2010.5.27(木)雨
ここまで雨が続くとさすがに憂鬱になる。その上寒くて、遂に石油ストーブを焚いて折角しまった長袖のシャツなどを出してくる。この時期にストーブを焚くのは幾ら上林でもそうはないのじゃないか。
七五三掛について昨年の今頃盛んに考察していたのだけれど、実はどうも自信が無くて気に掛かっていた。その後地名に関して多くの書物を読んで解ってくると、昨年の自説が間違っていることがはっきりしてきた。改めて七五三掛の地名について新たな考察を述べてみたい。
七五三掛の由来は七五三縄という説もあるようだが、七五三縄の形が峠の形と似ているからと言う私の前回の説は誤りのようだ。七五三(しめ)については境界とか占有を示す言葉だが、掛についてはどういうものかはっきりしなかった。七五三掛として七五三縄を表すのだろうか、あるいは掛というのは村落、集落を表すのだろうかと想像していた。どちらも間違いであるというのが解って、気恥ずかしい思いである。(七五三掛考、2009.6.2~4参照)
七五三、注連(いずれもシメ)というのは、標のことであろう。国語辞典にも、しめ「標」木を立て縄を張ったりなどした境界標とある。標を”しめ”と読むとは私も知らなかったのだが、標は”ひょう”であり、これは峠または山を表す。峠、瓢、兵、俵などと書いて”ひょう””ぴょう””ひよ”と読ませる地名は多数ある。谷川岳の平標山(たいらっぴょう)は登山をする人にはご存じの山だし、我孫子市の成田線湖北の北に中峠とあるのは”なかひょう”というそうだ。義経で有名な鵯越(ひよどりごえ)も標(ひょう)取越ではないかという説もあるそうだ。ここは摂津と播磨の境でもあるのだ。自転車旅行で走った、大分県と熊本県を分ける兵戸峠(ひょうどとうげ)も峠越えの境界を表す良い例かと思う。
兵戸峠はトンネルになっており、かつてはこの上部にあったのだろう。
つまり、境界を示す標(ひょう)=峠、峰=標(しめ)=七五三、注連(しめ)という関係である。七五三掛の由来が十王峠にあったという私の説はそういう意味では正解であったと思う。七五三が十王峠であれば、掛は何なのだろう。つづく
【作業日誌 5/27】
芝生広場草刈り
キツネノロウソクが現れた。昨年は8月に見つけたのだが、気温より湿度が影響するのだろうか。
今日のじょん:この時期にストーブ焚くのも珍しいが、じょんが暑がらないのも不思議だな。