駒込富士神社にお参りした後、東京メトロ南北線本駒込駅に向かう。するとバス停に『吉祥寺前』とある。武蔵野市吉祥寺は江戸時代にこの門前に住んでいた人たちが焼け出され、集団移住したという話は聞いたことがある。
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吉祥寺の由緒は1458年太田道灌が江戸城築城の際に井戸の中から『吉祥増上』の金印が発見されたため、青嚴周陽を開山として千代田区和田蔵門に創建したと言われている。途中、神田に移ったが、1657年の明暦の大火でこの場所に移された。また、ご朱印にある栴檀林はこの地に作られた学僧の寮のことで現在の駒澤大学の前身の一つである。
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立派な門を入るが、江戸時代初期の山門は経蔵と並び太平洋戦争の空襲で焼け残ったものである。中に入ると長い参道の両側には銀杏が植えてあり、右側は全て墓地となっている。
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その真ん中あたりには『お七・吉三郎 比翼碑』と書かれた大きな石碑がある。八百屋お七の悲恋の話は有名だが、これは井原西鶴作の好色五人女の話。お七は火事で焼け出されたのち、吉祥寺で吉三郎と出会い、復興後離れ離れになった。お七はこれを悲しみ、火事になれば再び恋しい吉三郎に会えると思い、火をつけたというのがあらすじ。だだ、実際は若い娘が火をつけ、火炙りになったという記録があるのみで、八百屋の娘という点も確かではない。
そんな二人の碑は銅製の仏像(吉祥寺大仏)の前にある。比翼塚と名付けられているが、これは芝居の関係から作られたのではないか。また、実際のお七一家の避難先は白山の円乗寺であり、吉祥寺とは関係ないというのが史実である。
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隣には茗荷稲荷がある。これは茗荷断ちをして祈願すると痔瘻快癒に効果があるとか。ほかにも口内炎や結膜炎にも効く話もある。
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その先には立派な本殿、私はこちらへ参拝し、ちゃんと御朱印も頂きました。最後に経蔵に立ち寄るが1806年に作られたものでその姿は小さな伽藍のようである。
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大きな墓地を併設した広い境内を持ち、川上眉山や二宮尊徳の墓もある由緒ある寺院であった。ちなみに皆知っているとは思いますが、中央線吉祥寺駅近くには吉祥寺というお寺はありません。