hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

八海山千年こうじ屋〜日本橋ランチグルメ

2022-09-20 05:00:00 | グルメ
COREDO室町IIの1階に八海山酒造が経営するレストラン『八海山千年こうじ屋』がある。カウンターと2人掛けボックス2つの小さな店だが、酒造店が経営しているだけあって『麹』をつかったメニューが並ぶ?



ランチは魚や鶏の麹漬けメインの料理が多く、鰆や鯖の麹漬け、海鮮丼もあるが、今回は『赤魚の麹漬け&若鶏の麹漬けの定食』(1400円)をお願いした。昼は女性を中心に人気があり、席が空いてもすぐ埋まる。


待つこと7分程度、定食が登場する。メインは赤魚の麹漬け、若鶏の麹漬け、ほかに大根おろし山椒ちりめん掛け、和風サラダ、漬物、具沢山味噌汁、魚沼産コシヒカリのご飯というラインナップ。



まずは味噌汁からいただくが、もずくと根菜、キノコが入っており、優しい甘めの味噌味。和風サラダはフレンチドレッシングがかかっていた。



赤魚の麹漬も薄味ながら香り高く、噛み締めると美味い。鶏の麹漬も似た味付けだが、食べ応えがある。

大根おろしに乗っていたちりめん山椒をご飯に乗せて、漬物と食べる。口の中に広がる山椒のいい香り、やはり米が違う。全体的に強い味付けのものはないが、バランスが良く、飽きのこない味である。COREDO室町IIの食堂も色々とあるが、こことにんべんのだし場はまったり落ち着くことのできる店である。ご馳走さまでした。



付言しておくが、夜はダイニングバー。昼でも八海山をグラスで楽しんだり、酒を買ったりすることももちろんできる。米焼酎『よろしく千萬あるべし』のポケットボトルは思わず欲しくなった。

八海山千年こうじ屋
COREDO室町II1階
05054569252

『〇〇モドキ』『ニセ〇〇』『〇〇ダマシ』という名の植物

2022-09-19 05:00:00 | 日記
植物の名前を図鑑で見ていると面白いことに気づいた。

(サフランモドキ)
先日街を歩いていて見つけた『サフランモドキ』、可愛らしいピンクの花を咲かせるヒガンバナに近い種類である。日本に渡来したのは江戸時代末期であるが、渡来して来た際には薬用になるサフランと誤認されていた。



(サフラン)
しかし、明治になり、誤りであったことが判明、あまり名誉ではないサフランモドキと呼ばれるようになった。

(ウメモドキ)

そもそも、『モドキ』とつくネーミングの動植物は似て非なるもの、まがいものというイメージが強く、あまり良い意味には取られない。ただ、必ずしも『モドキ』と付いているからと言って全て似ている訳ではない。『ウメ』『ウメモドキ』はあまり似ていない。似ているとしても葉の形が同じくらいで花の色もウメは紅白に対してウメモドキは薄紫色である。真っ赤な実はつけるが。品種からしても『ウメ』はバラ科に対して『ウメモドキ』はモチノキ科と全く違う。

(ツルウメモドキ)

さらに似た名前の植物で『ツルウメモドキ』もあるが、こちらはニシキギ科、ただ、こちらはウメモドキに似た赤い鮮やかな実はつける。

(ニセアカシア)

『ニセ』が付いているのもイメージが悪い。『アカシア』と『ニセアカシア』。ネーミングはサフランモドキと似ていて明治期に輸入された際はニセアカシアをアカシアと呼んでいた。

(アカシア)

しかし、その後ネムノキ科のアカシアが輸入されるようになり、ラテン語のpseudoacacia(pseudo=よく似た)の直訳からこの名前になった。

(コバンソウ)

同じように『コバンソウ』と『ニセコバンソウ』。いずれもイネ科の草だが、実が左右に尖って付いていて実が柔らかそうなのが『ニセコバンソウ』、丸くて小判が重なっているように見えるのが『コバンソウ』。ただ、この二つはよく似ている。

(ニセコバンソウ)

もう一つは『ダマシ』がつく植物。どちらかというと昆虫に多いネーミングなのだが、植物にもある。『イワカガミ』と『イワカガミダマシ』。

(イワカガミ)

『イワカガミ』はイワウメ科の多年草で高山植物。名前の由来は岩場に生え、葉に光沢があるから付けられた。夏になると葉の中央から茎を伸ばして薄紅色の下向きの、花をつける。

(イワカガミダマシ)

『イワカガミダマシ』はサクラソウ科、ヨーロッパ原産の高山植物であり、日本では園芸用として輸入されている。この植物も葉の中央から10cmの茎を伸ばし、薄紫色の下向きの花を付けるが、栽培が難しい。この二つは確かによく似ている。
『モドキ』『ニセ』『ダマシ』といずれも贋作や一段劣るようなニュアンスが残るが、あくまで人間が付けた名前であり、付けられた植物こそ良い迷惑なのであろう。


旬蕾〜人形町グルメ

2022-09-18 05:00:00 | グルメ
コロナ禍がようやく収まり始め(と勝手に解釈している)たので7月以来久々の飲み会を3人で実施した。店は人形町の『旬蕾』というほぼカウンターのみのお店。こういう店を小料理屋と呼ぶのだろう。



取り敢えず3人横並びで再会を喜ぶ。冷えたビールで乾杯。最初に頼んだクレソンのサラダのドレッシングの酸っぱさも暑さの中歩いて来た身体には有難い。



次は『鴨ロースの実山椒煮』、しっとり優しい味に煮た鴨ロースに山椒のアクセントがよく効く。



日本酒に移り、スタートは『泉川』(福島県)。飛露喜の地元ブランドである。飛露喜ほどの華やかさはないが、飲みごたえあり。

ただ、徳利も小さいのを3人で飲むため、すぐに飲み終わり、『義侠』(愛知県)を所望。店の人はこちらの田んぼの草取りまで行ったとか。思い入れのある酒とのことだが、辛口で切れ味がいい。

ここで『昆布締めササミのカツ』登場。火の入れ方が絶妙、しっとりとしており、旨味も詰まっていて美味い。



『旭日』(島根県)はしっかり、どっしりとした酒。燗酒でもいいなと思うほど。あての『鶏のチューリップ揚げ』にはピッタリの選択であった。

燗酒にしてもらい、『白イカの醤油漬け』と共に頂く。まさに秋を感じる組み合わせ。



『3種シウマイ』が蒸し上がる。中身は紫蘇、醤油ともう一つは忘れたが、合わせて飲んだ『宗玄』(石川県)の旨さは忘れられない。山田錦の生原酒、たまらん味、これが今日飲んだベストである。



巻物をつまみにと『18ヶ月熟成ナチュラルチーズ2種の巻物』『筋子の巻物』が登場。大洗の『月の井』(茨城県)、『秋鹿』(大阪府)と合わせるが、飯を食いながら酒の先入観を払拭するものであった。



最後は鳥出汁の煮麺、中々凝ったつまみの店であった。ただ、つまみが少ないのか、満腹とはならなかったが、いずれも美味かった。



ご馳走さま。お姉さんの酒へのこだわりと知識には圧倒された一夜となりました。


旬蕾
中央区日本橋人形町2ー24ー5
予約はメールにて
syunraisyunrai@gmail.com

志村城址と周辺の坂道を歩く

2022-09-17 05:00:00 | 城と城址
『関東城址巡り』その9。志村城址を歩く。志村周辺の坂巡りで馬の鞍の坂を登り、左に曲がる。目の前に志村小学校・志村熊野神社への道標が現れる。

これに従い、坂を上り、左に行くと志村熊野神社の前に出る。さらに先に行くと志村小学校の正門前を通り、下り坂が現れるがこれが『城山の坂』である。



再び坂道を上り、熊野神社の中に入る。鳥居をくぐると左側に『志村城跡』の石碑がある。



説明板には『志村城は志村氏により築城されたと言われる中世の城館である。1456年に千葉自胤が赤塚城に入城した際に一族の千葉信胤が入城して拠点となった』とある。



その後は1524年北条氏綱に攻められ落城、その後は後北条氏が支配。その後の経緯は分からないが小田原城攻め後には廃城となったのであろう。



熊野神社は二の丸跡に建立されたものである。参道の奥には立派な本殿があり、横には絵馬堂がある。説明板によると中には伊勢大々神楽奉奏の様子を描いた1795年の大絵馬(110.5cm×121cm)など絵馬82枚が今も奉納されている。境内は広く、幼稚園も併設されている。



本殿の奥は自然林として残されている。木の間を縫って奥に進んだが、木には大量のセミが競い合うように鳴いている。私が足を踏み込んだ瞬間驚いて蝉が10匹以上が飛び立ち、中には私にぶつかるもの、私の服に留まるものもいてこちらの方も驚かされた。



駐車場から周り、境内を出ると志村城址公園の前に出る。淵を回るように坂道があるが、これが『志村城址の坂』である。下には遊具が置いてあるが、かなりの標高差がある。



坂を降りた後に城址を見上げたが、自然をうまく利用した城がここにあったことを実感することができた。(写メでは木が茂りすぎて山の形が分かりにくい)



都営住宅の脇を抜けるとすぐに都営地下鉄志村三丁目駅、ここから先、高島平方面は地上駅である。




名古屋コーチン壱鳳東京弌鳥〜八重洲ランチグルメ

2022-09-16 05:00:00 | グルメ
東京駅八重洲口の構内にある黒塀横丁、長らく改装中だったが、近くを通ると営業していた。9軒の店が営業中だが、ランチとなると『手打ちそば宮川』『名古屋コーチン壱鳳東京弌鳥』『天津餃子』あたりとなる。(米沢牛、鰻はやはり高すぎ。もんじゃはランチにならない。)

いずれの店も覗いたが、蕎麦と鶏で悩み、メニューも最終的には親子丼ではなく鶏屋の鶏そばを食べることにする。おねえさんはカウンターに通してもらい、メニューを再度見る。親子丼+鶏出汁ラーメンのセットもあるが、『名古屋コーチン鶏そば膳』(1100円)をお願いする。

待つことしばし、御膳が運ばれて来た。鶏そばには温泉卵半分、ネギ、鶏肉などが入っていてトロッとしたスープ。他に小ぶりな鳥唐揚げ2ヶ、ご飯、沢庵である。



まずはスープから頂くが、お姉さんに言われた通りかなり熱い。しかし、トロッとしたコクのあるスープは堪らない旨さ。胡椒がないので七味を掛けて頂く。麺は細麺の縮れ麺、スープによく絡む。

柚子胡椒があればよく合うのだろう。中に入っている鶏肉もあっさりしてはいるが噛むと旨味を感じることができる。

さらに添えてある鶏唐揚げでご飯を頂くが、コーチンは肉の旨味が素晴らしい。小ぶりな唐揚げ2コでもご飯は進む。

店内の雰囲気もよく、サービスもいい。価格的にも安価で、私は十分に満足することができた。ご馳走さまでした。





名古屋コーチン壱鳳東京弌鳥
千代田区丸の内1ー9ー1グランスタ八重北B1
黒塀横丁
0362560588




志村周辺の坂②

2022-09-15 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その165。志村周辺の坂②、清水坂を下り、少し歩くと二又となり、左側に弓形に登っていく急坂が現れる。この坂が『平次坂』、延命寺の墓地とマンションの間を登っていく。

銭形平次とは関係はなく、平次という人物が開いた坂のためについた名前である。今は舗装されているが、赤土の道だったころ、特に雨など降ると登るのが大変な坂道だったであろう。



突き当たりが城山通りとなる。信号を渡り、先の方の道を左に曲がる。右側には崖線があり、降りていく坂道がいくつかあるが、名前は特にない。すると見次公園が出てくるが、入口は崖の上、随分と標高差のある公園である。



弧を描いて坂道となるが、これが『見次坂』。坂を降りていくと左側には大きな丸い池、釣りができる公園となっている。暑いにもかかわらず何人かの太公望が釣り糸を垂れている。



見次(坂)という地名の由来だが、公園は昔から開けた土地であり、出井川付近の田で収穫した米を年貢として集めた集積地があった。そのため、『年貢→貢→見次』となったという説がある。

高速道路より一本手前の道を右に曲がりしばらく歩く。すると右側に一直線の坂道が現れるが、これが『馬の鞍の坂』。この坂道だけ右側が赤、左側が緑に塗り分けられたカラー舗装のため、分かりやすい。

とにかく一直線に伸びた坂道。名前の由来は日露戦争の際に軍馬にするため、近在の農家から徴収した馬を一時繋いでおいたので馬の鞍と付けられた。
この坂道の頂上までぜいぜいといいながら登るが、高低差6m、平均斜度4度もあり、上から見るとまるでジャンプ台のランディングバーンのよう(?)に見える。蛇足だが、YouTubeに残る動画を見ると8月15日に深夜時間帯に放送された『全力坂』という番組でも取り上げられている。(以下、次回)

うどん酒場やま福〜日本橋ランチグルメ

2022-09-14 05:00:00 | グルメ
東京メトロ日本橋駅の改札口を出てすぐのところにICCHO(イッチョ)という地下食堂街がある。

中に入ると安めのトンカツ屋や大阪王将などに混じり『うどん酒場やま福』がある。夜は名前の通り居酒屋で〆はうどんという店だが、昼のメニューは『各種うどん』+『各種小丼』=1000円というこのあたりでは格安兼ボリュームランチの店である。

日本橋で昼時となったため、入店するも入口でオーダーを決め、先に支払いをして入場となるため、入口が混んでいる。

何しろうどんが冷か温でゴボウ天・肉・ワカメ・天玉・きつねなど計16種、小丼がとり天玉・しらす・づけ・ネギトロなど7種と112種のなかから選ぶのである。私はが『ゴボウ天』と『マグロ漬け丼』にした。



中は意外と言っては何だが、広い。ゆったり座り周りを観察するが、穴場なのか、OL1人という人が多い。

少し待つが大きなゴボウ天がツノのように出たうどんと中位の茶碗に入った漬け丼が登場。まずは七味を振ってゴボウ天うどんから行く。

ツユはアゴ出しがよく効いた九州風、因みにゴボウ天は15cmくらいのものが5本。しかも揚げたてで熱い。一つに齧り付くが甘くて美味い。九州にいたころよく食べたスティック状のゴボウ天である。



うどんは五島うどんのように細くてツルツルしている。この出しにはよく合う。また、先ほど入れた七味をよく見ると『おにびっくり七味』とあるが、ほぼ一味、しかもよく効くのでびっくり。

マグロ漬け丼はご飯を減らしてもらったが、それでも十分な量がある。甘い醤油に漬け込んだマグロが美味い。赤身の旨さを堪能することができ、また、ワサビがよく効いている。

我ながらいい組み合わせと自画自賛したが、斜め前のお姉さんも同じであった。

席の周りには夜のメニューを書いた紙が貼ってあるが、なかなかのラインナップ。夜もありの店であった。ご馳走さまでした。
うどん酒場やま福
中央区日本橋1ー3ー13 ICCHO日本橋B1
0362252617

志村周辺の坂①

2022-09-13 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その164。志村周辺の坂道①、志村周辺の坂を巡るために都営地下鉄三田線志村坂上駅で下車した。

ちなみに『◯◯坂上』という駅は全国に5ヶ所(うち1つは坂上駅、岐阜県飛騨市にあるJR高山本線)ある。赤坂上駅・上田交通別所線(長野県)、東田坂上駅・豊橋鉄道東田本線(愛知県)、中野坂上駅・東京メトロ丸の内線、志村坂上駅・都営地下鉄三田線となる。

志村坂上駅の前身は都電18系統(神田橋〜白山上〜巣鴨車庫前〜志村坂上)と41系統(巣鴨車庫前〜志村坂上〜志村橋)の志村坂上停留所である。


まずは駅の後側に出て少し行くと『一里塚』がある。一里塚は徳川家康が1604年に日本橋から一里ごとに5間四方、高さ1丈の塚を向かい合わせで2基ずつ作らせた。志村の一里塚は日本橋、本郷森川宿、板橋平尾宿につぐ3つ目のものである。

この一里塚は昭和8年から開始された新中山道工事の際に周囲の石積み工事がなされ、現在にもその姿をのこしている。



次に志村坂上交差点の方に歩く。前を通る国道17号線が『志村坂』であり、ここから550mの緩い下り坂が続く。

志村坂上交番を真ん中にして左に道が別れていくのが旧中山道である。少し歩くと富士・大山道の道標と庚申塔。



左側の小さな道標には『これより大山道、并(ならび)にねりま川こへ(越)みち』、右側の庚申塔には『これより富士山大山道』とある。

道標の前に立派な石でできた『清水坂』という石柱がある。くねくねと曲がって下る坂で左右には住宅が広がっている。江戸時代は日本橋を旅立ち旧中山道での最初の難所として知られていた坂道。



名前は隠岐殿坂→地蔵坂→清水坂と時代とともに変わって行った。坂の名前の由来は坂下の大善寺に清水薬師如来があり、清水が湧き出していたためである。下ったところに石柱、さらに案内板がある。(以下、次回)




手打ちそば 雲龍〜西荻窪サンデーランチ

2022-09-12 05:00:00 | グルメ
日曜日の昼に相方と何を食べるのか、誰が作るのかを考えているうちにたまには外で食べようということになり、西荻窪に向かう。『鞍馬』は有名すぎてもう列ができていたのでパス。JR駅の反対側にある『手打ちそば 雲龍』を目指す。

店に12時前に到着、店内は清潔感漂う新しい雰囲気。店の人がお茶を持って来てくれたがこれが冷えていて美味い。




注文は少し悩んだが、まずは焼き味噌と瓶ビールにしてしまう。休みの日の昼のビール一口目は堪らない旨さ。他のそば前は焼き味噌以外も湯葉刺し、鮫軟骨梅肉和え、ホタルイカの沖漬けなど揃っている。



焼き味噌にはネギのほか色々と練り込んであるが、比較的柔らかな味付け、ビールにも合う。あっという間に飲み終わったが、流石に日本酒はやめておいた。



蕎麦は私がかけそば、相方がせいろ、天ぷら盛り合わせ(竹)も併せて注文。かけそばは出汁が鰹節などの香りが立ち美味い。手打ちの麺は細いがしっかりとコシがあり、いい感じ。

せいろはつゆはあまり甘味のないタイプだが、醤油辛いわけでもなく、角もない。麺も細打ちだが、しっかり。流石に手打ちである。



天ぷらは1350円の価格に比して大盤振る舞い。海老、キス、イカ、茄子、かぼちゃ、ズッキーニ、さらに湯葉が2つ。湯葉の天ぷらは初めてだが、塩をつけて頂くと大豆の甘みが出ていて大変美味。もちろんエビやキスなどもいいが、夏野菜の旨さを実感。

店は厨房も1人で、トータル二人でやっていらっしゃるようす。丁寧なお店の人の口調に思わず優しい気分になれるいいお店であった。これは夜、一杯やりに来るにも良さそうである。ご馳走さまでした。

雲龍
杉並区西荻北3ー7ー9
0364547901

成城の坂道③〜お茶屋坂、へび坂、病院坂

2022-09-11 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その163。
成城の坂道巡り③。どんぐり坂の上は崖線の上にあたる通りで再び両側に高級住宅地が広がっている。左に曲がり、しばらく行くと成城3丁目緑地に出る。

その手前の道を直角に右に曲がる細い坂道があるが、これが『お茶屋坂』。この風流な名前は江戸時代初期にこの辺りを納めていた喜多見重勝がここに茶室を作ったことから名付けられたと言われている。



お茶屋坂は細く自動車はとても通れないまっすぐな坂道、ただ途中からは少し太くなる。ところで成城地区を歩いていると玄関先に『無事OK』の緑のサインが出ていることに気づいた。

調べてみると、自治会による安否訓練の一環で毎年9月1日と3月11日に『無事OK』『助けてSOS』のいずれかのサインを掲示することになっている。もちろん今回の散歩で赤色の『助けてSOS』のサインが出ている家はなかったのではあるが。



再び坂上まで戻り、緑地の中に入る。もう9月だが、まだまだ蝉の声が煩い。緑地の中央部に到着すると降りていく坂道を発見、これが『へび坂』である。由来は多分ヘビが出てきそうな鬱蒼とした藪の中にあるから、または坂道が左右にはうねりながら降っていくからのいずれかであろう。

それにしてもこの辺りは『緑地』が多い。この『成城3丁目緑地』は元々公務員宿舎があった場所を払い下げ、地元住民が作り上げ、また、管理している森であるが、その規模には驚かされる。



少し戻り、坂道が二又に分かれたところを右手に曲がる。すると一般道になり、成城通りにぶつかる。



成城通りが『病院坂』と呼ばれているが、これは明治末期から戦前にかけて坂上に伝染病の隔離病棟があったためと言われている。因みに横溝正史の『病院坂の首括りの家』のモデルはここではなく、港区にある魚藍坂である。

ここからの上りは緩い坂だが、この辺りから弧を描きながら勾配もキツくなる。右側には先ほどの緑地が続き、坂を降り切ったところが交差点となっている。歩道も狭く、少年が自転車で苦労しながら登ってきたので思わず道を譲った。

成城にはまだまだ坂道があり、坂を巡ると二子玉川あたりまで行くことができる。しかし、まだまだ暑く、さらに次の坂までかなり距離もあることから、今回はここで一旦終わらせ、バスで成城学園前駅に向かうことにした。