ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県水戸市、常磐町1丁目「偕楽園の太郎杉」です!!

2024-01-16 18:43:25 | 巨樹・大木
 常磐町1丁目は、水戸市役所の西北西約1.5kmのところ

 水戸市役所の西側の市役所通りを北へ出ます

 桜川を美都里橋で渡て直ぐの信号を左(西)へ、千波大橋の下を潜って信号を左へ更に西へ進みます

 (この道路は、合流分流が有りますので間違えると変な方向に行きそうなので注意しましょう)

 偕楽園の南側の「偕楽園桜山第二駐車場」(無料)に車を止めさせて頂きました

 駐車場からは、歩道橋で

 道路とJR常磐線を越えます


 歩道橋の上から写真の中心付近に太郎杉があるようですが・・・

 偕楽園の南西側下側に公園です

 歩道橋を降りると

 案内図が有ります

 南入口は閉鎖中でしたので偕楽園西側に表門へ行きましょう

 「向学立志の像」です


 「暁鐘」です

 坂道を上って行きます、偕楽園から一度北西側の道路に出て東へ進みます

 好文亭表門入口です、拝観料300円(茨城県民の方は違うようでした)で偕楽園に入ります

 好文亭表門です

 説明版です


 門を入ると右手には「矢竹」です、やはり城の一部ということなのでしょうか

 「一の木戸」です

 坂道を下るように進みます

 手入れされた「孟宗竹林」です

 ここを右へ下ります

 大きな幹が見えて来ました

 南西側から見上げました

 太郎杉の南側の門は出口専用です、門前から見上げました

 根元から滝になって水が流れています

 吐玉泉です

 説明版です
   吐玉泉(とぎょくせん)
 このあたりは昔から湧水の多かったところで、徳川斉昭は偕楽園造成に当たり地形の高低差を利用して集水し、造園上の景観を考慮した白色の井筒を据えた湧水泉を設置しました。
 この水は眼病に効くといわれ、好文亭の茶室何陋庵(かろうあん)の茶の湯にも供されました。
 泉石は、常陸太田市真弓山の大理石で、寒水石ともいいます。現在の泉石は4代目で、昭和62年(1987年)12月に更新したものです。
    湧出量は、1日約100トンです。
 *吐玉泉の生水は飲まないようにしましょう


 北西側から太郎杉です、目通り幹囲5.7mの巨木です

 説明版です
   太郎杉(たろうすぎ)推定樹齢800年
 かつて太郎杉の周囲には杉の巨木があり大きい順に名前が付けられていました。
 五郎杉かであったようですが、現在あるのは太郎杉だけです。


 北側から


 北東側から

 太郎杉の東躍30mに「次郎杉」の切株です

 説明版です
   次郎杉(じろうすぎ)跡
 昭和39年(1964年)9月の台風20号で倒れてしまいました。


 倒れて薬60年と古くなって、残すところは僅かになってしまっています

 長く成りましたので、この辺で続きとさせて頂きます
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茨城県大洗町、大貫町「西光院のオハツキイチョウ」(町指定)です!!

2024-01-15 18:19:39 | 巨樹・大木
 大貫町は、大洗町役場の南西約2kmのところ

 大洗町役場の南側の県道2号線を西へ進みます

 大洗港を左に見て緩くカーブを約1.5kmの「大洗サンビーチ」前の信号を右(西北西)へ

 約500mで右手に「高野山真言宗 大内山 西光院」参道が南東向きに開いています

 *本尊は阿弥陀如来・茨城県指定文化財には「絹本著色金剛界大日如来画像」「木造阿弥陀如来立像」と目的の「お葉付イチョウ」があります

 駐車場は西側から参道南側に在りますので利用させて頂きました

山門前にはスダジイの古木です

 山門です

 参道を進みます

 仁王門です

 仁王門を潜ると右手に目的のオハツキイチョウです

 説明版が、墓地側の生垣に在ります
   天然記念物御葉付銀杏
 応永5年(西暦1398年)開山宥租上人は、当山を地方教化衆僧修行の地として永き安穏発展を祈念するとともに、海難者の霊をこの樹に招き慰霊、その冥福を祈ったと伝えられる。
 イチョウは中世紀頃地球上に栄え、一属一種の珍種といわれている。
 我国には現在この野生のものは無く、稀に化石として発見されている。
 日本に現在あるイチョウ類は、鎌倉時代に中国から入ったものであるが、太古の樹木の特性が出ている。
 明治29年帝大の平瀬教授によってイチョウにはオス・メスの花の別があり、別の株につくことが発見され、前代未聞のことと世界の学者を驚かした。
 種子は、いわゆるギンナンと呼ばれ食用となる。幹や枝には時に気根を出すが、これをチチ(乳)と俗にいう。
 又、奇形的に種子が葉上に出来たものが御葉付イチョウと呼ばれ、大変貴重なものとされている。
    直径150cm(幹囲4.7m)、樹高25m
    昭和37年2月26日 茨城県指定 管理者 西光院
        昭和57年2月吉日 大洗町教育委員会

 南西側から、小さいものですが多くの乳柱が見られます

 鐘楼です

 本堂です

 イチョウの北側にも大きな建物が有ります


 東側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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茨城県ひたちなか市、堀口「金砂神社・金砂ノ大柊:5樹」(県指定)です!!

2024-01-14 18:08:34 | 文化財・樹木
 堀口地区は、ひたちなか市役所の西南西約3kmのところ

 ひたちなか市役所の南側の昭和通りを西へ約200mの「東石川1丁目」信号を左(南)へ、金上田彦線です

 また約350mで「東石川3丁目」信号を右(西)へ、勝田富士山線です

 約900mでJR常磐線の踏切を越えて直ぐの丁字路を左(南西)へ、勝田停車場勝倉線です

 約1kmの坂道を下った信号を右(北西)へ、台地の上の住宅地と下側に耕地(田圃)の境目の道路です

 約900mの信号北側に金砂神社東向き参道で鎮座します

 信号の南西側道路脇に車を止めさせて頂きました

 信号手前から見上げました(写真の中程に金砂神社が有るはずです)

 信号から坂道を上がると参道入口の鳥居です

 鳥居と参道石段です

 天然記念物 金砂神社の大柊の標柱です


 石段中段左手に社號標です


 参道を進みましょう

 手水舎です

 金砂神社由来説明版です
   金砂神社の由来
 御祭神 大巳貴命・武甕槌命・猿田彦命
 創建  享保3年4月(1488年)とあるがそれより以前のようである。
 境内に繁茂している樹木をみても長い年数を経ていることを物語っている。
 お手洗い近くにあった樹齢3百数十年の大松が枯損木として県の許可を得て伐採さた。
 又、正面石段上にあった御神木の杉1本は、落雷のため損傷し、他の1本は老木のために下部空洞となり、昭和38年区総会に於て売却の決議決定し、これを資金として、本殿・参道・鳥居・大柊の構い等を完成するに到った。
 二代目の御神木2本は、大空に向いすくすくと成長している。
 例祭日  祈年祭  2月17日
      春季例祭 4月 3日
      秋季例祭11月23日
   平成11年1月吉日
 附記・境内大柊5本は昭和10年12月27日・天然記念物として県の指定を受けた。


 拝殿です


 本殿です
 
 玉垣に囲われたヒイラギが本殿南側から西側に並びます、まず1本目です

 北側から

 拝殿南側に天然記念物大柊の説明版です
 県指定天然記念物
   金砂山ノ大柊
     数量  5株
     指定日 昭和10年12月27日
     所在地 ひたちなか市堀口1
     所有者 金砂神社
 本殿の南西側脇から北西側裏に並んで5株のヒイラギが生育しています。
 幹周囲は最大のもので2.6m、樹高は最高のもので約12mを測ります。樹齢は400年とも600年とも推定されています。
 70年以上前に指定された当時は、樹勢は良かったようですが、現在は幹が空洞になっているものもあり衰えがみられます。
 以前は、幹にフジが絡みつき、天に上るかのように幹を伸ばしていましたが、フジが枯れてしまったために、以前ほどの樹高はありません。
 しかし当地のような冷涼な気候にあって、暖帯性のヒイラギが、5株まとまってこのような大樹となったのは極めてまれといえます。
 このヒイラギには伝説があります。
 「昔、この地に5人兄弟があり、いずれも敬神の念が厚く、各1本のヒイラギを奉納した。元亀3年(1572)金砂神社の分祀の当日、一天俄かに掻き曇り、雷鳴がとどろき、黒雲の間から忽然として5匹の竜が5本の柊に別れて天降り、祭り事が済むやまた各柊によじ登り昇天してしまった」というものです。
 ヒイラギは、もくせい科モクセイ属の常緑の小高木です。暖帯性で本州の関東以西に分布します。
 多く枝分かれし、高さは普通4~8mになります。葉は楕円形から倒卵状(葉先近くに最大巾がある)長楕円形で厚くて硬く、表面は暗褐色で光沢があります。
 若木の葉には縁に2~5対の刺となる歯牙がありますが、老木の葉はやや小さく歯牙のない全縁で先端が尖る形となります。
      ひたちなか市教育委員会



 二番目を東側から

 北側から

 三番目を北東側から

 南側から


 4番目を東側から

 北東側から

 5番目のヒイラギは大きく立ち上がった幹が枯れてしまっています

 東側から

 4番目と5番目の間にも若く大きなヒイラギが有ります

 では、次へ行きましょう

 
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茨城県北茨城市、華川町花園「花園のコウヤマキと三本杉」再訪(県指定)です!!

2024-01-13 17:36:11 | 巨樹・大木
 花園神社の瘤杉の続きです・・・

 華川町花園地区は、北茨城市役所の北西約14kmのところ

 山門を潜ると左手に目的のコウヤマキを見上げる事が出来ます


 石段を上がると左手のコウヤマキです

 近付いて見上げました

 文化財説明版です
   茨城県指定文化財
   昭和35年12月21日指定
 ●高野槙(コウヤマキ)
  御神木。拝殿前に左右2本ある。
  我が国特産の常緑喬木で紀州高野山に多いので、この名がある。
  また天狗槙とも呼ばれ名木として親しまれている。
  樹高30m、幹囲4.5m、樹齢600年
 ●大杉(三本杉)  (これより50m先
  地上10mのところより3本に分かれているので通称三本杉と呼ばれている。
  昔、根元に熊野神社を祀りたる故、熊野杉といい伝えられている
  樹高45m、幹囲7.5m、樹齢500年
        北茨城市教育委員会


 北側から

 西側から

 もう一本は、石段の東側です

 北側から、西側のコウヤマキと同サイズの様です

 東側から

 根本には茨城の名木・巨樹保全事業の標柱です

 拝殿です


 拝殿西側の神楽殿です


 拝殿後面から急な石段を上がると

 本殿です


 本殿前から西側への山道へ入ると・・・

 先に三本杉が見えて来ます

 東側から

 説明版です
   御神木(三本杉)
 周囲8m、樹高50m、樹齢約800年
 御祭神三柱を現すと伝えられ、古代より御神木として崇められている。
 昭和35年「花園の大杉」として「花園のコウヤマキ」とともに茨城県の天然記念物に指定。

 南側から

 南西側から

 西側から見上げました

 では、次へ行きましょう
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茨城県北茨城市、華川町花園「花園神社の巨木林とコブ杉」(再訪)です!!

2024-01-12 17:53:37 | 巨樹・大木
 2018年2月3・4日の投稿で紹介させて頂いた花園神社へ行って来ました

 華川町花園地区は、北茨城市役所の北西約14kmのところ
 
 北茨城市役所の南側の道路を西へ進みます、役1.4kmで丁字路信号を右(北西)へ、県道69号北茨城インター線です

 約1.6kmの下相田信号からは県道10号日立いわき線となって進みます

 約2.2kmの華川小学校西信号からは、県道153号水沼磯原線となって道路幅が狭くなりますので注意です

 約5kmで右手に水沼ダムのダム湖を見るようになりますが、道路脇からの土砂崩れの跡が二か所ありました

 更に約2kmで県道27号塙大津港線に変わります、日陰の道路には圧雪が現われます

 約2.2kmで花園川の橋を右岸に渡て直ぐに花園神社の案内板です、左(西)へ入ります、花園神社までは約1kmです

 神社の約300m手前の左手に市営駐車場が有ります、地区の案内図です

 ここに車を止めて歩いて行きましょう(神社参道入口先約200mにも駐車場が有りますが雪が積もっていました)

 右手に赤い橋が見えて来ます

 参道の橋を渡ります

 左手に社號標です

 社號標の後ろ側に杉の巨木が並びます

 北側から見てみました、左のスギ(目通り幹囲:目測で約6m)は根元で合体融合しています

 参道右手側にもスギの巨木が並びます、真ん中のスギがコブ杉です

 参道石段を上がりましょう

 手水舎です

 北側から参道側の大杉(目通り幹囲:目測で約6m)です

 北側からコブ杉です、大きな丸いコブが出来ています

 説明版です
  こぶ杉
 天に向かって真直ぐに聳え立つ「こぶ」のある御神木
 大物主大神の御神徳により「もの」を産む信仰のある古杉。
 子を授かった母の腹部の様に育ち撫でて、子宝・安産・夫婦円満・開運・心願成就の御利益があると親しまれています。


 楼門形式の仁王門の山門です

 説明版です
   楼門
 木造銅版葺二階建権現造
 (現存の楼門は寛政4年(1792年)建替)
 平城天皇の御代大同2年(807年)4月、花園山と号づけ勅願が掲げられ、明治初期までは花園山王大権現と称えられた。
 石像仁王
 左は寛文13年(1673年)弁高寄進
 右は宝暦12年(1762年)鈴木権衛門寄進
 *寄進者2名の情報はネットを調べても見つかりませんでした

 石段の上に拝殿が見えます

 拝殿です

 説明版です
   拝殿 祭典・祈祷・拝礼するための社殿
 例祭日 5月5日
 木造銅版葺権現造(現在の拝殿は、嘉永4年(1851年)建替)
 創始は桓武天皇の御代、延暦14年(795年)、征夷大将軍坂上田村麻呂が勅定により奥州へ下向の折、霊夢により導かれ創建したと伝えられる。
 神の使いが神猿(まさる)のことから屋根には正面・東・西を猿面が護る。

 拝殿西側の神楽殿前には、古い御札等が集められています

 拝殿面の東側の池の中には厳島神社です

 厳島神社前にもスギの巨木です

 本殿へ行きましょう

 拝殿後面から急な石段を上がると

 本殿です


 説明版です
   本殿  神様がご鎮座されている社殿
 御祭神 大山咋大神(おおやまくいのおおかみ)
     大山祇大神(おおやまずみのおおかみ)
     大物主大神(おおものぬしのおおかみ)
 木造銅版葺権現造 (現存の本殿は天保3年(1832年)建替)
 神の使いが神猿(まさる)のことから、見ざる・聞かざる・言わざる彫刻があり、屋根には正面を猿面・東西を鬼面が護る。
*(本殿周辺の詳しい内容は2018年2月4日のこのブログを確認いただければと思います)

 本殿東側の境内社は「東照宮」です

 長く成ってしまいましたので、続きにさせて頂きます
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新潟県阿賀野市、水原「今年初めての瓢湖へ」です!!

2024-01-11 17:49:22 | ドライブ
 今年も雪をかき分けるようにして、2024年1月8日に大雪警報の出ている瓢湖に行こうと出かけて見ました

 群馬県渋川市「日陰虚空蔵の大杉」を見てから、関越道はチェーンと50km速度規制です・・・

 で、月夜野インターで関越高速に乗って、湯沢インターからは下道で約140kmです、ゆっくり行きます

 雪は止んでいましたし、道路の路面に雪は有りませんでした

 この日は、2023年に出来たばかりの「道の駅あがの」で車中泊です


 雪の上がった、日の出時間の瓢湖です

 間も無く、五頭山系に朝日が昇りました


 多くの白鳥が、瓢湖白鳥観察舎販売組合のそばの島に集まっています

 餌やりを始めた担当の方の話では、昨日の大雪で、周辺の田圃に食事に出た白鳥が出かけたまま帰っていないそうです

 白鳥の他には、鼻の所の白いオオバンや頭の赤いヒドリガモ・目の金色のキンクロハジロなど

 オナガガモ(雌)かな

 グレーの幼鳥も見られます


 白鳥が瓢湖の底の蓮を食べているのでしょうか




 オナガガモも多数見られました 

 そろそろ周辺に出かけようとしているのでしょうか、羽ばたくハクチョウです

 上空を飛び始めました

 ミコアイサに会えなかったのが、心残りでしたが又にしましょう
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群馬県渋川市、赤城町長井小川田「日陰虚空蔵の大杉」(地区指定?)です!!

2024-01-10 18:52:40 | 巨樹・大木
 2024年1月8日取材です

 長井小川田地区は、渋川市役所の北東厄11km、渋川市役所 赤城行政センターの北北東約8kmのところ

 広い長井小川田地区は、赤城山の山上湖の大沼から流れ出る沼尾川に沿って東西に延びています

 長井小川田の集落の上部を通る広域農道の交差点の南東側に日陰虚空蔵の社が有ります

 直ぐ前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南東側から、この左手にも前日の雪が日陰に処に氷になって残っています

 東側から、境内?を見ました

 南側には榧の大木が斜めに二本並んでいます

 目的のスギは、右奥の一本です

 根元には虚空蔵尊と馬頭観音の石碑です


 傷んでしまった標柱です、側面には大水害カスリーン台風の被害について書かれています

 南側から見上げました


 スギの南側には新しい標柱です


 真新し赤い鳥居と

 御社です

 鳥居脇(南西側)から

 北側から見ました

 信号手前(北側)から見ました、手前には「お天狗さま」の案内板です

 向かい側には「兵法 法神流剣術発祥の地 深山入口」の石碑が建っています

 では、次へ行きましょう
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千葉県市川市、中山2丁目「中山法華経寺駒形堂の泣きイチョウ」です!!

2024-01-09 17:51:00 | 巨樹・大木
 中山法華経寺の道を挟んだ南東側に駒形堂という石塔が二基並んだ小さな御堂が有ります

 祖師堂正面の駐車場入り口から出ます

 
 直ぐ目の前に目的のイチョウの大木が見えます

 駒形堂です、石塔には馬頭観音の文字が見えます

 北西側から

 大本山中山史蹟 六老僧 日頂聖人之泣公孫樹の石碑が建ちます

 説明版です
  大本山中山史跡 
    泣公孫樹と六老僧日頂聖人
 今を去ること約730年前の弘安7年(1284)秋、この事はこの地にて惹起された。
 宗祖日蓮大聖人から最も信頼を得ていた、千葉氏の被官であり、若宮の領主富木常忍公の義子である、六老僧伊予阿闍梨日頂聖人が、宗祖の第参回忌法要に遅参したことであった。
 宗祖の葬儀記録である、「宗祖御遷化記録」や「墓所番帳」に日頂聖人の名が見えず、「他行」とのみ他筆されている。これは化他行のことで、他宗徒相手の弘通問答取り組中であったということである。
 更に、この度の若宮遅参、常忍公は日頂聖人の宗祖に対する非礼を責め、遂に聖人を義絶勘当されたと伝えられる。
 日頂聖人は、深く侘びたるも詮方藎き、泣きながらこのい公孫樹の回りを、「此経難事 若暫持者・・・」と、、法華経見宝塔品の偈文を唱えて廻り、許しを請いながら立ち去って行ったという。
 それ以来、中山門流の寺々では、宝塔偈不読という伝統になっております。そしてこの「泣き公孫樹」悲話は、中世より遺訓として、「師厳道尊」という言葉に置き換えられて、現在にいたっているのです。
    平成28年4月27日
        澄聖大遠忌之砌 大本山 中山法華経寺

 西側から、目通り幹囲7.5m、樹高20mの巨木です

 南西側から見ました

 では、埼玉へ帰りましょう

 中山法華経寺の参道を真っ直ぐに下って行きます
 
 京成本線中山駅を通り過ぎ、国道14号線の信号を渡ると、間も無くJR総武本線下総中山駅です

 千葉方面へ一駅で西船橋駅です、武蔵野線に乘り替えて戻りました

 
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千葉県市川市、中山2丁目「中山法華経寺参道のケヤキ」です!!

2024-01-08 18:03:00 | 巨樹・大木
 葛飾八幡宮の千本イチョウを見て、次へ行きます

 京成本線八幡駅から二駅東へ進みます

 京成本線京成中山駅で降ります(京成本線京成中山駅は快速電車は止まりませんので注意)

 駅を東へ出ると直ぐに、中山法華経寺参道です、北へ直ぐに中山法華経寺総門(黒門)です

 軒下の額です

 参道を進むと、中山法華経寺山門(赤門)の仁王門が見えて来ました

 山門前右手に日蓮宗祖・日蓮聖人像です

 宗祖直授祈祷根本大道場 法華経寺です

 周辺案内図です、参道沿いには多くの寺院が並んでいます

 参道を進むと境内入口の赤い龍渕橋が見えて来ました

 橋の左(西側)に目的のケヤキが見えました

 南東側から、目通り幹囲7.2mとされています、幹は途中で伐られていて、支柱に支えられています

*千葉県1位のケヤキということで、2023年12月16日に紹介させて頂いた千葉県酒々井町、馬橋「馬橋香取神社のケヤキ」が「一位のケヤキ」表記でしたが、市川市中山2丁目の法華寺参道のケヤキの幹はほとんど崩れているようですとしていましたので、確認に来ました。

 北側から見ました、こちら側の幹の樹皮は完全に失われていました

 では、法華経寺へお参りしましょう

 説明版です
   日蓮宗大本山 法華経寺
 正中山法華経寺は、祖師日蓮の足跡がみとめられる日蓮宗の霊跡寺院・大本山です。
 中世、この地は八幡荘谷中郷と呼ばれ、下総国守護千葉氏の被官である富木常忍と太田乗明が館を構えていました。彼らは曽谷郷の曽谷氏とともに、日蓮に帰依してその有力な壇越となりました。時に鎌倉時代の中期、建長年間(1249~55)頃のことです。
 彼らの館には持仏堂が建立され、のちにそれが寺院となったのが法華経寺の濫觴です。若宮の富木氏の館は法華寺、中山の太田氏の館は本妙寺となり、当初は両寺が並びたって一寺を構成していました。この両寺が合体して法華経寺を名乗るのは、戦国時代の天文14年(1545)以後のことです。
 富木常忍は出家して日常と名乗り、法華経寺の初代貫首となり、二代目は太田乗明の子日高が継ぎました。そして千葉胤貞の猶子である日祐が第三代貫首となった鎌倉末期から南北朝期ごろ、法華経寺は隆盛の時代を迎えます。
 千葉胤貞は当時、守護ではありませんでしたが、千葉氏の有力な一派として威をはり、下総・肥前などの土地を寄進して、日祐の後押しをしています。日祐は胤貞の亡父宗胤の遺骨を安置し、名実ともに法華経寺を胤貞流千葉氏の氏寺とし、その後の法華経寺の基礎をつくりました。その後、室町時代をへて江戸時代に至ると、ひろく庶民にまで信仰される寺院となります。
 法華経寺には、祖師日蓮の書いた「立正安国論」「観心本尊抄」の国宝や重要文化財をはじめとして多数の聖教(仏典)類が保管されています。
 これは、千葉氏のもとで文筆官僚の任にあたっていた日常が熱心に整理保存に意をそそいで以来、寺内の宝蔵や坊で厳重に保管されてきた結果です。現在は境内の奥の堅牢な聖教殿で保管されており、その伝統はいまも確かに受け継がれています。
 また、日蓮自筆の聖教の裏からは、鎌倉時代の古文書が発見されました。これを紙背文書と言います。
 これは富木常忍が提供した千葉氏関係の事務書類を、裏返して著作の料紙として日蓮が使用した結果、偶然のこされたもので、歴史に残りにくい人身売買や借金の実態など、当時の東国社会の生々しい現実を知る貴重な資料となっています。
 寺内にはその他、重要文化財の法華堂・祖師堂をはじめとする堂舎、絵画や古記録・古文書などの数々の文化財が有ります。
 また周辺には日蓮が鎌倉にむけて船出したという二子浦(現船橋市二子周辺)の伝説など、日蓮にまつわる伝説も豊富に遺されています。
 これらにより大本山としてはもちろん、さながら文化財の宝庫として、法華経寺の名は全国に知られています。
     平成10年12月   市川市教育委員会

 本堂に当たる祖師堂です

 国指定重要文化財です

 説明版です
   国指定重要文化財 祖師堂
 祖師堂は、日蓮宗を開宗した日蓮聖人を祀る大堂です。
 鎌倉時代の正中2年(1325年)に創建され、当時は柱と柱の間が五つある五間堂という造りでした。現在の祖師堂は
延宝6年(1678年)に上棟されたものです。造りは七間堂で、正面から見た横幅が約26.5mあり、屋根を二つ並べたような比翼入母屋造の形式を持つのが特徴です。この造りの屋根は全国的にも大変珍しく、他には岡山県にある国宝の吉備津神社本殿だけとなります。
 堂内は、正面吹き抜けの外陣と、本尊が祀られた内陣、その両脇の脇陣と背面の後陣に区切られています。内陣と外陣の境上部には揚格子、下方には聖なる領域と俗なる領域を分ける結界と呼ばれる、取り外し可能な仕切りがあります。
 また内陣と脇陣の境にも同様な結界があり、大きな行事の際には、これらを開け放って堂内を広く使うことができるように工夫されています。
 天井は格縁天井と呼ばれるもので、黒塗された格子を碁盤目状に組んでいます。天井板には法華経寺の寺紋である桔梗紋が描かれ、特に内陣を囲むように極彩色で塗られ荘厳な趣になっています。
 祖師堂は、江戸時代初期の慶長6年(1601年)の修理の様子を記録した木製の棟札とともに昭和60年5月18日に国指定重要文化財に指定されました。
      文化庁

 五重塔です

 こちらも重要文化財です

 釈迦如来坐像です

 説明版です
   市川市指定有形文化財  法華経寺銅造釈迦如来坐像
     平成31年3月13日指定
 この釈迦如来坐像は青銅製、鋳造で、総高が4.52m、像高は3.45mです。
 本像の銘文によると、享保4年(1719年)に第59代貫首日禅上人を大願主とし、広く現世の安穏を祈り法華経の流布を願って建立されました。
 江戸時代後期には江戸町中及び近郊には11体の大仏(如来形)が知られるが、現存するのは9体であり、その中で本像は最も大きい規模を有しています。
 本像の鋳造に当たった鋳物師は、江戸神田鍋町の太田駿河守藤原正義です。藤原正義は江戸時代の江戸中期に活躍した鋳物師で、有名な江戸六地蔵の5体を手掛けており、本像と合わせて計6体の丈六(約4.85m)の坐像仏を宝永5年(1708年)から享保4年(1719年)の11年間で製作しています。
 本像は銅像で木型による鋳造と推定されます。背面の中央には一辺が約60cmの扉が設けられ、胎内に入ることができ、また背面の扉を挟んで上方肩部と下方の腰部に、造立の因縁や由緒などについて書かれた銘文が豊富に刻まれています。
 本像は、時期(江戸中期、大きさ(大型に属す)、鋳物師(江戸中期に活躍した正義銘)の3点の江戸大仏の条件を備えており、江戸の大型鋳造技術研究においては、平成28年(2016年)4月から平成30年(2018年)3月の修理に伴う調査で、江戸大仏全40体の中で唯一製作技術を完全に解明したことや、外面・内面全ての三次元計測、金属成分分析などの科学的成果を得た点においても、今後の江戸大仏研究の基準となる多くのデータを得ることができました。
 江戸時代の大仏として、品質、技法が優秀であり、蓮台内の調査成果や大仏に刻まれた銘文の解明により、江戸時代中期の信仰や宗教活動を知る上で重要な資料となることから、、市指定文化財に指定されました。
      令和3年3月   市川市教育委員会

 当山初租 日常聖人像です

 日蓮宗大荒行堂です

 鬼子母大尊神堂入口です

 では、次へ行きましょう

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千葉県市川市、八幡4丁目「葛飾八幡宮の千本イチョウ」(国指定)です!!

2024-01-07 17:20:47 | 巨樹・大木
 市原市のJR内房線八幡宿駅から戻ります

 内房線の終点は千葉駅です、ここで総武線に乗り換えます

 総武線は快速と各駅停車のホームが違います、いつも快速は混んでいますので

 途中まで快速を利用する方が早いのですが、目的の本八幡駅まで急がずに行きましょう

 総武線本八幡駅北口を出ました

 ロータリーを回って北へ進み、国道14号線本八幡駅前信号を右(東)へ進みます

 間も無く歩道橋が見えて来ます、手前が

 葛飾八幡宮の参道です

 社號標です

 歩道脇に大きな由緒説明版が有ります
   下総国総鎮守 葛飾八幡宮
    御由緒
 御祭神 誉田別命(応神天王)・息長帯姫命(神功皇后)・玉依比売命
 御沿革 当宮の御創建は平安の昔(寛平年間)、宇多天皇の勅願により、下総国総鎮守八幡宮として御鎮座。
 以来歴朝の御崇敬あつく、代々の国司郡司を始め国民の信仰ふかく、当国における葛飾文化・八幡信仰の中心となり、なかでも平将門の献弊、源頼朝の改築・太田道灌の修覆・徳川家康の神領御朱印地52石の寄進等顕著な御社歴がある。
 今の御社殿は、大正2年に改築され、大正8年・昭和26年・昭和59年4月執行の三十三周年式年大祭に、修築整備されたものである。
 御神徳 文教の祖神・産業振興・殊に農漁業の守護神・厄除開運・安産育児・縁結びの守り神等の御神徳を有せられる。
 御社宝 神木千本公孫樹(国指定天然記念物)
     不知八幡森  (国指定保安林)
     元享の銅鐘  (県指定文化財)
     随身門    (市指定文化財)
 御例祭 9月15日(農具市20日まで)


 参道を進みます、赤い信号は京成本線の踏切に電車が迫っている合図です(電車を撮影できませんでした)

 赤い市指定文化財の随身門が見えて来ます

 説明版です
  市指定有形文化財
    随神門 1棟 指定 昭和35年10月7日
 随神門は木造で、正面柱間3間、奥行き柱間2間の八脚門と呼ばれる構造形式をもち、丹塗で桁行10.36m、梁行4.45mあります。
 柱や梁、軒を支える組物に特色があることなどから昭和35年(1960年)に市川市に市指定有形文化財に指定されています。
 江戸時代、天台宗上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺が八幡宮を管理していました。そのため法漸寺に関わって、仁王像の置かれた仁王門がありましたが、明治維新の神仏分離によってこの仁王像は行徳の徳願寺に移され、新たに葛飾八幡宮の随神門となりました。
 現在は随神として左大臣と右大臣が配されております。随神は随身とも書きます。貴人の護衛役で、弓矢と剣を持っています。随身門は寺院の仁王門にならったともいわれています。
 このほかに随身門の特色として、柱や梁、軒を支える組物に太い部材が使われていることが挙げられます。かえる股も巨大であり、その内部には雲に龍、竹に虎などの彫刻がはめ込まれています。
 屋根は単層茅葺の構造を持った切妻型でしたが、昭和54年(1979年)の改修により銅板葺になりました。また、屋根などの腐朽が著しくなったため、平成13年(2001年)2月から14年(2002年)8月にかけて修理が行われました。
 この修理を機に正面の随神も化粧直しをし、背面には新たに白い神馬と四神(玄武・朱雀・青龍・白虎)が置かれました。
 (平成28年9月 塗替え修復工事竣工)
 【仁王像について】
 徳願寺にある仁王像(阿形像と吽形像)の体内から、平成17年(2005年)頃に行われた修復の際に発見された銘札には、「明治14年(1881年)9月」「徳願寺28世」のときに、阿形像は「佛師 関嶌茂三郎」が、吽形像は「佛師 浅子周慶」が修復した旨が記されています。
 このことにより、この仁王像は明治14年(1881年)にはすでに徳願寺に移されていたと考えられます。
 また、吽形像からは「天保10年(1839年)」に「八幡山23世法印権大僧都良山」のときに修理した旨の記された、銘札も発見されました。このことから天保10年(1839年)の頃はまだ法漸寺に安置されていたことが窺えます。
     平成29年1月  市川市教育委員会

 更に参道を進みます

 神門です

 神門前右手に説明版です、参道入口の由緒書きより詳しく書かれています

 門を入ると手水舎です

 手水舎の東側には鐘楼です、鐘楼の前には力石や頼朝公駒どめの石等が並んでいます

 拝殿前には、こちらも茅の輪が設置されています

 拝殿左手(西側)に神楽殿です、大きな絵馬が掛けられています

 本殿です

 県指定文化財・元享の銅鍾の説明版です、寛政5年境内のケヤキの大樹が暴風で倒れた際に、根株から出土したと記されています

 本殿東に目的の千本公孫樹を南側から見ました、イチョウを背に記念写真を撮る参拝客が多数見られました

 国指定天然記念物標柱です

 説明版です
   国指定天然記念物
     千本公孫樹
 千本公孫樹は葛飾八幡宮の御神木として代々大切に保護されてきた樹木で、推定樹齢は1200年を超えると言われています。
 かつての落雷によって地上6m程の高さで幹が折れましたが、その後、その周囲から伸びた多くのひこばえ(萌芽)が成長したことで、今のような樹形になったと言い伝えられています。
 千本公孫樹の名も、多数の幹が寄り集り、まるで一本の大樹が根元から伸びているゆに見えることに由来します。
 根回り10.2m、目通り(人間の目の高さ)10.8m(*文化財指定時の記録)で、根回りより目通りの方が太くなっているのも特徴の一つです。
 公孫樹には雄株と雌株がありますが、この樹は雄株のため実はつけません。
 千本公孫樹は昭和6年2月20日に現在の市川市域(当時は八幡町)において初めて国指定天然記念物に指定されました。
       文化庁  文化財多言語解説整備事業
 *スマホで二次元コードを読み込むと、英語・韓国語・中国語での解説が聞けるようです


 東側から

 北側から見上げました

 境内東側には神輿舎です

 説明版です

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千葉県市原市、八幡「飯香岡八幡宮の夫婦銀杏(県指定)とさかさ銀杏」です!!

2024-01-06 18:33:17 | 巨樹・大木
 2024年1月6日、初詣ついでに巨樹・大木廻りをしてきました

 埼玉からJR武蔵野線外回り(東行)で南船橋駅(終点)へ、京葉線直通です(東京駅行では行けませんので南船橋行きです)

 南船橋駅で京葉線に乗り換えて蘇我駅まで、蘇我駅で内房線に乗り換えて二駅目・・・八幡宿駅で降ります


 八幡宿駅です、駅前ロータリーの北側の道路を北西へ

 次の信号のところに、飯香岡八幡宮の裏参道鳥居です

 社號標も立って居ます

 更に飯香岡通りの歩道を北東に進んで、次の信号を左へ、飯香岡八幡宮の正面に回って来ました、北西向きに鎮座します

 社號標です

 参道を進みます

 手水舎です

 由緒説明版です
 国府総社 飯香岡八幡宮御由緒
  御祭神  誉田別命・息長帯姫命・玉依姫命 ほか配祀7柱
 由緒沿革
 神社縁起によると、この地は御影山と称し六所御影神社が鎮座していたが、白鳳3年(675)天武天皇の勅令により八幡宮として創建されたという。
 また、天平宝字3年(795)には国府総社とされ、一国一社の八幡宮として、また上総国の総社として広く信仰を集めてゆくこととなった。
 保元3年(1158)の石清水八幡宮の諸国荘園官符にみえる「上総国市原別宮」は本宮であるといわれている。
 源氏・千葉氏・北条氏・足利氏・徳川氏を始め近隣に所領を持つ大名・旗本など武将の崇敬が厚く、徳川家康から社領150石を安堵され、格式10万石の待遇を受けた。明治維新以降は県社に列格された。
 文化財など
  本殿     (国指定重要文化財)    室町中期(15世紀)頃の建立(伝・足利義政寄進)
  拝殿     (千葉県指定文化財)    元禄4年(1691)の建立
  神輿4基   (千葉県指定文化財)    至徳元年(1384)足利義満によって奉納
  柳楯神事   (千葉県指定無形民俗文化財)神輿以前の祭礼の形態を伝える神事
  夫婦銀杏   (千葉県指定天然記念物)  八幡宮勧請の日に植えたと伝えられる御神木
  大太刀    (市原市指定文化財)    天正12年(1584)徳川家康によって奉納
  当世具足11領(市原市指定文化財)    八幡にゆかりある大名・旗本達の奉納
  さかさ銀杏 源頼朝が武運長久を祈って植えたとされる御神木
 祭礼日 春季大祭 3月15日 飯香岡八幡宮御鎮座の日
     秋季大祭 旧暦8月15日(十五夜の日)国府総社の神事・放生祭の日
     柳楯神事・神輿5基の渡御・放生の儀が行われる


 拝殿です、茅の輪が設置されています、参拝者は茅の輪を潜って拝殿に向かっていました


 本殿です

 神楽殿です

 拝殿南側に目的の「夫婦銀杏」です

 説明版です
  千葉県指定天然記念物
    飯香岡八幡宮の夫婦銀杏
      昭和10年7月12日指定
 イチョウは中国の原産で、古く日本に渡来し、神社・仏閣・街路樹・庭園等に植えられている落葉性の高木で、高さ30mにもなる。
 雌雄異株で花は4月に新葉が出ると共に開花する。
 種子の成熟は10月頃でギンナンと呼ばれ食用にすることができる。材は緻密で光沢があり、碁盤・将棋盤・木魚等に用いられる。
 本樹は八幡宮勧請の際、勅使桜町中納言季満御手植の記念樹と伝えられている。
 飯香岡八幡宮は子育八幡と呼ばれるように安産子育の神として崇敬され、このイチョウも2本の巨幹が根本より分岐するところから夫婦銀杏と名付けられ、安産子育のシンボル(象徴)として信仰がある。
 樹高各々17m、16m、目通り幹囲約11mである。
     昭和56年3月1日   千葉県教育委員会・市原市教育委員会 

 南西側から、大枝は支柱で支えられています 

 南東側から、若いヒコバエも見られます

 本殿北側の社務所前に「さかさ銀杏」です

 説明版です
   さかさ銀杏
 治承4年(1180)、源頼朝は石橋山の合戦に敗れ房総半島に逃れてきた。
 当時、飯香岡八幡宮は源氏と縁の深い石清水八幡宮別宮であった。
 頼朝は源氏再興を祈願して、本宮に銀杏をさかさにして植えたと伝えられる。
 その結果、銀杏は根付き源氏も無事に再興された。
           飯香岡八幡宮
 
 南西側から

 南東側から見ました

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新年早々の能登半島地震と羽田空港事故について・・・!!

2024-01-05 17:25:06 | Weblog
 

 2024年1月1日午後4時9分頃に起きた最初の地震、震源は能登半島北東側先端付近で震度は半島一帯で震度5せした、4分後に起きた本震、能登町などで震度7と報道されています、この地震から余震が続く中の救助活動や避難されている方々には、感謝とお見舞い申し上げたいと思います。

 1月5日夕方のニュースでは、90名を超える方々の尊い命が失われ、さらに未確認の方々が多くいらっしゃるようですので、まだまだ予断は許されません。

 現地は今夜から雨の予報です、明後日7日からは雪の予報になっていますので、更なる不幸なニュースにならないように、して頂きたいと思っています。

 また、羽田空港の事故においては、今回の能登半島地震に関する物資を輸送する予定だった海上保安庁の航空機に、日本航空の定期便が後方から衝突したとのニュースが報道されています、この事故で海上保安庁の5名の隊員の尊い命が失われてしまいました。

 原因の究明にはまだまだ時間が掛かるようですが、このような悲惨な事故が起きた原因をはっきりとさせて、同じ事故が起きない体制を作り上げて頂きたいと思います。

 北九州市小倉魚町の飲み屋街での火事は、人的被害が出なかったことは良かったと思っています、再建に関するニュースも報じられていますので、関係されている方々には、頑張りを期待しています。
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リンゴジャムを作りました!!

2024-01-04 06:41:14 | ジャムを作る
 11月に買っておいて食べきれなかったリンゴでジャムを作りました

 今回は小さめのリンゴが3個(約550g)です

 リンゴは8分の1に切ってタネと皮をむいて、約5mm厚さに切って、塩水に色が変わらないように入れておきましょう


計量してリンゴ(水を切って計量します)約470g

 約40パーセントの砂糖(180g)を加え鍋で弱火で煮詰めます

 前回ユズのマーマレードの時に取り除いたタネをペクチン(通常はレモンの絞り汁)として使用しました

 一度冷まして、煮返すと果肉が浮き上がらなくなります

 ビンを熱湯消毒して熱いうちに詰めれば出来上がりです(雑菌の繁殖を避けるため)
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ユズマーマレードを作りました!!

2024-01-03 06:36:34 | ジャムを作る
 能登の地震被害が徐々に明らかになる中、羽田空港で事故が起こって、海上保安庁の航空機搭乗者に犠牲者が出てしまいました、ご冥福を祈ります・・・合掌

 冬至に買ったユズをマーマレードにしました

 個数は5個(約620g)使用しました

 横半分に切ります、タネが取りやすいからです

 箸を使ってタネを取ります、1房に3個平均でタネが有ります(小さいタネも残さず取りましょう)

 取ったタネは、次に作るリンゴジャムに利用しました
 

果肉を取り、軽量しておきます(約300gでした)

 外皮は

 半分に切って、

 スプーンで渋皮部分を削いでおきます

 外皮も計量します(約220gでした)


 外皮は短冊状にカットします

 鍋で外皮がかぶる程度にお湯を沸かして約3分ゆでてを3回繰り返します

 
 外皮をゆでる間に、果肉をキッチンハサミで細かくカットします

 果肉と外皮の重量の約半分量(260g)の砂糖を果肉に混ぜておきます

 3回ゆでた外皮の湯を切って

 果肉と砂糖を混ぜた鍋に合わせます

 アクを取り除いて煮詰めます、弱火で約30分程で出来上がりです

 ビンを熱湯消毒して熱いうちに詰めれば出来上がりです(雑菌の繁殖を避けるため)

 保存食です
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空き缶を利用してアルコールストーブを作りました!!

2024-01-02 06:38:15 | DIY
 年始早々に大きな地震が起きてしまいました、被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます<m(__)m>

 空き缶があれば、わづかな道具で作ることが出来ます、今回は約1時間で完成しました

 
 コカ・コーラの空き缶を使ってアルコールストーブを作りましたよ

 材料になる空き缶2本と主な道具類です

 文庫本に高を決めてカッターの刃を挟みます

 缶を回すようにして傷を付けます

 2本共に同じ高さに傷が付きました

 まず1本の缶をカッターで切ります

 これが下の部分に成ります

 もう1本には、マスキングテープを巻き付けて周囲を測ります

 16.5cmです、8分の1に印を付けます、スパンは2.05mほどです

 マスキングテープを缶に戻して、マジックで印をつけます、底の部分には中心を出しておきます

 肩の部分の印の付いた部分にキリで凹みを付けます

 2mm径の穴をドリルで開けます

 丸く付けた傷をカッターの刃を押し当てて切り進めます

 切り口のバリはヤスリで削っておきましょう

 上の部分を切り離します

 上下部分のパーツと、余った缶から長さ14cm×4.3cmの板を切り出します

 切り出した板は、丸く丸めてホチキスで止めます

 下側に成る部分の三か所に三角形の切り込みを入れておきます

 下側の部品を、ニッパで挟んで折り目を付けます

 組み立ててみます、少し強めに上から抑え込む様にしました

 サンドペーパーで塗料を削るように磨きました


 磨きが足りませんが、出来上がりです

 では、試験燃焼試験を行いましょう

 受け皿を用意しました、アルミスストーブには消毒用アルコール(エチルアルコール76.9~81.4%)20mlを使用しました

 ライターで火を点けます(少し温めてやらないと火が点きませんでした

 タイマーで時間を見てみます

 3分で本燃焼(肩に開けた穴から火が出始めました)に入りました

 肩の火も大きくなりました

 15分前で肩の火が消えました

 火が消えました、本燃焼は約12分ほどと成りました

 右は、前に作った酎ハイの空き缶をで作ったものです、火力・燃焼時間は口の大きさに左右されるようです

 *自己責任で試験を実施していますので、もしやられる時は周りに燃焼物が無いなど注意して行いましょう
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