『大正、昭和の建築物を訪ねて』その10。今回は東京メトロ銀座線稲荷町駅で降りて佐竹商店街を目指す。稲荷町駅自体がもうレトロな建築物である。
地下鉄から地上に上がり、浅草通りを渡るが、日本最初の地下鉄は浅くて助かるが、反対側のホームへの通路が無いから不便である。
少し上野駅方向に歩き、左に曲がると下谷神社の大きな鳥居が見えてくる。せっかくだからお参りするが、元は下谷稲荷と呼ばれた由緒ある神社で初めて寄席が開かれたという石碑がある。
説明板によると1798年に元は馬喰町の櫛職人、山生亭花楽という人が木戸銭を取って初めて落語をやったらしい。この人の名前も『山椒は小粒でピリリと辛い』から来ている粋な名前である。
お参りのあと、正面の道を左に行くと3軒長屋の銅板貼りのお宅が見えてくる。3軒とも銅板が遺されていてちゃんとメンテナンスされている。
その先には今度は5軒長屋、こちらは両端と真ん中は銅板貼りが残っていて真ん中は焼肉のお店をやっているようだ。
下谷神社の手前の道を右に曲がると『長部紙器工業所』の工場。2階の木製の手すりと銅板貼りの雨戸入れが歴史を感じる。流石に1階の風景の写真は撮れなかったが今も現役の工場である。
界隈を歩くと看板建築ではないが、昔ながらの切妻屋根の『中柳建設』。角地に作られた看板建築の2階部が亀甲模様にモルタルが塗られた建物などまだまだ見るべき建物が多い。
『東京都徽章工業組合』のモルタルの建物も典型的な角地型看板建築。さらに『東松鍍金工場』は向かい合わせに看板建築の工場があり、今もメッキ作業をしているのだ。一度建物を壊したら2度と再建できない都会でひっそりと作業がつづいている。