2008.10.21(火)曇り、晴
準備を進めてきた入口坂の舗装を始める日が来た。なにしろコンクリートなんて打ったことがないので村上さんにいろいろ聞いて、やっとこさこぎ着けた訳である。以前に店前のレンガ張りをしたので、プラ船やこてなどの用具は揃っている。今回購入したのはセメント、砂、バラス、ワイヤメッシュのみである。側板は村上さんに頂き、支柱にする杭は工事の残りの鉄筋を使う。昨日の夜にワイヤメッシュを入れ、側板を取り付け、コンクリートを流し込めばいいようにしておく。
前日にここまで用意。
朝じょんの散歩が済んだら、作業開始。セメント一袋に対し砂が2袋、なーんて入れてゆくと、それだけでプラ船一杯になってしまった。あら、これじゃダメだ。980円の安物では大きさが絶対足りないのだ。やむなくシートを持ってきて半分を空ける。半分にしてもバラスを入れたら船は山盛り、これじゃこねることも出来ない。いかに試行錯誤とはいえこれじゃあんまりだ。だましだましちょっとずつ練って枠に放り込む。水加減がめちゃくちゃだ。ゴム長で踏んでならすが、うまくいかない。残りのセメントも放って置けないので同じように練って放り込む。1/3ぐらいが残ったがこれ以上セメントを開けたら残りを持って行きようがない。というわけで今日はここでおしまい。今日は山の境界線を確認に行く日なのだ。バタバタと飯をかっこんで三和町に向かう。製材所は家族連れで待っていてくれた。重ちゃんといって親しまれているおじいさんは、おふくろと同い年、家ではおぼつかない歩みだそうだが、山に入るとかくしゃくとしている。山坂道を車を降りて歩いてゆくのだ。ここで猪谷千春のお父さん六合雄さんのことを思い出す。私がアルペンスキーを習ったのは実は六合雄さんであり、そのころもう既に90才前後になっておられたかと思うが、宿舎では介添えがなければ歩けないのにスキーをはくと生徒を教える先生となるのだ。重ちゃんは的確に境界を教えてくれて、私はテープを巻いたり、写真を撮ったり、メモをしたりで、よく理解が出来た。ただ都会の所有地の境界みたいに境界杭を打ってどうのというものではなく、尾根からこっち、谷からあっちなどとアバウトなものである。おじいさんは家に帰り、娘さん二人は松茸取りにさらに奥に入り、私は昨冬切った間伐材を積み込む。
南京ヒッチが出来ることが、なんとなく優越感。
製材所で挨拶をして家に帰ると、早速コンクリートの出来を調べる。うーむ、汚い。
この作業をあと九回こなすわけだから、その内うまくなるわいな。
今日のじょん:久々のシャンプー
手術の入院の関係で長い間シャンプーが出来なかった。臭いが気になっていたのだが、最後の方は慣れてきていた。今日は天気も良く最高のシャンプー日和。いつもより余計に洗っています。居所もすっかり掃除されて、気持ちよさそう。