旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

伽耶院と法道仙人

2014-05-15 16:54:36 | 三木市
2014年5月15日
 寺伝では孝徳天皇の勅願寺として、645年に法道仙人が開基したとされています。以来大谿寺(だいけいじ)と称していたが、1681年に後西上皇の勅により仏陀伽耶に因む寺号、伽耶院と改めました。
 平安時代中期には数十の堂宇と百三十余の坊舎をもち、花山法皇の行幸があったと記されるなど隆盛を極めたが、安土桃山時代の羽柴秀吉の三木城攻めにおいて、当山に別所長治方の陣が置かれたことによる兵火により、また1609年には失火により、城塞のような石垣を残して全山を焼失した。現存する堂塔は1610年以降の諸国大名の寄進によるものです。

三木市志染町大谷410 ‎
map
仁王門
安置されている尊像は行基菩薩の作と伝えられる金剛力士であるが、天正年間秀吉の三木城攻めに際して頭部及び脚部を焼失したという。

芝で綺麗に手入れされています。

説明書

二天堂

二天像は慶安の墨書



参道

本堂
国指定重要文化財です。伝慶長15年(1610)創建。





内部です。











多宝塔
国指定重要文化財です。初層は方型・平行垂木、二層は円型・扇垂木、その間に白塗りの亀腹、蟇股と連子窓は彩色されています。









開山堂
築明歴2年(1656)、県指定重要文化財です。京極右近源高供の寄進により建立され、開山の法道仙人を祀る。







行者堂

護摩道場

三坂社、紅梁(こうりょう)、蟇股(かえるまた)、組物彫刻、側面の懸魚(げぎょ)等は江戸初期のものだそうです。













黄金水
12月中旬から2月中旬頃、この池の水面が或いは虹色に或いは金色に輝く。当山の本尊福徳羅沙門天は法道仙人が金色に輝く滝壺から感得されたという言い伝えを持っており、寺ではこれを羅沙門さんの黄金水と呼んでいます。

手水鉢

仲よしぽっくりさん、長生きされたおばあさんが人の世話にならないと亡くなる直前まで元気だったことをしのんでこの像が作られました。

経塚

臼稲荷

紅葉の木の根元に臼を抱いている

境内にて







水子地蔵



五重層塔

不動明王碑ほか



山門







駐車場での断層




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藤原惺窩 生誕地

2014-05-15 16:46:21 | 三木市
2014年5月15日
江戸時代の儒学の祖といわれる藤原惺窩は、徳川家康に進講し、徳川三百年の歴史に大きな影響を与えたといわれています。また、惺窩を師と仰ぐ著名な人物は数多く、官学の祖とうたわれた林羅山もそのひとりです。天下の大学者・惺窩の生まれた細川町には「生誕の地」の石碑と銅像が建てられています。
兵庫県道20号線豊地交差点を北上し、しばらく走るとA案内の表示板があります。そのとおりに進むと現地Bに辿りつきました。
三木市細川町桃津





説明書



すぐに逃げましたが、なんと雉がいました。
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御坂神社

2014-05-15 15:23:11 | 三木市
2014年5月15日
祭神は八戸掛須御諸神、大物主神、葦原志許男神です。
由来書によると、「本社は鎮座の年代未だ詳らかではないが延記式の神名帳に播磨国50座(大7座小43座)のうち美嚢郡座御坂社と登載されている神社といわれ播磨風土記の地名辞書にも延記式内神社と銘記されている。式内神社とは醍醐天皇の延記5年(905)に政治をするためにつくられた細かい規則をあつめた延記式に搭載されている神社をいう。もと志染の志染中という里に鎮座せられたが天正年間、羽柴秀吉の中国征伐の途次三木釜山城攻めの兵火にかかり社殿古記録など全部烏有に帰したので細目の里に遷し奉い慶長4年卯月3日更に志染川の上流淡河川山田川の落ち合いの清浄な今の地に勧請奉りという由緒も伝えられている。また第17代覆中天皇が当社に御参拝ありしことも播磨風土記に記録している。明治6年郷社に列せられ大正3年神餞幣帛供進社に指定され志染町の氏神として深く本社を崇敬する。」
三木市志染町御坂242
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鳥居

灯篭

手水舎

能舞台

拝殿

狛犬



由来書

本殿
外壁上部の彫刻はすばらしいです。



灯篭、明和(1764頃)の刻銘

享保(1716頃)

境内にて


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千体地蔵

2014-05-15 15:09:19 | 三木市
2014年5月15日
大谷川の川沿いの山裾一面に多数の地蔵があります。本尊は砂岩に1メートル近い地蔵が刻まれてます。
年代ははっきりしませんが、室町時代から子宝地蔵として信仰を集めています。
願をかけ子どもを授かるとお礼に新しい地蔵を置いていくので、その数は数えきれず、千体地蔵と呼ばれています。



菩薩と佐々木源龍書の扁額
長年の風雨で痛みがひどくなっています。お参りしたときは村の方が土を練って修復作業をされていました。







右隣に人形塚がありました。

左となりには稲荷神社が祀っています。


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御坂サイホン橋  

2014-05-15 14:57:13 | 三木市
2014年5月15日
御坂神社の南側の志染川に架かっています。
 イギリス陸軍少将パーマー氏の設計により志染川の清流にかかる日本で最初のサイホン(噴水管)橋で、明治24年に完成しました。山から谷を通って向かいの山へ水を運ぶこの疎水工事は、当時としては画期的な大事業で、1世紀以上経た今日でも立派な役目を果たしています。その姿から眼鏡橋としても親しまれています。
三木市志染町御坂





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志染の石室

2014-05-15 14:09:13 | 三木市
2014年5月15日
 志染小学校の西、窟屋大橋を渡って左の小道に入り、山の東裾を奥に進むとひっそりとした木立の中に、「志染の石室」と呼ばれる岩穴があります。
「播磨国風土記」美囊郡志深里(しじみのさと)条によると、今から約1,600年前、5世紀頃、第20代の安康天皇が亡くなったあと、皇位継承争いで雄略天皇派に殺された市辺押磐皇子(いちのべのおしわのみこ)の二人の王子が、この争いから逃れ、億計(オケ)王子と弘計(ヲケ)王子が隠れ住み、のちに弟の弘計王子が23代顕宗天皇に、兄の億計王子が24代仁賢天皇になられたと伝えられています。
 この志染の石室に隠れ住んだとされています(日本書紀では「縮見山石室」と表記)。その石室の故地であると伝承されています。 
三木市志染町窟屋
B点が「石室」です。その手前100mのところに「志染の石室」用の駐車場があります。



 高さ2.7m、幅14.5m、奥行7.2mの石室で、中は1年中湧き水をたたえています。湧き水は、天然記念物の「ひかり藻」の作用により、12月下旬から3月初旬には色を変えることがあるため「窟屋の金水」とも呼ばれています。





石室の祠

横に地蔵さん



十一面観音菩薩の社



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