hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

年賀切手

2014-01-16 06:53:03 | 日記

切手の話 その2。今回は年賀切手の話。昨年末は郵便局員の年賀はがきノルマ問題が取りだたされていたが、昭和40年代は早く買わないとお年玉付き年賀はがきが売り切れることなど日常茶飯事であった。まあ、当時はまだメールはなかったし、年賀状は書かないという人はかなりの変わり者という時代だったが。

年賀状のために記念切手が発行されたのは1935年12月に昭和11年正月用の富士山の1銭5厘の切手が発行されたのが始まり。記念の20面小型シートも併せて発行された。翌年は『二見浦』、1937年は『しめ縄』と続いたが、これで中断。戦後は1948年の『羽根つき』という少女が羽根を付く図案が最初である。

そして、1949年に昭和25年用お年玉付き年賀はがきが初めて発行され、その末等の賞品として1950年2月に『応挙の虎』の2円切手が5枚ついた小型シートが発行された。実はお年玉付き年賀はがきは民間人、大阪在住の林正治という商人のアイディアで『戦後の混乱期に連絡が取れない友人知人も年賀状を出せば連絡がつくだろう。また、お年玉を付ければきっと皆買うはずだ』と大臣に掛け合い実現した。因みに当時の賞品は特等がミシン、一等が紳士服地、二等が学童用グラブであった。

昭和26年用は『少女とウサギ』と前年の虎に継いで干支だったが、昭和27年用は『翁の面』、昭和28年用は『御所人形』と民芸品が続く。昭和29年用は『三春駒』と午年にちなんだ民芸品だったが、昭和30年用は『加賀起き上がり(姫ダルマ)』と民芸品に戻った。

その後も昭和33年用が『犬はりこ』、昭和35年用が『米喰いネズミ』と干支も登場、それ以降は干支の民芸品に図案は決まった模様。(昭和47、48年は干支ではない。)

また、小型シートの1シートの切手の枚数も昭和26年用までは5枚、昭和46年用までは4枚、昭和51年用までは3枚、昭和46年用までは2枚とどんどん減っていった。その後、慶事用の60円切手と年賀切手40円の2枚に変わったが、また平成3年用から元のハガキ用の切手2枚に、さらに平成5年用からは封書用の62円年賀切手とハガキ用の41円年賀切手になっている。なかなか、世知辛いものである。

年賀切手で画期的だったのは私製ハガキ用にもお年玉をということで平成2年用からはくじ付き年賀切手も発行されてた。しかし、PR不足なのか実はあまりしられていない。
面白いのは当初はお年玉付き年賀はがきの賞品の色彩が強かったため、切手の発行は翌年1月か2月だったが、1953年(1954年用)からは12月に発行が早くなり、年賀はがきにも貼れるようになった。そのため1971年(1972年用)は郵便料金が翌年から引き上げられたため、7円(緑の宝船)、10円(青い宝船)の二種類が発行されている。

今年は1月19日が当選発表、いくつあたっているかなあ。但し今までの経験上、4・5等しか当たったことはないが。実は1990年から数年間は4等もふるさと切手4面の小型シート4枚が賞品だったことがある。(ただ、くじの賞品専用に発行されたのは1990年のみ)まあ、切手コレクターくらいしか知らないだろうが。

蛇足であるが、子供の頃に偶然、冒頭に紹介した昭和11年用の20面小型シートを手に入れたが、今だに小生の持つ最高額(評価額・美品で18万円)の日本切手である。