晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 真言密教と古代金属文化 5/15

2010-05-15 | 雨読

2010.5.15(土)快晴

 絶好の五月日和となった、それでも気温は4月並ということで随分寒い。さて今回の雨読は「真言密教と古代金属文化」(佐藤任他著)東方出版、1991年発行、2,800円の本である。実はこの本ほど探した本はないのだ。それほど市場には出ていなかったのである。絶版になり、その後の発行予定も無いと言うことであった。無いとなると読みたい気持は高まって、あらゆる古本屋の情報を毎日覗くが、見あたらない。遂に諦めて、図書館で読むことにした。どこの図書館にあるか調べると、下京区の京都市立図書館にあると言うことだった。今度京都に行くことがあれば、借りて来ようと思っていた矢先、ある古本屋に置いているという情報が入った。少々高くても仕方がないなと思っていたら、定価より安く出ていたので、すかさず購入、探し求めていたものを手に入れるということは、これほど嬉しいものかと感じた。
 ところがだ、これほど期待はずれの本は他になかった。それは私が期待するものと著者の意図が違っていたというだけのものかもしれないが、探し求め、値段もそこそこの稀少本に裏切られたのはいかにもつらい。表紙の帯紙に記してある文は以下のとおりである。
空海は鉱山師(やまし)?古寺と鉱山の不思議な関係
文献による知の枠組みから踏み出し古代のハイテク(鉱山技術)を射程に入れて解明する古代史と真言密教のその受容。
 私は古代の金属関連とおぼしき土地を訪ねたとき、真言宗の寺院があることに気付いた。禅宗のお寺であっても、過去には真言宗のお寺であったと言うこともある。真言密教、あるいは空海と古代金属文化の繋がりというものは、宗教としての真言仏教からはおそらく発見できないだろう。過去の歴史的事実や科学的な検証を重ねて初めて見えてくるのだろう。Img_4516
 この本は、佐藤 任氏をはじめ堀井順次、本城清一、柚木伸一、若尾五雄各氏の共著と言うことになっている。佐藤氏は高野山大学の出身で、予てから空海と金属文化の関連を説いておられる。多の方々もあらゆる分野の著名人で、真言密教と金属文化に造詣の深い方々なのだろう。各人が持論を展開されているが、直接空海と金属文化に関係しているのは、佐藤氏と本城氏のように思われる。この二人で本書が書かれていたらもっと満足していただろう。特に後半の各氏の座談会は、各氏が好き勝手にしゃべっているようで、オカルトチックな話まで出てくるようでは、本題は少しも解明されなかった。
  【作業日誌 5/15】
Img_4514 草刈り、2回目
野外丸椅子の塗料塗り
玉切り、薪割り

今日のじょん:犬と話せる女性がテレビで人気である。私はバカバカしくて見ないが、かみさんはなぜか涙しながら見ている。お客さんにも犬語のわかる方がいらっしゃる。私は犬語はわからないが、じょん語はわかるようになってきた。最近はとみによく話すようになってきた。「なんやおとーか」と言っておりやす。Img_4343

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超作業日 5/14

2010-05-15 | 日記・エッセイ・コラム

2010.5.14(金)曇

 寒いけれど雨の心配は無い、絶好の作業日和となった。本来の今日なら、何をしても汗ぐっしょりの嫌な日なんだが、今日は最高だ。
  まずM村さんと今季最後の木の切り出しに行く。既に切り倒してあった木と、もう一本枯れている木を切り倒して搬出する。5,6回通っただろうか、来期の薪をしっかり確保できた。現在のところ薪の許容量はワンシーズン+1ヶ月分ぐらいだ。せめて2年分、あわよくば3年分の貯木が欲しい。そのためには、もう一棟木小屋を作る必要がある。今年中に車庫の南に屋根を作り、木小屋兼畑の道具(杭や柵など)置き場を作りたい。次冬は早い目に山に入ることを期して、ささやかに打ち上げをする。しまだやさんで生ビールと昼定を頂き、早々に家に帰る。Img_4510

今日の収穫。


 家ではまず、ヒスイナスなるものの苗を植え付ける。これは昨年N尾さんに白いナスを戴き、あまりに美味しかったのでその旨言っていたら今年は苗を作っていただいたといういきさつである。現物を戴くのは食べるだけで簡単なんだが、苗や種で戴くとプレッシャーがかかる。これは真剣に取り組まないとと思い、かみさんに「野菜ばたけ」夏野菜特集を買ってきて貰う。なにしろこちとらの野菜作りったら、植えっぱなしの作りっぱなしで、昨夏も化け物胡瓜やぼけナスが出来て、なんとも違いのわからん農学士となった。Img_4511
 
りっぱな苗でありんす。(ひすいナス)


 つづいて野外テーブル用の丸椅子作りを始める。昨冬戴いたヒマラヤ杉の大木を使ったものだ。三つに切り落とし、試作品を一個だけ作る。皮をむき、乾燥してあったのをグラインダをかけ保護材を塗る。非常に水分の多い木なのでひび割れが激しく、総てに背割りを入れる。ついでに杉材で長椅子も作るつもりなので、これにも背割りを入れる。Img_4507 Img_4502




 手前の丸太が丸椅子試作品用。防腐剤を塗った柱は村上建設さんでもらったもの。

 余った保護材を門柱に塗り、工作は終わり、つづいて昨日防腐剤を塗った古材の柱を木小屋に片付ける。この古材はガーデンシェッド、作業小屋建て増し、温室、藤棚などに使うつもりである。何時になるやら。石垣代わりに使うのも趣向である。
 その後集めた石の整理、玉切り、薪割りをして終了、中身の濃い一日だった。満足満足。

【作業日誌 5/14】
本文中にあり

今日のじょん:ピンクの枕は連獅子にも使うが、本来の使い方をし始めた。気がついたらあごを乗せてぼーっとしている。あご乗せじょん。Img_4512  

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じょんのび鳥図鑑 5/13

2010-05-14 | 日記・エッセイ・コラム

2010.5.13(木)曇

 雲量は多いが時折陽の射す日となった。ただし気温は低く、3月下旬並の気温と言うことだ。湯たんぽとパッチは我慢しているが、ストーブ、セーター、毛布は完全にカムバックしている。寒いけれど作業をするには最適で、朝からごそごそと作業する。鯉のぼりの片付けの続き、割れた七輪の火皿の修理、野外パラソルの柄のカバー作り、紅葉の植え替えなど細々したことばっかり。Img_4498

ストーブと扇風機が同居。


 外で作業をしていると寒いながらも夏の到来を思わせる事象がよくわかる。雑草が元気なこと、毛虫が出てくること、百足や蛇が出てくることなどちっとも嬉しくないことだが、花が咲き始めるし、芝もあおくなってくる。つるつるてんだった落葉樹に新芽が出たと思ったら、 葉が茂ってくる。こんな季節の移り変わりを感じるようになったのは、ここに住んだからだと思う。京都にいるときでも山の色や花の咲き始めは感じていたが、虫や蛇、蛙までは意識が向かなかった。特に意識が無かったのは鳥である。特段鳥に興味があるわけではないが、季節季節の鳥の姿や鳴き声を感じるようになってきた。先日から向かいの山でカッコウが鳴いている。いつまでも寒いので、田んぼではヒバリが鳴いている。裏山の鶯は五月ぐらいから秋まで鳴き続ける。じょんのび村には畑があり樹があり、いっぱい虫もいるので多くの鳥がやってくる。
 毎朝向かいの田んぼで「ケーン」と雉が鳴くんだが、先日じょんのびガーデンにやってきた。でかいので何かと思って見ていると、雄の雉で庭中ひょこひょこ歩き回っている。きれいな鳥だ。Img_4494
Img_4508 雉とハクセキレイ


 何時も来る鳥は気にもしなかったのだけど、この際何か調べてみよう。図鑑を開くとハクセキレイらしい。トンビもかつては庭に舞い降りて、ミミズだか蛙だか捕っていたが最近は降りてこない。そういえばイカルが飛来したのも昨年の春だったろうか、それ以来姿を見せない。飛び来る鳥たちを図鑑で調べるのって結構面白いものだ。

【作業日誌 5/13】
本文中に記載

今日のじょん:じょん語録(49)ぷにぷにシワシワ
じょんの名誉のために公開しなかった語録である。いや、今回も映像は無しである。というより映像は無いのである。かみさんが写真を撮らないので取りようがないのだ。じょんのあごの下と顔には脂肪がたまってるのだろうか、皮膚に余裕がある、平たく言えばたるんでいるのだ。このたるみはぷにぷにとしており、両手で顔に持っていくとシワシワになる。これが一番笑える。繰り返すが、映像はお見せできない。代わりにあごのたるみを見せてあげよう。こぶとりじいさんみたいデショ。Img_4301

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遊里のこと(8) 5/12

2010-05-12 | 歴史・民俗

2010.5.12(水)曇、雨

 宮沢賢治が「寒サノ夏ハオロオロ歩キ」と詠んだ東北の夏はきっとこんなだったろうと思わせる寒さだ。もう片付けようかと思ったストーブが扇風機と同居している。暖かい下着はとっくに仕舞い込んで、背中がぞくぞくする。芽を出した豌豆も植え付けた茄子も縮こまっている。それでも元気なのは雑草だけで、そろそろ今季2回目の草刈りを始めねばならない。
 

 遊里のこと(8)
  綾部市七百石町の由里を訪ねる。5月8日のことである。上林から黒石峠を越え、施福寺、八坂神社、を訪ね、まず七百石町の岩王神社を訪れる。長く急な石段を登り詰めるとひっそりと社殿が建っているが、上林の神社に対し何かしら明るさを感じるのは季節のせいだろうか。祭神は私にとっては馴染みの薄いものであり、そのいわれも知らない。傍らに稲荷社があり、気になるのは辺り一面の赤い地層だ。これがどういうものか解らないのだが、昨年訪ねた大江町の室尾谷観音のあたりもこんな赤土だった。Img_4468

参道脇の土も真っ赤である、埋まっているのは人工の石のようだが、、、。

 由里を目指して細い道を行く、庭が素晴らしいという、ゆう月さんを過ぎると、あっという間に集落は無くなった。最後のお家を訪ねて聞いてみる。
「こんにちは、由里というのはこのあたりですか?」
奥からお年寄りらしい声が帰ってくる。
「えっゆう月ですか」
「いえ、由里というところです」
「そんなところは聞いたこと無いですよ」
表札を見ると、七百石町○○番地となっている。由里という小字は使われていないのだろうか。それにしても、若い人ならともかくお年寄りが我が地名を知らないとは、それが例え隣の集落であっても、不思議なことだ。地図には確かに由里と載っているのである。
やむなく岩王寺(しゃくおうじ)に行くこととする。ここは茅葺きのお寺というので有名である。坂の入口で、お寺の由来をかいた看板を熟読し、歩き始める。すぐに着くのかと思いきや、幾ら歩いても着きそうにない。戻って軽トラで登る、これが正解、くねくねと相当登ったところに山門が見えてきた。茅葺きの立派な仁王門と本堂があり、無人ではあるが、きれいに清掃されている。かつては名高い硯石が産出されたそうだが、山崩れのため今では出ないということだ。境内にはそれらしい岩石が使われているが、一体どういうような岩石なのか調べてみないと解らない。また、七百石町という地名はこのお寺の寺領が七百石あったためらしい。それらしい小石を拾って山を下る。Img_4476 Img_4478 Img_4481

仁王門と本堂、どちらも茅葺きだ。

Img_4473 Img_4485

上から見た由里と下から見た由里

 七百石にはもう二つ”ゆり”地名がある。ユリ山とユリノ下だ。地図で見ると高速の下をくぐって少しのところだが、あまりの天気の良さに行きすぎてしまった。 
 七百石周辺には金里、湯ノ戸、大釜田など金属地名を思わせるものが多い、しかも岩王寺も高野山真言宗である。”ゆり”地名が3ヶ所もあるのは、単なる偶然だろうか。つづく
《遊里のこと(7)は2010.5.7参照》

 今日この記事を書こうと準備をしていたのだが、折良く村上さんが岩王寺産の硯を持ってきて見せてくれた。嵯峨天皇をして「石の王子」と言わしめた岩王寺の硯である。今ではもう産出されないしろものだから、値打ちは計り知れない。Img_4501

これが石王子(しゃくおうじ)、黒地に白糸紋が特徴。

【作業日誌 5/12】
玉切り
鯉のぼりポール片付け

今日のじょん:じょんもすっかり夏バージョンになっており、毛布や布団は片付けられ、毛も半分抜け替わっている。あまりの寒さにかみさんが、毛布など出してきた。サブ。Img_4499

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続・ハメ考 5/11

2010-05-11 | 歴史・民俗

2010.5.11(火)雨

 最後の木の搬出も雨のためのびのびになっている。今日はやむなく乗用車の持ち込みの車検をする。綾部では最も安いだろうというところを紹介して貰い、最も安い方法でやって貰う。オプションはオイルとエレメントの交換のみで、総額78,000円、
昨年他のところでやった軽トラの車検より安いのじゃないか。いやあ何でも安いところを探すもんだ。えっ、どこかって、じょんのびに来たら教えてあげる。
 さて、昨日の続き、八坂神社とマムシがどう関係するのかと思われるだろう。昨日の日子坐王らが麻多の東で毒蛇に噛まれて進退窮まったという伝説を見ていただきたい。これは記紀定番の土蜘蛛伝説のひとつであり、玖賀耳というのはおそらく海人族の豪族だと思われるし、製鉄の利権の絡んだ征服かと想像するのだが、それはさておき、今回は毒蛇の伝説に注目していただきたい。麻多というのは上杉附近の地名なること明らかとあるが、現在の小字などを含めた地名からは麻多、あるいは麻多を連想させるものはなく、寛政時代の丹波の国古地図をみてもそれらしい地名は見あたらない。何鹿郡誌は一体何を持って明らかとしたのだろう。
 それもさておき、噛まれたという毒蛇はマムシと見てよいだろう。八坂神社がかつて飯宮(ハンノミヤ)と呼ばれていたのは、神鏡にある、麻多の波牟宮というとこからだろう。波牟=ハム=ハメ=マムシであろう。Img_4459

八坂神社内にある石、なんかいわれがあるんだろうが、不明である。



 東大阪市に波牟許曽(ハムコソ)神社という式内社がある。この神社の案内には、
波牟は蛇にして、許曽は社の義なり。蛇を祀れる者にや。村名は此の社名より起る。
とある。かつては渋川郡北蛇草村と呼ばれるところにあり、ハミクサ、ハムクサなどと呼ばれていたようである。つまり蛇=ハミ、ハムなのだろう。
丹波でマムシのことをハメというのはこのあたりに所以があるのだろう。蛇だけに目からウロコのお話であった。
 蛇足ながら麻多については何も解らなかったが、沖縄にはアカマタ、クロマタというでかいヘビが居る。2mにもなろうかという気味悪いものだが、毒はないそうだ。このマタというのが気になるのだが、、、、。Img_2479

アカマター、名護の資料館。


【作業日誌 5/11】
倉庫の整理

今日のじょん:
おとー;「今日のじょん書くの面倒だし、そう毎日毎日書くこと無いし、今週のじょんにしよかなあ」
おとー;「そのうち今月のじょん、節季のじょんなんてなったりしてなあ」
おかー;「そんなんしたら、誰も晴徨雨読よまはらへんで」
おとー;「、、、、、、、、、」

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ハメ考 5/10

2010-05-10 | 歴史・民俗

2010.5.10(月)雨

 かみさんの運転免許更新時講習が午前中にあるので、私の運転免許更新申請と合わせて綾部警察署に行く。かみさんの誕生日は2月なので3ヶ月後に講習があり、免許証が交付されることとなる。申請は誕生日の前後2ヶ月の好きな日に行けばいいのだが、講習日と時間は指定されるので、店は午前中臨時休業とする。会社行ってる人なら休まなければならない。行政サービスとしては最低である。例えば京都にいるときは、好きな日に行って、即日交付だから休みをとる必要はなかった。その上交通安全協会の会費徴収と警察署の窓口が一緒なので、疑問を感じる。京都の運転免許試験場も当初は同一窓口で徴収していたが、世間の批判があったためか別となった。その場合、安全協会に賛同しない者はその窓口に行かなければいいのだが、綾部ではそうはいかない。
 「もしよろしければ、、、」という言い方で安全協会の加入を促されるわけだが、あの職員は一体どこの職員なんだろう。警察署に勤務する府の職員なんだろうか、それとも安全協会という団体の職員なのか。「安全協会には加入しません」ときっぱりお断りする。その理由は後日にしよう、そうしないと今日の本題が書けなくなるから。
 ハメとはマムシのことである。国語辞典にマムシは載っているがハメは載っていないので、丹波の方言なのかもしれない。私の両親も周囲のお年寄りもみんなハメと呼んでいた。これって結構不思議な言葉だなあとずっと思っていたわけだ。先日訪れた、というより立ち寄った上杉の八坂神社について、何鹿郡誌(大正15年7月発行)には次のとおり記述がある。
第貳編第貳章何鹿郡の沿革の中に、

また東八田村字上杉小字小島なる八坂神社には
永久五酉稔三月摠社麻多波牟官神
の銘ある神鏡を保存せり。思ふに麻多は上杉附近の地名なること明にして、波牟官神は「ハンの宮神」とよむべし。大正の今日土俗「ハンノミヤ」と奉称する者極めて多く、八坂神社といふ者頗る少し。

第四編第一章神社一五に、
東八田村字上杉小字島迫にあり。明治六年村社と公定。素盞鳴命を祀る。上杉全部之に属す。
例祭は十月九日。徳川時代飯宮山牛頭天王と称し、今尚世人多く「ハンノミヤ」と呼ぶ。現在氏子二五〇戸。

綾部市史上巻第三章第一節綾部の伝承に、
綾部市内には日子坐王・丹波道主命に関係のある伝承をもつ神社が二つある。その一つは上杉町の八坂神社である。祭神は素戔鳴尊・大己貴尊・少彦名命。受持之神で、昔は飯宮(はんのみや)大明神と称した。社伝によると崇神天皇の十年秋、丹波国青葉山に玖賀耳という強賊がいて良民を苦しめるので、勅命を受けた日子坐王・丹波道主命が軍をひきいてきたところ、丹波国麻多之東において毒蛇にかまれ進むことができなくなった。時に天より声があったので、素戔鳴尊ほか三神をまつったところ験があって病がなおり、首尾よく賊を平げることができた。帰途、この地に素戔鳴尊と諸神をまつったのに由来するというのである。(飯宮由来記)前に記した『丹後風土記』の記事と符合する伝説である。八坂神社には、「永久五酉稔(一一一七)三月総社麻多波牟官神」の銘のある神鏡が伝わっていたから、平安時代には八田郷の総社であったと思われる。  
Img_4460
とある。つづく

かつて飯宮と呼ばれていた八坂神社

【作業日誌 5/10】
ムーンライトSLTの残りをノースグラスに蒔く。

今日のじょん:久々に合羽着て散歩した。それでも濡れるのでタオルで拭いてやるのだが、このタオルに妙に興奮するというかじゃれるので、拭くことが出来ない。タオルから手を放すと、何事もなかったの様にシラッとしてしまう。この行動は理解できない。
Img_4496

 

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ガーデンスライム 5/9

2010-05-10 | 日記・エッセイ・コラム

2010.5.9(日)晴

 上杉の八坂神社について書こうと思い、文献を調べていたらとてもちょいと書けるようなものではなくて、綾部の文化財というのは歴史が古くて奥が深いものだと感心する。というわけで、この件については後日お知らせしようと思うが、今日はどなたの庭にもある妙な物体についてお話ししよう。
 それはある晴れた日にメーパパが、「あれっここにも除草剤を撒いた跡があるなあ」と庭の黒い若布のような物体を指さすのだ。「これならちょいちょいあるで、除草剤なんか撒いたことないけどなあ」と言いながら、以前に畑だったそうなこの土地で、撒かれていたんかなあと納得していた。 Img_4429
Img_4441
左は乾いているところ、右は雨の後


 この黒い物体、晴れた日には干し若布のようにカラカラに乾き、縮こまっているが、雨が降るとぶよぶよとして膨らみ、乗ったらズルッと滑りそうになる妙な物体である。言われるとおり、除草剤の成分が化学反応して残ったカスかなあと納得していた。まさにガーデンスライムと呼んでみたい。
 見てくれがよろしくないので、退治すべくインターネットで調べるが、名前が解らないので検索のしようがない。「雨の日にヌルヌルする庭の物体」とかなんとか訳の解らない文で検索すると出てくる、出てくる。どうも皆さんこいつには困っているらしい。ところが除草剤とは関係なく、藍藻の種類で、鉱物でも動物でも植物でもなく、細菌の一種だそうだ。えー、やばいじゃないと思うのだが、実は害を及ぼすようなものではなく、漢方薬として抗ウィルス、抗腫瘍作用まであるそうだ。もっと驚くことは食用になるということ。名前はイシクラゲ、食べたい人はこの名で検索して調理法を調べるとよいだろう。
 この話をハナパパにしたら、「えー、上林の人10人に聞いたら10人とも除草剤のカスや言うで」と言っていた。無理もないこの物体、乾燥にも強く、薬剤にも強い、除草剤を撒いて草も生えないカラカラの土地にもしっかり残ってるから、そう思うのだろう。この物体、駆除するのは大変困難らしい。何しろ焼いても消毒しても残っているそうだ。削り取って土を入れ替えるのが良いらしいが、少しでもかけらが残っていたら又繁殖するようだ。私は雨の後に火箸で摘んで生ゴミとして出したが、結果は如何に。Img_4443 Img_4442
トーチで焼いても焼き切れない。集めて捨てるのが一番。

【作業日誌 5/9】
薪割り

今日のじょん:散歩待ってるところ、おかーはこの顔が一番好きなんだって。別にどーってことない顔のようだけど、、、。Img_4495

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綾部探訪 施福寺他 5/8

2010-05-09 | 歴史・民俗

2010.5.8(土)晴

 爽やかな五月晴れとなった。今日は福知山東ゴルフの例会なんだが、野外テーブルを完成させたいのとドッグランどの作業をしたいので、一人留守番をする。野外テーブルの目鼻が付いたので、ホームセンターに買い物に行くこととする。ただ買い物をするより少し寄り道をしてみようと、黒石峠から施福寺を訪れる。黒石峠はその地名が気になっていたが、果たして蛇紋岩の層があるという情報である。府道からは露頭というか岩場は見えないが、峠は切通しになっており、両側に岩が露出している。この岩はそこいらにあるような変哲もない岩に見える。ただ、妙に茶色っぽい、何かの成分が溶け出ているようなところがある。触ってみるとただの泥のようにも思える。Img_4450 Img_4449

黒石峠の切通し(上杉側)としみ出した水

 施福寺はこの峠のすぐ下にある。高野山真言宗集宝山とはいかにも鉱山を思わせる名前だ。何かそれらしい石でもないかと、沢に降りてみるが、特段変わったものは見つけられなかった。上林川にもある赤いチャートやごま塩状の石はあるようだ。帰ろうと思って駐車場に戻ると、緑色の表面がきらっと光る石が落ちている。造成のために持ってきた岩石かもしれないと、あたりを見ると、切り崩した斜面がその岩石で出来ている。これが閃緑岩というものだろうか、そのうち解るだろうと、小石を持ち帰る。後で調べて解ったのだが、やはり蛇紋岩が出て、その中にダトー石という珍しい細脈があるそうだ。それが一体どういうものかは解らない。Img_4452 Img_4455
本堂と駐車場の崖

 上杉に向かって坂を下ってゆくと、右手に八坂神社が現れる。かなり古そうでほとんど風化している狛犬と注連縄を巻いた大岩が気になったが、いわれを説明する物は無かった。綾部市史に詳しく書いてあるので、いづれ紹介しよう。
 その後岩王神社と岩王寺に行くが、後日「遊里のこと」で紹介したい。

【作業日誌 5/8】
野外テーブル完成、夕刻完成記念パーティ?を行う。Img_4488 Img_4491





 今日のじょん:いくみちゃんが居るとおとーなんか完全に無視される。朝起きていっても知らん顔しているし、ポンポコポンのジャーキーだって、おとーから貰っても食べないで、ペッと出しやがる。一体誰のおかげで飯食えてんねん。Img_4445
 
おとーなんか無視で二階ばかり見つめている。

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遊里のこと(7) 5/7

2010-05-07 | 歴史・民俗

2010.5.7(金)雨のち曇

 淘汰という言葉がある。国語辞典をひらくと、①よいものを取り、不要なものを捨てること。②生存競争の結果、環境に適応できないものが滅びること、とある。「黄金と百足」(若尾五雄著)の書評の中で、淘汰=藤太は変だと論じたことがある。(2010.1.31参照)淘汰という言葉はなんとなく近代的な言葉のようで、過去の時代の民衆間で使われていたとは思えなかったからである。ところが過去の鉱山に関する書物にたびたび出てくるのである。それでも現在の人が、過去の鉱山における選鉱のことを、あえて淘汰と呼んでいるのではないかと考えていた。ところが過去の絵図の中に淘汰というのが普通に出てくるのだ。例えば鼓銅図録という19世紀初めに描かれた、銅の採鉱から精錬までの図録には、「淘汰の図」として、淘鉢に鉱石を粉砕したものを入れ、水中で揺すっている絵が描かれている。
 さて、先程の国語辞典には、揺すって不要なものを取り除く意という風に書いてあり、淘汰という言葉が、鉱山における選鉱という過程の作業から来ていることが解った。淘汰の淘も汰も”ゆる”という読みであり、意味なのである。鼓銅図録の淘汰には”ゆりもの”とふりがながしてあり、佐渡金山の「金銀採製全図」などには”ゆりもの”は汰物と記されている。淘汰が”とうた”と読まれていたか否か不明である。鉱山伝説に付きものの俵藤太、芋掘藤太や炭焼藤太の藤太が淘汰から来ているか否かは何とも言えないが、若尾氏独特の着想であることには間違いない。 
 ”ゆり”地名は丹波の方言だといわれている。確かにインターネットの地図で検索すると、遊里、岼は綾部、京丹波町に圧倒的である。由里と表するのは舞鶴市の高野由里ぐらいで、有里が岐阜県、鹿児島県、大阪府に一件ずつ現れる程度である。このように限定的な地域の地名だけに、地名に関する書籍、参考書には表れてこない。そんな中で柳田国男氏の「地名の研究」という古い書に載っているのを見つけた。地名考説という各地の具体的な地名を考証している本論ではなく、イントロの地名の話という中に少し載っているのだが、「水の動揺によって平らげられた岸の平地を由良とか由利とかいっている。すなわちユラグ・ユルなどという言葉が転じたのである。」と書かれている。一見、なるほどと思うのだが、「水の動揺によって平らげられた」とはどういう意味だろう。水の動揺とは波のことだろう。海岸では由良の地名は多く見られる。丹波丹後を貫流する由良川の語源もこのあたりにあるのかもしれない。この由良川河畔にある里町、位田町、小貝町の岼についてはこの説が当てはまるかもしれない。Img_4398 しかし上林など山間部にある”ユリ”については、水の動揺すなわち波によって平らげられた岸という風には考えにくい。同じ水の動揺であっても、淘汰の際の淘鉢の中の水の動揺と考えれば納得がいくのではないか。つづく《遊里のこと(6)は2010.4.27参照》
由良川の向こう岸、天文館パオの下が里町の岼である。

【作業日誌 5/7】
野外テーブル組み立て

今日のじょん:待ちに待ったいくみちゃんが来じょんして、もうヒコヒコ。Img_4440

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古い道具(3) 5/6

2010-05-06 | 日記・エッセイ・コラム

2010.5.6(木) 曇

 大抵の道具はホームセンターで揃うのだが、無いのが杉皮むきである。昔はどこの家にもあったのだろうが、今や影も形もない。大体杉皮むきってどうやってやるんだ、解ってるようで解らない。インターネットで探してみると、竹へらなんかでむいている様子がでてくる。ところがこの方法で剥けるのは、夏に切り倒した杉か、一年ほど放ったらかしの杉ぐらいしか剥けない。あまり永いこと放っておくと皮との間に虫が入って表面がみっともなくなる。Fe工房で薄い鉄板の先を円く加工して杉皮むきをつくった。夏の杉、乾燥しきった杉の場合はこの杉皮むきで充分である。
 冬に切った杉をすぐにむくのは手間である。要するにべろんと剥けないから、細かく少しずつむいていかなければならない。この道具が無いのだ。鉈でやると表面が傷だらけになるし、第一腕が持たない。軽くて、力のはいる道具が必要なわけだ。ちょうな(手斧と書くらしい)のような道具があれば楽そうだなあと思い、ネットオークションで探すと、ずばり杉皮むきというのがあった。民芸品として売っており、一個1,700円は手頃かなと思いきや、2個3,400円で渋々購入、他に代用品がないというのが弱みである。使用状況はまあまあで、皮むき用具としては最適である。ただ、生の杉ではべろんと剥けることはなく、薄皮があちこちに残るのである。これを取るのに、鎌を利用しているのだが、どうもいまいちで満足できない。鎌は片手でやるか、左手で刃先を持つかと言うことになるが、力が入れにくい。ここで近代的用具が活躍するのだが、それはディスクグラインダーである。ところがこれは重くて手が疲れる、砥石が高いとか色々問題有りだ。Img_0672 Img_6286 Img_4376




左:ネットで手に入れた杉皮むき 
中:右上のが自作杉皮むき
右:右上のが今回戴いた杉皮むき


 そうこうしているときに村上さんが良いもの見つけたからからと言って持って来てくれた。いやあこんなの探してたんだ、あるもんだねえ。要するに鎌の刃先を持たないで、握り手が付いているようなもんだ。手作りの刃のカバーも付いており、よほど大切に使っていたようだ。刃を研いで使ってみよう。どんな道具でもどこかの会社が新しいものを作り出すものだが、杉皮むきだけは昔ながらの道具を探すしかなく、そういった道具を大切に、有効に使うことになんとなく嬉しいものを感じるのは、なんなんだろう。完《古い道具(2)は2010.4.30》
【作業日誌 5/6】
Img_4438 キュウリネット張り
ナス苗カバー張り
オクラ種蒔き
ドッグランど、野外テーブルパーツ作り

 今日のじょん:最近ちょっと気になることがある。じょんのび谷の上の森にサギが巣を作って妙な声で鳴くのである。鳥と虫に対しては特に集中するようで、あの鳴き声にびっくりしている。Img_4424 右上にいるのとでつがいのサギ

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モモ姉さん来る 5/5

2010-05-05 | 日記・エッセイ・コラム

2010.5.5(水)快晴

 今日も相変わらずの好天で、朝からしっかり暑い。といっても湿度は低く過ごしやすいはずなんだが、なにしろ寒い春が続いたものだから身体が慣れていない。とにかくしんどい。それでも苦労して立てたポールなので、朝から鯉のぼり、いやじょんのぼりを挙げてモモ一家の到着を待つ。そうこうしているうちにメーパパがメー(メイというのは誤りでメーというそうだ)と一緒にやってきて、メーを置いていった。あんまり暑いのでじょんのびの木の下に繋いでおいたが、草は食べずに木の皮ばっかし食っている。これで草食べてくれたら、お客さんも喜ぶことだし、メーパパの仕事中はじょんのびに預かっていてもいいなあと思うのだが、そのうち草も食い出すだろう。桐の木の葉が茂り出すと、いい木陰が出来るのでそこに紐が巻き付かないつなぎ場所を作ってあげよう。
 メーちゃんは誰かがいると鳴かないがひとりぼっちになるとメーメー鳴き続けている。きっと寂しがりやなんだろう。そうこうしているうちにモモ姉さん達も来じょんし、じょん、メー、モモで遊ぶこととなった。じょんはちょっと慣れているのでメーちゃんの近くにも行けるが、モモとメーはお互い真っ白で、一体何だろうと警戒気味である。面白いのはモモちゃんが草が大好きで、メーよりよく食べることである。
 動物好きのお客さまも多く、メーちゃんはなかなか人気のようだ。又連れてきてね。Img_4430 Img_4433 Img_4437




【作業日誌 5/5】
薪割り、モモパパが少し割ってくれた。

今日のじょん:じょんネタのため今日もお休み。

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晴天続く 5/4

2010-05-05 | 日記・エッセイ・コラム

2010.5.4(火)晴

 こんなに晴れの続くGWもなかなか無いんじゃないかと思うが、サラリーマンを卒業した身には余り関係ない。本来は定休日なんだが、上林に里帰りした人が立ち寄られるかなあと思い臨時営業とする。いつものお客さま方は来じょんされたが、里帰りの皆さまにはあまり人気でないようだった。来年は休もっと。
 ところが事件が起きる、昨年鯉のぼりを戴いた、モモ姉さんの一家が明日来じょんするという報せだ。「じょんのぼりは揚がってるか~」なーんてメールも来てるでと言われ、真っ青。出すのもしまうのも面倒だし、風車も壊れてるし、今年は掲揚を止めとこうかと思っていた矢先である。仕方なく、ネジはどこやったかいな、鯉はどこにしまったかなあと倉庫や地下の物置をごそごそ探す。
 とにかくパーツは全部揃ったが、実はポールを立てるのが大騒ぎなのだ。昨年、常設ポールとして杉丸太に固定したのはいいのだが、最下段が固定されているため、2本繋いだポールを脚立に乗って差し込まなければならないのだ。重い、不安定、しかも差し込むときは根元を持たなければならないので、大名行列の奴さんのように、超アクロバティックな作業をしなければならない。しかも脚立の上でだ。
 昨年成功した取り付けを何度か挑戦するが、うまく行かず、終いには身の危険まで感じてしまう。これではいかんぞと、ポール立てをばらして、組み立ててから立てられるように改造する。やっと出来上がって立てたらもう一時、半日潰れてしまった。まあいいか、じょんのカレンダー用に撮影する。Img_4414 Img_4422

【作業日誌 5/4】
薪の玉切り

今日のじょん:5月カレンダー写真撮影に登場のためお休み。

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じょんのびアラカルト 5/3

2010-05-04 | 日記・エッセイ・コラム

2010.5.3(月)快晴

 予想通り、春が無くて夏が来た。ストーブと扇風機が同居するという状況だ。最近続き物ばっかし書いてるので、じょんのびの下世話なニュースがお知らせできていない。まとめて御紹介しよう。
 (1)椎茸小屋に鳥が乱入
 猿の被害を予防するため防獣ネットを張り巡らせたところ、又しても鳥が入ってきた。(4月22日)今回はしっかり写真に撮れたので、図鑑で調べることが出来た。石や鳥や蝶などを図鑑で見るが、確定できたことはない。ところが今回ばかりは自信ありである。クロツグミの雄に違いない、図鑑でぴったり来るのがこんなに嬉しいものとは思わなかった。Img_4330
 



 (2)榎の芽吹き
 落葉樹は冬の間ツルツルテンになるので、本当に春になれば芽を吹いて、やがて葉を一面に茂らすのかと疑問に感じる。ところが季節が来れば、きっちり芽を吹き、花が咲き、実を着けるのである。当たり前のことだけど、そのことに何時も感動する。
風が吹くと、茶色のきっと花だろう小さな塊が庭一面に降り積もる。(4月23日)Img_4338 
 






(3)じょんのびテラスオープン
 4月26日にテラス席をオープンした。この時点ではまだ寒かったので、本格的利用はGWからとなった。同時にアイスコーヒーを提供することとなった。閉店後のじょんのびビヤガーデンは5月3日からとなった。ビールは相変わらずのどごし生だが、つまみはあられとピーナッツだけど、これほど美味い瞬間もそうあるもんでない。Img_4350

仕事終わりにじょんと3人で飲むビールは最高。


 (4)カンペのペイントセットが当たる。
 買った商品に付いていたのか、インターネットで応募したのか憶えがないのだけど、カンペのペイントセットが当たった。塗料や刷毛、ローラー、マスキングテープなど総て揃ったセットが当たったのでまずは大喜びというところである。特に塗料は高価で、助かるなあと思っていたが、よく見ると室内用塗料である。しかも塗った後のアンケート、ビフォアアフターの写真など送ってくれという内容である。室外用の塗料ならいくらでも要るときだし、ビフォアアフターもいくらでも記録できるのだが、室内用となると当分出番がない。なんたって2年前に新築した家だから、必要ないだろう。遠い将来、ガーデンハウスを建てる予定だが、そこまで室内用塗料は使うことは無いだろう。誰か必要な人があれば、塗ってあげるけど、、、。Img_4383
 



 (5)じょんのびガーデン花盛り
 今年は全体的に寒いせいか、本来なら終わっている花が未だ咲き誇っているということだ。Img_4406 Img_4407_2





【作業日誌 5/3】
草刈り一ラウンド最終日

今日のじょん:久々ににしくりじょんが始まった。散歩先の堤防上の野芝でもやるし、我が家の砕石の上でも、くんくん臭いでるかと思えば、首のあたりをにしくっている。どうせ干からびたミミズが居るんだろうと思ったら、しっかりミミズのミイラが現れた。一体何が良いのだろう。Img_4409

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続・邪馬台国というよりは 5/2

2010-05-03 | 歴史・民俗

2010.5.2(日)快晴

  今日は私の誕生日である。子供の頃、誕生日の朝になると前栽に白いあやめがぱっと開くのだ。気候がいかように変化しようとも5月2日の朝に必ず開いていた。嬉しくもあり、不思議な感もしていたのだが、今朝花水木が花開いた。3月に購入したものだが、なんとなく嬉しい開花である。Img_4402
 さて、鉄の話に戻すが、弥生時代というか、日本の建国以前に採鉱から製鉄までの行程が貫徹されていたか否かということは歴史上大きな意義があると思う。大和建国がどのようになされたかということや、三韓征伐があったのかどうかということなどにも大きく関わってくるだろう。今日までに読んだ歴史書では概ね朝鮮などの技術には劣るものの製鉄をする能力があったようだと書かれている。ところが学会では昨日書いたように、加工は出来るが、半製品としての鉄鋼は輸入していただろうというのが大筋のように感じる。(それらの論文を読んだことがないので、感じとしてしか言いようがないのだが)
 今日の新聞に平成の遣唐使船が再現されて、上海万博に展示されるという記事が載っている。五島列島までは実際に航行するそうだが、中国までは貨物船に乗せられて行くそうだ。遣唐使の時代でこの船だ、弥生時代にどれだけの航行技術があったのだろう。三内丸山遺跡に行ったときに、国内の物流の展示があった。石器の原料を始め各地の様々な物産が集結しているのだ。これらはおそらく沿岸の海路を利用して行われたものだろう。そしてあの有名な櫓が実は灯台の役目をしていたのではないかという仮説はかなり信頼できそうだ。Img_4413 Img_0881


平成遣唐使船の記事と三内丸山遺跡の櫓(2006.9.26)




 このように縄文時代に於いても海運があったことは納得できるが、それとて沿岸部だろう。物静かな日本海といえども外海である、弥生時代に鉄鉱石を積んで交易したとはにわかに信じられない。ましてや国際分業が発達し、日本に於いては鉄の加工だけをしていたとはこれまた納得がいかない。もしこの当時に国際分業があったとしたら、鉄の最盛期である五世紀以降の日本中の貧相な鉱山まで掘り尽くす必要は出てこないのではないか。
 というようなわけで、菊池氏の著書に大和建国以前の鉄に関する説があるのじゃないかと期待している。
 余談ではあるが、コメントの中に「柴田先生と飲みます」なんてのがある。柴田先生とは3月24日、4月7日の記事で紹介している柴田弘武氏のことだろう。こんな先生と一緒に飲めるなんて、楽しいだろうなあとうらやましく思う。柴田氏の著書にある別所地名は私の周りに五ヶ所もある。その中のひとつに”おお野”という地名を見つけた。氏の著書「産鉄族オオ氏の軌跡」も読んでみたい書のひとつである。

【作業日誌 5/2】
草刈り5日目(谷を除いて一周)

今日のじょん:今日はジローくん達が遊びに来た。やや興奮気味だが、散歩から帰ってきたら、閉店後のお客さまがあり芝生広場に繋いだまま忘れられてしまった。おとーは阪神の試合で怒鳴るし、もう散々。Img_4405 でも阪神五連勝。

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邪馬台国というよりは 5/1

2010-05-03 | 歴史・民俗

2010.5.1(土)快晴

 3月26日の邪馬台国の東遷なんて畏れ多い記事に菊池様からコメントを頂いた。私の記事はタイトルの割に浅薄な内容で申し訳なく思っている。氏は「邪馬台国と狗奴国と鉄」という本を発行されている。内容を調べてみると、大変興味深く読めそうな本である。私がたいそうなタイトルでブログを書いたからお目にかかったんだろうが、私の邪馬台国に対する知識と考察なんてまるでミーハーでその辺の数冊の本を読みあさっただけのものである。ただ纒向遺跡の箸墓古墳の年代が邪馬台国と一致しているというだけで、邪馬台国は畿内にあったと騒いでいる今の状況には疑問を感じている。邪馬台国は九州か畿内かと追いかけている限り、歴史の迷路は抜け出せないのじゃないかなどとえらそうなことも言ってみたくなる。
 菊池氏の書を早速読んでみようと思うのだが、その前に読破しなければならない書が沢山あるので、何時読了できるか解らない。Img_4408 Img_4399 Img_4400
畑土移し替え




 今日のじょん:暖かくなってきたら、朝食後の朝寝がとっても気持ちよさそうだ。ところが、朝日の射すぽかぽかのところで寝るもんだから、ついには暑がってはあはあいっている。もっと涼しいところで寝りゃあいいじゃねえかと思うのは人間の勝手な判断なのか?Img_4352

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