『都会の小さな町めぐり』新宿区編⑤。この企画も昨年3月以来だから本当に久しぶり。今日は飯田橋駅から外堀通り、新目白通り、大久保通りと歩きながら小さな町を巡る。
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神楽坂のいちばん底にあたる場所からスタート。大きな餃子で有名な神楽坂飯店の前を通過、軽子坂を境に住所は『神楽坂1丁目』から『揚場町』となる。
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『軽子』とは縄で編んだもっこを使い荷揚げする人のこと。飯田濠には船着場があり、船荷を荷揚げする軽子がこの辺りに多く住んでいたため付けられたものである。また、揚場町とは同じく荷揚げをする場所だったことに由来する。
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現在では54世帯105人と小さな町で、町の名前が残っているのは『揚場ビル』という名前くらいしか見当たらない。揚場町1番地はSMBCのビルあたりだろう。
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そのまま大久保通りを渡ったあたりが『下宮比町』、下宮比町があれば上宮比町が気になってしまうのだが、1951年の町名改訂の際に上宮比町は神楽坂4丁目と変わったのである。
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また、この町の名前を見たことがある方もいると思うが、飯田橋駅の六差路の歩道橋に付いているからである。みずほ銀行飯田橋支店をはじめとしたオフィスビルが殆どだが一本奥に入ると雰囲気のある居酒屋(三州屋)も現在である。
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すぐに新目白通り、左に歩くと大久保通りがさらに左に分かれていくが、手前が『新小川町』1番地、大久保通りを挟んで2番地となっている。
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町の由来は1658年に白鳥池を埋め立て、神田小川町の住人を集団移住させたことによる。
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大久保通りを渡り左に歩いて行くとすぐ右手に小さな公園、新小川公園がある。また、住居表示していないにも関わらず、区作成の町名表示板がある。(以下、次回)