2012.3.7(水)曇
三年前だろうか里山ねっと・あやべのお誘いで金谷峠に行った。小畑の方々が数年かけて室尾谷観音寺に至るルートを整備されたものである。旭町から安国寺へぬける横峠も山家の方々が整備されたと聞く。志賀郷方面でも峠を巡る活動がなされているようだし、上林では美山町側の方々と交流を深める洞峠の風に吹かれる会が例年開催されている。
金谷峠を登る(2009.11.14) 洞峠の風に吹かれる会(2011.10.16)
大栗峠和知側(2011.11.18)
そして縁あって大栗峠に通い始め、その魅力に取り憑かれて何度も訪れ、雪解けを待って再度訪れたいと思っている。
このようにモータリゼーションの発達により見捨てられ、荒れ果てていた峠を見直して整備をし、沢山の人に訪れてもらうというのは大変喜ばしいことと思う。願わくはこの傾向が一過的なものでなく長期的に続くことを祈る。
昨年老富の方々と猪鼻峠を訪れたときのことである、地元の方々は峠や山道を見て驚かれた。すっかり荒れて薮が生い茂り、道を見つけることも歩くこともままならないと思われていたのが、彼らが子供の時のようにきれいな道となり薮なんてどこにも見当たらない状態なのだ。
人が山に入り、通行しきれいな道や峠だったのが、やがて人が入らなくなってブッシュと倒木の道になり、そして今元のきれいな道に戻っているのだ。元の自然が帰ってきたわけでは無い、鹿が増えて馬酔木(あせび)以外の草木を食い尽くしてしまったのだ。特にかつての山につきものの笹、熊笹の類が一切無いのだ。よく地面を見ると食い尽くされた笹の株が申し訳程度に残っている。鹿に喰われた植物は二度と芽を吹くこと無く枯れてしまうと聞く。山に生きてきた人たちがこの光景をどのように見ているのかわたしは確かめる気持にはなれなかった。
以前は笹がびっしり生えていたという。丸山の斜面。
鹿は笹を食べ尽くすほど増えてはいけなかったのである。人間が里山、山といった緩衝地帯を放棄したがゆえに彼らの個体数が増えたとわたしは考える。
この山は果たして元の状態に戻れることが出来るのだろうか、暗澹たる気持にならざるを得ない。
わたしは足腰の許す限り、上林の峠を登ろうと思う。そして多くの人に紹介して山に入ってもらおう。機会があれば峠道の整備も手がけたい。多くの人が山に峠に親しむことが、里山や山を人の手に取り戻し、獣達を彼らの居場所に収めることの一助となるからだ。
それにしてもあの防獣ネットは山に親しもうとする人に対してなんとも威嚇的である。つづく
今日のじょん:なぜかわたしが風呂に入っているときに強烈に吠える。上がってから見ても何も居ない。少しすると又吠え出す。こんなことがよくある。
湯冷め覚悟で外に出て目を凝らす。何も居ない、でも遠くで人の声がする。田舎では夜中の人声は珍しい。どうもそれに反応しているみたいだ。 なんかおるでの図