『東京の坂、日本の坂』その178。久しぶりに港区の坂道を歩いてみる。東京メトロ日比谷線広尾駅で降りて外苑西通りを左に曲がり、有栖川宮記念公園方向へ。
突き当たりを右に曲がると廣尾神社の前に出る。廣尾神社(広尾稲荷神社)は二代将軍秀忠が鷹狩りの際に立ち寄り、お稲荷様の分霊を祀ったもの。
社殿の天井には『鮭』の絵で有名な高橋由一作の黒龍図がある。社殿は1845年の火事で焼け落ち、1847年に再興された際に描かれたものである。
すぐお隣には庚申塔、元は廣尾神社の別当寺であった千歳寺の住持祐道の代に講の人の浄財で作られたもの。真ん中のものが1690年と言われている。三猿が彫られていた。
元の道を歩くが右手は大きなマンション、左手は古い民家が並んでいて、これを改装したレストランが点在する。まず新富士見坂が出てくるが、その先の青木坂まで行く。
『青木坂』は北側に旗本の青木氏の屋敷があったため、この名前となった。細く急な坂道で途中から右側に高い塀と緑色の門が現れるがこれはフランス大使館である。
また、青木坂の別名は富士見坂、かつてこの坂の上からは富士山がみえたのであろう。
フランス大使館の緑の門を左に曲がり少し歩くと左に坂、これが先ほどの『新富士見坂』を上がったところ。
左側には少し変わったお屋敷がある。この坂道は左に90度、さらに右に90度曲がって先ほどの道に戻る。
右に曲がり、有栖川宮記念公園の方に向かう。公園手前にNATIONALというスーパーがあるが、それに沿って登って行く坂道が『南部坂』。
この公園は江戸時代に赤坂から盛岡藩南部氏の屋敷が移されたが、その屋敷の周りの坂道のためこの名前がある。
有栖川宮記念公園は南部藩の下屋敷跡だったが、1896年有栖川宮御用地になる。さらに1913年には高松宮御用地となった。
1934年に高松宮が故有栖川宮威仁親王の命日に11000坪の御用地を子供達の自然教育のためにと東京市に下賜され、有栖川宮記念公園として開園したもの。
今は都内中心部では珍しい自然溢れる公園として皆に愛され、また中央には東京都中央図書館もある。(以下、次回)