お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

雷雨の中「自力」を考える

2007年07月02日 | 仏教
 明け方から、ものすごい雷雨。
 車内が後、生ゴミで臭うことも厭わず、車でゴミ出しへ。
 わが集落も、つい先日、金属製の立派なゴミ入れが設置されたので、ここで、ゴミを投げ込みながら、オバサン、雷にうたれ、ゴミに埋もれて命終えるかも知れない・・・と落雷を恐れながら、スリル満点のゴミ出し・・・
 
 その後、いつものように7:30から、BSでNHK朝の連続テレビ小説を見ていたら、画面が乱れ始め・・・音声が、とぎれとぎれになり・・・画面がフリーズ・・・ 「柾樹が、加賀美屋に帰ってくる」と大女将に伝えるシーンだったのに・・・そして、ついに「ただ今、この放送の電波を受信できません」の文字表示と共に映像が消えた

 チャンネルをかえると、地上デジタル、アナログは、異常なし。 BSは雷の影響を受けるのですねえ。(理数系がさっぱりわからない私は、妙に感心する)

 でも、この豪雨で、北部九州の水不足の心配は解消されたかな 
 深刻な水不足が報じられている四国にも、この大雨は降っているのでしょうか。

  
  さて、仏教の中で、「自力」とか「他力」とか言葉が出てきますが、何だかわからない誤解されやすい言葉ですよね。

 親鸞聖人の言葉(「一念多念文意」)

 自力というは、我が身をたのみ、我が心をたのみ、我が力をはげみ、我がさまざまな善根をたのむ人なり

 この言葉も「世間的な『「自力』観」で読めば、「いやあ、なかなか しっかりした 自己確立・自主努力のできる すぐれた人のことだ」 と思われるかもしれません。

 でも、親鸞聖人の言われる「自力」は、そういう世間でいう「人を頼らず自分で努力する」という意味ではないのです。

 仏教で言う「自力」「他力」について、しばらく味わってみたいと思います。つづく・・・

 
コメント
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