2010.5.12(水)曇、雨
宮沢賢治が「寒サノ夏ハオロオロ歩キ」と詠んだ東北の夏はきっとこんなだったろうと思わせる寒さだ。もう片付けようかと思ったストーブが扇風機と同居している。暖かい下着はとっくに仕舞い込んで、背中がぞくぞくする。芽を出した豌豆も植え付けた茄子も縮こまっている。それでも元気なのは雑草だけで、そろそろ今季2回目の草刈りを始めねばならない。
遊里のこと(8)
綾部市七百石町の由里を訪ねる。5月8日のことである。上林から黒石峠を越え、施福寺、八坂神社、を訪ね、まず七百石町の岩王神社を訪れる。長く急な石段を登り詰めるとひっそりと社殿が建っているが、上林の神社に対し何かしら明るさを感じるのは季節のせいだろうか。祭神は私にとっては馴染みの薄いものであり、そのいわれも知らない。傍らに稲荷社があり、気になるのは辺り一面の赤い地層だ。これがどういうものか解らないのだが、昨年訪ねた大江町の室尾谷観音のあたりもこんな赤土だった。
参道脇の土も真っ赤である、埋まっているのは人工の石のようだが、、、。
由里を目指して細い道を行く、庭が素晴らしいという、ゆう月さんを過ぎると、あっという間に集落は無くなった。最後のお家を訪ねて聞いてみる。 仁王門と本堂、どちらも茅葺きだ。 七百石にはもう二つ”ゆり”地名がある。ユリ山とユリノ下だ。地図で見ると高速の下をくぐって少しのところだが、あまりの天気の良さに行きすぎてしまった。 【作業日誌 5/12】
「こんにちは、由里というのはこのあたりですか?」
奥からお年寄りらしい声が帰ってくる。
「えっゆう月ですか」
「いえ、由里というところです」
「そんなところは聞いたこと無いですよ」
表札を見ると、七百石町○○番地となっている。由里という小字は使われていないのだろうか。それにしても、若い人ならともかくお年寄りが我が地名を知らないとは、それが例え隣の集落であっても、不思議なことだ。地図には確かに由里と載っているのである。
やむなく岩王寺(しゃくおうじ)に行くこととする。ここは茅葺きのお寺というので有名である。坂の入口で、お寺の由来をかいた看板を熟読し、歩き始める。すぐに着くのかと思いきや、幾ら歩いても着きそうにない。戻って軽トラで登る、これが正解、くねくねと相当登ったところに山門が見えてきた。茅葺きの立派な仁王門と本堂があり、無人ではあるが、きれいに清掃されている。かつては名高い硯石が産出されたそうだが、山崩れのため今では出ないということだ。境内にはそれらしい岩石が使われているが、一体どういうような岩石なのか調べてみないと解らない。また、七百石町という地名はこのお寺の寺領が七百石あったためらしい。それらしい小石を拾って山を下る。
七百石周辺には金里、湯ノ戸、大釜田など金属地名を思わせるものが多い、しかも岩王寺も高野山真言宗である。”ゆり”地名が3ヶ所もあるのは、単なる偶然だろうか。つづく
《遊里のこと(7)は2010.5.7参照》
今日この記事を書こうと準備をしていたのだが、折良く村上さんが岩王寺産の硯を持ってきて見せてくれた。嵯峨天皇をして「石の王子」と言わしめた岩王寺の硯である。今ではもう産出されないしろものだから、値打ちは計り知れない。
これが石王子(しゃくおうじ)、黒地に白糸紋が特徴。
玉切り
鯉のぼりポール片付け
今日のじょん:じょんもすっかり夏バージョンになっており、毛布や布団は片付けられ、毛も半分抜け替わっている。あまりの寒さにかみさんが、毛布など出してきた。サブ。