2010.5.23(日)風雨
遊里のこと(4)(2010.4.19)でユリ取、板取のことを書いたら、「故郷の近くに板取という地名があるけど、金属と関係あるんかなあ」という方がおられた。早速その地、徳島県海部郡海陽町付近を調べてみる。宍喰中学校を北に行ったところに板取はある。徳島から室戸岬に向かう国道55号線、土佐東街道から西に少し入ったあたりである。この街道は42年前、初めての一人旅で、通った道である。当時はほとんど地道で、バスは岬を上り詰めては、浜に降りてゆくという動作を幾度となく繰り返して、半日かかって室戸岬に着いたのを憶えている。地図であたりを調べて驚きだ、サビ島、金ヶ崎、金目など、らしい地名が続出だ。街道沿いに北上するとやがて浅川に達する。このアサは鉄を意味するアサかなと思って、鉱山の履歴を調べたら、浅川鉱山と言って、昭和初期には三菱鉱業が操業していたという大規模な鉱山であった。浅川型含銅硫化鉄鉱を産し、近辺にもいくつかの鉱山があった様子である。
他にも板取という地名がないかなと調べると、十ヶ所程度でてきた。地図で調べていわゆる金属地名の多いものをあげると、福島市松川町浅川字板取が挙げられる。浅川という地名も同じなら、近隣には金谷川、金沢、菅生、金山、金古場、湯ヶ原、角釜、浅目、水晶沢など金属地名らしき地名が目白押しである。そして鉱山はというと、古くからの金銀の鉱山が沢山あり(松川北鉱山、松川南鉱山、金谷川鉱山、小池鉱山、信夫鉱山など)、松川鉱山などは戦前まで操業していたそうである。
自転車旅行中に通った所にも板取地名を見つけた。余呉から今庄に向かう国道365号線北国街道、栃ノ木峠の下り、今庄365スキー場のあたりが板取である。その時偶然にも板取宿跡に立ち寄って写真を撮っていた。
板取宿跡
このあたりが鉱山の地かどうかわからないが、峠を更に下って日野川に合するあたりに菅生神社がある。すぐ白髭神社があり新羅と関係があるのかなと思っていたら、今庄に入って新羅神社がある。今庄インターチェンジの付近に湯尾と言うところがあり、ますます金属、特に鉄に関係ありそうだなあと見ていると上別所、鋳物師、平吹という地名が出てきた。
別所と言えば「鉄と俘囚の古代史」でお知らせした地名だが、豊橋市石巻本町板取を調べていると、同町内で3Km程のところに別所があるのを発見する。別所に付きものの白山神社もあり、近隣には 素戔嗚神社もある。また豊橋市は高師小僧で有名な高師原もある。
知多半島にも二ヶ所の板取がある。知多郡美浜町小野浦と同郡南知多町師崎の板取である。そしてこの中間、南知多町だが距離的には美浜町の板取からの方が近いところに、上別所、下別所というところがある。この別所は「鉄と俘囚の古代史」の別所地名一覧にも記載されておらず、なにかワクワクするものがある。板取と鉱山、産鉄、板取と別所、なにか因縁がありそうだが、これだけの資料では即断できない。ただ”ユリ”地名と板取地名、ひょっとしたら同じ発想から生まれた地名なのかもしれない。つづく《遊里のこと(8)は2010.5.12参照)》
常滑から伊勢に渡るフェリーから、知多半島。
今日のじょん:嵐の一日となった。上林の風は半端じゃない、ちょっと外に出ただけで傘がぶっ壊れてしまった。それを見てじょんが喜ぶこと。