晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 李寧煕が解いた古代地名を歩く(1) 3/13

2012-03-13 | 雨読

2012.3.13(火)雪、曇

 地名に関する書物を沢山読んでいると様々な見方をされていることが解る。その流れの一つがアイヌ語起源説で、アイヌ語地名辞典のようなものまで出版されている。もうひとつの流れが朝鮮語起源説で、本書はこちらの流れである。もちろんそれだけではなく日本語というものはあらゆる地域からの流入によって形作られたものだろうから一つの国や地域の言葉にのみその起源を求めるのは無理があろうかと思う。
 しかし日本人の多くが半島からの渡来であろうと考えられているし、特に古代の権力の中枢は半島からの渡来人に握られていただろうという考え方も正しいだろうと考える。従って古代地名を解くに当たって朝鮮の言葉を研究する必要は大であろうと思っていた。以前紹介した「日本山岳伝承の謎」(谷有二著)はわかりやすく朝鮮ルーツを解説しておられた。
 ぜひ他にも朝鮮ルーツの地名に関する書物を読んでみたいと思っていたところにこの本を見つけたわけだ。P1010279 

「李寧煕(イヨンヒ)が解いた古代地名を歩く」仕田原猛(しだはらたけし)著 2008年5月第一版発行 自費出版 購入価800円

 自費出版としては随分立派な本である。ページも三百三十六ページあり、装幀もしっかりしている。李寧煕女史は韓国の作家で、「もうひとつの万葉集」「枕詞の秘密」「天武と持統」「日本語の真相」「甦る万葉集」「フシギな日本語」「怕ろしき物の歌」「もうひとりの写楽」などの出版がある。日本語に関する研究、万葉集に関する研究などされているようだがわたしはそれらの内容を知らない。
 明日香から京都まで古代の都とその周辺の地名について古代朝鮮語などをもとに解読されたもので、そのひとつひとつを立証しようというのが本書の趣旨である。
 もうひとつ本書の特徴はその解読する地名のほとんどが金属、特に鉄と関連するのである。
 地名に関する書物では前述のようにルーツとしての言語が特徴的なものもあるが、その起源が金属、農耕、地形とも分かれている。地形起源が大部分であるというのは大方の見方のようだが、金属起源説の方は農耕起源については一言も語らないし、逆に農耕起源説の方は金属に関しては何も語らない。地形起源説の方は何もかも地形起源として、明らかに金属などが語源であろうと思われるものまで地形にこだわるケースが多い。
 読者としてのわたしの立場からは、これら一つの分野にこだわり、他の分野を無視する態度の書物は信頼を置くことが出来ない。なぜなら言葉にすれば、極東の日本はあらゆる方面から民俗と言語が流入し定着する場所だと思うし、文化だって金属や農耕文化だけで発達してきたわけではないし、地形だけが日本人の生活に影響した訳ではないと思うからである。
 そういう意味で本書の内容に私自身は信頼を置けないのであるが、その理由は他にもある。つづく

【作業日誌 3/13】
薪伐採
郵便受け箱完成

今日のじょん:玄関に郵便受け箱が完成した。じょんが散歩に行ってる間に据え付けたものだから、帰ってきて怖がること。新しいものがあると怖いのよね。P1010277 P1010275

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雪中八策 防獣編(20) 3/12 

2012-03-13 | 日記・エッセイ・コラム

2012.3.12(月)雪

 沖縄県農業試験場の外間数雄氏の「畑の景観 文化地理的考察 2.囲い込み農業」という論文に奥の猪垣について詳しいことが載っていた。
 高さは1.5m~1.7mで石組みの最上段はテーブルサンゴなどの平たい石を置き、庇(ひさし)のように突き出ている。リュウキュウイノシシはニホンイノシシの1/3ほどの体格で、跳躍力は1.2m程度という論文もあり、まずは侵入を防止できる高さなのだろう。最上部の庇状の石は、イノシシが前足をかけるのを防ぎ、よじ登っても足下が見えず飛び降りにくいという効果があるらしい。最近の金網柵についても上部が外側に張り出していないと防獣の効果がないと専門業者が語っておられた。先人の知恵は実に素晴らしい。
 また、猪垣の周囲に空間部を設け跳躍力を殺(そ)ぐという風に書いてあり少し理解に苦しむが、居住地に隣接する茂みを無くそうという現在の姿勢に共通するものがある。
 奥の猪垣は1960年代まで続いたとあり、共同管理が1959年に終了したというのは間違いないだろう。しかしその理由につては過疎化が原因と書かれている。今回の論文の資料提供者は奥の区長の某氏ということになっており、両論文とも過疎化が原因というのは奥では定説となっているのだろう。
 ご承知のように沖縄は1972年までアメリカの統治下にあり、農村の状態も本土とかなり違いがあったのかも知れない。だから一概には言えないのだが、私たちの田舎の状態を見る限りでは、1959年に猪垣の管理が不可能になるほど過疎化が進んでいるとは考えにくいのである。
 状況も解らない素人のわたしであるから将にげすの勘ぐりだが、猪垣が使われなくなった理由について仮定の説を考えてみたい。Img_2727
 
辺戸岬周辺の農地、防獣ネットなどは見られない。ただし作物は何か解らない。 


 奥の猪垣は物理的にその高さや石垣の工夫からイノシシの侵入を防いできた。しかし物理的な猪垣だけでは防ぎきれることはなく、猪垣の保守管理のための人間の行動、そしてその周囲の薪炭利用地域(里山)、さらに建築材利用地域(山)における人間の行動による圧力によって、イノシシは源流域(奥山)に閉じ込められた。
 ところがアメリカの統治下にある沖縄では本土の農村よりも早くに燃料革命、資材革命が起きたのではないだろうか。薪炭が灯油に変わるのも、外材による建築も本土より早く変わってきたと予想される。
Img_2778
奥、民宿海山木(みやぎ)の食堂、このような昔ながらの建物は見ることは無い。


しからば猪垣の外にある薪炭利用地域、建築材利用地域に人が入ることがなくなり、イノシシのバリアは猪垣のみとなる。そして猪垣は遂にイノシシの侵入を許す結果になったのではないだろうか。
 その後のイノシシ対策はトタン、鉄網、漁網などといった現在全国でみかける方法になったそうだ。猪垣を村で管理し、山に人が出入りしている時代には侵入しなかったイノシシに今はなやまされているのだろう。Img_2658
 
伊平屋島の風景、石垣は暴風のためか、ネットは防獣用らしい。


 もし猪垣だけでイノシシの侵入を防げたのなら、村人は万難を排して猪垣の管理を続けただろうと思うのである。つづく

【作業日誌 3/12】
郵便受け箱作製P1010271

後の修理や改良に便利なように屋根を着脱式にした。



今日のじょん:今朝の雪、しれてるけど1日降り続いた。じょんは大喜び。
P1010268 P1010269
雪のボールは歯にしみるのよね。 

 

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