hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

ANDOホテルなら若草山〜夏旅の晩餐②

2024-08-21 05:00:00 | グルメ
『夏旅の晩餐』②、奈良での2泊目はANDOホテル奈良である。このホテルは元は『遊景の宿 平城』という老舗ホテルであった。これが今の経営に変わり、リニューアルオープンしたのが2020年7月、若草山ドライブウェイに入って少し入った小高い丘の上にある。ロビーからは大仏殿をはじめ、奈良の街の全景を臨むことができる。

夕食はロビー横のレストランにて。ナイトツアーがあるため、17時半スタートでまだ明るい。席に座ると外がよく見える。まずはウェルカムドリンクのシャンパンで喉を潤おし、次に温かいお出汁がグラスに出てくる。温かいものを最初に腹に入れるといい。



前菜は3品、金糸瓜(そうめんかぼちゃ)にそら豆のペースト乗せ、玉蜀黍の寄せものにシャンパンの泡をかけたもの、無花果と鰻を卵豆腐に乗せたもの、とかなり凝ったもの。



シャンパンの泡と鰻の旨さが際立っていた。これをビールを飲みながら頂く。



赤馬鈴薯の摺流し、浮き身は生の帆立。色がピンクで驚かされるが和製ビッソワーズである。


日本酒に変えてまずは篠峯(奈良県御所市)、爽やかで飲みやすい。次はサラダ風刺身、間八と炙りの太刀魚をサラダ風にしてサルサ風のソースをかけたもの。

冷やして食べるからの連想だろうが、あまり魚、特に太刀魚はあっさりし過ぎて合わないような気がした。

ここで登場したのがフィンガーライム、私は初見である。明太子のように潰してライムの小さな粒々を出して食べるとライムの独特な香り。かなり酸っぱいが爽やかである。

茄子、冬瓜、皮をパリパリに仕上げた甘鯛をシーザーサラダ風のソースでいただく。ソースはあまりつけず焼き野菜と甘鯛、さらにニンジンなどを頂くが、とにかく美味い。2杯目の酒は風の森(奈良県御所市)、独特の香りや味が大好きな酒である。




メインは雲丹出汁を温めて、これに水菜などの野菜を入れて煮る。ここに大和牛を入れてしゃぶしゃぶでいただくが、タレも肉もいいのだから不味いわけがない。美味かった。さらに残った出汁を使いリゾットにして頂く。これも美味い。贅沢なしゃぶしゃぶである。

かなり腹一杯なのだが、ここで三輪素麺。温玉とエビと共にジュレがかかっている。個人的には昼食べたぶっかけ素麺の方が好きだ。



最後のデザートは桃、ヨーグルトアイスなどで作った一皿。連れ合いが喜んでいた。桃のコンポートはいつ食べても美味い。



これだけの食事を90分、かなり忙しかったがかなり頑張って工夫したコース。凝過ぎという意見もあるが、雰囲気もよく、連れ合いも満足していたからよかった。







『夏旅2024』⑧〜談山神社と石舞台古墳

2024-08-20 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑧、聖林寺を後に談山神社に向かう。談山神社は多武峰の中腹に位置し、藤原鎌足を祀っており、また、神社本殿裏山で行われた蹴鞠の会で中大兄皇子と藤原鎌足が大化の改新のことを諮り、645年飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち、中央統一国家成立という歴史的偉業がなされた事でも有名である。



とはいえ、山に築かれた神社は階段状に建物が立ち、入山料を支払うと石段が聳える。まずは階段を登り、左にらくらくコースとあるため、左に曲がる。



すると神廟拝所(重文)、この横にけまりの庭がある。ここで1600年前に蹴鞠の会が行われたのである。もう一つの受付の前を通り、末社・総本廟、総社拝殿(重文)に着く。



少し階段を登り、最も高いところにある本殿、拝殿に辿り着く。広々としたスペース、ここからの眺めは素晴らしい。





次にお隣にある十三重塔(重文)は鎌足の長子・定慧和尚が鎌足の供養のために678年に建立した塔婆。今のものは1532年に再建されたものである。木造十三重塔は世界で唯一のものである。



歴史的な出来事があった場所をゆっくり登りながら見ることができた。特に十三重塔は造りが素晴らしく、これを飛鳥時代に作ったとは、その技術力に感動する。ただ、35℃の中、参拝者は殆どおらず、やはり紅葉の頃に来るといいのだろう。




談山神社から明日香村までの県道は以前来た頃にはできておらず、このルートを使うには徒歩しかなかったが、2009年に県道155号線が開通し、回遊できるようになった。



石舞台古墳に向かう。大化の改新で滅ぼされた蘇我氏の馬子の墓ではないかと伝わる。30年前に訪れた時とは様変わり、立派な施設となっていた。7世紀前半に築かれた一辺50mの方墳または上円下方墳と考えられ、上に被せてあった土が失われ、巨大な石室が剥き出しとなっている。


石は総重量2300tもあり、大小30個の花崗岩を3段積みにした玄室は長さ7.3m×幅3.4m×高さ4.8mという巨大なもの。

ただ、前回訪れた時には私が古墳の知識がなく、とにかく石をどのように組み上げたかのみに興味を持ったのだが、巨大古墳にはこうした石室が備えられ、ただ、覆った土が何らかの理由で失われたということに初めて気付かされた。



史跡入口の解説板は実にわかりやすく、ためになった。せっかく明日香村まで来たのだから高松塚古墳を始め、見たい史跡は多くあったが、早めに宿に入るべく、後ろ髪を引かれる思いで奈良市に向かった。(以下、次回)


『夏旅2024』⑦〜三輪素麺&聖林寺

2024-08-19 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑦、大神神社を後にする頃、ちょうどお昼となったので参道にある『福神堂』というお店に入る。とにかく冷房が効いていてホッとする。

名物は三輪素麺らしく、煮麺、冷たい素麺、ぶっかけなどメニューも豊富、私は柿の葉寿司付きのぶっかけ素麺、相方は煮麺にする。店に入り出された冷たい麦茶が美味くてすぐにおかわり、おーたまらん。



メニューを見ているとかき氷がうまそうだが、これは我慢する。まずは柿の葉寿司が到着、2つ乗っているので相方と一つずつ分けて食べる。鯖が美味い。



続いてぶっかけ素麺、具は真っ赤なトマト、錦糸卵、ネギ、みょうが、椎茸である。まずはトマトをガブリ、冷えた味が堪らない。麺は普段食べる素麺に比べて細く、やや甘めのスープともよく合い、ツルツルと胃の中に消えていく。椎茸の煮物が味にコクを出し、実に美味かった。



相方の煮麺もえのきだけとワカメ、かまぼこ、椎茸の具と素麺の相性がいい。特にえのきだけが煮麺の具としてこれだけ活躍することに驚いた。

腹も膨れ、炎天下駐車場に戻るが、さすがにかなり元気を取り戻した。

聖林寺まではわずか2km、あっという間に到着する。駐車場も数十年前に訪れた時と全く変わっていない。違うのは駐車場にいたおじさんがいなくなったことくらいである。



細い階段を登ると小さな本堂が見える。入口で入山料と駐車場代を払い、中に入る。



本堂の前に鎮座するのはご本尊子安延命地蔵尊。丸いお顔が可愛らしく、優しく子育てを見守っていただけるお顔、立派な石仏である。他にも如来荒神、毘沙門天、阿弥陀三尊などが祀られている。

次に伺うのは本堂から少し階段を登ったところにある観音堂。こちらには十一面観世音立像(国宝)が安置されている。760年代に東大寺の造仏所で作られたと言われている乾漆像。そのスタイルは実に素晴らしく、私が最も美しいと思っている仏様である。

収蔵庫も2年前に空調完備の素晴らしいものになっていて、裏からもお像を見ることができる。何度お目にかかっても素晴らしいお像であった。

本堂横にはこのお像に感動したフェノロサが寄進した厨子も置かれていた。下には車輪もつけられて可動式となっている。


また、本堂から外を見ると眼下に奈良の山々や山の辺の道を見ることができる風景も全く変わっていなかった。(以下、次回)


『昭和レトロカレー』⑥〜ニホンバシハルヲ

2024-08-18 05:00:00 | グルメ
『昭和レトロカレー』⑥。日本橋本町の路地に2軒カレーの店が並んでいる。いずれもカウンターのみだが、お盆の時期もやっている『ニホンバシ ハルヲ』にお邪魔した。(もう一軒はお盆休み中)



入口にはカレーライス用の銀皿があり、大きさと価格が明示されている。基本はカレーライスのみ。

あとはトッピングとサイドメニューである。小サイズがご飯150g500円、普通サイズがご飯250g600円、大サイズがご飯380g700円である。これに好みのトッピング、私はコロッケ(100円)を追加した。



お店は11時半でほぼ満席、と言っても左側のカウンターに4人、右側のカウンターに4人で8人で満席となる。ただ、回転が速いのでそれほどは待たされない。また、セットは800円、普通サイズのカレーにコロッケ、半熟卵、千切りキャベツ、コールスローが付く。

頼むとご主人が奥に行って、ご飯をよそい、カレールーを掛けて提供してもらう。すぐに注文の品は到着。目の前にある福神漬を乗せて食べ始める。カレーは昔ながらの甘辛でとろみのあるタイプ、意外と言ったら怒られるが肉片も結構入っている。



一口食べると懐かしい味、単品で勝負しているだけあって複雑なスパイスの香り、辛味はあまり強くなく、万人に受ける。コロッケもじゃがいもたっぷりの甘みがある味、ソースを掛けて頂く。

辛味が足りない場合は真ん中のテーブルに色々な調味料が乗っていて、私は『カレーホット』というラー油のようなスパイスをかける。これは以前に肉の万世のカレーコーナー(新宿の小田急エース、今は廃店)にもあった。これをかけると途端に辛くなる。

ルーはたっぷりかかっていてコロッケなしでも充分な量がある。どこにでもあるようなカレーショップであるが、最近はあまり見なくなった貴重なお店である。ご馳走さまでした。

ニホンバシハルヲ
中央区日本橋本町1ー6ー3
09041275317

お盆に墓参り

2024-08-17 09:26:00 | 日記
お盆に墓参りとは当たり前なのだが、墓の場所が京都となると行くのも、帰るのもかなり覚悟がいる。連れ合いのご両親の墓は車で20分だから命日もお盆もお彼岸も欠かさずに行く。
しかし、東京に住んでいて京都に墓がある場合はそうはゆかない。旅費もかかるし、宿も高い上に取れない。その上、墓の近くまでインバウンド客だらけで腹が立つ。ついつい面倒になり、1年1回がせいぜい。

先週墓参りに1年ぶりに行ったのだが、気温40℃、水道からは風呂より高い温度の水ならぬお湯。木が伸び放題になっているので少し掃除も試みたが、こっちが死にそうになる。お墓にお湯を掛けて、塔婆を置いて、線香をあげるので精一杯。



やはりお墓は近くないと歳をとると辛いね。ただ、これは感想だけ、墓を移すのは日本の法律だは金も手間もかかり過ぎて、本を読んだだけで諦めた。後継もいないし、答えはない。

『夏旅2024』⑥〜大和神社、黒塚古墳、箸墓古墳、大神神社

2024-08-17 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑥、夜都伎神社を後に広い車道まで戻り、大和神社に向かう。山の辺の道からは少し西側に大和神社(おおやまとじんじゃ)がある。駐車場に車を停めて両側に大木が並ぶ参道を5分ほど歩くと本殿に到着。





祭神は日本大国魂大神、八千戈大神、御年大神であり、古代より続く神社。戦艦大和の守護神とされ、境内には戦艦大和資料館もある。



隣には高龗神社(たかおかみ)が祀られていてこちらは水を司る神様、他に朝日神社・厳島神社・事大神社・増御子神社などが並んでいた。社務所で御朱印を頂くが、戦艦大和の付いた交通安全のお守りも頂いた。



黒塚古墳に向かうが、この辺りはとにかく道が狭く、わかりにくい。ようやく古墳の前には着くが、今度は展示館の駐車場を探して右往左往。ようやく見つけて車を停めたが、展示館は月曜日休館。



やむなく古墳を見に行く。全長は130mの前方後円墳で周りの堀は青々とした水をたたえている。古墳に登るとあたりの風景がよく見え、気持ちがいい。




どのあたりに石室があったかは頂上に示されていた。1998年に卑弥呼の鏡といわれる三角縁神獣鏡が三十三面も発掘されたと聞いていたのだが、その関係資料が見ることができず残念であった。



国道を走ると箸中の交差点、これを左手に曲がり箸墓古墳を探すが、ここも駐車場がなく、Uターン。近くの田んぼから眺めることにする。卑弥呼の墓とも言われ、全長は280mの大型の前方後円墳を眺めた。



昼近くなってきたので今回の山の辺の道終着である大神(おおみわ)神社へ。国道をしばらく行くと左側に大きな鳥居があるのでこれを左折、すぐに第1駐車場。これが近いのかと思い停め、炎天下歩き始めるがその先に2、3、4と駐車場が続き、一番神社に近いのが第6駐車場。これに気づかなかったものだから、相方にブーブー言われる。

JR桜井線三輪駅を越えると第二鳥居、この先は参道工事中のため、踏切の先は歩かざるをえない。自動車のお祓い場を越えてさらに行くと石段が見えてくる。



長い石段を登り、ようやく拝殿に到着。この神社の御神体は三輪山であり、本殿はない。



日本で最も古い神社であり、明治以前は三輪明神、明治以降は三輪神社と呼ばれている。拝殿は徳川4代将軍家綱が寄進した立派なものである。



境内には『巳の神杉』、これは御祭神の大物主大神が蛇に姿を変えられたと日本書紀にある。蛇神は大神の化身として信仰されている。この蛇が出入りするためにこのように呼ばれている。

左側にある社務所はクーラーの効いた立派な建物で入口には『なでうさぎ』がいる。神社では卯の日を神縁の日としてお祭りをしている。このうさぎはかつては一の鳥居の大灯籠の火袋を守っていたもので身体の悪いところを撫でると治ると伝わっており、思わず足を撫でた。(以下、次回)

『夏旅2024』⑤〜山の辺の道を僅かに歩く

2024-08-16 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』⑤、天理駅前のホテルに一泊、朝はホテルで軽く朝食を取り、7時半に出発。山の辺の道に行くことにする。もちろんてくてくと道を歩ければ良いが、アンテナショップでアドバイスされた通り、あまりの暑さに車と徒歩を組み合わせることにした。

まずは石上神宮にお参りする。石上神宮は歴史の教科書にも出てくる日本で最も古い神社の一つで古事記や日本書紀にも記述がある。創建は崇神天皇7年と言われ、勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地を決め、『石上大神』として祀ったことによるとされる。

その後、色々な事象が起きたようだが、日本書紀に書かれた神社は当社と伊勢神宮のみであり、日本最古の神社であると言われる。文化財としては祭器として使われたであろう七支刀が有名で4世紀に百済からもたらされたらしく、国宝に指定されている。

駐車場に車を置き、参道を歩くと立派な鳥居、扁額には『布都御魂大神』とある。さらに行くと境内にはお使いと言われている立派な鶏が多数出てきて、まだ朝早いため時の声を上げるため少々うるさい。



境内に犬を連れて散歩する人もいるが、ニワトリもきにしていない。宮司もなれたもので箒で砂利を掃除していてこれを避けながら先に進む。



本殿の入口が左に出てくる。まずはこちらで手を合わせ、お参りする。社務所は後ろにあるが、まだ早いのか誰もいない。私が困り顔であたりを伺うと社務所のお隣の椅子にかけていたおじさんが神社の方を呼びに行ってくれ、無事に朱印を頂く。

社殿の裏には一段高くなったところに摂社拝殿(国宝)、天神社、出雲建雄神社、猿田彦神社などが固まっていて一つずつお参りした。



参道の灯籠を見ると可愛らしい5色の風鈴が付けられ(社務所にて1500円で販売)、意外に可愛らしい。鶏舎の後ろから山辺の道はスタートするのだが、あまりの暑さのため、取り敢えず車に戻る。



次に訪れたのは道の駅『なら歴史芸術文化村』、8時30分に到着。まだ、オープン前のため、車を停めて、『内山永久寺跡』を徒歩で訪れる。



内山永久寺は江戸時代には東の日光、西の内山永久寺と言われたほど栄えた寺院だが、1869年の廃仏毀釈の影響で廃寺となった。道の駅から500m程度歩き、すぐのところに跡地があると聞き、山の辺の道の雰囲気を感じようと歩き出す。しかし、もう30℃は越し、汗がたらたら。太陽光線を受けながらかぼちゃやスイカ畑の中を歩く。



無人販売所などの前を通るが、誰もいない。アンテナショップの人が夏は人が行かないから無理しないでと言われたことを思い出す。すると大きな池があり、池の横に『内山永久寺跡』の石碑があることに気づく。



江戸時代まではかなりの規模を持つ寺院だったが、今は石碑のみ。ただ、寺宝の一部は愛染明王像(国立博物館)などが残されていて、建物は先程見てきた石上神宮の出雲建雄神社の拝殿などとして残されている。松尾芭蕉の歌碑『うち山やとざましらずの花ざかり』などは残されていた。

再び、道の駅まで戻り、休息を取ったのちに先を急ぐ。左手には東乗鞍古墳や西乗鞍古墳がある。左に折れて一の鳥居をくぐり、細い道を左に行くと、夜都伎(よとぎ)神社に到着。

春日の四神(武甕槌命、姫大神、経津主神、天児屋根命)を祀る神社。二の鳥居の横に車を停めてお参りに行く。茅葺き屋根の拝殿は時代を感じさせる。



無人の神社ながら、朱印は箱に入れて置いてあり、参拝者が朱印帳に押すシステム。秋葉原で一度あったが、珍しい。もちろん、御朱印代は賽銭箱に入れることにした。

周囲は田んぼ、のんびりした山の辺の道らしい風景が広がっていた。(以下、次回)

肉匠迎賓館〜夏旅の晩餐①

2024-08-15 05:00:00 | グルメ
『夏旅の晩餐』①。1日目は奈良県天理市に宿泊、ビジネスホテルなので夕食は外に食べにいく。もちろん、予約はしてきたのだが、店は駅前のホテルから徒歩で20分程度。宿に入ったのが16時半頃、駐車場で大粒の雨が降り出し、雨・風・雷の三拍子。予約は1830だが、18時にロビーからタクシーを呼ぶも捕まらず、駅まで歩く。

幸い小ぶりにはなったが、駅は人気がなく、止まっていたタクシーは1台のみ。何とか乗り込み、行ってもらうが、荒天の影響でJRも近鉄も不通。駅に人気がないのはこのためであった。

お店は『肉匠迎賓館天理店』、奈良県内に5店舗を展開するローカルチェーン、店の売りは新鮮な肉とオール個室らしい。予め、コースは予約済。あまり詳しくも調べもせずに『特選ブランド焼肉プラン』(3850円)をお願いした。



ところが前日にお店から電話があり、『量が質か、脂の乗りは大が小か、男女の比率は』などを聞いてくれ、好みに合わせたラインナップにしてくれるサービスには驚いた。

雨のせいもあり、時間ぴったりに店に到着。中に入るとほぼ満員、待つ人すらいる。奥の座敷(と言っても障子紙のない障子で仕切られた小部屋)に通され、すぐにコンロに火がつけられる。
ビールを注文、すぐにコーススタート。まずは生ビールで乾杯、冷えたビールがたまらない。

一皿目はタン塩、肉の上にたっぷりのネギとニンニクが乗っている。肉の一切れは厚さは普通、大きさは大きめでじっくり焼いて塩レモンのタレで頂く。厚めのタンだが、柔らかくジューシー。ビールとの相性も抜群。

一皿食べ終わる頃に巨大な皿にたくさんの肉と野菜(ズッキーニ、茄子、ニンジン、カボチャ、玉ねぎ)が載せられてくる。肉は9種類(リブロース、ハラミ、ハネシタ、ヒウチ、シンシン、カイノミ、イチボ、マルシン、かぶり)と細かく分けられている。



タレは辛口、普通、甘口の3種類、有料のワサビももらい焼き始める。まずはハラミ、やや厚めだったが、柔らかく、味わい深い。ハネシタはザブトンとも言う四角い部位、脂が乗って塩とワサビでいただくが脂の溶け具合がいい。ただ、だんだん肉だけを焼くのに飽きて、野菜を焼く。かぼちゃも玉ねぎも甘くなる。

半分くらい肉を食べたところでホルモン、レバー、センマイ、シマチョウなど5種類。いずれも新鮮なのだろうか、美味い。特にシマチョウなも脂が甘く、美味しく頂く。酒は酎ハイや焼酎ロックなどを飲む。



ようやく2人で食べ尽くすが、もう腹一杯。やはりセットメニューは我々シニアには多すぎる。残念ながらクッパやビビンバなどは食べるところまで行きつかなかった。

店員さんも元気があって気持ちよかった。いいお店、近くにあれば。ご馳走さまでした。

肉匠迎賓館天理店
天理市勾田町(まがたまち)115ー1
0743630029

『夏旅2024』④〜長谷寺へ

2024-08-14 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』④、室生寺を後に国道369号線、さらに元走っていた国道165号線に戻り、長谷寺を目指す。国道はアップダウンは多いが快適に走る。路面は雨が降ったようで濡れているが、今は降っていない。右に『長谷寺』と書いた矢印を信じて曲がるが、急に狭くなり、道の両側にお土産物屋や小さな旅館などが並び始める。

道はどんどん狭くなり、かつてきた時のことを思い出すが、戻るわけにも行かず走るとようやく山門近くの駐車場を見つけ、停める。3時近いこともありガラガラだが、管理をしているおばあちゃんが出てきて停める場所を指示される。逆らうのも面倒なので駐車。

そこから再び狭い道を歩いていくと呼び込む茶屋のおばあさん、懐かしい風景である。仁王門に向かう石段を上がると参拝券を購入、目の前には有名な登楼(のぼりろう)、これを登り始める。



左右には花が植えられていて春はさぞかし綺麗であろう。歓喜院など長谷寺六坊が左右に建つ。一度右に曲がり、さらに左に曲がってようやく鐘楼の下まで到着。390段は登りがいがある。





長谷寺の鐘楼は登楼の上に設えてあり、奥には愛染堂。団体がいたため、これを避けながら本尊にお参りする。本尊は十一面観音像、高さは10m以上もあり、迫力満点。右手には錫杖を持ち、石の上に立っている。本堂は何度も火災に遭っていて今のお像は1538年に造られたものである。

その後、御朱印を頂き、本堂の舞台の方に行く。下には門前町を見ることができ、周囲の低い山を臨む。長谷寺は686年に道明上人が天武天皇のために『銅板法華説相図』を初瀬山西に安置したことから始まる。真言宗豊山3000寺の総本山で東京ならば護国寺などが関係する。相方の義父母が眠るお寺もこれに含まれ、そうした縁もあり参拝した。



帰りに再び登楼を下ると、たくさんの蓮の鉢があり、中には美しく花を咲かせるものもあった。



ここから天理市までは30分程度、午後4時半にはホテルに着いたが、かなりの荒天となった。しかし、天理駅前ということもあり、地下道を通り、スタンプをゲット。

地下道には天理大学ラグビー部や天理高校野球部、出身の柔道家かどのパネルがあり、いかにスポーツが盛んなのかに感心した。(以下、次回)








『夏旅2024』③〜室生寺へ

2024-08-13 05:00:00 | 旅行
『夏旅2024』③、道の駅宇陀路室生を出て国道165号を走り、左手室生寺に向かう道が、分かれている。このやまなみロードと付けられた道は室生トンネルを抜けていく快適な道、以前は狭い道をうねうねしながら対向車に気をつけながら走ったことが嘘のようである。

室生寺には14時に到着、先ほどの雨はトンネルを抜ける頃には止んだが、遠くでゴロゴロと雷の音。あまり気にしても仕方ないのでお寺に入る。駐車場からいく途中は以前と殆ど変わらない風景、土門拳が撮影のため逗留した橋本屋旅館も全く変わっていない。



太鼓橋を渡ると『女人高野 室生寺』と書かれた石柱、その奥の門からは入れないので右の方に歩く。ここに受付があり、中に入る。授与所を通り、仁王門を抜けると鐙坂という階段がある。この横にはたくさんの芍薬が植えられていて春はさぞかし綺麗であろう。



登り切ると左に弥勒堂、こちらには弥勒菩薩像(重文)が安置されている。前回に来た頃には釈迦如来坐像(国宝)も並べられていたが、宝物館に移されていた。

(弥勒堂)

(金堂)



右に金堂。金堂は平安前期の建物で国宝。中には釈迦如来像(国宝)、薬師如来・文殊菩薩像(重文)を始め、多くの仏様が並んでいる。その中で左奥、右奥にはそれぞれ地蔵菩薩像、蔵王権現像が横を向いて並べられている。なぜよく見えないところにあるのかを聞くといずれも安置されていた建物が倒壊し、金堂に客仏として置かれているとのことであった。

(本堂)

階段を登ると本堂(灌頂堂、国宝)。こちらは鎌倉時代後期の建立で中央には如意輪観音像(重文)が安置されている。

さらに階段を登ると可愛らしい五重塔(国宝)がだんだん見えてくる。私が関西にいた頃、1998年9月の台風で隣に立っていた大木が倒れ、茅葺き屋根が損傷したが、修復工事が行われて見事に復活していた。ただ、修理には1億5千万円がかかったとのこと。以前見た塔に比べて壁などが確かに綺麗になっているように思えた。蝉の声はうるさいが、静寂の中に配置されているお堂を一つずつお参りし、仏像にお会いできるのは何とも有難い気がした。





入口まで戻り、宝物館に入る。こちらには釈迦如来坐像(国宝)、十一面観音像(国宝)、地蔵菩薩立像(重文)、十二神将(重文)などが飾られていた。

(十一面観世音)

(釈迦如来坐像)

自然豊かな中にこれだけの仏教文化、修行の地が平安時代から残されているのは大変なこと、しかも雷がゴロゴロ言い始めたので中には殆ど人がおらずゆっくり見ることができた。(以下、次回)