退職者にとって楽しみな朝ドラが無い寂しい日曜日でしたから・・・
朝食後すぐに昨日獲った鮎を二つの袋に分けて入れて家を出ました
昨日の晩に叔母さんと死んだ兄の家に電話したら両方とも鮎が欲しいと言う事だったので、それを届けるのと、明後日の早朝に出発してスウェーデンに帰国する弟と少し話もしたいと思っての事です。
兄の家に行って鮎を渡して弟を助手席に乗せて話をしながら上勝町に住む、一人暮らしの80歳の叔母さんの家へ(子や孫が毎週2~3度来てるそうですが)
約一年ぶりに会った叔母さんはちょっと目には余り変わって無いように思ったんですが・・・目に怪我をして片方が随分視力が落ちたそうです。
片方の視力が落ちたので車の運転に自信が無くなったとかで・・・運転を止めたそうです。
80歳でも田舎で暮らしていて、車の運転をしないと色々大変なんですが・・・大きな人身事故でも起こしてしまったら・・・・との心配から止めたそうですがどの様に今後暮らしていくのか??
昔と違って冷蔵庫があるからそれ程心配はないのかも
叔母さんは少しボケ始めてると聞いてたんですが・・・そんな様子も感じられず一安心。
帰り道私が生まれた家の池に先日放した錦鯉の様子を見に行きました。
前に入れて一匹だけ残ってた錦鯉は眠り病未経験鯉だと思ってたから、今回入れた10匹が眠り病経験鯉だったので、前の鯉は死ぬと思ってたのに・・・元気で泳いでいました。
前に放した鯉が一匹を残して全部死んでしまったのは眠り病が発生したのが原因と思います。
この一匹だけ残った錦鯉は眠り病の治療もしなかったのに自力で克服したんでしょう。
時々なんの治療もしなくても眠り病を克服する鯉がいるんです。
倉庫ハウスに戻ったらまだ9時だったので20匹程残しておいた鮎を開いて薄塩水に浸けて・・・
一人で鍛冶が峰へ
鍛冶が峰から戻って薄塩水に浸けてあった開いた鮎をネットに入れて吊るしました
八十氏は今日も落ち鮎のコロガシ漁に行ってるだろうかと連絡したら・・・行ってました
昨日獲ったのを殆ど上げて処分してしまったので・・・隣のオジサンにも上げたいし・・・
時間があったので昼ごはんの後ジムニーで川原に乗り込んで・・・八十氏のジムニーと並べて・・・
コロガシ漁を始めました。
昼なのに退屈しない程度に掛かってましたが・・・よく掛かる場所は一人分のスペースだけです。
余り沢山釣っても処理に手間が掛かるのでボチボチで良いと思ってたんですが・・・
よく掛かる場所が空いたので行ったら・・・投げ込むたびに掛かって来て・・・
面白いので道具が切れるか縺れるまでやろうとやっていたら・・・釣り過ぎました。
八十氏と一緒に四時に川原から出たんですが・・・しばらく走って私が鮎を入れたクーラーを忘れたのに気づいたので・・・引き返し始めたら八十氏が積んでくれてました。
叔母さんがボケてる心配してましたが・・・私もボケ始めてるようです。
帰って綺麗な鮎を選別して隣のオジサンに上げたり、我が家の塩焼き用に小分けして冷凍したり。
でも大部分は氷を入れたクーラーに入れたままです。
明日に内臓を抜いて小分けして主に「甘露煮」用に冷凍しておこうと思います。
この所の食事は「鮎づくし」で塩焼き、甘露煮、干物のいずれかか二つが毎食なんですが・・・
鮎は大好きですから・・・喜んでいます
これは塩焼きの残りですが・・・
上から二番目の白っぽいのはメスの鮎で他の三匹は産卵期の発情したオスで腹が赤くなっていますがこれらはこれから産卵に入る鮎たちです。
このメスが産卵を済ませると細くなって間もなく死んでしまいます。
オスが精子を出してしまうと・・・これも細くなりますが・・・体全体が黒くなってこれも間もなく死んでしまいます。
落ち鮎のコロガシ漁に行って獲れる鮎は、産卵前か産卵の途中で腹を裂くとオスもメスもまだ腹一杯か、少し卵が残っています。
話は変わって積水ハウスの再見積もりが出来てきました。
キャンピングカーが入れなかったのを、入れるように約一メートル下げた(50センチ東西を狭くもした)のと見掛けを良くしたので・・・南北に延びた結果延べ床面積が増えたのと使ってる材質をプリント合板から突板に変えたり、キッチン回りをして良くしたので・・・予算がオーバーしました。
なんとか予算内に収めたいので削れるものを削って欲しいとお願いしてありますが・・・
それが無理なら・・・こちらのリクエストと違う設計でその説明も無く、私は言われた日には全て出向いていたのに・・・現物も初めて見せて貰えたのが三日程前で・・・納得できない部分も多くあるので全てをクリアーにして他社も含め設計段階から見直しも考えています。
ただ空いてる倉庫ハウスの敷地は140坪しかないのに私が思ってる様な家と間取り、また駐車スペースの確保は難しいのかも・・・
リビングのすぐ前に倉庫の一部があるのも隠せると良いのだけれど・・・
朝食後すぐに昨日獲った鮎を二つの袋に分けて入れて家を出ました
昨日の晩に叔母さんと死んだ兄の家に電話したら両方とも鮎が欲しいと言う事だったので、それを届けるのと、明後日の早朝に出発してスウェーデンに帰国する弟と少し話もしたいと思っての事です。
兄の家に行って鮎を渡して弟を助手席に乗せて話をしながら上勝町に住む、一人暮らしの80歳の叔母さんの家へ(子や孫が毎週2~3度来てるそうですが)
約一年ぶりに会った叔母さんはちょっと目には余り変わって無いように思ったんですが・・・目に怪我をして片方が随分視力が落ちたそうです。
片方の視力が落ちたので車の運転に自信が無くなったとかで・・・運転を止めたそうです。
80歳でも田舎で暮らしていて、車の運転をしないと色々大変なんですが・・・大きな人身事故でも起こしてしまったら・・・・との心配から止めたそうですがどの様に今後暮らしていくのか??
昔と違って冷蔵庫があるからそれ程心配はないのかも
叔母さんは少しボケ始めてると聞いてたんですが・・・そんな様子も感じられず一安心。
帰り道私が生まれた家の池に先日放した錦鯉の様子を見に行きました。
前に入れて一匹だけ残ってた錦鯉は眠り病未経験鯉だと思ってたから、今回入れた10匹が眠り病経験鯉だったので、前の鯉は死ぬと思ってたのに・・・元気で泳いでいました。
前に放した鯉が一匹を残して全部死んでしまったのは眠り病が発生したのが原因と思います。
この一匹だけ残った錦鯉は眠り病の治療もしなかったのに自力で克服したんでしょう。
時々なんの治療もしなくても眠り病を克服する鯉がいるんです。
倉庫ハウスに戻ったらまだ9時だったので20匹程残しておいた鮎を開いて薄塩水に浸けて・・・
一人で鍛冶が峰へ
鍛冶が峰から戻って薄塩水に浸けてあった開いた鮎をネットに入れて吊るしました
八十氏は今日も落ち鮎のコロガシ漁に行ってるだろうかと連絡したら・・・行ってました
昨日獲ったのを殆ど上げて処分してしまったので・・・隣のオジサンにも上げたいし・・・
時間があったので昼ごはんの後ジムニーで川原に乗り込んで・・・八十氏のジムニーと並べて・・・
コロガシ漁を始めました。
昼なのに退屈しない程度に掛かってましたが・・・よく掛かる場所は一人分のスペースだけです。
余り沢山釣っても処理に手間が掛かるのでボチボチで良いと思ってたんですが・・・
よく掛かる場所が空いたので行ったら・・・投げ込むたびに掛かって来て・・・
面白いので道具が切れるか縺れるまでやろうとやっていたら・・・釣り過ぎました。
八十氏と一緒に四時に川原から出たんですが・・・しばらく走って私が鮎を入れたクーラーを忘れたのに気づいたので・・・引き返し始めたら八十氏が積んでくれてました。
叔母さんがボケてる心配してましたが・・・私もボケ始めてるようです。
帰って綺麗な鮎を選別して隣のオジサンに上げたり、我が家の塩焼き用に小分けして冷凍したり。
でも大部分は氷を入れたクーラーに入れたままです。
明日に内臓を抜いて小分けして主に「甘露煮」用に冷凍しておこうと思います。
この所の食事は「鮎づくし」で塩焼き、甘露煮、干物のいずれかか二つが毎食なんですが・・・
鮎は大好きですから・・・喜んでいます
これは塩焼きの残りですが・・・
上から二番目の白っぽいのはメスの鮎で他の三匹は産卵期の発情したオスで腹が赤くなっていますがこれらはこれから産卵に入る鮎たちです。
このメスが産卵を済ませると細くなって間もなく死んでしまいます。
オスが精子を出してしまうと・・・これも細くなりますが・・・体全体が黒くなってこれも間もなく死んでしまいます。
落ち鮎のコロガシ漁に行って獲れる鮎は、産卵前か産卵の途中で腹を裂くとオスもメスもまだ腹一杯か、少し卵が残っています。
話は変わって積水ハウスの再見積もりが出来てきました。
キャンピングカーが入れなかったのを、入れるように約一メートル下げた(50センチ東西を狭くもした)のと見掛けを良くしたので・・・南北に延びた結果延べ床面積が増えたのと使ってる材質をプリント合板から突板に変えたり、キッチン回りをして良くしたので・・・予算がオーバーしました。
なんとか予算内に収めたいので削れるものを削って欲しいとお願いしてありますが・・・
それが無理なら・・・こちらのリクエストと違う設計でその説明も無く、私は言われた日には全て出向いていたのに・・・現物も初めて見せて貰えたのが三日程前で・・・納得できない部分も多くあるので全てをクリアーにして他社も含め設計段階から見直しも考えています。
ただ空いてる倉庫ハウスの敷地は140坪しかないのに私が思ってる様な家と間取り、また駐車スペースの確保は難しいのかも・・・
リビングのすぐ前に倉庫の一部があるのも隠せると良いのだけれど・・・