
『東京の坂、日本の坂』その233。大倉山駅を後に東急東横線に乗り、次の綱島駅で下車する。綱島駅は開業時には綱島温泉駅といい、1960年には80軒の温泉旅館があった。今は3軒の温浴施設や銭湯があるに留まる。泉質はナトリウム・炭酸水素塩冷鉱泉である。


今は当時の面影はなく、駅西口に出て右に曲がり歩く。すぐに上り坂になり、その先に綱島公園があるため、『公園坂』と名付けられている。


1944年に綱島公園ができる前は柿の木が多く生えていたため、柿坂と呼ばれていた。
入口には比較的新しいこじんまりした綱島稲荷神社がある。



その先から公園に入るとすぐのところに綱島古墳がある。木が茂っていることから形状は外から見るだけでは分かりにくいが、円墳または前方後円墳ではないかと思われる。


内部の発掘調査は1989年から行われ、墳丘裾部から円筒埴輪や須恵器、土師器、また墳頂部からは直刀・刀子が発掘されている。直径20m、高さ5mある。古墳の周りを2周して覗き込んだ。戦争中は高射砲陣地として軍が買い取った歴史もあるそうだ。



その先にはテニスコートやプール跡があり、広場となっている。しかし、その側部は急な崖地となっていてきつい階段坂が『けつわり坂』である。かつての観音堂裏の坂で湧き水が滲み出て滑りやすく、村人がしばしば大けがをしたためこの名前となった。

上から眺めてもとても降りて行く気のしない坂であるが、それもそのはずこの辺りは『綱島台公園急傾斜地危険区域』に指定されていた。よく言えば駅からすぐのところに自然豊かな公園があるが、この坂道はかなり辛そうである。日吉、綱島、大倉山の3駅付近の坂道を回ったがほとんどの坂道は東急東横線の西側に集中していた。