2016.2.15(月)雪 あなしら上林-13は2015.11.29
三、上林の盃状穴 その三
ここでお断りしておくが、タイトルが「上林の、、、」となっているのだが一向に上林が出てこないという思いをされている方がいらっしゃるだろう。上林の盃状穴を網羅するつもりで書き始めたのだが、まだ一部しか調査は進んでいない。むしろ「ここにもあるで、あそこにもあるで」という情報をいただきたいと言う思いもあり書いている次第である。ただ、盃状穴とは何だろう、盃状穴は何のために誰が掘ったのかという謎を解決するためには上林の盃状穴だけを調べていては埒があかないというのも事実である。だからといって全国の盃状穴を調べるのは困難なことだけど、せめて行動範囲内の地域は調べて見たいと思っている。
さて園部町内林町の八幡宮だが、園部インターを少し園部市街に向かって走ると、府道19号線沿いに鳥居と石段、玉垣が見えるが相当新しい様子で、盃状穴はありそうにない。
八幡社と厄神社が敷地内に並んでいるが、この地は垣内古墳(かいちこふん)の後円部にあたり、昭和47年道路拡幅工事の際に発掘された。古墳については本稿の目的ではないので省するが、神社設備の更改はこの道路拡幅のためになされたものだと近所の聴き取りで聞いた。盃状穴には縁が無いかと諦めつつ周囲を観察するが、ふと本殿前の古い鳥居に目をやると、その台石にぐるりと盃状穴が穿たれているのだ。
小出吉親公寄進の鳥居とその台石の盃状穴
この鳥居は周りのものが新調されているにもかかわらず残されているもので、なにやら銘がうたれている。後ほど調べてみると、この鳥居は元々府道に面してあったものでわざわざ本殿前に移築されたものだ。銘文には園部藩主小出吉親公の寄進になるものと記されている。そういう由緒あるものだから残されたのだろう。この藩主の名前どこかで聞いたことがあるぞと思いきや、上林に園部藩領があったためである。
鳥居の盃状穴に気をよくして、他の石造物、特に古い物が残されているものに注意を向ける。神事に使う古い石の竈には見当たらなかったが、大きな手水鉢の周縁に実に見事な盃状穴が穿たれているではないか。この手水鉢は花崗岩製で規模も大きく手水舎(ちょうずや)のついた立派なものである。側面になにやら銘が打ってあるがこれは風化が激しく読み取れない。肝心の盃状穴だが、周辺にぐるりと穿たれており、大きなものは10cm近くあり迫力がある。
手水鉢の盃状穴は鳥羽八幡(八木町)に続いて2件目
上林たんけん隊(カフェじょんのび内)小原英明
【今日のじょん】朝から雪降り、昨日春の気候だっただけにこたえる。じょんはと言えば一日中眠っている。めしの時だけのそっと起きるだけ。
そんなもんでしょ。