お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

営業電話

2007年07月20日 | 雑感
 きょうは、蒸し暑い雨の中、会計担当の総代役員さんに、盆前の会計整理をしていただいています。

 さて、今に始まったわけでは、ありませんが・・・

 家にいると、ありとあらゆる営業の電話が、かかってきます。

 内容は、電話、マンション、美容、健康食品、焼酎から明太子まで・・・

 本堂で掃除や花生けをしていると、電話の呼び出し音が聞こえる。あわてて庫裏にダッシュ。 
 あるいは、ご門徒さんがおいでて、深刻なお話を聞いている時も電話のベルで中断。
 最悪なのは、ウチでの葬式や仏事、法要の真っ最中にも・・・

 そんな中を電話に出て、それが、営業の電話とわかると、ホント腹が立つ。

 お仕事でいっしょうけんめい電話をかけておられる営業の方には、申し訳ありませんが、私、営業の電話に対しては、大変、不機嫌、無愛想に応対します。

 自分ちの営業に、勝手に電話して、お客を電話口に呼びつける、という営業の仕方が、まずイヤですし・・・

 私は、何でも字で書かれたものを読まないと納得しない性格なので、たとえ、それがどんなによい商品だとしても、電話で聞かされるだけでは、信用しません。

 それに、最近、電話詐欺などが多いこともあり、オバサン、見知らぬ方からの電話には、身構えてしまいます。

 昨日もプランターの花を植えていたら、屋内の電話が鳴り出した。あわてて、軍手をとり、玄関に駆け込み、息を切らしながら電話をとった。
 
「ピンポンパン・・・こちらは、○○・・・」
 自動音声の電話。

 おいおい、電話で人を呼びつけておいて、自分は自動音声の手抜きなのかあ と、オバサン、内容も聞かずに受話器を置きました。

 
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健康

2007年07月19日 | 仏教
 昨日は、責任役員のM・M氏が、松の剪定の奉仕作業をしてくださいました。
 M・M氏は、退職後、本格的に植木手入れの勉強をされた方です。29日盆前の境内清掃を予定していますが、
「松の剪定は、時間がかかるので、きょう、済ませておこうと思って・・・」
と、丸1日、蒸し暑い中を 法専寺のために ご奉仕いただきました。

 また、ウチのお向かいの総代K氏も、たびたび、除草剤をまいてくださっていたり・・・ 本当に有り難いことです。

 M・M氏は、膝の靱帯損傷後、まだ痛みが残っておられます。一時体調も崩されていて、やっと元気になられたばかりです。

 お向かいのK氏も大けがをされてからは、歩行がやや不自由になっておられます。やはり、痛みがあると仰っています。

 また、いつもウチの畑作りと境内清掃に来てくださるM・S氏も5年前大病を乗り越えられた方です。

 皆さん、体調万全ではない中を ご奉仕くださっていて、感謝、感謝です。
 
 日野和憲先生が「念仏申すことかたし」百華苑  で書かれていたことですが、

健康とは   本来は「健体康心」という4つの字を縮めたものです。この「健」という字には、「すこやか、つよい、すぐれた」という意味がありますから、健体とは、「身体が とても すこやかなこと」になります。また康には、「やすらか、やわらぐ」などの意味がありますから、康心とは「心がやすらかなこと」です。
 (中略)
 私たちは、身体の栄養については常に気を配りますが、同時に心の栄養つまり仏さまの教えを聞かせていただくことも、大切だと思うのです。


 もし、「健体」を失っても、絶望だけでなく、明るく生き抜くには、「康心」が必要である・・・ということでしょう。

 先日、40代ご門徒女性とお話したのですが、彼女は、若い時、3人の子どもをかかえ、離婚。間もなくリュウマチを発病。リュウマチと職場に知れると、クビになるので、顔に出さず、ひたすら痛みに耐えながら、昼も夜も働き続けだったそうです。
 それでも彼女は
「病気になってよかったかもしれません。病気のお蔭でいろいろ考えさせられることが多かったから・・・暗い顔をしていても、痛みがなくなるわけじゃないし、明るく生きようと思って・・・」
と、淡々と、本当にさっぱりと、自然体でお話されて、私は、頭が下がりました。

 私も今のところ(先日も一日だけの知恵熱で済んだ)身体は、元気ですが、本当の「健康」であるように、心の栄養・仏法を忘れないように、聞かせていただきたいと思います。

 
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がばい

2007年07月18日 | 雑感
 「がばい」は、今や全国区になった佐賀弁で、「すごい」という意味ですが・・・

 昨日、「法専寺の母」(私の母親のようにお世話になっている、ご近所の80代ご門徒女性)が、先日体調不良だった私を心配して、具だくさんの寿司を作って来てくださいました。(何と有り難い 私は幸せ者です

 「法専寺の母」Mさんとの話題は、やはり、新潟の地震のこと。Mさんは、
 
 「被災された方々の悲惨な状況を見ていたら、自分たちが、戦後引き上げて来た時の状況を思い出した。でも、現在の被災者の方には、おにぎりの配布があるから、まだいい。当時、自分たちは、何もない状況で、全て、自分たちで何とかしなければ、ならなかったから・・・」(と、いう主旨のことを佐賀弁で語られた)

 う~ん、そういう見方があったとは・・・さすが、戦中戦後をたくましく生き抜いてこられた方の言葉は重い。

 昨日テレビで見ましたが、ライフラインの停止した自宅で、インタビューを受けられていた、同じく80代の女性も淡々と語られていましたね。
 「昔の生活に戻ったと思えばいい」

 スイッチを押せば電気、ガスがつき、水道ひねれば水が出る 
 道路も車でスイスイ、電車もバスも走っていて、当然で
 携帯電話もパソコンも、生活必需品で
 店には、食品、衣類、医療品・・・何でも大量にあって
 
 あまりに恵まれた生活に慣れている 今、

 不平不満、不自由を感じる度合いが大きいのは、辛抱の体験が薄い若い者なのかもしれません。

 でも、長年築き上げた生活を、思い出を一瞬で失う苦痛、悲嘆。 私なら耐えうるだろうか・・・ 

 肝のすわった、がばいばあちゃん 達 すごい  

 
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訂正

2007年07月17日 | Weblog
 先ほど「書いて味わう正信偈」を買いに書店へ。

 仏教書コーナーを探すが、出ていない! お店の方に尋ねたら、調べてくださった。

「本願寺出版社から、そういう本はまだ出ていないようですが・・・」との返事。
「本願寺の新聞広告で見たのですが・・・」と私。
「では、本願寺さんの方に電話で尋ねてみますので・・・」と、親切な店員さん。

 結論は、8月にならないと、一般書店に流通しないのだそうです

と、いうわけで、私、書店の方に「わかりました。お手数おかけました」と、申し上げ、スゴスゴ帰宅いたしました。

 最近やっと、一般書店にも流通し始めた、本願寺出版の書籍です。
 出版社に直接申し込んで、寺に郵送していただくのが、簡単ですが、オバサンとしては、身内で購入するより、できれば、一般の書店でも「売れる」ってことに、協力したい(今後も、一般書店に真宗の本を置き続けてもらうためにも)

 一般書店流通が8月からなら、そうと一言添えて、新聞広告、出してくださ~い、本願寺出版社さん
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書いて味わう

2007年07月17日 | 本紹介
 大災害、地震被災地の皆様に心からお見舞い申し上げます。
 こんな短期間に再び大地震に遭遇されるとは・・・

 先日ご紹介していた通り、佐賀教区では、きょうから、越後の親鸞聖人・恵信尼公の旧跡めぐり ということで、新潟への研修ツアー  に出発予定だったのです。
 参加予定だったご門徒M・Yさんが「延期になりました」と、連絡くださいました。

 昨日は、北海道、近畿地方も地震があったらしいですね。つい、先日、微弱ながら、佐賀県唐津市を震源とする地震もあったのですよ。

 柏崎の原発、本当に大丈夫だったんでしょうか?(佐賀県も原発があります)

 
 さて、真宗では、特に、「写経会」をすることはありませんが、
 
 本願寺出版社から「書いて味わう 正信偈」 税込525円

 という本が、最近、出版されたようです。

 宣伝コピーによると、「筆でもペンでも練習できる! 読み下し・現代語訳・解説付きの真宗入門書!」 と書いてあります。

 禅僧(曹洞宗)の良寛さんの言葉に、

「災難に逢う時節には災難に逢うがよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候」

と、ありますが・・・

 なかなか、そういう風には、達観できないのが、凡夫でして・・・

 せめて、ザワザワ揺れる心を 少しばかり落ち着かせるためにも、「正信偈」の写経をしつつ、親鸞聖人の教えを ゆっくり味わうのも、楽しいかと・・・

 私も今から、本屋さんに買いに行ってきます。

  
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まさに諸行無常

2007年07月16日 | 雑感
 全国各地で台風による被害が出たところで・・・今テレビをつけて、息をのみました。
 新潟で、また、大きな地震が発生したようですね。

 大雨、台風、地震・・・被害に遭われた皆様方の悲嘆と苦しみを察するに、何と申し上げてよいか・・・ただ、虚しく、言葉がみつかりません。

 今回、佐賀では、台風被害は、ほとんどありませんでした。雨もほとんど降らず、最大瞬間風速も24.7メートル程度でした。(交通機関は乱れましたが・・・)

 それで、今回は、本堂の防災準備をせずにすみました。

 九州北部の直撃をまぬがれて、午後のウチでの仏事お参り客も無事見送って、ヤレヤレ・・・と気を抜いた途端、何だか異常に身体がだるくなってきた・・・

 熱を測ってみたら・・・何と38℃の熱 ああ、検温しなければよかった・・・
その数値を見ただけで気分が悪くなり、ダウン 風邪の症状も、腹痛もなく・・・熱だけ。ただ、夜中2回嘔吐。

 昨日もウチでの仏事客や、諸行事で大変だったのに、随分住職に負担をかけてしまいました。
 午後の「なでしこ会」(毎月15日の女性のおしゃべり会)は、とうとう挨拶にも出ず、夕方まで、トロトロ、ウトウト・・・自分でも「よく、これほど眠られるなあ」と思うほど、眠り続け・・・

 お蔭で夕方には、熱が下がり、公民館行事に顔出し、と、一日延期した、仏教壮年会の例会 お茶だしは務めることができました。

 その代わり、風呂も入ってないから、汗くさく・・・ノーメークで・・・( ま、メークしても、しなくても、ド近眼メガネをかけてりゃ、顔は大して変わりゃせんのですが・・・)

 せっかくおいでになったオジサマ方、クサイ不細工坊守で、失礼しました。
 
 きょうも住職さんは、仏事に走り回っています。夫の身体の方が心配なのに、しっかりしなくちゃ・・・まあ、無理せず、ボチボチ頑張ります。
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台風接近

2007年07月14日 | 佐賀ネタ
 昨日からザワザワと風が吹き、時折、強い雨が降る佐賀です。午前10時現在、台風の進路予想によると、鹿児島か熊本に上陸しそうですね。
 
 今夜の仏教壮年会・例会は、明日、午後6時半からに変更しました。

 台風に備え、昨日のうちに、水汲み場のひしゃく、バケツ、ほうき等が風で飛ばないようにし、植木鉢を屋内へ入れ、乾電池、布テープを買いに。

 乾電池は、停電に備えてですが、布テープは、何に使うかと言いますと、

 古い本堂ゆえ、隙間だらけ・・・ その隙間から雨風が入らないように、古新聞をつめ、布テープで貼り付けるのです。(普通のガムテープより、布テープが剥がれにくい)

 田圃の中に ぽつんと立つお寺ですから、東西南北、どこからの風も避けようがなく、横殴りの雨は、サッシからも侵入します。
 
 サッシ前に置いているイス類を本堂中央に避難。
 カーペットが濡れないように、これも本堂中央までめくる。
 サッシ下に雑巾を詰める。
 本堂入り口の戸、納骨堂の入り口のガラス戸を念入りに新聞、布テープで止める。

 午後予定通り、仏事のお参り客がお出でになるそうですから、お見送りした後、住職と、この作業開始です。

 梅雨前線と台風   全国どこで大きな被害が出るかわかりませんね。
 皆様、お互い、気をつけて台風の通過を待ちましょう。

 おっと、風がだいぶ強くなってきましたよ。昨年のように、風速50メートルの風が吹いて、停電しないことを願っています。
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お盆 その2

2007年07月13日 | 仏教
 大雨に引き続き、大きな台風接近です。 すでに沖縄では、被害が・・・
 この3連休に、ここで仏事を予定されておられるお宅数軒、あるいは、明日夜は、仏教壮年会例会も開く予定ですが、どうなりますことか・・・

 さて、昨日に続き「お盆」
 きょうは、真宗の「お盆」の味わい方をご紹介します。

 そもそも、
 浄土真宗では、亡くなった方は、皆、阿弥陀如来の「本願」(「全ての者を真理に目覚めさせ、仏にしたい」という 仏さまから 私に 届けられた願い」によって、人間としての「死」と同時に、仏と完成される。

 完全な智慧と慈悲をもって、自由自在に後の者を導き救う「はたらき」の仏さまとなる という教えですから、

 仏さまは、いつも私を心配し、私のそばにおられる・・・と味わいます。

 だから、
 「故人の霊が、あの世から、お盆の時だけ、帰ってくる」 という考え方はしません。

 では、何のために「お盆」に仏事を行うのか・・・

 真宗では、いつもそうなんですが、
故人のためにしてあげる 仏事では、なく ×
故人を縁として「私」が、仏さまの願い・教えに遇うための仏事 ○ なんです。

 「お盆」という季節行事を ご縁として、故人や、ご先祖に感謝し、家族ぐるみで 仏縁にあう・・・普段、なかなか合わせることのない手を合わせ、仏さまに心を合わせる   と、いう味わい方です。

 なので、真宗は、迎え火をたきませんし、精霊流しもしません。
 お仏壇も普段の仏事と同様のお飾り(菓子、果物など)です。霊供膳は必要ありません。

 さて、昨日ご紹介した、「盂蘭盆経」の話を聞いたご門徒女性の鋭いツッコミに、私は、何と答えたか・・・

 「お経は、私たちを真理に導く手だてとして、人それぞれに応じて、いろいろなエピソードを語られるので、たくさんある経典の中から、一つずつ、つまみ出して並べてみると、一見、矛盾したことに思いますが・・・あくまで、ひとつの物語として、聞かせてもらったら、いいのでは・・・目連尊者のお母さんが本当に餓鬼道に落ちていたということはないはずです・・・」

と、わかったような、わからんことを言って誤魔化してしまいました。

 「盂蘭盆経」のこのエピソードは、我が子だけをかわいがる身勝手さ対する誡めや、仏法を学ぶ仲間を大切にしよう という仏典の物語なのでは・・・

 どなたか、お詳しい方がおられましたら、ご指導くださ~い。お待ちしております
 
 
 
 
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お盆

2007年07月12日 | 仏教
 九州のこの辺りでは、お盆は8月ですが、7月にお盆をお迎えの地域も多いことと思います。

 「お盆」の正式名は「盂蘭盆会(うらぼんえ)」  

 「お盆」の風習は、「盂蘭盆経」の物語に、日本の習俗が混じり合って、伝わってきたものです。
 「盂蘭盆経」のストーリーとは、

 お釈迦様の弟子・目連尊者(もくれんそんじゃ)は、亡くなったお母さんが、死後、どの世界におられるか、神通力でご覧になった。
 当然、極楽世界におられると思い、探すが見つからない・・・
 
 探し続けると・・・なんと、お母さんは、あさましい餓鬼の姿となって、餓鬼道で苦しまれていた。

 なぜ、目連尊者のお母さんは、餓鬼道に落ちたのか・・・理由をさぐると、そのお母さんは、他人を押しのけて、我が子だけを大切にする人だったことがわかった。

 母は、息子を愛するがあまり、その強い母性愛によって、餓鬼道に落ちてしまったのだ と、目連尊者は泣いた。そして、お釈迦様に、母を救う手だてがないか、相談する。

 お釈迦様は、出家僧が集まって修行する、安居(あんご・研修会のような修行の集まり)の7月15日・最終日に、全ての仏弟子たちに食物を施すように勧められた。 
 その供養によって、目連尊者のお母さんは、餓鬼道から救われた。

 目連尊者と救い出されたお母さんは、もちろん、目連尊者から施しを受けた上に、お母さんが救われたことを知った出家僧たちも、皆大喜び。歓喜のあまり踊った。それが「盆踊り」の始まり。

 だから、他宗派では「施餓鬼(せがき)」という行事がありますね。

 この「盂蘭盆経」をもとに、日本的先祖崇拝が加味されて、お盆に亡き方々の霊が戻ってくるので、大切に敬い、供養する・・・といった「お盆」行事になったようです。

 でも、真宗の「お盆」は、上記の考え方と全く、異なります。

 数年前、ウチの住職が、盂蘭盆会の法座で、この盂蘭盆経の話をしたところ、後日、若手の女性から、私、質問されました。
 
 「浄土真宗では、亡くなられた方は、全て阿弥陀様の本願に救われて、お浄土に往かれるはずなのに、どうして、目連尊者のお母さんは、餓鬼道に落ちられたのですか

 ううっ・・・するどいツッコミ 

 これも含めて、次回へ続く・・・

 
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自己満足の修行なれば

2007年07月11日 | 仏教
きょうは、曇り 畳ベタベタ、障子紙は湿気で波打ったようになり、家中ジメジメ・・・頭の中にも、カビが生えそうです。

 このところ、立て続けにご門徒さんが亡くなられ、住職の代務で走り回っています。心身疲労気味・・・

 さて、昨日の続き、住職から聞いた「連研」での質問 その2 です。

 なぜ、浄土真宗では、般若心経 を あげないのか? 

 連研の中では、S寺ご住職が、専門的にお答えくださったそうですが、浅学な私には、答えられません。オバサン、難しいことはわかりません。

 ただ、これも、真宗で、般若心経をあげちゃダメだ ということではなく、
 般若心経は、「他力」の教えとは、ちょっと違う、
短く唱えやすいお経ながら、深~い、さとりに向かう教え(お経)なので、真宗では、用いない  と、いうことだと思っています。

 また、真宗では、霊場巡り、巡礼の旅も、座禅もしませんが、これも真宗では、やっちゃいけない という禁止では、ありません。 
 
 真摯な修行には、生臭な私なんぞ頭が下がります。
 でも、それが、もし、自己満足の修行になってしまうのであっては、阿弥陀如来の本願から遠ざかることですよ ということです。 

 どんな修行も完遂できない、ほとほと自己執着を離れられない身である、仏に任せることでしか、悟りようがない と、自覚するのが、真宗の教えですので・・・

 四国八十八カ所巡りも、真宗に身を置く者としましては、上記味わい方により、積極的には、オススメはしませんが、禁止もしません。
 日常を離れ、自分の心を仏に問いながらの旅でしたら、大変結構なことだと思います。心身の健康のためにも・・・

 
 「真宗では○○××」をまた、連発してしまいましたが、真宗の味わいの一端をご紹介させていただいたまでです。 決して他宗の批判では、ありませんので、ご寛容にお願いします。

 


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