『大正・昭和の建物を求めて』その2。前回の続きで人形町1丁目を日本橋小学校の方に歩く。すると小学校手前の向かい側に銅板ではなく漆喰で固めた看板造りのアパートを発見。
向かって右側は普通の造りだが、左半分は看板建築となっていて、1階が駐車場、2階はアパートのように使われていた。
かなり傾きつつあったが、数年前に耐震工事的なことを行っている。
そのすぐ先にあるのが『太田鮨』、外観はかなり時代が経ったもの、看板の電話番号もまだ7桁のままである。
ランチは人気なようでよく人が並んでいる。店の創業は昭和2年、お腹いっぱい食べることができるので有名らしい。
次の角を左に曲がると突き当たりには周囲の植木で看板がよく見えないが、近づくと『日本建装』とある。看板や建築塗装をやっている店らしいが営業しているのかはわからない。
大通りを渡り、児童公園に向かう道の近くにあるのが『丸由工材』という工材卸会社の本店。社史を見てみると昭和32年築、昔の信用金庫の支店を思わせる頑丈な石造りだが、この会社の本店として建築されたもの。実は近日中にマンションなどになるため、取り壊しされてしまう。
ほかにも古い建物は人形町にたくさんあり、新しいビルと古い建物が共存している街である。