2016.2.14(日)雨
亡くなった恩師や友人の残した本がいくつかあるのだが、彼らには悪いのだが完読したものは一つもない。大作過ぎて手に負えないものやつまらなくて途中で放り出したものなど、これでもしわたしが死んだら古本屋に量りなんぼで持って行かれるか、PTAの古紙回収に出されるかの運命である。人生を賭して、渾身の力で書き上げてもそんな状態だ、虎の皮のほうがよっぽど後世に継がれるだろう。
そういった意味で後世に何を残すかというより、残った人生をどのように生きるかの方がよほど意味があり値打ちがあるかというものだ。
「嫌老」ならぬ「賢老」社会を目指すことである。
十分収入のある人は年金を返上すること、選挙権を後の世代に譲ることなど斬新なアイデアが出てくるのだが、高齢者が自立することが主眼である。氏の提唱する「高齢者が稼ぐ」経済再生プランとは若者の仕事を奪うことでは無くて、高齢者のことは高齢者で取り組むということだ。本書では補聴器の例が出ているが、みんなが満足できる補聴器が無いといういうところから、開発や製造に当たっている人たちが「老人の感じる本当の不便さ」が分かっていないからだろうと書かれている。老眼鏡、入れ歯、高齢者専用自動車など高齢者のものは高齢者で賄おうという発想である。「よりよい生き方」の最たるものは「社会貢献」だと説いている。これから老人世代となるわたしたちに勇気と指標を与えてくれる。
腰痛の本ばかり読んでいて気が滅入ってくるので気分転換に読んだ本なのだが、腰痛に関する事が出てきて驚いた。
心の持ちようで、飼い慣らした症状もあります。例えば腰痛そうです。最初はなんとか治らないものか、といろいろ手を尽くしたのですが、これも年の功というべきか、「腰痛は生涯の友。完治しなくてもいいじゃないか」と考え方を変えるようになってきたのです。そう発想を転換すると、痛みもそんなに気にならなくなるから、不思議です。
結果的に、私がやってきたのは、身体の不具合を「治す(なおす)」のではなく、「治める(おさめる)」ことでした。治療というより「養生」です。
【今日のじょん】今日じゃなくて雪のある日のこと、スロープが登れないのよネ。
うっすら雪をかいてやれば、ほれこのとおり。
なんて神経質なんだ。