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映画「砂の器」が名作たりえたのは、すべてラストの巡礼シーンのおかげだと断言してもいいだろう。原作から山田洋次と橋本忍がピックアップしたのは、例の「カメダ」と主人公の過去だけではないかとも。
その過去とは、石川県の片田舎に生まれ、しかし父親のハンセン病によって母親は出奔。村からも追われ、子どもだった英良は(ほんとうの名前は本浦秀夫)父親とともに巡礼の旅に出る。業病として忌み嫌われたこの病に対する偏見は強く、秀夫は世間の冷たさと非情さを知ることになる。流れ着いたある町で、父子はやっと人間のやさしさにふれる。その町が亀嵩であり、父親を病院へ送り、秀夫を養子にとろうとしたのが三木謙一だった……
泣かせのポイントはいくつかある。
・門付けをする親子にお米を差し出す主婦。しかし父親がライ病であることがわかった途端、ぴしゃりと戸は閉められる。また、いくら待っても誰も出てこない家の前で、悔しげに鈴を鳴らしつづける秀夫。その、音。
・巡査に追い立てられる父親を守るために、必死に巡査にくらいつく秀夫。そして巡査に放り投げられ、額を負傷する秀夫(このときの傷がヒントになるのだけれど、なぜかラストではいかされない)。この経験が三木巡査への秀夫の偏見の一因にもなったのだろうか。
・ライ病院へ送られる父親を派出所から見送る秀夫。必死に何かをこらえている。しかし我慢できずに亀嵩の駅へ、線路を走って追いかける秀夫。気づいた父親はヨロヨロと立ち上がり、息子を抱きしめる。
・養子にむかえようと世話を焼く三木夫妻の温かさにふれながら、しかし秀夫は早朝、派出所から逃げ出す。三木巡査は“制服も着ずに”自転車で追いかけ、「ひでおぉぉ!」と叫びながら捜索する。隠れながら、強い表情でそれを見つめる秀夫。
・和賀英良の過去をさぐるうちに、本浦秀夫と同一人物であることに気づいた今西は、彼の父親が生存していた(!)ことを知り、離れ小島の療養所を訪ねる。和賀の写真を彼に見せ「この人を知っていますか?」と訊ねる今西に、父親は号泣しながら知らないと主張する。
……特に最後のシーンは必殺。ここで泣けない人はいないだろう。しかしわたしがもっとも心をうたれたのは違う場面だった。
最終回につづく。