2018.7.15(日)快晴
上林の小田にも小田川がある。もっとも正式には小田谷川といい、北の山から宝蔵寺のそばを流れ、上林川にそそいでいる。砂防指定地に指定され、いくつかの砂防堰堤が造られているがこの谷に特段砂が出るというものではなさそうだ。府道から眺める小田谷川はコンクリートの河床となっており、その堆積物を確認することは出来ない。いつか自然の河床が見えるところまで遡って確認したいと思っているのだが、おそらく他の谷川と同様岩石や礫の谷だと思っている。
府道から小田谷川
航空写真で覗いても、上林川の出合に顕著な砂洲が見られるわけでなく、その上流と下流に大きな砂洲が見られる。上林川の流れを見ているとその多くが急流で瀬音がして白波が立っている。引地、小田、真野あたりがもっとも流れが緩やかで、流域も広い。常に流されていた砂が堆積する条件が整っている。堰堤も堤防も無かった時代には、相当の量の砂が堆積していたのではないだろうか。今では豊かに広がる田園も古代には広い砂洲だったと想像できる。それこそが小田の地名のおこりで、災害地名というより単に砂のあるところという意味での地名であると考える。そう考えると小田谷川があって小田と呼ばれたのではなく、小田にある谷川だから小田谷川と考える方が順当ということになる。
真野橋から小田を望む。宝藏寺山門から上林川方面、古代にはこのあたりまで砂洲だったかもしれない。
上林川の流れが緩やかになることが、真野の地名と関係があるとよんでいるのだが、その件については後日、「真野のこと」で考証してみたい。
さて今日では一般に通用しない「オダ、オタ」という言葉は一体どういうものなのだろうか。菅野茂のアイヌ語辞典に「オタ 砂」、地名アイヌ語小辞典(知里真志保著)に「オタ 砂、砂浜」と出ている。事ほどさように北海道にはオタの着く地名が無数にある。ではオタはアイヌ語で、上林にもアイヌ人が住んでいたのかというとそういうことではない。原日本語とも言うべき縄文時代の言葉がアイヌに残っていたと考えるべきものである。では縄文人が小田に住んでいたのかということにもなるが、これはなんともいえない。ただ縄文人が住んでいなくても、オダという地名が付けられたときにオダ、砂という意味を持った言葉があったことは確実だろう。小田という漢字が当てられたのはずっと後のことで、その時には砂という意味はわからなくなっていたかもしれない。おわり