hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

昭和9年12月号時間表

2014-01-13 09:05:32 | 日記

鉄道シリーズ その35。正月休みも9日間もあるため、久々に昔の時刻表、当時は時間表といったのだが、昭和9年12月号(復刻版)を眺めてみた。当時はまだ朝鮮半島や台湾、南樺太、満州の鉄道経営権を日本が持っていたのでそのあたりの列車が出ていたのを知ってはいたが、全国路線図の九州の横に台湾が載っていたり、北海道の隣に南樺太が載っているのには驚いた。


さらにページが進むと本州・北海道の連絡が載るページの次に日本・中華民国(今の中国本土)の連絡が載っている。例えば東京を13時30分発の特急に乗ると下関に翌日の朝8時に着き、10時半発の釜山行の連絡船にのると釜山に18時に到着、釜山から奉天行きの急行が19時20分に出て、奉天には翌日(東京を出て3日目)16時20分に到着するというもの。上海には下関~門司~長崎~上海の乗り継ぎも載っている。

さらに次のページには日本発ヨーロッパ行きの時刻も載っている。例えば東京から特急富士15時発に乗ると下関に翌日朝9時30分に到着、釜山行きの船に乗ると午後6時着、7時20分の国際列車に乗るとソウル・奉天・新京を経由してハルピンに4日目の午後2時40分到着、満州里までは接続が悪く、ようやく東京発から6日目の7時10分到着。満州里発の国際列車のモスクワ行きは午後1時10分発、モスクワ着は東京出てから12日後の午後5時。さらにワルソー経由でベルリン到着は東京を出てから14日後の午前9時23分、パリ到着は東京を出てから15日目の午前6時43分という壮大な接続である。東京~ベルリンまでは距離が12672キロ、運賃は3等で72.34ドルかかったようだ。換算レートが分からないが、かなりの金額と推定される。

以前に流線型のブームのことをブログに書いたが、まさにこの頃が、戦前最後のよき時代であったのかもしれない。その後、昭和12年には日中戦争、昭和16年には第二次大戦に突入していく直前の夢のような時間表である。