高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

4Hクラブの取材

2016-02-04 11:53:47 | いろいろシゴト

地域情報誌 Bayway後志の記事取材のため、自然学校が立地する黒松内町作開地域の元酪農家のお年寄りに集まって頂き、農村青年運動である4H倶楽部が盛んな頃のお話をして頂きました。 

4Hクラブは、今現在も日本各地にあるようですが、ここ黒松内では4Hクラブという名称の農業青年会はなくなりました。 

将来の日本の農業を支える20~30代前半の若い農業者が中心となって組織され、農業経営をしていくうえでの身近な課題の解決方法を検討したり、より良い技術を検討するためのプロジェクト活動を中心に、消費者や他クラブとの交流、地域ボランティア活動を行っているのが、4Hクラブ(農業青年クラブ)です。

同クラブは、現在、日本全国に約850クラブ、約1万3千人のクラブ員が、それぞれの活動を通じて、若手農業者の刺激となりつつ、“日本や世界で貢献できる農業者”となることを目指しています。

4Hとは、農業の改良と生活の改善に役立つ腕(Hands)を磨き、科学的に物を考えることのできる頭(Head)の訓練をし、誠実で友情に富む心(Heart)を培い、楽しく暮らし、元気で働くための健康(Health)を増進するという、同クラブの4つの信条の頭文字を総称したものです。

黒松内作開くもっとも盛んな頃は戦後まもない頃で、畑作だけでは冷害を乗り越えて安定農業活動ができないということで、酪農業の導入を本格的に始めるきっかけとなった青年活動でした。 冷涼な気候なため度重なる冷害に苦しんでいた頃に、それでも畑作商品作物に変えて、畑に牧草を植えて酪農を実施することは、当時の先達からは大きな反対がありました。 飼料や牧草を作付できないので、搾乳牛を増やすに増やせない、そんなジレンマがある若手営農者への発酵飼料・サイレージの生産普及を進めたのが、サイロの建設でした。 大型のサイロではなくて、手作りの小型サイロを地域の若者が力を合わせて次々と建設をしました。 そして、牧草ではくて、周辺に自生しているドンガイ(オオイタドリ)を裁断してサイロに詰めて発酵させるという技術を農業改良普及所と共に開発したのが、作開地区の農家の長男坊達でした。  皆さんは、すでに80代に達しています。

三浦さん、岡部さん、田村さん方にお集まり頂き、当時のお話を聞くことになりました。9軒の農家の長男坊達が集まり、合計11基のサイロを2,3年の間に建築。 各農家ともに2,3頭の乳牛を増やし、その乳質も高めることができました。 農林水産大臣賞2回、北海タイムス農業賞も受賞するなど、その小型サイロ建設事業は、全国的にも大きく評価されたのでした。

貧しい時代のことでしたが、「あの頃は楽しかった」という思いで話に花が咲きました。 同じ時代を協力し合って生きてきた80代のお年寄り達の御話は、当時に時空を越えて「共感」を呼ぶようで、お話を聞いていても、豊かな時間がすぎていたことをひしひしを感じることができました。

私は60代となり、次の年よりの域に達しつつありますが、地域の同世代の方々との共有体験がまったくと言っていいほどにありませんから、あと10年、20年、みなさんのように寄り集まって昔話に花を咲かすことはできない・・・、地域における共感性が薄いと思うと、便利な世の中に生きているとは言え、皆さんをとてもうらやましくもあります。

 

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2月3日(水)のつぶやき

2016-02-04 05:32:56 | 日記
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