hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

すがわら〜人形町ランチグルメ

2022-09-10 05:00:00 | グルメ
事務所近くにラーメン屋さんが出店しては退店する場所がある。今から8年前は『博』という坦々麺専門店、美味かったけど、主人が店員を大声で怒鳴ったりして雰囲気が悪かった。次に広島で展開する『くにまつ』という坦々麺の東京2号店が開店、コロナ禍もあり直ぐに退店。さらに『六』というワンタンと坦々麺の店ができたが、これもすぐに退店。そこに8月30日新たに旭川塩ラーメン『すがわら』が開店した。

取り敢えず早めに行っておこうと昼時(11時45分)にお邪魔した。雨も降っていたが、まだカウンター席は空いていて座る。メニューは色々とあるが、やはり旭川塩ラーメン(800円)を標榜されていることもあり、お願いする。

ここでふと周りを見回すとまだ誰もラーメンを食べている様子はない。これはえらいところに来たなとは思うが、先払いで精算しているので席で黙ってまつ。すると第一弾のラーメンが5人のところに供されたのでホッとすることができた。

私のところにも12時にはラーメンが到着。みると麺以外にはチャーシュー1枚、メンマ少々、ネギが乗っている。まずはスープから、一口目はやや塩辛く感じたが、その後はそれほどでもない。とにかく澄んだスープ、油分は感じるが、あまり出汁感がない。

麺は縮れ麺の細麺、好みのタイプでやや固めとなかなかいい。スープによく絡み、ネギと共にスープを頂く。

メンマもチャーシューもまあ美味しい、しかし、これはあくまで個人的な意見だが、出汁感がないためにしみじみ旨さが出てこないし、徐々に飽きてくる。これが旭川塩ラーメンの特徴と言われればその通りなのだろうが。私には少々物足りないラーメンであった気がする。とはいえ、ご馳走さまでした。前のジンクスを気にせず、頑張って!

すがわら
中央区日本橋人形町3ー3ー2

日本橋小舟町〜東京の街をぷらっと⑧

2022-09-09 05:00:00 | 日記
『東京の街をぷらっと』⑧、地元である日本橋小舟町をぷらっとしてみた。日本橋小舟町と言えば浅草浅草寺に奉納している大提灯である。雷門の提灯は松下幸之助が奉納を始めたが、宝蔵門の提灯は1657年に日本橋河岸の信徒が信仰の証として奉納したと言われている。

(町会のシャッターにも提灯)


高さ3.9m、周囲2.7mもある大提灯は500万円ほどするが、これを町内の企業や個人の協力で行う、心意気のある町会である。
とはいうものの、一周歩いて回るのに15分もかからない広さで1950年代は鰹河岸と呼ばれるほど鰹節問屋が軒を連ねていた。



みずほFGの母体銀行の一つ、富士銀行創始者である安田善次郎も鰹節問屋と両替商をこの地で始めた。今もみずほ銀行小舟町支店には富士銀行創業の地のプレートが残されている。ただ、街を巡っても今は鰹節問屋は一軒もない。



街を歩くととにかく目立つのはゼリア新薬の建物、丁寧に数えた訳ではないが、6棟はある。他には長瀬産業のビルも大きい。



町内には寺はないが、神社が一つ、『常盤稲荷神社』。由来によると太田道灌が江戸城築城の際に伏見稲荷よりご分霊を受けて城内に勧進した。



徳川氏が入城後、江戸城拡張の際にこの地に移されたものである。



日本橋小舟町はほぼ長方形だが、昭和通りには接しておらず、金座通りには小舟町交差点がある。バス停も江戸バス(中央区のコミニュティバス)1ヶ所のみ。



町内に多いものはビジネスホテル、東横イン、スーパーホテル、西鉄インといったチェーンホテルに加え、地元資本の住庄ほてるという『和』を前面に出した宿泊者の評価の高いホテルもある。



加えて郵便局、ガソリンスタンドなども1軒ずつある。



元は西堀留川、東堀留川という運河(堀)もあったが、前者は1928年に関東大震災の瓦礫で、後者も1948年に戦災瓦礫で埋め立てられ、今は全く名残はない。



(東堀留川跡) 

また、老舗としては扇子の伊場仙(1792年)、着物の竺仙(1842年)、鰻屋の高嶋家(1875年)、和菓子の月日堂(1877年)など創業100年越えの店が多く見られる。



とはいえ古い小型のオフィスビルが多く、何となく懐かしさを漂わせる街でもある。

なお、堀留町児童公園は日本橋小舟町と日本橋堀留町との境にあるが、地域的には日本橋堀留町に入る。

紅棗(アカナツメ)〜小伝馬町ランチグルメ

2022-09-08 05:00:00 | グルメ
人形町・小伝馬町あたりにはなぜか坦々麺専門店が多い。日ごろよりランチに訪れる『寿限無』、人形町交差点近くの『赤い鯨』、水天宮前駅近くの『汁なし坦々麺ピリリ』、焼き鳥の丈参の後に入った『天秤棒』。これだけあるのに新しい店ができる。

お邪魔したのは東京メトロ日比谷線小伝馬町駅すぐのところにある『アカナツメ(紅棗)』である。最近の店らしく店外の券売機で食券を買うのだが、これが難しい。

取り敢えず麺の種類(汁あり、汁なしなど)を選び、次に辛さ、さらにトッピングを選ぶスタイル。もちろんパーコーにする。清算は現金だけでなくバーコード決済もできる優れものではあるが。

辛味は標準、大辛、激辛、極辛の4段階。いつも行く『寿限無』では大辛(5段階の上から2つ目)でもまだ辛味が足りないからと『激辛』を選択した。


店内は7月開店したばかりと言うこともあり、綺麗そのもの。1人ずつ席が囲われているのでコロナもあまり気にする必要がない。入口近くのカウンターに座り、カウンター内の女性に食券を渡す。

そこから5分程度で坦々麺到着。これが4つの辛さが書いてある板(3枚目の写メ)が開いてそこから供される。坦々麺の上にはパーコーに加え、肉味噌、柚子の皮、三つ葉、搾菜が乗っている。肉味噌は甘いが、汁はかなりの辛さ。ただ、胡麻(芝麻醬)もたっぷり入っていていて甘くもある。
麺はストレート、中細麺。スープを纏うがこれが辛い。知らない店で激辛を頼むリスクそのものである。



パーコーは甘いタレがよく染み、脂身も適度に入っていて、周りはカリッと、中はジュワっとして美味い。麺を啜ると咳き込みそうなのでゆっくり食べていく。



本当に辛い麺は最後になるほど辛くなる。坦々麺のツユは全て飲むことにしていたが、初めて途中リタイア。これも残念なこと、ただ、穴あきレンゲで肉味噌の肉は最後までいただきました。ご馳走さまでした。
紅棗
中央区日本橋小伝馬町12ー5
0368108833

成城の坂道②〜なかんだの坂、どんぐり坂

2022-09-07 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その162。
成城の坂道巡り②、喜多見不動尊から小田急線を潜ると道が左右に分かれるが、これを左に向かう。左は崖となっていてここから階段を登って入る家が並んでいる。

その先で左から来た道と合流するが、その道を上がる。この坂道が『なかんだの坂』。坂の名前の由来は坂下のかつての地名『中野田』に由来する。



少し坂を登ると右側に緑地が出てくるが、『成城3丁目崖の林市民緑地』とある。一般市民からの提供されている緑地だが、かつてはこのあたりで炭を焼いており、その材料となった薪炭林との説明がある。



さらに坂を登ると頂上近くには『成城なかんだの市民緑地』があり、この坂道の名前や由来が説明板にある。また、左右には植物が自生していることも書いてあった。



きつい坂道を降り、今度は左をみる。左側に2本道があるが、うちより左の舗装されていない階段坂があるが、これが『どんぐり坂』。



坂の名前の由来は書かれた説明板はいないが、左右に生えている椎や楢の葉が多く落ちていることから、どんぐりが多く転がっていたのが名前の由来であろう。



再び頑張って坂を頂上まで登る。右側に『この樹林地は世田谷区と成城歐林邸の管理者の協議により環境の保全をしているものです』とあり、内外汽船株式会社、483.34㎡というプレートを発見した。



この『成城歐林邸』とはベネッセが行っている有料老人ホームである。ただ、価格は月額プランでは月額利用料が1.1百万円〜1.9百万円、我々庶民にはとても手が届かない価格。さすが成城という施設である。(以下、次回)


古民家バルnovo〜人形町ランチグルメ

2022-09-06 05:00:00 | グルメ
人形町には古民家が多く並んでいる。銅板を貼った昭和一桁の建物や昔ながらの木造建築など色々あるが、残念ながら最近は取り壊してオフィスビルやマンションになるケースが増えてきている。



(私にとっての古民家)

甘酒横丁の隣の道に古民家バルを標榜するnovoという店がある。グルメサイト情報では築60年、ここでふと思った。私より若いくせにもう古民家なのかと。

まあ、それはさておき、中に入ると古い商店を改装したお店である。店内の段差はないが、かつての引き戸のレール跡や店の真ん中に不自然な柱があり、懐かしさが込み上げる。



ランチはイタリアンや洋食物が多く、厚切りポークジンジャー、クリームソースのパスタ、ピザなど、和風は焼き肉丼があるみたい。パスタは日替わりでこの日は『トマトとベーコンのパスタ』(サラダ、コーヒー付で1000円)であった。



カウンターの中には古田新太似のマスター、彼に日替わりパスタをお願いする。別につっけんどんではないが、何となくとっつきにくいイメージ。すぐにレタス中心のサラダが登場。ドレッシングはサウザンアイランド、まあ普通である。

パスタはそれから5、6分で仕上がった。厚切りベーコンと玉ねぎ入りのトマトソースのパスタ、多少ニンニクが効いている。その上にはチーズがたっぷり。オーソドクスなメニューだが、お店で頂くとアルデンテの仕上がりが嬉しい。

個人的にはもう少しベーコンは焼き目がついている方が好きだが、腰のあるパスタを熱々で頂き、美味しかった。

コーヒーはセルフサービス、ホットで飲むのにはぬる過ぎ、アイスで飲むには薄すぎる中途半端なもの。まあ、無料サービスと受け取り、氷を入れて飲む。

設えは古民家風で中々いいが、ランチをわざわざ食べに行くという観点からはまあまあかな。もちろん、あくまでも個人的な感想だし、夜は雰囲気が変わるのかもしれないが。他に誰も来ないうちに長居もせずに店を出た。ご馳走さま。
古民家バル novo
中央区日本橋人形町2ー24ー5
0356413792

成城の坂道①

2022-09-05 05:00:00 | 坂道
『東京の坂、日本の坂』その161。
今回は成城にある坂道をぶらりと歩いてみた。成城学園前駅までは小田急電鉄に乗って向かう。ついでに成城学園前駅に停車する電車を調べると地下鉄から乗り入れるメトロはこね(箱根湯本行)などのロマンスカー(有料特急)は停車するが、特急券のいらない快速急行は停車しない(下北沢〜新百合ヶ丘はノンストップ)という逆転現象が起きているのである。

立派な駅の中央口を出て、左に行くと桜並木が現れ、落ち着いた街並みが連なっている。東京でも指折りの高級住宅地であり、商業施設がなくなッタ途端に左右に1区画の大きい邸宅が立ち並ぶエリアに入る。

しかし、土地はフラットでとても坂道がある場所とは思えない。しばらく歩くと道が突き当たるが、まずは左に曲がる。すると不動橋が出てくる。


橋と言っても左側には野菜畑、右側には調布崖線、川は流れておらず、小田急線にかかる橋である。橋の真ん中に立つと遠くまで展望が広がり、なかなかの眺めである。(関東富士見百景の1つ)


元のところに戻り、先に行くと道は左に弧を描く。突き当たりは右から左に下る坂道となっている。この坂が『不動坂』。名前の由来は坂下に入口のある喜多見不動尊である。



喜多見不動尊は喜多見に住んでいた浦野半次郎ほか6名が明治9年に創建したものである。入口には池があるが、池の奥には岩屋不動。



しかし池の水は少なく、濁っている。掃除に来ていた方の話ではかつてここには湧水を水源とし、池におちる『不動滝』があったのだが、小田急線の工事の影響なのか水脈が変わり、今はわずかな水しか流れなくなったらしい。そのため、何とか水脈を見つけて小さな水車を回すのが精一杯だとのこと。

昔はこの滝で信者が水行をしたとは今ではとても思えない。



再び今降りてきた不動坂と同じくらい細い参道を登ると不動尊の本堂が見えてくる。成城3丁目にあるとはとても思えないような鄙びたお不動様であった。(以下、次回)






藤芳 駅前店〜浅草橋グルメ

2022-09-04 05:00:00 | グルメ
たまには外で美味いトンカツでも食べたいと浅草橋駅までやってきた。駅周辺には飲食店が所狭しと並ぶが、その中でも昔ながらの『トンカツ屋』『焼肉屋』『ホルモン』の店が多い気がする。

目標の店はJR浅草橋駅西口を降りてすぐのところにある『とんかつ藤芳 駅前店』である。本店も近くにあるが、食べたいメニューはこの店にしかない。

店に入るが、家族経営なのか、おじさんとおばさんがやっている。メニューを見るとちゃんと『バラカツ』が載っている。せっかくなので『蟹クリームコロッケ』『瓶ビール中瓶』もお願いする。(定食で合計1900円)



待っているとお茶の他、瓶ビール、ご飯にかけるオカカ、マヨネーズ、ポン酢、辛子などを次々に持って来てくれる。



10分ほど待って注文の品が運ばれてくる。カツの皿には7等分したバラカツ、俵型の蟹クリームコロッケ、キャベツの千切り。他にワカメと豆腐の味噌汁、糠漬けのダイコンとすぐき漬、大根おろしの入ったポン酢が乗ってきた。

まずは味噌汁を一口。ソースは甘めの特製ソースとウスターソース。キャベツにはウスターソースを掛ける。



バラカツはお店のオススメ通りにポン酢で戴いてみるが、これがさっぱり。脂が多いため柔らかいが、食べやすくすぐに2切れ目に手が伸びる。甘口ソースも試してみる。



さらに辛子も付けるが辛子はあまり辛くないのが玉に瑕だが、ソースで食べるとボリュームがあり、ビールによく合う。

蟹クリームコロッケに移るが、カリッとした衣に蟹たっぷりのソースが素晴らしい。大きさも大きく、これはお得である。
オカカをご飯に振るが、なんか懐かしい家庭の味。カツオの香りとやや甘めの味付けはご飯ばかり食べてしまいそうになる。

バラカツはポン酢とソースで全く違う味わいになるが、ロースカツの脂身派には絶対好まれる。肉にかぶりつく感触より、脂の甘さに感動するはず。まあ、このタイプのカツばかり食べたら健康診断が怖くなること間違いなしではあるが。



店の雰囲気は常連ばかりでなく、グルメ探訪の若い人も来るようだ。1人が店の人にオススメはと聞いていたが、うちはヒレカツですかねとの答え。ありゃ?でもバラカツも美味かった。ご馳走さまでした。
次回はカツ丼?これも捨てがたいようですがね。
藤芳 駅前店
台東区浅草橋1ー11ー4
0338652144

『水害に向き合う』展を見学する

2022-09-03 05:00:00 | 日記
9月1日は防災の日、この起源を知らない人はまずいないだろう。正解はもちろん、大正12年9月1日に発生した関東大震災を教訓として地震などの備えを怠らないように定めたものである。しかし、平成23年3月11日に発生した東日本大地震など大きな被害を被る災害がその後も幾つも発生している。

大正後期から戦前期に同和火災の廣瀬鉞太郎氏は18世紀〜20世紀初頭までの災害記録1400点を収集、その流れを汲むあいおい ニッセイ同和損保では毎年防災の日にこれらの資料を一般に公開している。

昨年は『火災』がテーマであったが、今年はそのpart2として『水害と向き合う〜暴風と洪水の恐怖』と題した企画展が日本橋にあるUnpel Galleryで開催されている。今回は偶然、台風11号が接近するタイミングとなった。私は当時の記録、津波や浸水被害をどのように先人たちは伝えたのかを見に行くことにした。



展示物の中で目を引くのは『弘化丁未春廿四日信州大地震山頽川塞堪水乃図』、1847年5月7日に発生した善光寺地震の自然災害の状況、特に河川閉塞を描いた図である。写真がなかった江戸時代においてもここまでの記録が作り得たのか自体が驚きである。



因みに1847年5月27日に地震によりできた堰き止め湖が決壊し、山津波となったが、監視役を起き、狼煙で伝えることができたため、被害は最少限に留めることができたらしい。情報伝達の重要性は当時の人もよく知るところのようである。



ほかにも『慶應四戊辰年大洪水細見図』では関西地区の被害の状態、『江戸十里四方大風出水焼失場所付』は安政3年8月に発生した江戸の台風被害(高潮と暴風で10万人死亡)の状態など細かく描写されている。



特に後者は日本橋小網町や茅場町などよく知っている地名が出て来たが、当時は今よりもはるかに海が近く、被害も大きかった。



明治以降は罹災の状況を写した絵葉書、『両親愛子の最後を見送るの図』など状況の記録だけではなく、感情移入できるような絵や写真が展示されていた。明治に入ると記録だけでなく、現場のリアルな状況を伝えるようになったことが分かる。

北は青森県から南は広島県まで広い範囲の記録が展示されていて興味深い展示であった。驚くのは資料の保存状態の良さ、さらに色を付けたものの鮮やかさである。今から170年も前に版画で刷られたとはとても思えない。



会場は以下の通り。会期は〜9月25日、入場無料、休館日は月曜日である。
UNPEL GALLERY
中央区日本橋3ー1ー6
0335487780

梅もと〜新宿ランチグルメ

2022-09-02 05:00:00 | グルメ
以前に私の初・立ち食い蕎麦として東京メトロ丸の内線茗荷谷駅近くにあった『梅もと』という店を書いた(今は閉店)。梅もとは持ち帰り寿司(と言ってもメインはお稲荷とかんぴょう巻)と立ち食い蕎麦の店だったが、大手チェーンの小諸そばや富士そばなどの隆盛とは裏腹に新橋店、神保町店、溝の口店などを閉めてしまった。

コロナ禍、テレワークなど外食に逆風が吹く中、『梅もと』もいつ無くなるのかを心配していた。ところが、新宿線南口地下の小田急エースを歩いていたらリニューアルして店も大きくなっているのである。



入口に券売機があり、いつもの『かき揚げそば』(440円)と『いなり寿司2コ』(130円)を購入。中に入り、カウンターに出すとおばさんが『冷やしですか』と聞かれ、『温かい方』とお願いする。

奥にいるおばさんがそばの重さを測り、茹でて丼にいれ、先程のおばさんがネギを振り、ツユを掛け、かき揚げを乗せていなり寿司と共にトレイに乗せて出してくれる。
席は半分は立ち食い、半分はイス席がある。

席に座り、七味を振って頂く。まずツユから、懐かしいカツオだしが効いた甘辛い味。蕎麦は昔ながらの茹で麺。これをズルズルと啜る。

バリバリという音が聞こえそうなかき揚げはいかにも立ち食いという感じ。白いツルツル麺の普段食べている小諸そばよりかなり昔風の味わいである。

いなり寿司も甘い油揚げで蕎麦と頂くと満腹となる。今は鉄火巻、穴子巻など巻き寿司のバラエティも多い。

また、カツカレーも人気があるようである。もう全部で5店しかないが、頑張って欲しい店である。もちろん、この新宿のような店なら必ず残ると思ってやまない。

一杯食べると必ずくれるトッピング券、わかめ、麺大盛り、生卵、きつね、いずれもありがたいおまけである。ご馳走さまでした。



梅もと 新宿小田急エース南館店
小田急エース南館
0333430989

雁坂トンネルを抜けて甲斐国へ〜1泊2日の夏休み旅行⑦

2022-09-01 05:00:00 | 旅行
国道140号(彩甲斐街道)を走ると道が二又に分かれるが、これを右手の方に行く。少し小高くなった場所に『彩甲斐街道 出会いの丘』という休憩所が整備されている。売店などはない。

元はトンネル掘削の土砂捨て場だったが、豆焼川を渡る豆焼橋の袂にあり、24時間利用できるトイレや休憩室に整備された。ハ風山へのハイキングコースの起点でもあるが、眺めは樹木が生い茂り、豆焼橋も途切れ途切れにしか見えない。



広場には埼玉県防災ヘリコプター墜落事故(2010年7月、あらかわ1号)の慰霊碑もある。

再び国道140号に乗り、雁坂トンネル方面に行く。まずは奥秩父トンネル、さらに雁坂トンネルを抜けて山梨県境を越える。雁坂トンネルは全長6625mあり、一般国道のトンネルとしては東京湾アクアトンネルに次ぐ2位の長さを誇る。1988年に着工、1998年4月に供用を開始した。トンネルで繋がる以前の埼玉県〜山梨県は雁坂峠を越える登山道しかなく、大きく迂回するしかなかったが、開通により、利便性が図られた。

トンネルはかなり長く感じる。トンネルを出ると急に左右に曲がり、道の駅みとみが出てくる。山梨県の名産はと思い物産店に入るが、埼玉県と殆ど変わらず、果物は桃と葡萄、野菜はトウモロコシと白瓜、きゅうり、じゃがいもなど。この辺りもまだ標高1000m位あり、気温も20℃くらいと過ごしやすい。



少し走ると広瀬ダムが出てくる。もちろんダムカードをもらうべくダム管理事務所に行く。広瀬ダムは1969年に着工、1975年に供用が開始された富士川水系笛吹川を堰き止めた。長さは255m、中央遮水壁型ロックフィルダムである。



ダム湖は広瀬湖と呼ばれていてこちらも水面は低かった。ダム管理事務所奥は公園になっていてその横に流木が積んであったが、一般人(非営利利用のみ)に無料で配布していた。



せっかく山梨県に入ったならばと勝沼を目指す。かなり激しい下り坂であり、次の道の駅牧丘でも休んだが気温は30℃。いつも通り暑かった。気温も高く、沢山のワイナリーを回る気にもなれず、以前立ち寄ったことのある白百合醸造にお邪魔した。



建物の位置こそ変わらないが、建物の周りに『葡萄』の生垣が作られていてしっかり葡萄が実っている。
中に入ると有料試飲もできるが、車のため、あきらめて、ワイナリーの人お勧めである『ロリアン山梨甲州』『ロリアン甲州Vigne de Nakagawa2020』を購入して帰途に着いた。
行きは東北道、帰りは中央道という珍しい秩父ドライブ旅行は2日で約300kmの走行距離となっていた。(了)