今は歌える人も少なくなったと思いますが、昔流行った歌に(憧れのハワイ航路)がありました。
その歌を口ずさみながら私が初めてこの航路を航海したのは、移民船ブラジル丸の一番安い移民の人達と一緒の三等客室でした。
それはなんと50年も昔の事でその頃の私は禿げでも無かったし腹も出て無くて60キロ程しか体重もありませんでした。
当時の運賃は片道六万円位だったと思います。
その頃の大卒の初任給が三万円位でしたから収入から考えるとかなり高かったです。
1ドルが360円でしたから100万円以上を工面して3000ドルを懐に初めての海外ハワイにこわごわ上陸してまずはワイキキビーチへと向かいました。
ハワイの物価があまりにも高くて、どんどんお金が減って行くのに慌てもしましたがふと知り合った日系三世の人に紹介して貰って日系人が経営するアパートに住むことに。
それはアラワイ運河の近くのニウストリートでした。
それから一年後に一度帰国して美由紀と結婚して、すぐにハワイへトンボ返り。
その時はJALで往復運賃1人25万円余りでした。
美由紀と1年間ハワイで暮らしましたが住んでいたアパートの住所はなぜか思い出せません。
2度目のハワイ航路は世界一周航海の最初ヨット ホロホロ3世で徳島からワイキキのアラワイヨットハーバーまで36日掛けた航海でした。
大勢の見送りの人達の手前、悪天候で1日遅らせてもまだまだ波も風も強い1993年5月初旬の日でした。
それからでももう32年になろうとしています。
最初の10日程は二人共船酔いで大変でしたが何とか乗り越えてからは憧れのハワイ航路を歌ったりしていました。
そして今回の3度目のハワイ航路ですが、大きな客船で3度目の航路を人の操船で進んでいます。
初めてブラジル丸渡ったときのようなドキドキ感はありませんし、釣りをすることも出来ません。
2年間過ごしたハワイが最後に行った1993年からどの様に変わってるかと思うだけで、訪ねて行こうと思った家族もコロナで店を閉めていて連絡とれずです。
客船の世界一周は(ただ一周するだけ)で寄港しても僅かな時間しかいませんから何をしても駆け足になりそうです。
特に私達はオプショナルツアーの予約を乗船してからしようと思ってたら、ツアー受付の日の最初の1時間程で全部満員になってるそうです。
船での予約を別に見てくれて無かったら全部自分で動く事になるでしょう。
時間があれば平気ですが、短い停泊時間だと近くをバスで移動したり散策して野鳥の写真を写すか、港で釣りをするしかありません。
神戸港出港から5日が過ぎて食事には慣れて来て、今日の昼はおでんに救われました。
まあ美味くもないけど、私達はアフリカ大陸の奥地や南米大陸の奥地を旅して、生きるためだけに食べて旅行もしていますから、それを思うと天国です。
今日も囚人の様に朝からラジオ体操をして、太極拳、船のデッキを動物園の熊のように何度も周って昼食。
午後は先程まで美由紀はダンス教室、私はトム・ハンクスの映画ブリッジオブスパイを見てました。
したい事が出来ない生活、でも何かをしないと1日は終わりませんから四苦八苦の日々が続いています。