あの、映画館グリーンハウスをめぐるお話。
山形国際ドキュメンタリー映画祭(くどいようだけれど、世界に誇れる存在だ)で去年上映され、ついに一般公開。酒田に生まれ育ち、この映画館に通いつめ、グリーンハウスが火元だった大火を経験し、再建計画まで特集したわたしがこの映画を見逃すわけにはいかない。
鶴岡まちキネの明かりが落ちると、ムーンライトセレナーデが流れてくる。グリーンハウスでは常にこのようにして映画が始まっていたので、酒田市民としてグッとくる。
9名の人物の証言がつづられる。昭和51年の大火のときに消火活動を行った元消防士、火元近くで高名なオリジナルカクテル「雪国」を供するケルンのマスター(この秋に、その名も「YUKIGUNI」というドキュメンタリーが公開されます。監督は「よみがえりのレシピ」の渡辺智史。撮影はこの映画の監督である佐藤広一。渡辺さんのお母さんは地元じゃ有名人)、近所の食堂の娘だった上々颱風(シャンシャンタイフーン)のボーカリスト白崎映美、元従業員、映写技師、酒田出身の社会学者……
忘れたり知らなかったことがけっこうあったことに気づく。10席しかない名画座シネサロンが併設されていたんだけど、そこへの階段が微妙に曲がっていたとか、隣が駐輪場で、というか昔は自転車預かり業が成立していたとか。映写技師が割烹「よしのや」の人だったなんて知らなかったなあ。
もちろんこの映画は、“グリーンハウスについて語る”ことを承知した人たちの証言で成立している。同時に“語ることを拒否する”人もいたことがうかがえ、深みを感じる。
佐藤久一という、名門のお坊ちゃん(大蔵元の御曹司だ)がひたすらに蕩尽し、その結果できあがった奇跡のような映画館に普通に通っていたことがいかに幸運だったか……平日の午前中から遠く鶴岡まちキネにつめかけた酒田市民は(酒田の先行上映は満員だったらしい)しみじみとかみしめたはずだ。
ナレーターは大杉漣。彼はつくづくと酒田を愛してくれたんだなあ。