『東京の坂、日本の坂』その224。雑司ヶ谷の南坂をそのまま上ると旧宣教師館通りと書いたレンガ通りが現れる。
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そのまままっすぐ行くと『雑司ヶ谷旧宣教師館』と書いた古い洋館が現れる。これは1907年にアメリカ人宣教師マッケーレブが自らの居宅として建設したもので1941年に彼が帰国するまで生活していた。今は豊島区有形文化財として保存されている。
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元の道まで戻り、坂を下りると左に向かう道に出る。これを5分ほど歩いてようやく不忍通りまで戻る。不忍通りは先ほど私が渡ったあたりから首都高護国寺ランプあたりまでが緩い坂道となっているが、これが『小篠坂(こざささか)』である。
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説明板によると『江戸時代に御鷹場から坂下の本浄寺に下る道として開かれたものだが、笹が多く生えていたため、この名前となった』とある。
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小篠坂の先、友成第二医院というクリニックの先を左に曲がると文京区立青柳小学校への坂道となる。この坂には『希望の坂』という名前がつけられている。
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これは首都高速道路建設により1960年に今の場所に移転、その際に子供たちが楽しく学べる通学路であり、希望に満ちた将来を願ってこの名前が付けられたとのことである。
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護国寺の前を通り、まっすぐ行くと大塚三丁目の交差点に向かって不忍通りは坂道となっている。この坂道は『富士見坂』と名付けられてある。富士見坂や塩見坂(潮見坂)は東京にたくさんあるが、ここの坂上からは天気の良い朝には本当に富士山を臨むことができる数少ない坂道である。