あちらこちらで大雪のニュースが流れている今年の冬です。
が・・・、ここ黒松内は例年よりは少雪です。校庭にも除雪の雪山は出現していません。毎年3月になると、雪解けクイズなる雪山完全消滅の日を当てるクイズを出すのですが、今年は対象となる雪山ができていませんなー。
今日は、午前中に寿都のお宝発掘の集まりがあったのですが、担当者にお弔いがあって急遽中止でした。 ニシン漁最盛期の漁師の親方のニシン御殿の二階にある様々なお道具やらを整理しているのですが、その中に「俵屋宗達」銘の大きな木の大箱があって屏風絵が入っているようなのです。 これこそ、お宝もお宝だと思うのですが、その真贋は調査されていません・・・。
ちょうど、原田マハさんの「風神雷神」という小説を読んでいて、これが俵屋宗達が主人公なのです。 宗達は織田信長に見いだされてその「宗達」の名をつけてもらったそうで、信長の口添えで、時の絵師一門の狩野家に弟子入りさせてもらったらしい。
しかし、昨年末の何度目かの屋敷整理の時に、そのお箱がなかった・・・。
どーしちゃったのかなあ・・・。
と、写真も内容も一貫性のないつれづれ日記でした。 ごめんなさい。
ついに、3つのビジョンの命題3
「学術と社会をつなぐ:学会のアイデンティティ形成と関連学会との連携」
うーん、このビジョンとなると実践者たるアタシではコメントするのも差し出がましいし、難しいなあー。
命題2についてでも書いたことだが、人の関心ごとはひとそれぞれであり、共通項を絞ることは難しい・・・。 自然ガイド・インタープリターであっても幅広い興味関心を持って自分のフィールドで活動しているわけで、まして、研究者となると膨大な専門分野・研究があるであろう。
私は最近では参加していないが、北海道アウトドアガイドフォーラム(という名だったかな)なる活動があって、けっこう多種な分野のガイドやら関係者が集まっているやと聞き及んでいる。 実行委員のおひとりにその訳を聞くと「ビジネス」というキーワードで参集しているのではないかとのことであった。そして、北海道アウトドア―ネットワークなるものの設立準備もあるらしい。
あえて、おこがましくも、環境教育学会・研究者と他の学会学術との横連携のキーワードを探すとしたら・・なんだろうか・・・と。
まずは、環境教育の研究者は、「何を教育目標としているのか」を考えたほうがいいと思う。 10数年くらい前に、日本環境教育フォーラムの人材育成カリキュラムづくりのミーティングでこのことだったか・・、このことが話題になったことがあった。 関係者がひとりずつ言語化したのだが、私が挙げた「めざす育むちから」教育目標は、
1.夢を描くチカラ
2.その夢実現にむけてあきらめないチカラ
3.続けてゆくと、何かを変えなければならないときにぶちあたる。その時に、自分を「変化変容させること」を恐れないチカラ
の三つをあげた。 これは、今もDSR(Doにか、Sする、Ryoku・チカラ)を育む活動理念として旧ねおす拠点では共通ごととして今も受け継がれています。これが、我々の活動・存在のアイデンティティであるわけです。学会学術言葉で、こんな語彙選択はないでしょうが、なんらかの共通教育目標を短い言葉で整理集約すべきではないでしょうかね。
自分のアイデンティティ(何を目指しているか)が確立できたいなければ、異なる他者とは繋がれない。 自己理解からの他者理解は、環境教育の姿勢態度の基本中の基本ですね。
そして、私は、そのうえで、「いのち と何か」であろうと考えることが大切だと思う。 かなり観念的なテーゼであり、ビジネスのように実利的でなく、研究のように探求しても答えがみつからいかもしれないので、これを共通命題としても学術的な連携には結びつかないかなー。
私にとって、「いのち」とは・・、
「開放性システム」だと考えています。 そもそも「いのち」とは、他の異なる存在と結びつく、関係性をつくるシステムだと思っています。 それを説明するためによくするたとえ話に「肝臓」の話をします。 肝臓が不調な患者がいるとします。他者から健康な肝臓を移植すれば健康で助かるとします。 その時、健康な人から取り出した肝臓は「いのち」ですか? そう、それ単体では「いのち」ではありませんが、他の臓器とつながることによって生命が保たれるのです。身体の中には何十億、何兆という自分の意志ではコントロールできない微生物が存在しています。彼が体内に存在していないと人間の生命は保たれません。地球上のすべての生物も地球と宇宙の関係も同じです。何かと何か、異なる存在との関係性によって生かされているわけです。
この原理原則が分かれば、他の異なる存在と連携することは「生きる-暮らすこと」の必然なのです・・・、
環境教育学会は、社会学や心理学、哲学とも連携して欲しい。
なんか、命題からはずれた ひとりつぶやきになっちまったなあー。
北海道の環境教育のこれまでとこれからを考えるをテーマにした北海道自然体験活動推進協議会(通称:えぞCONE)と環境教育学会北海道支部との合同フォーラムは、環境教育学会がまとめている「環境教育学会の未来ビジョン」を下敷きに討議しようという流れとなっているのは、先のブログで何度も報告してきました。フォーラムの基調パネルディスカッションで、学会会長、道支部長と私で鼎談せねばならないので、ちょっと考えを整理するために徒然に今日も書きます。
ふたつめの学会ビジョンは
「研究と実践をつなぐ:研究成果に立脚した実践の捉えなおしと収集・発信」
自然体験型環境教育を旗印にして現場実践をしている私としても大きな課題です。かつて、NPO法人ねおす(北海道自然体験学校NEOS)を経営していた時に、専門学校のような学費が必要な実践者の養成コースを通年で実施をしていました。自然散策、登山、カヌーなどのアクティビィティの体験実習、ネイチャーゲームやプロジェクトラーニングツリー等のパッケージされた活動群体験、コミュニケーションや表現力トレーニングなど幅広く体験学習をするばかりではなく、 植物、動物など自然科学の専門家もお迎えして、(手前みそながら・・)かなり充実をしたカリキュラムを実施していました。 年間100万円がたの授業料を頂き、多い時で10人程、平均して4,5名は在籍して5,6年は続けていたかな。 その収支経営的には赤字にならない程度であり、自然学校経営全体にとっては収益部門とは言えませんでした。
が、しかし・・・。 これには大きなもうひとつの目的がありました。それは、学術的専門家とのつながり、ネットワークを形成することでした。 おかげで様々な分野の専門家とつながることができました。 学生やスタッフから質問があり私達職員スタッフでは答えられないことがあっても、誰かに照会すれば、その人ではなくても、そのまた紹介で専門家や研究者に出会わることで、応えることができるほどのネットワークができていたと豪語していました。「グリーンランドで野菜づくりをして販売したい」「アウトドア用品のLL,3L,4Lサイズばかりを商品に並べたインターネット商売をしたい」なんてこともありました。どちらも実現には至りませんでしたが、助言を受ける方々にはつながらせることは可能でした。
でも、このネットワークの維持・メンテナンスは、それなりのお金や手や暇がかかるのも実感しました。けっこう大変なのです。
研究者と実践者は、その思考方法や普段の生き方までそうとう違う、言ってみれば「生態」が異なる存在であるんじゃあないかな。そういった異なる者同士を出会わせるには、やはり「場」が必要であり、NEOSの人材養成コースは、その「場」に結果的になっていたのだと思うのです。
と、すると、この命題2の解決の方向性は、人材養成(インタープリターや自然ガイド)の「場」づくりであると考えます。
洞爺湖周辺をフィールドとしたジオガイドのネットワークがありますが、ここは実によくガイド・インタープリターの学習会を専門家をよんで開催して、勉強して知識を常時アプデイトしていらっしゃると、私はみています。
この「場づくり」を誰がするのか・・、それが えぞCONEの役割なんかなーと、ロートル爺さんはぽやぽやと思う昼下がり・・・・。
と、つらつらと書いて・・、再び思いつき課題・・・
自然や環境問題は実に幅広い課題が満載、実践側の興味関心もすでにフィールドを持っているので実に多種多様。 その人たちが総じて関心を持ち集えるテーマを絞るのが難しいんだなあ。 ジオガイドは、つまるところ、研究者のテーマとガイド実践側の興味関心が一致しているから学習会の場が継続つくりやすい。だから、ここのところをどーするかが次の課題だな。
つきるところは、「そもそも論(なぜ環境教育、自然体験活動が必要なのか」だと思うんだが、それだけをテーマにしても 人は集まらんしなあー・・・・。