お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

お盆 その2

2007年07月13日 | 仏教
 大雨に引き続き、大きな台風接近です。 すでに沖縄では、被害が・・・
 この3連休に、ここで仏事を予定されておられるお宅数軒、あるいは、明日夜は、仏教壮年会例会も開く予定ですが、どうなりますことか・・・

 さて、昨日に続き「お盆」
 きょうは、真宗の「お盆」の味わい方をご紹介します。

 そもそも、
 浄土真宗では、亡くなった方は、皆、阿弥陀如来の「本願」(「全ての者を真理に目覚めさせ、仏にしたい」という 仏さまから 私に 届けられた願い」によって、人間としての「死」と同時に、仏と完成される。

 完全な智慧と慈悲をもって、自由自在に後の者を導き救う「はたらき」の仏さまとなる という教えですから、

 仏さまは、いつも私を心配し、私のそばにおられる・・・と味わいます。

 だから、
 「故人の霊が、あの世から、お盆の時だけ、帰ってくる」 という考え方はしません。

 では、何のために「お盆」に仏事を行うのか・・・

 真宗では、いつもそうなんですが、
故人のためにしてあげる 仏事では、なく ×
故人を縁として「私」が、仏さまの願い・教えに遇うための仏事 ○ なんです。

 「お盆」という季節行事を ご縁として、故人や、ご先祖に感謝し、家族ぐるみで 仏縁にあう・・・普段、なかなか合わせることのない手を合わせ、仏さまに心を合わせる   と、いう味わい方です。

 なので、真宗は、迎え火をたきませんし、精霊流しもしません。
 お仏壇も普段の仏事と同様のお飾り(菓子、果物など)です。霊供膳は必要ありません。

 さて、昨日ご紹介した、「盂蘭盆経」の話を聞いたご門徒女性の鋭いツッコミに、私は、何と答えたか・・・

 「お経は、私たちを真理に導く手だてとして、人それぞれに応じて、いろいろなエピソードを語られるので、たくさんある経典の中から、一つずつ、つまみ出して並べてみると、一見、矛盾したことに思いますが・・・あくまで、ひとつの物語として、聞かせてもらったら、いいのでは・・・目連尊者のお母さんが本当に餓鬼道に落ちていたということはないはずです・・・」

と、わかったような、わからんことを言って誤魔化してしまいました。

 「盂蘭盆経」のこのエピソードは、我が子だけをかわいがる身勝手さ対する誡めや、仏法を学ぶ仲間を大切にしよう という仏典の物語なのでは・・・

 どなたか、お詳しい方がおられましたら、ご指導くださ~い。お待ちしております
 
 
 
 
コメント
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