2012.3.16(金)曇
里山ねっと・あやべ主催の峠再生情報交換のつどいに参加する。今回は第三回目で、「三郡山(みこおりやま)の大原越えと大成(おおなる)・長者ヶ成」という議題で山家(やまが)公民館で開催された。
2月5日(日) 大栗峠とその古道 綾部市観光センター
2月18日(土) 小畑の宗峠と秋葉さんの尾根 本城奥公会堂
と開催されて、今回が最終と言うことだった。大雪のため宗峠(そうとうげ)の回には参加できなかったのだが、それぞれの峠に思い入れがあって楽しく参加させて頂いた。
大栗峠については「大栗峠考」の中で詳しく書いているので割愛するが、宗峠は文化の先発隊が大江から綾部に入ってきた重要な峠の一つと思われる。わたしは「瀬尾谷のこと」(2012.2.18他)で述べたシオ地形が宗谷の地名由来と予想していたのだが、里山ねっとの朝倉氏に「鉄を表すソフもありますよ」と言われて一本取られた感じである。思えば峠の向こうは大江山の鉱山地帯である。小畑には金谷、別所といった金属関連地名も存在する。ともあれ宗谷、宗峠を実際に目にしたいと思うところである。
2009.11.14、偶然に撮った写真。宗峠あたりだろう。
4月14日(土)、綾部里山交流大学の一環として、宗峠周辺の清掃登山が開催されるのだが、店の都合もあり参加が難しそうだ。
本日開催された三郡山の大原越えというのは、山家(やまが)から三郡山を越えて福知山市三和町大原(おおばら)蛇ヶ谷に至る峠道で、多くの石仏、石標があり、伝説の長者ヶ成などもあって興味深い。また、立木(たちき)から大原に向かう途中、三郡山南東斜面には大成という廃村もあり、ここも一種の高地性集落ではあるまいか。
また和木から大原峠を越えて大原蛇ヶ谷に到る道も古くから交流のある峠と言われている。
元旦の大原神社の賑わい(2008年)
これらの峠道はやはり大原神社詣での信仰の道といった性格が強いが、大原神社が遷宮されたという弘安二年(1279年)以前にはどうだったかということになる。もちろんもっと太古から峠道はあっただろうし、それは日本海からの文化の通り道であったろう。大原の文化は由良川、土師川、川合川を遡ったわけでなく、若狭湾から直接上林や綾部に到り、由良川の流域から直接峠を越えて流入したと考える。つづく
【作業日誌 3/16】
薪切り出し
三日かかって一週間分かな。
今日のじょん:久々にシャンプーをする。体重測定をするとなんと18.8g、一ヶ月で400g増加だ。一応許容範囲ではあるが、食事のコントロールが必要とかみさんは言っている。
マーブルママにもらった高級な、おそらくおとーが使っているよりずっと高級なシャンプーを使ったので、毛がふかふか。
といっても写真じゃ分からないか。