hokutoのきまぐれ散歩

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野木宿②

2023-07-15 05:00:00 | 宿場町
『宿場町を行く』その25。野木宿②。野木神社は同じのぎだからということもあり、乃木希典大将が何度もお参りに来て、軍刀を奉納するほど崇拝していたことでも有名である。



また、谷文晁作と言われる『黒馬繁馬図』という絵馬が奉納されていた。ここで御朱印と御宿場印を頂き、神社の方と歓談。
伺ったお話は『野木宿は隣の古河宿とは距離がないが、これは大名や幕府関係者など身分の高い者しか古河宿に泊まることは許されず、野木宿はその補完として作られたもので大層は商人などが利用。そのため、庶民的な宿だった』とのこと。

野木神社を出て北に向かって歩く。1kmのところにほぼ向かい合うように本陣跡、脇本陣跡がある。何も今は熊倉氏の個人宅となっているが、なぜか脇本陣の方が広く見えた。
(脇本陣跡)




(本陣跡)

満願寺というお寺には『十九夜』の石碑が入口に置いてある。十九夜様とは如意輪観音のことで主に安産の神様として女性の信仰を集めていた。



旧暦の十九日夜に十九夜様の周りに集まり、線香や灯籠をあげ、念仏を唱え、お産が軽く済むことを祈ったのである。

その先には一里塚跡がある。江戸から十七里にあたり、榎が植えられていたのだが、今は説明板があるのみであった。



少し歩くとようやくセブンイレブンがあり、小休止。お隣にある友沼八幡神社には『将軍御休所跡』がある。

これは家康が亡くなった後、久能山に葬られたが、その後日光東照宮に改葬された。代々の将軍を始め、大名や武家、庶民までもが日光参りを行なった。



将軍は江戸を出発、岩槻・古河・宇都宮で各1泊、日光に入るのだが、古河を出たのちに最初に小休止をしたのが、この地だったようだ。



神社の向かいに法音寺がある。ここには芭蕉の句碑、『道端のむくげは馬に喰われけり』が門人により建てられた。



他にも『十九夜塔』『二十三夜塔』(旧暦23日の月待行事の一つ)などがある。600年ほど前に作られた由緒あるお寺で野木村ができた際の役場も置かれたことがある。(以下、次回)



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