『ぶらり橋巡り』その117。前回に引き続き石神井川に架かる加賀橋から遡る。川が左に弧を描きながら曲がる。橋のそばには枯れ薄が風にたなびき、冬らしい風景を作っている。
左右には益々高層団地やマンションが増えてきて殺風景になってくる。ただ、ところどころに園地が作られていて大きな石に正岡子規の『若鮎の二手に分かれて上りけり』という俳句が刻まれていた。
緑橋の先で大きく左に曲がり、加賀ニノ橋からは帝京大学の校舎が幾つも建てられ、その大きさ、立派さに驚く。お正月は駅伝に大学ラグビーにと盛り上がったことであろう。
この辺りは『加賀学園通り』と名付けられ、桜の木が並木となるように植えられている。今の季節は葉が全て落ち、寒々としているが、春は美しいのであろう。
加賀学園橋から水面を見ると鴨が群れとなって浮かんでいる。大きな鴨と小さいのが3羽、親子なのだろうか、並んで泳いでいた。
帝京大学病院の前あたりにあるのが稲荷橋、ここから少しあるが、稲荷台児童公園から稲荷が出てきたので周囲に稲荷台、稲荷橋といった名前がつけられたらしい。この橋近くに東京都水防総合情報システムの稲荷橋映像監視局があり、水位情報がリアルにわかる。
御成橋、中宿人道橋を越え、番場橋あたりまでは桜並木となっている。
次の橋が板橋、区の名前の由来となった旧中山道の橋である。説明板によると、『鎌倉〜室町時代に掛けて書かれた古書にも出てくるが、江戸時代になると宿場の名前となった。(中略)江戸時代の板橋は太鼓状の木製橋で長さは9間、幅が4間(16.2m×5.4m)あった。少なくとも1798年と天保年間の2回修復されている。1920年には架け替えられ、さらに1932年にコンクリートの橋へ、そして現在の橋は1972年に石神井川の改修工事に伴い完成したものである。』とある。今の橋は外観は木製をオマージュさせる造りで欄干もなかなかいい。
このすぐ先から仲宿商店街が始まるが、いまだに元気な商店が並び、賑やかである。
国道17号線の橋が新板橋、上には首都高速5号線が走る。日本橋から11kmのところにあり、石造りの重厚な親柱が特徴である。
ここからは板橋本町駅まで歩き、帰ることにした。