hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

東日本橋

2015-02-22 05:00:57 | 日記

日本橋町巡りシリーズ その16。今回は東日本橋、北西は馬喰町・横山町、南側は浜町、東側は隅田川に囲まれている。但し、他の町とは違い新しい名前であり、1丁目は薬研堀町・若松町・矢ノ倉町・村松町など5つの町、2丁目は両国町、3丁目は橘町の計7つの町が合併して1971年に現在の住居表示となったもの。

交通の便利場所で都営地下鉄浅草線東日本橋駅、JR総武線馬喰町駅、都営地下鉄新宿線馬喰横山駅の何れからもほど近い。

町全体は隣の横山町同様に衣料問屋街とオフィスビルが林立するあまり特色のない街である。


江戸時代の明暦大火以降は両国橋の袂の火除け地として両国広小路と呼ばれ興行師達が芝居小屋や見世物小屋を出す許しを幕府から得て賑わった場所で、特に夏の両国花火大会などの時期は大量の人が集まった。

今は両国というと川向こうだけに地名は残っているが、明治時代は西側を日本橋両国、東側を東両国と呼んでいた。しかし、住居表示変更以降は駅が作られたこともあり、今は東日本橋が定着している。

今も薬研堀不動院があるが、その名前にもある『薬研堀』は江戸時代に矢ノ倉と呼ばれる米倉が置かれたため、隅田川から今の日本橋中学辺りまでL字型の堀が作られた。その堀がV字型で薬研に似ていたため、この名前がついた。もちろん七味唐辛子で有名な薬研堀はここのことである。



薬研堀不動院は目黒不動尊、目白不動尊と共に江戸三大不動尊と呼ばれる。現在は川崎大師の別院で境内横には遍路の像や順天堂創始の地、講談発祥の地など様々な碑が建っている。因みに七味唐辛子はそばにある大木唐辛子店に行くと買えるらしい。(東日本橋2ー21ー5)


戦災で殆どが焼け出されたこともあり、他にはあまり歴史のある建物もなく、キンチョーやカゴメの東京支店などが目立つくらいである。

東日本橋は昔の地名が無くなった数少ない地区の一つであり、その昔と今では位置付けも全く変わってしまった地域のようだ。