明治時代に突如行方不明になってしまいました。
 江戸中期に奉納された金銅仏はこの釈迦如来様を含め9体が露座されていたが、他の8体は昭和16年に戦争のため国家に強制供出され経塚の金銅仏は全てなくなってしまった。
 行方不明から70年後、刻まれた銘文かにより四萬部寺の釈迦如来と判明した仏像が東京銀座の美術店で発見された。
 十方の施主による浄財の喜捨を戴き買い戻し、この経塚に復元し安置した。
 不幸な時代の波に翻弄され、激動の70年の歳月を生き抜き、里帰りできたのは、奇しくも盗難に遭った事が〈塞翁が馬〉であった。
 この釈迦如来の偉大さとありがたさに感謝し再びお迎えするにあたり「お里かえりのお釈迦様」と名付け五体投地で礼拝しています。 合掌 
   四萬部寺 住職 

 宝篋印塔です

 観音堂です

 南西側から、唐様の造りを見ました

 説明版です、 市指定史跡 秩父札所第一番 誦経山四萬部寺(すきょうざんしまぶじ)前の説明版とほぼ同じですね



 南側に鐘楼です

 北側の元禄八重紅梅です、元禄10年に植えたものが老古木となって朽ち果てた根より再び芽を吹いて大きく育ったものです。


 施食殿です、例年8月24日に行われる施餓鬼会は関東一と云われます


 幻通伝説の額です、説明版に有った性空上人によって四万部読誦し供養を行い塚を築いた古事によります

 では、次へ行きましょう
 


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埼玉県秩父市、黒谷柳田「聖神社の御神木(杉)」です!!

2023-09-13 06:37:00 | 巨樹・大木
 黒谷柳田地区は、秩父市役所の北約7kmのところ

 秩父市役所から国道140号線を北へ、約7.3kmで右(東)へ入ると

 間も無く左手に聖神社参道が南西向きに開いています

 参道脇の駐車スペースに車を止めさせて頂きました

 和銅遺跡・美の山観光案内図です

 説明版です
   和銅露天掘り跡と聖神社
 和銅(自然銅)がここ黒谷で発見され、奈良の都へ献上されたのは慶雲5年(708)1月11日のことでした。
 このことを非常に喜ばれた元明天皇は年号をすぐに和銅と改め、国を挙げてお祝いをし、「和銅開珎」を発行しました。
 「和銅露天掘り跡」はこの先600mほど、徒歩約15分で到着します。(こ2013年10月4日に紹介していますのでパス!)
 祝典のために「祝山」に建てられたお宮を今の地に移し、聖神社と称して創建されたのが同じ年の2月13日でした。
 和銅石13個をご神宝として祀り、また蜈蚣が「百足」と書かれることにちなんで、文武百官(たくさんの役人)を遣わす代わりに朝廷から戴いた雌雄一対の蜈蚣をご神宝として併せ祀りました。
 以来、里人は、黒谷の鎮守様として1300年の長い歳月「この上なく耳聡く口すべらかな」(何を言ってもそのことを良く理解してくれ、人の心に染み入る言葉をかけてくれる)神として崇拝してきました。
 その間、今までに5回、社殿建替えが記録に残っています。現在の社殿は、昭和40年1月25日秩父市有形文化財に指定されたものです。
 境内には宝物庫・和銅鉱物館があり、自然銅・和同開珎・和銅製蜈蚣・数百種の和銅関連鉱物、当地出土の蕨手刀などが見学できます。
   秩父市・秩父市和銅保勝会



 もう一枚
   「銭神様」のご利益
 元明天皇の慶雲5年(708年)、我が国初のニギアカガネ(自然銅)が秩父の地で見つかり、朝廷に献上されました。
 それがきっかけとなり、我が国最初の流通貨幣〔和銅開珎〕が鋳造されました。
 朝廷は、勅使を遣わし祝山の神籬(神霊の宿るところ)を建てて金山彦尊を祀り祝典を挙げました。
 聖神社の創建は和銅元年2月13日で、和銅の産地といわれる露天堀りの遺跡が近くにあります。
 今でもニギアカガネが御神体として奉られ、和銅開珎ゆかりの神社であることから「銭神様」とも呼ばれ、「お金儲けの縁起の神様」として、注目されています。
 *神宝はむかで
 聖神社創建当時、採掘された和銅石13個と元明天皇下賜の銅製の蜈蚣(百足)雌雄一対が御神宝として納められ、今の「銭神社」の所以になっております。
 また、蜈蚣には足がやくさんあるので、お金に困らないとも云われています。
 *黒谷の獅子舞
 伝説によると、黒谷の獅子舞は左甚五郎が黒谷の地に立ち寄り、竜頭を刻み聖大明神(聖神社)に奉納したことに始まると言われています。
 元禄の末年各地に獅子舞が流行した時、この竜頭を模して獅子頭を刻み、大畑の伊左衛門という人が三河国岡崎から師匠を招き15種の舞を伝授されたと言います。そこから岡崎下妻流と名付けられているのです。

 参道石段を上がります

 手水舎です

 石段の上に目的の「御神木」が見えて来ました

 境内に上がって東側から見上げました

 拝殿です

 本殿です

 聖神社と周辺の文化財説明版です

 もう一枚は、和銅と和同開珎

 更に、聖神社と黒谷の獅子舞の説明版です

 社殿西側の和銅出雲神社です

 では、次へ行きましょう
   
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埼玉県小鹿野町、般若「法性寺 (秩父三十四観音霊場32番札所)」です!!

2023-09-12 18:55:00 | 秩父三十四観音霊場
 般若地区は、小鹿野町役場の南約3kmのところですが、山間なのでぐるっと東へ回って行きましょう

 小鹿野町役場前から県道209号線を東南東へ進みます、約1.1kmで右(南)へ

 赤平川を渡って道成りに2.5kmで信号を右(西南西)へ

 道成りに般若川沿いを約1.8kmで「秩父三十四観音霊場32番札所法性寺」の駐車場に入りました

 観光案内図です、右下の赤い四角の現在地です、この先は1kmほどで行き止まりです

 参道入口ですが、山門(仁王門)は再建途中です

 寄付の案内が有りました

 写真で仁王様を紹介しています

 「三十四番目」の大きな石碑です

 駐車場脇の説明版です
   町指定史跡
    札所三十二番般若山法性寺
 当寺は縁起によれば、奈良時代に行基菩薩の開基と伝えられるが、文献によって明らかに知られるのは、鎌倉時代の初期、貞永元年(1232年)頃である。
 御本尊観世音菩薩は像高137cmの立像で、室町時代中期の創作である。また、前立は通称「お船観音」と言われ、頭の上に笠をかぶり、船をこいでおられ、珍し像である。
 伝説によれば、昔豊島権守の娘が、犀が悪魚に襲われ水難にあったが、この寺の  身がその母の姿となって現われて、救ったと記されている。
 県環境保全地域の、当寺の奥の院は、俗に「般若 お船」と称し、長さ200m、高さ80mに及ぶ船形をした巨大な岩から上り、岩上からの眺望は絶景である。
 また苔むした境内の小径は静寂で古色を帯び、秩父の苔寺にふさわしい。
 この寺には埼玉県指定文化財長享2年(1488年)の「秩父札所古番付」が所蔵されている。
   昭和59年9月20日    小鹿野町教育委員会

 六地蔵様です

 参道石段を進みます

 本堂前です、4名の女性たちが御朱印が出来上がるのを待っていました

 本堂入口です、軒先には般若の面が掛けられています、法性寺の山号「般若山」に因んでいるのかな

 更に奥へ進みます

 説明版に有った県指定文化財の「秩父札所古番付」の説明です


 石碑です

 供養塔でしょうか

 百観音の石碑と岩壁の上には洞窟があるようです

 観音堂はもう少し上ですね

 毘沙門堂です

 更に石段を上ります

 大きな岩が重なっています

 ここを潜ると奥の院への山道になります(今回はここまで)

 右手に観音堂です

 見上げました

 では、戻って次へ行きましょう
 
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埼玉県秩父市、下吉田「菊水寺 (長福寺・秩父三十四観音霊場33番札所)」です!!

2023-09-12 06:55:00 | 秩父三十四観音霊場
 下吉田地区は、秩父市役所の北西約10kmのところ

 秩父市役所吉田総合支所の南東約2kmのところに秩父三十四観音霊場33番札所の菊水寺が有ります

 秩父市役所吉田総合支所前の吉田中学校入口信号から東へ向かいます、約1.1kmの上町信号からは県道283号線になります

 道成りに吉田川に沿って南へ約800mで丁字路を左(東)へ、間も無く取方信号を右(南)へ

 道成りに1.1km進むと左側に駐車場、右側に菊水寺が東向き参道であります

 駐車場の観光案内図です、現在地は右下近くですね

 菊水寺入口です

 大櫻山 長福寺、側面には札所33番延命山菊水寺と有ります、本来(宗教法人登録)は長福寺だそうです

 *ウィキペディアの記述では・・・
 奈良時代、行基によって開山された。かつて近くの八人峠には8人の盗賊が住み着き、追い剥ぎをしていた。そこに、とある僧侶(行基)が通りかかった。盗賊たちは身ぐるみ剥がそうとしたが、僧侶の法力で金縛りにかけられ、そして七転八倒の苦しみを味わった。
 盗賊たちは、遂にこの僧侶に詫びを入れる羽目となった。僧侶は、「このまま悪行を続けるならば確実に地獄に落ちる。地獄の苦しみは今回の苦しみどころではない。」と彼らの非を説き、近くの「菊水」という霊泉の場所を教え、自ら彫った観音菩薩像を与えて立ち去った。以降、彼らは改心し、観音像を草庵に納め、真っ当な生涯を送ったという。これが「菊水寺」の起源である。
 永禄12年(1569)、武田氏と後北条氏の戦いにより全焼した。そのため、別当だった近くの「長福庵」という草庵に観音像を移した。文禄元年(1592)、長山賢道によって「長福庵」から「長福寺」という寺に整備拡充された。
 当寺には「子返しの図」という絵図がある。「子返し」とは間引きのことで、新生児を絞め殺す母親の姿を描き、その残虐性を広く知らしめることで、胎児や新生児を保護しようとした。奉納者は間引きの廃絶を説いた井上如常である。

 札所33番 本尊正観世音の石碑です

 埼玉県指定文化財の石碑です

 桜のトンネルの参道を進みます

 六地蔵様です

 文化財説明版です
   菊水寺文化財案内
 県指定有形文化財 菊水寺聖観音像 1躯
   昭和29年3月4日指定
 この聖観音像は、ヒノキ材の一木造で目は調眼、像高88cmの立像である。
 全体的に安定感があり、頭部には菩薩の特徴である宝冠をいただき、顔立ちも端正で威厳がある。
 製作年代は平安時代末で、県指定文化財彫刻部門の第一号指定である。
 市指定史跡 長福寺芭蕉句碑
   昭和39年9月29日指定
 市指定史跡 秩父観音霊場札所33番
   昭和45年9月24日指定
 市指定有形文化財 菊水寺子返しの図、孝行和讃の図(版木・大絵馬)
   昭和55年7月7日指定
     昭和58年3月    埼玉県教育委員会
                秩父市教育委員会
                菊水寺

 
 市指定史跡の芭蕉句碑です

 本堂です、お参りして行きましょう

 次へ行きましょう
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埼玉県小鹿野町、下小鹿野「秩父ジオパーク・ようばけ」(国指定)です!!

2023-09-11 18:51:00 | 天然記念物
 下小鹿野地区は、小鹿野町役場の東側の広い地区です、地区の北東端に大徳院が有ります、役場の東北東約3.5kmのところ

 小鹿野町役場前から県道209号線を東南東へ、約1.2kmで国道299号線に出て更に東へ

 約1.3kmで斜め左(北東)へ、県道283号線です、約400mで斜め右(東北東)へ

 約500mで左(東)へ入り

 おがの化石館の駐車場に入りました

 秩父ジオパークの案内板です、現在地は図面の新生代の地層(中央やや右③)のところです

 「ようばけ」は落石が多いので注意ですね

 おがの化石館から「ようばけ」の白い岸壁を見ながら進みましょう

 案内柱が有りますので行きましょう

 鍵の手に曲がって進むと鉄工所の脇から河原への降り口が見えて来ます

 坂道を下ります、前から20人位の人々が登って来ました、先頭はおがの化石館の方の様でした


 「ようばけ」です

 説明版です
 秩父ジオサイト ようばけ
   国指定天然記念物 平成28年(2016)3月
   名称「古秩父湾堆積層及び海棲哺乳類化石群」
 ”太陽のあたる崖”が「ようばけ」の由来と言われています。秩父地方では古くより崖のことを「ハケ」とか「ハケット」と呼んでいました。
 田畑に夕暮れがせまっても、ようばけは夕陽に輝いています。刻々と移り変わるようばけの姿を見ながら、人々はその日最後の農作業に精を出しました。

 この崖は、秩父盆地に厚く堆積している新生代新第三紀の地層が、赤平川によって浸食されてできたものです。
 地層は、約1500万年前の中新世のころ、浅い(推進50m以下)海で堆積しました(海成層)。崖の下部は「奈倉層」の砂岩、上半分は「鷺の巣層」の砂岩と泥岩です。地層の境界がはっきりしているのは、砂岩や泥岩が交互に堆積したためです。
 「奈倉層」は、クジラ・サメ・パレオパラドキシア・ウミガメ等の脊椎動物や、貝・カニ・ウニなどの海の小さな動物の化石をたくさん含んでいます。
 「奈倉層」と「鷺の巣層」は、秩父盆地の南西部から中央部、そして東北部まで広く分布しています。
   昭和37年(1962)9月 小鹿野町天然記念物に指定
   昭和52年(1977)3月 埼玉県自然環境保全地域に指定
   平成21年(2009)5月 「日本の地質百選」に選ばれる
     ジオパーク秩父



 北側から南にようばけ全貌です

 上側の「鷺の巣層」の砂岩泥岩互層です

 下側の「奈倉層」の砂岩層です

 各地層の境目が良く解かりますね


 南側(赤平川の上流側)から見ました

 では、戻って次へ行きましょう
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埼玉県小鹿野町、下小鹿野「大徳院の一本杉」(町指定)です!!

2023-09-11 06:31:00 | 巨樹・大木
 下小鹿野地区は、小鹿野町役場の東側の広い地区です、地区の北東端に大徳院が有ります、役場の東北東約3.5kmのところ

 小鹿野町役場前から県道209号線を東南東へ、約1.2kmで国道299号線に出て更に東へ

 約1.3kmで斜め左(北東)へ、県道283号線です、約1kmで県道が左にカーブするところを真っ直ぐに入ると

 正面に目的の一本杉が見えて来ます

 前の広場に車を止めさせて頂きました

 左に東南東向きで大徳院山門です

 曹洞宗 奈倉山 大徳院です


 山門を入ると参道両側に三体づつの六地蔵様です

 本堂です

 説明版です
   小鹿野町文化財案内
 町指定有形文化財(彫刻)
 「森伊兵衛夫妻の像2躯」昭和51年9月24日指定
 (略)
 町指定有形文化財(彫刻)
 「庚申塔1基」昭和51年9月24日指定
 (略)
 町指定有形文化財(彫刻)
 「木造阿弥陀如来坐像1躯」昭和37年9月20日指定
 (略)
 町指定無形民俗文化財
 「奈倉神楽」昭和51年9月24日指定
 (略)
 町指定天然記念物
 「大徳院の一本杉」昭和61年2月26日指定
 目通り周囲4.5m、樹高約20mを測り、樹齢は約300年と推定される。
 大徳院に伝わる延享3年(1776)の古絵図にも同じ場所に杉の存在が記されている。
 前を通る馬坂と呼ぶ川へ降りる道は、奈倉から下吉田、伊古田へ通じる街道で、その要衝にある杉の木は通行の目印として親しまれてきた。
    平成6年3月    小鹿野町

 山門下(西側)から見ました

 天然記念物標柱です

 北西側から

 南西側から、根元には祠が有ります

 南東側から見ました

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埼玉県熊谷市、塩「塩の大エノキ(一本榎と地蔵)」です!!

2023-09-10 18:30:00 | 巨樹・大木
 塩地区は、熊谷市役所の南西約9km、熊谷市役所江南行政センターの南西約2.5kmところ

 江南行政センター入口信号から県道11号線を西へ、道成りに約2.9kmで信号を左(南南東)へ

 約600mで左(東)へ農道へ入ります、滑川を渡って右へ、また直ぐに左へ進むと


 道路左手に大きな木が見えて来ます
 
 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 西側から

 根元にはお地蔵様がいらっしゃいます

 南側から見ましたが入り切りませんね~

 樹幹が東西に長く広がっています

 太い幹を見上げました、合体木なのかもしれません

 *樹高約7m、目通り幹周4.3m、推定樹齢300年とされています。(環境省の巨樹・巨木データベースより)
 *熊谷市域には荒川を挟んで南に位置する、江南と呼ばれる地域があります。 低いなだらかな丘陵が幾筋も広がるところ。 大エノキのある塩という地名は、この谷津が入り組む地形に由来するそうです。 筋目の際立つ形を指す皺「シワ」は「シオ」と呼ばれることもあったといいます。 このため塩という地名になったと考えられるそうです。
 塩の大エノキは、農地が続く一筋の谷津の入口付近にあります。 丘と田畑を背景にして大エノキと根元にいらっしゃるお地蔵様が、良い雰囲気をより高めています。 このお地蔵様は疣 (いぼ) 地蔵と呼ばれ、体にできた疣を治してくれると信仰されてきたそうです。(熊谷市ホームページより)

 南東側から

 東側から見ました

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埼玉県川越市、砂「砂氷川神社のシラカシとイヌツゲ」(市指定)です!!

2023-09-10 06:36:00 | 巨樹・大木
 砂地区は、川越市役所の南南東約4kmのところ

 川越市役所前から、県道51号線を南へ、約600mの松江町信号からは県道39号線になります

 約2kmで国道16号線の「新宿町北」信号を過ぎると国道254号線に変わります

 約1.8kmで左(北東)へ、約400mで東武鉄道東上線の踏切を越え、約40mの交差点を左(北)へ入ります

 間も無く正面に大きな木が見えて来ます

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 東向きに砂氷川神社参道入口です

 参道入口の南側に目的のシラカシです

 北東側から見ました

 説明版です
   市指定・天然記念物
     砂氷川神社のシラカシ
 神社創建年の延享元年(1744)頃に植えられたと見られ、樹齢は270年程度と推定される。
 樹高は約19m、幹回りは約4m、枝張りは直径が約14~19m、枝張りは均一ではなく東側に多く張り出している。
 全面に大小のコブがある根元部分は神社の石垣を抱き込み一体化している。
 シラカシは日本列島の暖温帯に成立する照葉樹林の代表種で、縄文時代には照葉樹林文化を育み、近世から近代にかけては防風林や生垣、道具の柄などに利用され、人々の生活と密着してきた。
 威容を放つ当シラカシは「川越市の木」のシンボルとして位置付けられる。
     平成25年3月25日指定
         川越市教育委員会



 指定村社氷川神社の社號標です


 参道石段を上がって鳥居下から
 
 南西側から見ました

 参道を進みましょう

 手水舎です

 手水舎の北側に神楽殿です

 拝殿です


 本殿です

 拝殿北側には境内社の八坂神社と第六天魔王です

 本殿南側にもう一つの目的のイヌツゲの大木です

 説明版です
   市指定・天然記念物
     砂氷川神社のイヌツゲ
 樹高は5mあり、根元から3本株立している、幹周りはそれぞれ1m前後である。
 イヌツゲは年輪成長が極めて遅く、幹周りが1m以上に達するまでには神社創建時の延享元年(1744)頃に植栽されたと見ることができ、樹齢は270年前程度と推定される。
 枝張りは外周が約25m、直径が約8mあり、よく手入れがなされており樹勢は良好である。
 イヌツゲは常緑の低木で、県内では通常樹高2~3mであるが、当イヌツゲは際立つ大きさを誇り、江戸期からの文化的伝承物としての価値が認められている。
     平成25年3月25日指定
         川越市教育委員会

 北東側から

 イヌツゲの幹を見る事が出来ました

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群馬県みどり市、笠懸町鹿「はーとふるチハヤのかやの木」(市指定)です!!

2023-09-09 18:33:00 | 巨樹・大木
 笠懸町鹿地区は、みどり市役所笠懸庁舎を含む南西側の広い地区です

 みどり市役所笠懸庁舎の西南西約1kmの所に「障害者支援施設はーとふるチハヤ」が有ります

 国道50号線を「鹿信号」から前橋市方面(西から南西)へ、約900mで横浜家系ラーメン福屋の南側を右(西)へ入ります

 約400mで道路右手に「市指定天然記念物 かやの木」の案内板です

 右側の駐車場奥に目的のかやの木が見えました

 障害者支援施設はーとふるチハヤ入口から

 アップにしてみました


 駐車場に入れないので入口から撮影させて頂きました

 天然記念物標柱と説明版ですが遠くてはっきり読めませんでした

*長円寺は元禄16年(1703)8月15日の創建と伝え、当時すでにこのカヤは巨木であったといいます。
*社会福祉法人チハヤ会ホームページから
 所在地 群馬県みどり市笠懸町鹿3609
 昭和26年(1951)曹洞宗長円寺の住職・石戸千隼(いしど・ちはや)が、家庭に恵まれない10人の子どもたちを引き取って養育(チハヤ養護園の創設)を始めました。
 昭和41年(1966)社会福祉法人としてチハヤ養護園設立されました。 
 平成15年(2003)「社会福祉法人チハヤ会」「知的障害者更生施設はーとふるチハヤ」に名称変更しました。
 平成28年(2016)障害者支援施設はーとふるチハヤ改築(竣工)によって、施設の中庭にあった「かやの木」を南側道路から見えるようになりました。
 *樹高約20.5m、目通り幹囲5.65m、推定樹齢500年以上
 *環境庁「日本の巨樹・巨木林」では、目通り幹囲6.9mとなっていますが、幹のヒコバエの上を測っているようです。

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群馬県片品村、花咲「花咲石」(村指定天然記念物)です!!

2023-09-09 06:29:45 | 文化財・寺社
 花咲地区は、片品村の西側の広い地区です、片品村役場の南西約3kmのところに「花咲石」があります

 片品村役場前から国道120号線を南へ、約5.7kmで平岩信号を右後方へ入ります、県道64号線です

 道成りに片品川を渡って坂道を上って、花咲の湯を過ぎた約5kmで右は入ります、道成りに下って約900mで

 道路右手のカヤノキの脇に「花咲石」です

 鳥居の後ろに大きな石です

 天然記念物標柱です

 説明版です
   花咲石
  所在地 片品村大字花咲1289
 昔、日本武尊命が東国の征服に来ての帰り、この辺りで保鷹山(武尊山・ほたかやま・日本百名山)の賊(悪勢・おせ・尾瀬のことか?ともいう)と戦になりました。
 険しい岩山にこもる賊に手をやいた命は、敵の取りでを囲んで火を放ちました。賊の長は、これで自分の命は終わりだが、妻子たちの命は助けたいと思い抜け穴から逃がしました、ところが出口にも火が廻り助けることが出来ませんでした。
 するとどうでしょう、火傷を負った長の奥方の体は、みるみるうちに大きな石となり一夜明けて村人たちが見ると、石の表には一面にうす紅色の牡丹の花びらの模様が、まるで今しがた咲いたかのように浮き立っているではありませんか。
 ところがどうした訳か、この年から村に疫病がはやり多くの人々が、病に苦しみ亡くなって行きました。
 村人達は滅ぼされた賊たちの怒りのせいと思い、鳥居を建てて丹花石明神として祭った所、村に平和な暮らしが戻ったという事です。
 それでこの石を「花咲石」といい、この村を花咲村(現片品村大字花咲)というようになったとの事です。
    平成12年6月    片品村教育委員会

 北側から見ました
 *残念ながら牡丹の花びらの模様は分かりませんでした

 花咲石の北側に御詠歌石碑です
. 
 説明版です
   沼田横道三十三番観音霊場
  第三十番花咲観音堂(花咲)
   本尊 十一面観世音
 御詠歌 むらさきの 雲たつ山を越えゆけば 法にあう地の石に花咲く
 この霊場巡りの創始はつまびらかではないが一番札所(新治村布施千手院)の縁起に「元和元年(1615年)修験僧良宗法印札打を始めた。」という記録がみられる。
 観音菩薩は、慈悲を本願とし、いろいろな姿に応化してすべての苦難を救うと言われている。
 人びとは観音巡礼によって罪悪消滅、後生安楽をひたすら願い札所めぐりをしていたのであろう。
 先人の遺してくれた旧跡を後世につたえるため御詠歌の碑を建立したものである。
     平成9年11月  片品村教育委員会

 *観音堂は無くなってしまっているようでした

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群馬県片品村、東小川「白根魚苑のタチヤナギと金精神社」です!!

2023-09-08 18:50:49 | 巨樹・大木
 東小川地区は、片品村役場の東側の広い地区です

 片品村役場の東北東約8kmの所に釣り堀「白根魚苑」が有りBBQや川遊びもできます

 片品村役場前から国道120号線を日光方面へ、約約7.7kmで斜め右へ入ると

 右側に釣り堀の池が並びます

 奥の駐車場ロータリーの真ん中に目的のタチヤナギです

 西側から、目通り幹囲3.2m(実測)の大木です

 傍らの石碑は歌碑のようですが、読めませんでした

 ピントが奥になってしまいました

 南側から

 東側から見ました


 金精神社へ行ってみましょう


 西向き(白根魚苑側)に鳥居です
.
 北側になぜか信楽焼のタヌキです

 ニノ鳥居を潜って赤い橋は車道を越えています

 大きな石灯篭です

 金精神社です

 説明版です
   金精神社
 金精峠に車道が開さくされて以来、峠を越す人がめっきり少くなり、有名な金精神社も峠の頂上におき忘れられてしまいました。
 訪れる人とて、なきままに朽ち果てしまうのは、なんとしても忍びませんのでここに社を別に建てて祭ったのです。
 この社は、今から凡そ350年前、徳川初期に武蔵の国忍(現在の埼玉県行田市)の城主禄高八万石阿部豊後守忠秋が領内の五穀豊穣を祈願して忍に建立したもので、多粕閣と名付けられています。
 忠秋は三代将軍家光の命で墨田川の濁流を馬で乗りきり、一躍勇名をとどろかせた徳川譜代の大名でした。
 その多粕閣をいま忍から此処に移築復元して金精神社とした次第です。
     以上
 *金精神社(こんせいじんじゃ)は、金精神を祀っている神社で、神体は男根の形をし、金精大明神、金精様などとも呼ばれる。
 「こんせい」には、金勢、金清、金生、魂生、根性、根精などさまざまな字が当てられている。

 軒下の「多粕閣」の額です





 彫刻が綺麗です

 御利益一覧ですね

 絵馬堂は休館日でしたが、絵馬堂は18禁になていますので子供はダメですよ

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