2014年5月20日、法光寺に行きました。兵庫県道354号線、吉川高校の南に少し坂道の道路をまっすぐです。
駐車場の前に、山門があり、仁王像が立っています。そこを抜けると燈籠が並ぶ参道の奥に本堂があります。
説明書より、「仁治3年(1242)等の縁起には、白雉2年(651)法道仙人開創と伝えられる。本尊は阿弥陀如来座像、寺歴は古く、吉川上庄の別当職をつとめ修験し、念仏、南朝の関係、領家万里小路(までのこうじ)家とのつながりなどを示す資料がある。」
本堂は、天正七年(1579)三木の合戦に際し、秀吉の兵により焼失したとされ、後、元禄(1688)念中に住僧宣雅(中輿第一世)により再建、享保二十年(1735)に灰儘となり、元文五年(1740)四月に完成。本来、西面の伽藍を東面とし、山門も現在の場所に移建された。十八世紀頃の密教系五間堂を知る為に価値があるとされています。
三木市吉川町法光寺42
map

山門


仁王像
仁王像は木像(檜材寄木造)御丈約八尺・作者年代は不詳・室町時代の作とも伝えられています。


燈籠

手水舎

説明書

本堂







香炉、天保5年(1834)3月に奉納されたもの

説明書
このお寺は、弘法大師(お大師さま)を宗祖し、高野山金剛峰寺を総本山とする高野山真言宗のお寺です。

境内にて








沙羅双樹

菩提樹

多羅葉

山もみじ

不動明王

蓮池

南無観世音菩薩

五輪塔は、県指定重要文化財(昭和47年3月24日指定)です。
説明書によると、「供養塔として建立されたものである。高さは二メートルで砂岩質の石造である。各部の均整がよくとれ、容姿も堂々としており、県下においても大変貴重なものである。造立年代は不明であるが、形式から室町時代初期のものと推定される。」


隣にありました。

銅鐘は三木市指定文化財です。
説明書によると、
口径64.1cm、高さ112.6cm、竜頭高20.8cm 安土桃山時代
『鐘の銘文には「播州三木郡吉河庄湯河山法光寺常住」鐘として、慶長6年(1601年)辛丑年12月2日に「奉鋳」されました。作風については、当時の鋳物師集団「姫路野里の鋳物師」の特徴が見られ、「藤原政雅家」、「平末次」という製作者二人の記銘があります。保存状態も良く、当時の吉川の歴史を知る上で、貴重な資料となっています。』


駐車場の前に、山門があり、仁王像が立っています。そこを抜けると燈籠が並ぶ参道の奥に本堂があります。
説明書より、「仁治3年(1242)等の縁起には、白雉2年(651)法道仙人開創と伝えられる。本尊は阿弥陀如来座像、寺歴は古く、吉川上庄の別当職をつとめ修験し、念仏、南朝の関係、領家万里小路(までのこうじ)家とのつながりなどを示す資料がある。」
本堂は、天正七年(1579)三木の合戦に際し、秀吉の兵により焼失したとされ、後、元禄(1688)念中に住僧宣雅(中輿第一世)により再建、享保二十年(1735)に灰儘となり、元文五年(1740)四月に完成。本来、西面の伽藍を東面とし、山門も現在の場所に移建された。十八世紀頃の密教系五間堂を知る為に価値があるとされています。
三木市吉川町法光寺42
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山門


仁王像
仁王像は木像(檜材寄木造)御丈約八尺・作者年代は不詳・室町時代の作とも伝えられています。


燈籠

手水舎

説明書

本堂







香炉、天保5年(1834)3月に奉納されたもの

説明書
このお寺は、弘法大師(お大師さま)を宗祖し、高野山金剛峰寺を総本山とする高野山真言宗のお寺です。

境内にて








沙羅双樹

菩提樹

多羅葉

山もみじ

不動明王

蓮池

南無観世音菩薩

五輪塔は、県指定重要文化財(昭和47年3月24日指定)です。
説明書によると、「供養塔として建立されたものである。高さは二メートルで砂岩質の石造である。各部の均整がよくとれ、容姿も堂々としており、県下においても大変貴重なものである。造立年代は不明であるが、形式から室町時代初期のものと推定される。」


隣にありました。

銅鐘は三木市指定文化財です。
説明書によると、
口径64.1cm、高さ112.6cm、竜頭高20.8cm 安土桃山時代
『鐘の銘文には「播州三木郡吉河庄湯河山法光寺常住」鐘として、慶長6年(1601年)辛丑年12月2日に「奉鋳」されました。作風については、当時の鋳物師集団「姫路野里の鋳物師」の特徴が見られ、「藤原政雅家」、「平末次」という製作者二人の記銘があります。保存状態も良く、当時の吉川の歴史を知る上で、貴重な資料となっています。』


