昨日は、責任役員のM・M氏が、松の剪定の奉仕作業をしてくださいました。
M・M氏は、退職後、本格的に植木手入れの勉強をされた方です。29日盆前の境内清掃を予定していますが、
「松の剪定は、時間がかかるので、きょう、済ませておこうと思って・・・」
と、丸1日、蒸し暑い中を 法専寺のために ご奉仕いただきました。
また、ウチのお向かいの総代K氏も、たびたび、除草剤をまいてくださっていたり・・・ 本当に有り難いことです。
M・M氏は、膝の靱帯損傷後、まだ痛みが残っておられます。一時体調も崩されていて、やっと元気になられたばかりです。
お向かいのK氏も大けがをされてからは、歩行がやや不自由になっておられます。やはり、痛みがあると仰っています。
また、いつもウチの畑作りと境内清掃に来てくださるM・S氏も5年前大病を乗り越えられた方です。
皆さん、体調万全ではない中を ご奉仕くださっていて、感謝、感謝です。
日野和憲先生が「念仏申すことかたし」百華苑 で書かれていたことですが、
健康とは
本来は「健体康心」という4つの字を縮めたものです。この「健」という字には、「すこやか、つよい、すぐれた」という意味がありますから、健体とは、「身体が とても すこやかなこと」になります。また康には、「やすらか、やわらぐ」などの意味がありますから、康心とは「心がやすらかなこと」です。
(中略)
私たちは、身体の栄養については常に気を配りますが、同時に心の栄養つまり仏さまの教えを聞かせていただくことも、大切だと思うのです。
もし、「健体」を失っても、絶望だけでなく、明るく生き抜くには、「康心」が必要である・・・ということでしょう。
先日、40代ご門徒女性とお話したのですが、彼女は、若い時、3人の子どもをかかえ、離婚。間もなくリュウマチを発病。リュウマチと職場に知れると、クビになるので、顔に出さず、ひたすら痛みに耐えながら、昼も夜も働き続けだったそうです。
それでも彼女は
「病気になってよかったかもしれません。病気のお蔭でいろいろ考えさせられることが多かったから・・・暗い顔をしていても、痛みがなくなるわけじゃないし、明るく生きようと思って・・・」
と、淡々と、本当にさっぱりと、自然体でお話されて、私は、頭が下がりました。
私も今のところ(先日も一日だけの知恵熱で済んだ)身体は、元気ですが、本当の「健康」であるように、心の栄養・仏法
を忘れないように、聞かせていただきたいと思います。

M・M氏は、退職後、本格的に植木手入れの勉強をされた方です。29日盆前の境内清掃を予定していますが、
「松の剪定は、時間がかかるので、きょう、済ませておこうと思って・・・」
と、丸1日、蒸し暑い中を 法専寺のために ご奉仕いただきました。
また、ウチのお向かいの総代K氏も、たびたび、除草剤をまいてくださっていたり・・・ 本当に有り難いことです。

M・M氏は、膝の靱帯損傷後、まだ痛みが残っておられます。一時体調も崩されていて、やっと元気になられたばかりです。
お向かいのK氏も大けがをされてからは、歩行がやや不自由になっておられます。やはり、痛みがあると仰っています。
また、いつもウチの畑作りと境内清掃に来てくださるM・S氏も5年前大病を乗り越えられた方です。
皆さん、体調万全ではない中を ご奉仕くださっていて、感謝、感謝です。

日野和憲先生が「念仏申すことかたし」百華苑 で書かれていたことですが、
健康とは

(中略)
私たちは、身体の栄養については常に気を配りますが、同時に心の栄養つまり仏さまの教えを聞かせていただくことも、大切だと思うのです。


先日、40代ご門徒女性とお話したのですが、彼女は、若い時、3人の子どもをかかえ、離婚。間もなくリュウマチを発病。リュウマチと職場に知れると、クビになるので、顔に出さず、ひたすら痛みに耐えながら、昼も夜も働き続けだったそうです。
それでも彼女は
「病気になってよかったかもしれません。病気のお蔭でいろいろ考えさせられることが多かったから・・・暗い顔をしていても、痛みがなくなるわけじゃないし、明るく生きようと思って・・・」
と、淡々と、本当にさっぱりと、自然体でお話されて、私は、頭が下がりました。
私も今のところ(先日も一日だけの知恵熱で済んだ)身体は、元気ですが、本当の「健康」であるように、心の栄養・仏法
