2010.5.28(金)曇
寒さの夏が続き、ストーブに次いで長袖の下着も掘り出してきた。大体衣替えが早すぎた。昨年の記録を見ると6月23日に行っている。教訓、上林の衣替えは6月下旬とすること。
七五三については、柳田国男著「地名の研究」に詳しく、解りやすく書かれている。さて、七五三掛の掛は崩壊、崩崖地名を表すとある。地形地名の研究をされている塙静夫氏の「とちぎの地名を探る」に詳しい。
七五三掛が大きな地滑りに襲われたのは昨年2月からのことである。住民五軒が避難とあったが、全体でも七軒の集落だから、残ったのは二軒だけということのようだ。歴史的にも地滑りの被害を受けているようで、過去には大日坊が地滑りで移転しているということもあったそうだ。
掛、欠(かけ)は鞍掛、沓掛など地名に多くあり、崖、垳(がけ)に通ずるという。
七五三掛考(2009.6.2)で紹介した、小諸の七五三掛城が四面崖から来ているというのもあながち当てずっぽうではないわけだ。また、この時の七五三掛考を読み返すと、”しめ”は標とも表すと書いている。我ながら素晴らしい着想だが、標が峠や山頂を表すことを知っていながら、気がつかなかったところが誤りの元であった。
中上林、五津合町に白垣、五泉町に太郎垣という地名がある。白垣はバス停はあるが小字ではないようだ。上林風土記に何やらの合戦の際に白い垣を立てて云々という伝説が載っていたように記憶するが、私はこの「垣」は「掛」ではないかと思っている。”シラ”とは隠されていたものが露見するという意味があり、”シラガケ”とは土砂崩れによって山肌が現れた崖という意味になる。愛知県知多地方では崖のことをシラガケと言うそうである。
話がそれてしまったが、七五三掛とは境界、境を表す峠のもとの崩壊地形の村という意味だろうと結論づける。
森敦の月山は、タイトルは月山でなくてはならないが、モチーフは、閉鎖された世界と外界を分ける、あるいは冬と春を分ける、あるいは霊界と人間界を分ける、あるいはあの世とこの世を分ける標(しめ)となる十王峠であることが解るだろう。
【作業日誌 5/28】
ドッグランど杭立て
芝生草刈り
玄関坂レンガ張りかみさんの手伝い
今日のじょん:おとーとおかーの作業をベランダで見ていたら、寒さのせいかがたがた震えていた。冬の寒さは平気でも夏の寒さはこたえるらしい。情けない顔している。