スパイ映画は、マット・デイモンがジェイソン・ボーンを演じる「ボーン・アイデンティティ」によって違うステージに引き上げられてしまった。
余裕綽々な態度で美女と戯れ、蛮族をひきいる謎の組織とたたかう……なんて幸福な時代は過ぎ去ってしまったのだ。格闘はあくまで“痛い”し、華麗さは度外視して相手を無力化することを目的とする。主人公はみずからの存在意義にとまどい、国家への忠誠は二の次に追いやられる。
おかげで、能天気なスパイ映画の代名詞だった007も、「カジノ・ロワイヤル」以降のハード路線への転換を余儀なくされている。ある意味、仕方のないことだ。
ハード路線への転換期において、ちょっと毛色が変わっていたのは「ミッション・インポッシブル」シリーズ。なにしろTV「スパイ大作戦」の映画化なのだから、小粋なアクションと小道具で楽しませてくれるかと思ったら、トム・クルーズが中途半端にシリアスなものにしてしまったので、観客はどうにもとまどってしまった。
そして、そのトム・クルーズ向けの作品だったはずの「ソルト」は、トムが違う作品を選択したためにアンジェリーナ・ジョリーに主役交代。なんか、すごいですな。
しかしこれは正解だっただろう。トムが演じたとすれば、いったいどこがミッション・インポッシブルと違うんだということだし、お気楽な変装合戦は、トムが主演ではないからこそ臆面もなくやることができたはず。
にしてもちょっと脚本は粗い。ジョリーがある扉を開ける手段など、ナポレオン・ソロじゃないんだからと苦笑。ストーリーもチャールズ・ブロンソンの「テレフォン」(監督ドン・シーゲル!脚本はピーター・ハイアムズとスターリング・シリファント!)のいただきだしね。
でも見せる。
冒頭の北朝鮮の拷問シーンからアンジェリーナ・ジョリーの肢体見せまくり。陸上部出身者のように走る(わかりますね)ジョリーの活躍のおかげで、どんでん返しが機能していないことなど忘れさせてくれる。すっかりひねくれてしまった観客のほとんどは、あの偽装に気づいてるぞ。
この「ソルト」が、007シリーズがMGMの経営破綻によって続編の撮影に苦しんでいる現状の突破口になるかは興行成績次第。みんな見てくれよ。なんつってもスパイ映画って面白いじゃないですか。それがハードでも、ぬるくても。