『東京の坂、日本の坂』その212。今回は坂道と川歩きのコラボ企画である。小田急線成城学園前駅から仙川を遡りながら、坂道も歩くことにした。
成城学園前駅に到着したのが平日午後3時半、ここから仙川沿いを歩き、途中にある坂道を巡る。駅北口を右の方に向かうと学生、特に女子学生がどんどん増えていく。当たり前、というのは成城学園があるからで、その横を川に突き当たるまで歩く。
下り坂となり、小田急線の陸橋と交差しているのが『成城橋』、さらに川上に行くとすぐの所に『東原橋』がある。
この辺りまで来ると学生の姿もぽつりぽつりとなる。左側には成城大学の校舎、対岸は高級住宅地となっていて庭のバラが綺麗に咲いている。
少し行くとトラス橋が見えてくるが、橋脚はそれぞれ大学の敷地の中にあり、一般の人は通行不可となっている。川を挟んで校舎などがあるために作られた橋なのだろう。
この辺りの仙川は幅も狭く、透明で川底も見ることができる。また、川の真ん中にできた地面からは草が茂り、葉の色もかなり濃くなってきた。
『さくら橋』を渡ると大学のグラウンド、広々としている。この辺りから川幅が広くなり、また水面からの高さが高くなる。
『稲荷山橋』の先では白鷺が魚を探している姿を偶然発見した。
『大石橋』まで到着、この辺りは凡そ400m毎に橋が作られていて、その間隔にかなり距離を感じる。ようやく『鞍橋』に到着、右前方は都立祖師谷公園となる。
変形4叉路の最も左道を歩くと上りの緩い坂道。これが『金兵衞坂』、由来は付近にある加々美家が坂下に隠居所建てたからとWebには書いてあった。しかし、金兵衞のどのように繋がるのかはわからない。
再び鞍橋まで戻り、祖師谷公園を横切り歩く。道は突き当たるのでこれを右に曲がり、3本目を左に行くと上り坂がでてくる。
これが『弔い坂』、細い路地のような道だが、東側が祖師谷、西側が上祖師谷に分割されていて1695年の検地の際に作られた。
この道をまっすぐ行くと安穏寺に至るのだが、死者を載せた輿を若者が担いで歩く弔い道であったためである。
畑もあるのんびりした風景。坂を降りて左に行くと何もない所に鳥居があり、草も刈られていない中に小さな祠がある。今は看板も壊れていてわからないが、神明社とあったようだ。
明治時代初年まではこの地に熊野神社と稲荷森稲荷社があったが、この二つは明治7年に合祀、さらに明治43年に神明社と合祀。現在は小さな祠と庚申塔のみが残されているのである。(以下、次回)