hokutoのきまぐれ散歩

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東京駅発着の都バス

2015-02-04 05:00:04 | 日記

バスシリーズ その3。前回のこのシリーズでかつては東京駅からは多数のバスが発着していたと書いたが、昭和47年(1972年)当時のバスの資料が出てきたので今と比べてみる。

1972年当時は営団地下鉄(現在、東京メトロ)は1964年のオリンピックまでに銀座線、丸ノ内線、日比谷線は開業済、1969年にようやく東西線が全面開業、千代田線はまだ部分開業(代々木公園~綾瀬)と合計5本しかなかった頃(有楽町線は1975年10月開業)で、一方、都電が順次廃止されていた言わばバス黄金時代である。


まず、東京駅八重洲口からみてみるが、今もある深川車庫(東15)、深川車庫(東16、かつては東京駅丸の内南口発着)、南千住(東42)の3系統以外に枝川2丁目(東17)、葛西車庫(東26)、王子駅前(東51)、新宿駅西口(東72)、等々力(東82)、幡ヶ谷(東85)、池上駅前(東94)、五反田駅(東96)の8系統が運転されていた。

東京駅丸の内北口は今は錦糸町駅(東20)、錦糸町駅(東22)、荒川土手(東43、かつては終点が西新井駅)の3系統のみだが、当時は浦安終点(東28)、東京球場(東40)、常盤台教会前(東50)、上板橋駅前(東52)、志村車庫(東55)、大久保駅前(東71)、品川車庫(東91)の8系統が運転されていた。

まだ、東40系統は都電31系統の代替バスだったが、この頃には東京オリオンズ(現在、ロッテマリーンズ)のホームグラウンド東京球場まで走っていた。(しかし、その後1973年には東京球場が閉鎖されたため、三ノ輪橋~東京駅と短縮)

東京駅丸の内南口からは当時なかった豊海水産埠頭(都04)、晴海埠頭・東京ビックサイト(都05)の2系統が現在運転中だが、当時は、と言うと勝どき5丁目(東16)、門前仲町(東18)、新都橋(東19)、北砂7丁目(東21)、清水操車場(東75)、恵比寿駅(東80)、桜新町(東83)、経堂駅前(東84)、丸子橋(東90)、等々力(東98、高速経由)の10系統が運転されていた。(等々力行きは東急バスと共同運行だったが、今は東急単独路線として存続。)また、東98系統は1987年まで目黒~霞が関は首都高速を利用していた路線であった。

つまり、東京駅を離発着する都バスは今は全部で僅か8系統しかないが、この当時は32系統もの都バスが運行されていた。それにしてもバス乗り場が例えば東方向は全て八重洲口といった整理がされておらず、全く自由気儘に3か所から出発していたのが興味深い。