2012.3.10(土)曇
雪中八策も18回を迎え、読者も随分減った。防獣の話題なんて街に住む人は関係ないし、田舎に住む人ももう諦めきっているか、例のネットですっかり安心しているかで興味ないのかも知れない。
そこで今日は柵についてのコラムを書いてみよう。
沖縄にはリュウキュウイノシシといって内地のニホンイノシシよりこぶりの猪がいる。現物を見たことは無いのだが、やはり食害に悩まされているようだ。特に沖縄では山からすぐに海なので、人の居住地と猪の生息地が隣り合わせになっている。わたしの言うところの緩衝地帯が無いわけだ。そして亜熱帯のため繁殖期が春秋の年二回となっている。そんなことでイノシシの食害はかなり深刻らしい。
2007年2月に国頭村奥(くにがみそんおく)を訪れた。沖縄本島の最も北にある辺戸岬(へどみさき)から南東へ7,8Kmのところにある港のある小さな村である。峠を下りて小さな集落に着くとそこは桃源郷のような感がして三日間も滞在してしまった。
国頭村奥の集落。
この村の特徴は住民の団結が強いことである。ユイマール(結ゆい・共同作業)が発達し、沖縄の素晴らしい制度である共同店もここが発祥の地だということだ。
そして有名な奥の猪垣(ししがき)というのがある。イノシシ除けの石垣なのだが、村の居住地耕地をとりまき、延長10Kmにもおよぶ大がかりなものだ。村中が取り囲まれているので、薪拾いなど山仕事に行くときや村から出るときは猪垣にはしごをかけて出入りし、また外しておくという念のいりようだ。
大垣(ウーガチ)という村の外周の猪垣が完成したのが1903年というから明治36年に当たる。凄いのはその維持管理だ。村民全員であたるのではなく、耕作面積に応じて家々の責任において管理するわけだ。そうなると責任重大になる、うっかり石垣が崩れていたり草木が生い茂っていたら村中から責められる。そんなわけで村人は毎日毎日猪垣の保守管理に見回りと修繕を繰り返したそうだ。
実はこの間さほど興味も無かったせいで猪垣の現物を見ていないのだが、村誌などで見る限りさほど高くもない、珊瑚なども使われたただの石垣に見えるのである。
奥から少し山に入るとそこはやんばるの森。
猪垣の完成以来この村にはイノシシの害が無かったと聞くが、それは猪垣の高さでもなく、頑丈さでもなく、実は村人の不断の維持管理による獣に対する圧力なのではないだろうか。つまり石垣の周りを人がうろうろすることで彼らに強い圧力をかけていたのだと思う。
そして奥の猪垣を調べていたらもうひとつイノシシの侵入を防ぐ大きな理由があった。つづく
【作業日誌 3/10】
郵便受け箱作製
今日のじょん:フキノトウもじょんの散歩のお蔭で見つけられる。我が家の庭でも採れるようになった。欲しい人は案内するワン。
じょんのぽんぽこグランドにも出て来たぞ。