2012.3.21(水)晴れ
廃村を訪れるのは表現のしようのない郷愁感のようなものを覚える。ましてや幼い頃にその地を離れ、一生訪れることは無いだろうと思っていた人が半世紀ぶりに自分の育った家、いやその家のあった場所を訪れたら、それはどんな気持だろう。
離村、廃村の哀しみは、非可逆性にあると思う。絶対にその村には帰らない、帰れないということである。
村を出たものはそのことが最も幸いで、最良の判断であったと思い続けなければならない。しかしその地は数百年、千数百年前に先祖達が入植し、何代も何代も同じ事を繰り返しながら、少しずつ生活を改善してきた土地なのである。その長い年月の人間の営みを一瞬にして破壊し放棄するのが文明のせいであるとしたら、文明って人間にとって何だろうと思わずにいられない。
里山ねっと・あやべの計らいで、大成(おおなる)、三郡山(みこおりやま)を訪ねることが出来た。立木駅に集合したメンバーは総勢14名、その中には幼い頃を大成で過ごされた方がおられた。
立木駅集合 9:00 分乗して出発
林道終点出発 9:40
観音堂出発 9:55
樋口家土蔵出発 10:10
片山家土蔵出発 10:20
大成峠出発 11:14
三郡山着 12:00
発 12:10
長者成昼食 12:30
出発 12:55
大成峠 13:55
林道終点着 14:18
立木駅に集合して、自己紹介ののち車に分乗して出発する。大成川は岩盤の渓谷で美しい。鏨の跡のある岩などもあり、良い石材が出たのだろうか、石柱や石板に向いた石が見える。かつての大成道は川沿いの道で、川を渡る所もあり大変な道であったそうだ。右岸には田んぼの石垣が続いており、耕地の少ないこのあたりでは厳しい耕作が行われていたのだろう。今冬の雪で倒木があるが、林道はきれいに整理されている。どうやら山仕事に入っておられるようだ。右岸上部に共同墓地跡があると聞いたが、乗用車の中では確認できなかった。
谷間に博打岩という大岩がある。上流側がえぐれていて、いかにも博打場風になっているが本当に博打が打たれていたかどうかは定かで無い。
立木駅から大成に向かう林道、車上から上手く撮れなかったのだがこの少し上に博打岩がある。
やがて観音堂下の林道終点に到着、駐車の後観音堂にむかう。この観音さまは養蚕にご利益があるということで、例祭時には近郷近在から多くの参拝者で賑わい、狭い前庭には十軒もの出店が出たという。
観音堂から林道終点駐車場
観音堂、よくぞここまで管理してこられたと思う。
この前庭に多くの出店が出たという。
裏手にある地蔵や五輪塔、相当古そうだ。
ご本尊は十一面観音だそうだが、管理が困難なため近々麓のお寺に預かってもらうというお話を聞いた。残念なことである。
観音堂の裏手に石仏や五輪塔で相当古いものがあり、歴史を感じさせられる。
今日のじょん:木下ぽんぽこぽんも慣れてきたとはいえ、なかなか大変な時もある。なだめすかしてやっと成功する状態である。
最初はボールの位置が判っていても、知らん顔している。
そのうち励まされながらボールを取ろうとするんだが、なんとも腰の引けた頼りない様子だ。
近づいて励ますとようやくボールを取って、なんとも自慢げな顔。